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それぞれの矜持 1

 部屋の窓から、貧しげな庭を眺めていた。


 豪奢な邸宅を構えている貴族の城下屋敷に似合わない庭だった。

 草木が伸び、池の水が淀んでいた。

 虫が湧くほど手入れが追い付いていないのは庭師を雇う金さえなかったからである。

 城下屋敷には領主の家族とわずかな使用人しかおらず、広い敷地を持て余していた。


 フィオーリ伯爵の長女、マーセラは平民の富豪タクウス・ハーカスの息子ヴィトと婚約を交わしたばかりだった。

 望んだ婚約ではない。

 マーセラは美しく聡明な女性として貴族社会では評判だった。

 本来なら、平民と結婚する身分ではない。

 フィオーリ家の事情とハーカスの策略によるものだった。


 庭は荒れて、邸宅の掃除の行き届かず、いくつかの空き部屋には埃にまみれていた。

 フィオーリ家は困窮していたのだ。


 現在の領主、つまりマーセラの父の代になって領地の経営が傾いた。

 リーデス王国の北東に位置する領地では、数年前天災に見舞われた。

 寒冷地にもかかわらず、厳しい暑さが続き、大旱魃が起きて農民の暮らした立ち行かなくなった。

 さらに雨季には川の氾濫に見舞われ、近隣の村では農地が荒れ、人命も数多く失われたという。


 領地が行ったのは領民への倹約令である。

 贅沢を禁じ、領民の暮らしの細かいところまでフィオーリ伯爵が指図したのである。

 領地での遊びを制限し、繁華街の営業時間も短縮させた。領民が着る服やアクセサリーにも質素な物を指定し、一日の食事は二食までと定めた。


 しかし、これは失敗に終わった。


 領地の繁華街にある店は商売が立ち行かなくなり、路頭に迷う者が続出し、さらには職を失った平民たちの心が荒れて、治安も悪化した。

 貧しい領地に見切りをつけ、王都イクリスや他の地方へ活路を見出そうとするものが現れ、領民の数が減った。


 作物の穫れない農民たちの暮らしは困窮を極め、自分の子どもを売ったりもした。

 それはまだよい方で、口減らしのためにわが子や年老いた親を手にかけざるを得ない者まで出たという。


 倹約令の限界を悟ったフィオーリ伯爵は領地政策を見直し、新たな手に打って出た。

 農地改良のために王都イクリスから学者を招聘し、農民を指導して、新たに油の取れる植物の作付けに手を出したのだ。

 元々油の生産を行っていたが、ごくわずかな量でしかなかった。

 大量生産をするために学者の知恵が必要だったのである。

 そのころには天候が安定していたということもあって、多くの植物が農地に植えることができた。

 学者と農民の努力の甲斐もあって、数年かけて油の生産にも成功した。

 油の品質は売り物になり、各地で評判になったという。

 領地の財政を豊かにする切り札として今後も期待されている。


 さらに氾濫で破壊された川には水害を防ぐための護岸工事を施した。

 上流には堰を設け、水害を防ぐ他に農地の用水路として活用された。

 領民たちに仕事ができ、十分な給金を払うことができた結果、領地の暮らしがある程度持ち直し、最悪の状態は脱することができた。


 ただ、これらの費用はフィオーリ子爵の私財を投げ打った他に、イクリスの商人からの借金で賄われたのだ。

 それが領地経営を圧迫していた。

 総計三億オーロの費用がかかった大規模改革は富豪ハーカスの策略でもあった。

 ハーカスから借りた金は合計で二億オーロ。

 この利子が領地経営に深甚な影響をもたらした。

 領民から得られる税だけでは利子を払うのがやっとで元本まで減らすことはできなかった。

 そしてハーカスが借金を減らすために持ち出した条件が、息子のヴィトとマーセラとの結婚である。

 もちろん直截的に求められたわけではないが、それとなく匂わせてきたのだ。


 当然、フィオーリ伯爵は親としてこの話を拒んだ。

 貧窮したとはいえ貴族である。娘を売るような真似は出来なかった。

 さらに言えば、ハーカスは最初からこれが目的でフィオーリ家に近づいたのだと、伯爵は気づいた。

 貴族の親族ともなれば、ハーカスに爵位を与えられる可能性はある。

 

 元々リーデス王国の貴族とは、戦乱を収めた初代国王の親族や家臣たちの功績を称えて、領地を与えられた者たちのことを示していた。

 のちに王都イクリスにも城下屋敷を与え、妻や子女といった肉親を人質代わりとしてイクリスに住まわせた。

 これは各領主が反乱を企てないための措置である。

 マーセラがフィオーリ伯爵領ではなく、王都イクリスの城下屋敷に住んでいるのも、こういったリーデス王国の特殊な貴族制度による事情がある。

 やがて、城下屋敷は領地の優れた者たちがイクリスで勉学に励んだり、官吏に就いた者たちの寄宿舎としても機能するようになった。

 

 そして時代が経るにつれ、王室が平民にも爵位を与えるようになり、領地を持たない貴族が増えた。

 ただし、爵位を与えられる者は優れた実績を残し、王国の発展に寄与した者に限られるため、平民が貴族になるのには極めて高く厚い壁が存在した。

 商人に与えられることはないとされていたのだが、実は手っ取り早い抜け道が二つあった。

 一つは貴族から爵位を買うこと。もう一つは貴族の親類となることである。


 ハーカスにとってフィオーリ伯爵領がどちらに転んでも良かったのだ。

 王都イクリスで金貸しやカジノ、それにいかがわしい店をいくつも営んでいるような商売をしている男が権力を得る機会に恵まれた。

 爵位を盾に新たな商売をしてもおかしくはない。


 もしかしたら領地経営に介入する狙いがあるのかもしれない。

 二億オーロという金はハーカスにとっても痛手ではあるはずだが、それを考慮しても爵位は得難いものなのだ。

 本人のみならず、子どもたちも貴族の子女と見なされ、官吏になる道も開け、ゆくゆくは国を動かす地位を得られる可能性を与えられるのだ。

 

 下賤な思惑を感じた伯爵は、己の情けなさを悔いたという。

 もっとできることがあったのではないかと日夜悩み続けたと、マーセラは聞いたことがある。

 しかし利子が領地の経営を圧迫している現状を鑑みると、進退窮まった感があった。


 そこでフィオーリ伯爵は王都イクリスを訪れた際、ハーストとヴィトとの会食を申し出た。

 ハーカスは金や権力にしか興味のない男ではあるが、ヴィトの人品が良ければ結婚を許すことにしたのだ。

 その席にはマーセラも同席した。

 

 ハーカスは強欲な商人らしく、固太りした目の細い人物であるが、息子のヴィトは父親に似ず、顔立ちも端正で痩せており、話しぶりからかなりの教養が窺えたのだ。

 口数の多いところが少し軽い性格を匂わせたが、それは商人に必要な資質かもしれなかった。

 同席したマーセラも、微笑みを見せながら談笑したのでヴィトとの相性はそう悪くないように思えたらしい。


 会食の後、城下屋敷を訪ねたフィオーリ伯爵はマーセラにヴィトと結婚する気はないかと訊いた。

 マーセラは躊躇した。いきなり結婚の話を出されても決めようがなかった。

 それにマーセラには慕っていた人物がいた。同じ貴族のルリアンである。

 彼は二歳年上で今は王立大学校に通うルリアンという優秀な学生であった。

 マーセラが王立学園に通っていたころから交際をしており、ゆくゆくは一緒になりたいと願っていた。


 それなのに、父親はヴィトとの結婚を迫ってきたのだ。

 しかし、マーセラには父の顔が差し迫った色になっているのに気づいた。

 領地の惨状は聞いていたものの、ここまで人を追い詰めるほどひどかったのかと思い、父親の苦しく悲しい表情に堪えられなかった。

 自分が折れることで父や領民を救えるのだと思い至り、マーセラはヴィトと結婚する道を選んだのである。


   ◇


 結婚が迫ったある日、マーセラは学園時代の友人と食事をすることにした。彼女は卒業してから忙しく、なかなか休暇が取れないので、会うのはしばらくぶりだった。

 王城の南にある繁華街まで徒歩で行った。

 この一帯は各省庁が近いということもあって、多くの貴族が訪れる地区だった。

 休日の繁華街は多くの人が行きかい、立ち並ぶ店には活気があふれていた。

 流行に敏感な女性が派手な格好をして、すれ違う男性の下心をくすぐったり、外に客席のある喫茶店には家族連れや男女のグループが談笑をしながら楽しいひと時を過ごしていた。


 待ち合わせ場所の店は繁華街の南端にあった。

 客の身分を問わない飲食店で、あっさりした味付けが好評の店である。

 マーセラの好みに友人が合わせてくれた。本来、友人は濃い味付けを好む。


 年季の入った木のドアを開けると、店の活気が外に漏れてくる。

 マーセラが入ってきたのに気づいた給仕に、小柄で金色の髪の女性と待ち合わせをしていると告げると奥のテーブルに案内してくれた。

 彼女はこちらに背を向けて座っている。

 後ろ姿は昔と変わりなかった。短い金色の髪には艶がある。


 給仕がお客様と声をかけると、彼女は振り向いた。


「久しぶりね。マーセラ」


 彼女はにこやかにあいさつした。


「久しぶり、アメリア」


 マーセラは壁際の席に腰を下ろすと、ひとまずお茶を頼んだ。

 アメリアは待っていてくれたらしく、まだ料理を頼んでいないようだった。

 テーブルに一客のカップが置いてある。


「元気そうね。どう、仕事は忙しい?」


「うん。意外に書くことが多いから手首を痛めそうになるわ」


「そう」


 二人は微笑みを交わした。


 アメリアは、特に変わっていないようだった。

 勝気で冴えた瞳に、小さな顔をした美貌の持ち主だった。

 小柄な身体に似合わず、普段から気が強く、正義感の強い女性で、嫌がらせをした教師に詰問したこともあった。

 彼女が憲兵になったのも必然な気がする。


「アメリアのことだから、魔法をバシバシ遣って悪人を退治していると思っていたわ」


「あ、はは、たまにあるけど」


 アメリアはなぜか苦笑いを浮かべて上目遣いになる。


「上役の人がさ、性格悪いのよ。仕事はできるんだけど、なにかにつけていらないことを言うの。魔法しか才能がないとか、短気だとか。ほんといやになっちゃう」


 アメリアは笑みを浮かべながら眉根を寄せている。

 憲兵は男社会で女性は少数派だという。

 その環境で働くのだから、ストレスが溜まっているのかもしれなかった。


「マーセラはどうなの? ルリアン様とは最近会ってる?」


 アメリアに悪気はないのはわかっている。

 それでも、マーセラは俯いて顔を曇らせた。

 ルリアンと別れて、富豪のハーカスに嫁ぐことを伝えた方がいいのか迷った。


 親しい友達にそれを告げるのは心苦しかった。

 アメリアはルリアンとの交際を喜んでくれいていた。

 彼は将来を嘱望された貴族の子息で、たとえ領地を継がなくても、優秀な学者として名を馳せると、アメリアも思っているらしかった。


 深いため息をついて、首を軽く左右に振った。


「アメリア、私たち友達よね」


「どうしたの? 急に」


 アメリアは笑みを交えながら困惑げな表情を浮かべた。


「実はね」


 マーセラは富豪ハーストの息子ヴィトに嫁ぐことになったと言った。

 時おり言葉が詰まり、頭の中が混乱する。

 愛する人と別れ、家や領地を救うためとはいえ、望んでいない結婚をせざるを得ない状況に心が乱れる。


「なによ、それ」


 アメリアは悲しげな顔色を浮かべた。

 心なしか顔が曇ったように見えた。

 マーセラの置かれた状況に理解は示してくれたものの、望まない結婚をしなければならないことに怒っているようでもあった。


「貴族の家に生まれたんだもの。仕方ないわ。アメリアだってわかってくれるわよね。好き勝手に誰かを愛する時期は、もう過ぎたのよ」


 マーセラの瞳に涙がにじんだ。

 手で涙を拭きとろうとしたとき、アメリアはそっとハンカチを出してくれた。


 そのとき、女給仕が料理を持って来た。

 気まずい雰囲気に飲まれて声をかけるのも申し訳なさそうだった。

 アメリアが礼を言って、女給仕を下がらせた。


「いただきましょう、アメリア。それでこの後お芝居でも見に行かない?」


 マーセラは気を持ち直して言った。


 せっかくの友達との食事を涙で濡らしたくなかった。


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