王都の湯屋 5
「おまえさんのそのキレやすい性格、なんとかならんのか」
ウーナたち四人を連行した翌日、ラージヒルに事の顛末を報告するとそう言われた。
叱るような口調ではないが、呆れたような言い方だった。
「盗賊の一味を逮捕したのは褒めてやれるけどさ。前にも言ったろ、もっとスマートなやり方をしろって」
「しかし課長。武器を所持し、しかも魔法を遣って店内で暴れようとしたので、周囲に被害が及ぶまえに取り押さえる必要がありました。ですからやむなく制圧せざるを得ませんでした」
「だからさ、手段を考えろって。あらゆる魔法が遣えるんだから、もっとやりようがあっただろ。だいたい捕縛魔法はどうした? 捕縛魔法は」
「連中が強い魔力を有していた場合、解かれる可能性がありましたので」
アメリアは気まずくなった。というのも、今になって遣う魔法を間違えたと思ったからである。
今言った通り、捕縛魔法は魔力の強い人間に遣っても破られる可能性がある。
しかし、アメリアの魔力をもってすれば、ウーナたち程度なら捕縛魔法で充分だったと、今さら気づいたのだ。
「うーん、まあいいか。相手も危害を加える気があったのは、本人たちや店のマスター、そのときいた客も証言してることだし、実力行使に出たのはやむなしってことで」
ラージヒルには、はなからアメリアを咎める気はなかったらしい。上役らしく改良できるところを部下に言っただけという感じだった。
「それで、彼女は何か証言したのでしょうか?」
昨夜、ウーナたちが見廻りしていた憲兵に連行されたあと、アメリアは取り調べに立ち会ってない。
事情を話したあとのことは、刑事三課の管轄下に入ったため、ウーナたちの取り調べも彼らの担当になったのである。
「聞いたところによるとウーナって子、盗人たちから話を持ちかけられたらしいんだ。なんでも歓楽街で遊んでいたところ、小遣いが欲しいってぼやいていたら目をつけられたらしくてな。そんでもって盗んだ金の一割をやるから、女湯で財布が盗まれたって騒いでくれって頼まれたらしい」
「となると、今まで財布を盗まれた女性も協力をしていた可能性がありますね」
「だな。たぶん洗い直しているんじゃないか。まあ、その辺は、あちらさんに任せておけばいいさ」
「そうですね」
「けど、近いうちにケリをつけないといけないな」
「え」
アメリアは反射的に声を上げた。
「ウーナたちを逮捕したことによって、盗人たちの尻に火がついたとは思わないか? 憲兵に証言したと知れたら、どんな手に打って出るか」
「そんな、私は被疑者を捕らえただけで」
「いいや。そこはおまえさんのせいじゃないよ。責任があるにしても焚きつけた俺にも非はあるさ」
「しかし私が余計なことをして奴らに逃げられたとしたら」
「その点は心配ないさ。少なくとも今すぐってわけじゃない。ウーナたちを逮捕したところで昨日の今日だしな。盗賊の連中がそのことを知っている可能性は低いと思う。それに奴ら、今日湯屋を襲うに違いない」
「どういうことですか?」
アメリアはラージヒルの意図が掴めなかった。
するとラージヒルは、引き出しを開けてイクリス西部の地図を出すと、机の上に広げた。そこには盗難被害に遭った湯屋の場所が×で記されている。
「盗賊たちが湯屋を襲う日は、いつだかわかるか?」
「いえ。ただこの間は祝日の前日――あっ」
「そうだ。休日の前日ってのは最も客の入りが良く、売り上げがいい。明日休みだと思えば、色々飲み食いするし、金を湯屋に落としてくれるからな。それにその日の売上金だけじゃない。それまで儲けた分の金だって金庫に入っている。そりゃたんまり盗めるわな」
「あと、川に面した湯屋が狙われていますね」
「そりゃそうだ。奴らの遣う魔法を最大限に生かすには、それしかないからな」
「ですが、次に狙う湯屋がどこなのか見当がつきませんね。まだ狙われていない店がいくつかあります。それに今日失敗すれば、盗賊は二度と姿を現さないでしょうし」
アメリアは地図の上で指を滑らせて、まだ被害に遭っていない湯屋を次々と指し示す。
「そうなんだが、奴らの逃走ルートについてはおおよその見当がついている」
「本当ですか?」
とアメリアが訊くと、ラージヒルはイクリス西部に流れるヴァズ川を指さした。ウーナが働いていた船屋の前を流れる幅の広い川である。北西から南にかけて緩やかな曲線を描きながら海に流れ着く。この川の支流もイクリスを流れている。ラージヒルは川の流れに沿うように、指を地図上で滑らせると、アメリアが地図から指を離す。
「刑事三課が捜査した結果、どうやらヴァズ川を下ってどこかの船着き場から陸に上がるらしい。上流には堰があるし、いくら魔法を遣って泳いだとしてもそこを遡上するのは難しい。それに陸に上がれるようなところは、堰からほど近い場所しかないし、そこを張り込まれたら終わりだからな。だから川を下っていると推測がつく」
「どこかの支流から上がる可能性もあるのではないですか?」
「それは大丈夫だ。近くの支流に憲兵を配置し、魔力網を遣うようした。ただ、奴らが想像以上に魔法が遣えた場合、水面を跳ねて網を飛び越える可能性もある。もし西のヴァズ川まで逃げられると、魔力網でカバーするのは無理だ。あそこは川幅が広い上に、底も深い。海に逃げられると、足取りを追うのは困難だろうな」
ラージヒルは言葉を紡ぎながら自分の考えを纏めているようだった。
「で、今日も休日の前日だ。やるとしたら今夜。ウーナたちの逮捕が奴らに知られる前にケリをつけたいところだ」
「ですが、逮捕するのはかなり難しいですね。凄まじい速度で泳ぐ上に、もし魔力網を飛び越えられたら、捕らえるのは困難を極めます」
「そこでアメリア、お前さんの出番ってわけ」
「え? ですが、私は捜査から外されたはずでは」
「モーリスのおっちゃんには俺から話を通しておくよ。で、アメリア。おまえさんに遣ってもらう魔法は、と」
ラージヒルが言った魔法を、アメリアは遣えると言った。
そして作戦を告げられる。
「本気ですか? 関係ない人にも迷惑をかけるのでは」
「その点はフォローしてやるさ。ま、リベンジマッチの機会を与えられたと思ってやってくれや。んじゃ、俺はおっちゃんに話を通しに行くから」
と言うと、ラージヒルは跳ねるようにして椅子から立ち上がり、詰所を出て行った。
「本当に大丈夫かしら」
一人きりで静かになった詰所で、アメリアはつぶやいた。
と同時に失敗してなるものかと、胸の内に誓った。
――課長の作戦は……。
私にしかできないわ、と大役を任せられた責任を感じた。
◇
深更、盗賊たち三人は最後の勝負を前にしていた。
この盗みが終わったら、イクリスを出て、地方でのんびりするつもりだった。
憲兵の対策もより強化されるに違いない。そろそろ潮時だと予測した。
これ以上欲をかくと必ず逮捕される。その前にもう一稼ぎして、身を隠したかった。
今にも雨が降り出しそうな夜空の下、道に敷かれた石畳に這うようにして漂う靄を、脚で払うようにして歩んでいる。
川沿いの道に点々と植えられた街路樹の葉から根元を叩くように露が落ちる。
家路についたらしい酔客を乗せた小舟が川を裂きながら遡り、船頭が迷惑そうな声を上げながら、酔客を窘めていた。
目的の湯屋に着き、三人は小声で手順を確認する。
湯屋の裏には底が深く、幅の狭い川があり、流れに沿って泳げば本流のヴァズ川に突き当たる。
色男が受付の女と、女湯から騒ぎ声が聞こえるまで気を逸らす。
そこから五分が勝負だった。
色男が受付の女に早く女湯へ行くように促し、受付から離れさせてから残りの二人が金庫の在処を探す。
金庫を見つけ次第すぐに二人は膂力増強の魔法を遣い、見張り番を倒してから、金庫をもって川に飛び込む。
そして水泳の魔法を遣って二人で金庫を持ちながら川を下って逃走。なるべく早い手際が求められる。
憲兵の目が届かないところまで逃げてから陸に上がり、隠れ家へ金庫を運ぶ。
そして色男が到着次第、彼が魔法を遣って金庫を破壊し中身を取り出す。
金庫の残骸は適当な川に捨てておけばよかった。
三人は手順通りに事を進める。色男が受付の女の気を惹かせる。
そして、あらかじめ雇った女が女湯から財布が盗まれたと騒ぎになり、受付の女を女湯へ行かせる。
周りの客たちの視線が逸れたとき、手薄になった受付の奥に、二人が侵入する。
色男はその間に湯屋を出て隠れ家へと向かう。
残りの二人が若干戸惑ったのは、金庫の近くに見張り番がいないことだった。
冒険者の用心棒や憲兵がいると思っていたので、面を食らった。
それでもこの好機を逃すまいと窓を開けてから、膂力増強の魔法を遣い金庫を持ち上げてから川へ投げる。そして二人は川へ飛び込んだ。
ここから二人は速度向上泳法の魔法を遣い、川底に落ちた金庫を拾い上げ、二人が両側から抱き着くように金庫を持ちながら川を泳ぐ。凄まじい速度で泳ぎ、息継ぎはほとんど必要なかった。水の抵抗も風の魔法を応用して感じないようにする。
ただ憲兵たちも油断はしていないようだった。
支流には魔力網が張られていた。それでも彼らは泳ぐ速度を落とさない。
勢いそのままに斜め上に上昇し、川面から姿を現すと、勢いを失うことなく宙に飛んだ。
川沿いに憲兵がいるようで、声が聞こえる。
水を叩く音を立てて再び川に潜る。
その後いくつかの魔力網が張られていたが、同じ要領で飛び越えて行った。
もうすぐヴァズ川に突き当たるころになると、一度水面から顔を上げ、憲兵が追ってくるのを確認する。
そして二人は思い切り息を吸うと再び川に潜った。
ヴァズ川は幅が広い上に底が深い。
川底を泳げば二人がどこにいるか見当もつかないはずだった。
そのまま海に出て、手ごろな場所で陸に上がる計画も事前に打ち合わせてある。
逃げ切れる、と思ったそのとき、金庫が異様に重くなったように感じた。
さらに泳ぐ速度も著しく落ち、今にも止まりそうだった。
今までこんなことはなかった。
まさか魔力が切れたのかと二人は慌てた。
二人は水中で目を合わせた。
小太りの男が川底を指さすと、長身の男は慌ててうなずく。
ここまで来てみすみす金を捨てる真似はしたくなかったが、こうなってしまった以上、金庫を捨てるのは仕方なかった。
試しにもう一度魔法を遣って泳ごうとしたが、やはり魔法が効かない。
異常が起きたのは間違いなく、二人に動揺が走った。
そのせいか小太りの男の呼吸が乱れ、口から大量の泡を吐くと、水面に上がっていった。長身の男もつられて上がる。
二人は水面から顔を出し、息を整えようとした。周りの様子を把握する気力もなかった。
小太りはすぐ近くに浮かんであった小舟の縁に右手をかけた。
「はい、逮捕」
どこか呑気な声が聞こえると、小太りの男は右手首に何かをはめられた。
よく見ると、手錠がはめられていた。
さらに顔を見上げると、髪を後ろに撫でつけた男が手錠の片側を持っていた。
平然とした顔つきで縁に腰かけて見下ろしている。
さらにその隣には見覚えのある女が険の帯びた目の光を湛えて、こちらを見下ろしている。
「お、おまえは」
長身の男は驚きのあまり、胸を刺されたかのような錯覚に陥った。
船屋の前で強盗の話を持ちかけようとして、痛い目に遭ったときのことを思い出した。
小柄で目の冴えた美女だが、その外見とは想像もつかない、凄腕の魔法遣いである。
その女は名乗った。
「憲兵庁警務局査察課のアメリア・ティレットだ。まさか貴様らが盗賊だったとは驚いたぞ」
「くそ」
長身の男は手から魔法を放とうとしたが、何も出てこなかった。
「無駄だ。この川一帯に、〈反魔領域〉の魔法を張った。貴様らの魔力では何もできまい」
「嘘だろ。そんな巨大な魔力がこの女に」
「嘘だと思うでしょ?」
と今度は髪を後ろに撫でつけた男が落ち着いた声で言った。
「彼女、才媛の魔法使いって評判でね。性格に難はあるが、顔と魔法だけは一級品なんだ」
「課長、喉仏潰しますよ」
アメリアは課長に怒り眼を向けて、低い声で言った。
「くそ!」
長身の男が魔法を遣わず泳いで逃げようとしたとき、周りが凍っているのに気づいた。
「無駄だ。もう逃げられないぞ。貴様らの仲間も、今ごろ憲兵庁に連行されているはずだ。おとなしく縛につけ」
〈反魔領域〉を遣いながらも、水面を凍らせたのだ。想像以上の凄腕だった。
「船頭の皆さん、ご協力ありがとうございました。魔法が遣えず、船の流れを滞らせてしまったことをお詫び申し上げます」
課長の声がヴァズ川に響き渡る。
魔力で動かす船が使えないので、多くの船が川に留まっていた。
船屋だけではなく、憲兵もいるらしかった。
「いいってことよ。悪党を捕まえられたんなら協力した甲斐があったってことだろ」
船頭の快活な声が聞こえる。
二人の盗賊は観念するしかなかった。
はっきりとした敗北を悟り、長身の男は水面の氷を力一杯たたきつけた。