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王都の湯屋 3

 ぼんやりと宙を眺めていた。

 昨夜、盗人一味を取り逃したせいで、モーリス・ブリデ刑事三課長から激しい叱責を受けた。

 アメリアだけではない。『ジョワ』で張り込んでいた憲兵全員の体たらくを罵ったのだ。

 盗賊を取り逃すという重大なミスをしたのは全員が承知していたので、モーリスの怒りを受け止めるしかなかった。


 盗賊は予想通り金庫を持ち去った。

 だが、『ジョワ』の金庫はかなり大きく、魔法を遣ったとしても、持ち去るのは容易ではないと考えられた。もし盗むとすればその場で金庫を破り、逃走する可能性の方が高かった。

 盗賊の二人は憲兵が張り込んでいると知るやいなや、何のためらいもなく襲い掛かった。

 不意を衝かれた憲兵の何人かが打ちのめされ、盗人たちはすぐに金庫を持って窓から飛び降り、躊躇なく建物の裏に面した川に飛び込んだ。

 襲われた憲兵たちが回復したころには、姿見えなかったという。


 金庫を見張る憲兵が少なかったのが失策の原因だった。もっとも、他の湯屋も見張らなければならない関係で、少数になってしまったのもある。


 盗賊の遣った魔法は膂力増強と速度向上泳法の二つであるとの見解が出され、捜査方針を改めた。

 川に逃げ込んだ時点で取り押さえるのは不可能に近いため、女湯の見張りを少なくし、金庫番を増やすことにしたのだ。

 そのため、失態を犯したアメリアは捜査を外れることになった。

 次こそは、と思っていた矢先のことである。


 それ以来、アメリアは仕事に手がつかなかった。

 隙を衝かれて財布を盗まれた責任を感じていたし、財布を盗まれた女性にも激しく詰め寄られた。

 憲兵が見張っておきながら、盗賊の姿すら捉えることができなかったのだから、叱られても文句は言えない。

 もっとも脱衣所に財布を置きっぱなしにする、女性の警戒心の薄さも原因ではある。

 だがアメリアには、自分の失敗を棚に上げて他人に注意するほどの図太さはなかった。


「アメリア」


 とラージヒルに声をかけられて、はっと我に返った。


「申し訳ありません。少し呆けていました」


「落ち込むことはない。次、ちゃんとやればいいさ」


 とラージヒルが慰める。

 しかし、アメリアの胸には響かない。

 必要ないと言われたときの屈辱が心根を侵しているらしかった。


「しかし見逃したのは事実です。結局女湯の盗人を見逃してしまいましたから」


 力なくアメリアは口にした。今ならラージヒルにどう言われて仕方ないという気持ちが働いていた。


「ふーむ。見逃した、ねえ」


 ラージヒルは後ろ首に手を当てて机に目を落とす。なにかを考えているときの仕草だった。

 ちなみにラージヒルは別の湯屋を見張っていたため、『ジョワ』の顛末はアメリアから聞いていた。


「はい。完全に私のミスです」


「だからさ、いつまでも責任を感じたってしょうがないだろ。こういうときは、なんかスカッとすることやって、ストレス発散してみたら? 街に繰り出してパーっと遊ぶとかしてさ」


「結構です。それに今は勤務中ですよ」


「それもそうか」


 ラージヒルの口調は、とりあえず言ってみたという感じだった。

 後ろ頭に両手を組んで大きく背を凭せる。


「にしてもモーリスのおっちゃん、昇進したばっかで張り切りすぎたな。もうちょっと考えて策を練ればいいのに。盗人を捕まえようと躍起になるあまり、周りが見えちゃいないよ。ま、上役になったとたん、上手く力を発揮できないってこともあるか」


「はあ」


 アメリアにはラージヒルの意図が掴めなかった。

 何か思いついたらしかったが、少々回りくどい。


「そこでさ、刑事三課のフォローをしてみる気はないか?」


「え?」


 いきなり訊かれてアメリアは戸惑った。


「だからさ、犯人の糸口をつかんでみないかってこと」


「なにかわかったのですか?」


「多少はね。なあ、アメリア。もう一度訊くが、本当に脱衣所に怪しい人物はいなかったんだな?」


「はい。たしかにリジー・ローチェ巡査と話していましたが、それも一般客を装ってのことです。注意をそらした覚えはありません」


 アメリアは自信をもって答えた。

 そしてラージヒルはうーんと唸ってから言った。


「なら、もう一度被害者女性に当たってみたらどうだ?」


「今さらですか? いったい何を訊けば」


「いや、直接訊くんじゃない。彼女の周辺を訊き込むんだ。それで、必要があれば彼女を尾行してみろ」


「どういうことでしょうか?」


「現時点じゃなんとも言えんが、もしかしたらってこともあるからな」


「はあ」


 アメリアに判然としない気持ちが起こる。いったい彼女を探ってなにがわかるのだろうか。


「しかし、刑事三課の許可なく勝手に動いては迷惑をかけませんか?」


「そこんとこは大丈夫じゃないの。不正の疑いがある憲兵を調査中のところ、たまたま彼女の周辺に訊き込みしていたってことにしておけば」


「本当に大丈夫ですか?」


 アメリアは段々不安になってきた。

 勝手に動き回って迷惑をかけたりしないだろうか。

 ただ、ラージヒルの口車に乗ってはいけないと思いながら、一方で失点を取り返したい思いもある。

 憲兵の規矩を超えろと囁く誘惑のような指示に、アメリアの心は揺れる。


「おまえさんだって、このままじゃ終われないだろ。せめて女湯の盗人だけでも捕まえたいんじゃないのか? こうやって上役の俺が言ってるんだからさ。遠慮しないでやってみたら」


 ラージヒルは、焚きつけるように言った。


 でも、と言いかけたが、その一言はアメリアの喉から出なかった。査察課の職域を超えた仕事だとわかっていても、このままでは終われない気持ちの方が勝りつつあった。


「承知しました」


 と、結局指示に従うことにした。

 すると、少し気が楽になった。

 胸の内にかかっていた靄が薄くなった感じがする。

 やりたかったことをラージヒルが後押ししてくれたおかげなのかもしれなかった。

「じゃあ、俺はこっちの仕事するわ。バカが借金こしらえて大変な目に遭ってるからそっちまで手が回らんのよ」


「はい」


 またしても単独行動になった。

 憲兵になって以来、一人で仕事をこなすことが多い気がした。

 経験の少ない新人憲兵がすることではないのだが、アメリアはやる気に満ちている。

 

 ――いざとなったら……。


 課長の指示に従ったと言えばいいわね、とアメリアの頭に(ずる)い考えが湧いた。

 

   ◇


 私服に着替えてから、憲兵庁を出た。

 春が終わりを迎えつつある時期になり、日の光が白みを帯びて王都イクリスに降り注ぐ。

 行きかう人々の服装が軽装になり、半袖のシャツや丈の短いズボンやスカートを穿いていて、気温を読み違えた人の中には長袖の上着を脱いで腕や肩にかけたりしている。


 アメリアは日陰の道を選びながらイクリスの北西部に足を運んでいる最中だった。

 年ごろの娘らしく、日焼けをしないように気をつけている。

 昨夜財布を盗まれた女性、ウーナは湯屋『ジョワ』の近くにある舟屋で働いているらしかった。


 思ったよりも早く到着した。舟屋の前には道を隔てて船着き場がある。

 この舟屋は主に人を乗せているらしかった。

 ゆったりと王都の川巡りを楽しむ客もいれば、先を急ぐ客もいるようだった。

 幅の広いヴァズ川に面した船着き場には数艘の船が並んでいて、船頭たちが声をかけ合いながら、客を乗せる準備をしていた。


 アメリアはその様子を見ながら、被害者女性がいないのを確かめた。

 魔法が遣えない、もしくは船頭を任せられるほどの腕はないらしい。もし魔法が遣えるなら、女性でも船頭になることができる。なにしろ、魔力を動力源とする船外機を遣うため、性別は気にしないのである。


 店の方に目を向けると、意外にも店の構えが大きい舟屋だと気づいた。

 一階は受付と待合室を兼ねていて、二階と三階はどうやら宿を兼ねた休憩所らしかった。


「ちょっと、そこのお嬢さん」


 横から男の声がした。アメリアは自分に声をかけられたとは思わずに、反応しなかったが、もう一度声をかけられると顔を向けた。

 三人の男たちがへらへら笑いながらアメリアを見ている。

 端正な顔立ちをした色男、ずんぐりとした小太りの男、長身瘦躯の男、いずれにしても堅気らしい雰囲気はなかった。


「ヒュー、やっぱり可愛いじゃねえか」

「ちげえねえ。ひさびさの上玉だぜ」

「ねえ、ひょっとして貴族?」

「うお、じゃあ金持ちじゃん」

「ついてるなぁ、こんなところでお近づきになれるなんて」

「どうだい、おれたちと一緒に遊ばないか?」


 男たちの口調に品の悪さが滲み出ていた。憲兵の制服を着ていないので、暇を持て余した女だと見られたらしい。


「すみません。これから約束があるもので」


 アメリアはそっぽを向いて断った。


「いいじゃねえか。どうせ暇なんだろ」

「いい店知ってんだよ」

「なあなあ」


 と男たちは引き下がらない。


「いえ、結構です。あなた方のような人たちと関わりたくありませんから」


 アメリアはわざと冷たく言った。


 すると、男たちの態度が豹変した。


「なんだこの女。こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって。少しぐらい可愛いからってお高くとまりやがって」


 痩せた男が低い声で迫る。あまり語彙力のない頭の持ち主らしかった。


 アメリアはため息を吐いた。いっそのこと手帳を見せて憲兵だと教えた方がいいかしら、と思った。


「いいから来いよ。楽しませてやるっつってんだ」


 小太りで目の細い男がずいっと前へ出てきてアメリアの左手を掴んで引き寄せようとした。


 アメリアは右手にロッド持って、小太りに〈風砲(エアロカノン)〉を放った。


「ぎゃ!」


 小太りの男が腹を抱えて上体を折る。脚が震えて力が入らなくなり、両膝が石畳の地面につく。


「お、おい」


 色男が狼狽えながら小太りの男を介抱しようとする。


「調子にのるな。女だと思って侮っていると痛い目見るぞ。見逃してやるからさっさと消えろ、下郎ども。もしこれ以上手を出すなら、手加減はしない。全力で叩き潰す」


 アメリアは言葉遣いを改めて、男たちにロッドを向けた。

 これ以上危害を加えようとするなら、容赦するつもりはなかった。


「このスベタ。ぶっ倒してやる」


 長身の男が懐から慣れた手つきでナイフを出した。

 淀みない動きで構えたあたり、遣い慣れた武器のようだった。


 こっちも舐めていると怪我をする、とアメリアは気を引き締めた。


「こらー、町中で何やってるのよ!」


 後ろから女の叫ぶ声がした。アメリアが振り向くと女性憲兵が駆け寄ってくる。


「やべえ、憲兵だ」

「逃げるぞ」


 男たちは踵を返すと、あっという間に去って行った。


「大丈夫ですか。って、あ」


 女性憲兵はリジーだった。見廻りしているところだったらしい。


「リジー。見廻りご苦労さま」


 階級ではアメリアの方が上なので、自然と上役ふうの言葉を口にする。

 湯屋を張り込んでいたときは、親しい友人同士という設定で見張っていたので、お互いタメ口だったが、今は警部補と巡査という間柄である。


「ティレット警部補、お疲れさまです。お怪我はありませんでしたか?」


 リジーは敬礼をした。


「いえ、大丈夫よ」


「ですよね」


「は?」


 アメリアは、リジーが浮かべたやっぱりという表情に、納得がいかなかった。


「警部補は才媛の魔法遣いだって評判ですから。ほら、素行の悪かった憲兵を制圧したんですよね。なら不良ぐらいどうってことないじゃないですか」


「そ、そんな話が」


 アメリアは言葉に詰まった。憲兵になってから同僚を逮捕したのは事実だ。

 だがそれは結果的なことであり、逮捕に至ったのはラージヒルが推測し、指示を与えてくれたおかげだと思っている。

 軽口をたたく悪癖は容認しがたいところがあるものの、あの男、仕事はできるのだと認めざるを得ない。


「それで警部補、今日はお休みですか?」


 私服姿のアメリアを見てそう訊いた。


「あ、いや、その」


 アメリアは口籠った。仕事の内容を話していいものか迷ったのだ。

 査察という仕事の性格上、迂闊に他の部署の憲兵に話してはいけないという心理が働く。

 まだ憲兵になって日が浅いとはいえ、査察課に染まってきたようだった。


「課長から外の空気を吸って来いと言われて。仕事の能率が落ちているから気分転換が必要だって気を利かせてくれたみたい」


 口にしてみて苦しい言い訳だと感じた。

 そんな理由で勤務中に私服姿で町中に出る許可を与える上役などいないはずだった。


「そうですか」


 リジーはそう言ったものの、アメリアの姿をじろじろ眺めている。

 顔だけでなく、身体全体を見回していた。

 彼女の目に胡乱な光が宿る。

 嘘を見破ろうとする憲兵の習性が働いている気がした。


 だが次にリジーが口にしたのは予想外の言葉だった。


「警部補、大変失礼ですが、もう少しおしゃれな服を着たらどうですか?」


「え?」


「いえ、もっと似合う服があるんじゃないかと思ったんです。そうだ、今度一緒に服を買いに行きませんか? わたし、良い店知っているんです」


 リジーは朗らかに言うと、顔を近づけた。にこやかな顔つきなのに、どこか妙に真剣な感じがした。


「あー、それよりもリジー、勤務中じゃない。私のことはいいから、見廻りを続けないと上役に叱られてしまうわ。しかもこんなところで無駄話をしていると憲兵が怠けていると民から言われるわよ」


 アメリアは強引に話を変えた。リジーの話に付き合っていられない思いがしたからだ。


「あ、そうでした。そろそろ行かないとまずいですよね。では警部補、約束ですよ」


 と言って去るリジーの後ろ姿は、どこかうきうきしている感じがした。


「どうしようかしら……」


 アメリアは眉に指を当てて悩んだ。


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