王都の湯屋 2
伏字の個所には、お好きな言葉を入れてお読み下さい。
王都イクリスには清澄な川が町中を巡っている。
はるか遠くの山々から流れてくる源流がイクリスに届くころには、川の形を成し、うねりながら海へと流れて行く。
人々にとってこれらの川は生活に欠かせず、様々な用途がある。
衣服や食器の洗浄、荷物の運搬、また郊外の護岸されていない川では魚が良く釣れ、夕飯のおかずにする人もいる。
イクリスでは景観と環境を守るため、定期的に専門の技師や魔法遣いを雇って、川を洗浄している。
そして、川の恩恵を最も受けた商売が、湯屋である。設備さえ整えば、きれいな水が潤沢にあるイクリスでは、費用がほとんどかからない。せいぜい、リーゼス王国が制定した湯屋税を念頭に入れて商売すればよいだけである。
風呂のない家が多いイクリスには湯屋は欠かせない。
多くの湯屋は昼夜問わず開けており、浴場の他に大部屋の休憩所が設けられている。そこが一種の寄合所と化しており、世情が知れる場でもあった。
カードやボードなどのゲームで遊んだり、飲食をしながら談笑したりするなど、日々の疲れを癒す。
湯屋は主に平民が利用するのだが、時には貴族が来店することも珍しくない。歓楽街とは違った賑わいが貴族たちを誘うらしかった。
盗賊が湯屋を狙うのも考えてみれば当然である。
賑わう湯屋にはそれなりの金銭を持ってくる客が多い。
飲み食いする客の隙をついて盗みを働く輩がいる。
そのため、ちょくちょく憲兵の厄介になる不届き者が現れる。
だが今回のケースは規模が違う。
イクリス中の湯屋を荒らしまわる盗賊の仕業で女湯の脱衣所から財布の中身を抜き出し逃走する。
顔を見られていないあたり、慣れた者の仕業だと見当がつく。
そして騒ぎになった隙をついて、手薄になった店の奥に入り、売上金を盗む。湯屋側も憲兵の指導があって重量のある金庫に売上金をしまっているのだが、全く役に立たなかった。
盗みの手口が常軌を逸していたのだ。
盗賊たちは魔法を遣い、金庫を担ぎながら川を泳いで逃走するのだった。
ただ、捜査の目処が立っていないというわけではなく、狙われた湯屋はイクリスの西に流れるヴァズ川とその支流近くの湯屋を中心に狙われており、盗賊の隠れ家もその地域一帯、もしくはその周辺と予測し、刑事三課と警邏課が合同で見廻りや聞き取りをして捜査を行っている。
そして、刑事三課課長モーリス・ブリデの指揮の下、一度狙われた湯屋は襲わないと見当をつけて、まだ被害に遭っていない湯屋に張り込んで犯人を現行犯で捕らえるという方針を立てた。
他の部署から駆り出されたのもあって、憲兵たちをほぼ均等に割り当てることができた。
アメリアは王都イクリス北西地区の湯屋『ジョワ』の脱衣所を見張っていた。
制服のまま監視するわけにもいかず、タオルを身体に巻き、客を装って脱衣所の壁際にある長椅子に腰かけている。
ほてりを冷ますような仕草をし、憲兵だと悟られないように、時おり伸びをしたり、あくびをしたり、あえてだらしなく背を凭れるなどして、監視の憲兵だと気づかれない工夫をした。
今でこそ貴族令嬢として通っているが、侯爵の愛人の子として生を受けたときは、平民だった。
平民女性らしい仕草は小さいころに何度も目にしていたので、それを思い出しながら民間人を演じた。
何気ないふうを装って脱衣所を眺める。壁に掛けられているランプの灯の下、様々な客が訪れているのに気づく。友達を連れた夫人はお互いに夫の不満を笑いながら話し、若い女性たちはどこかにいい男はいないかと話す。引き締まった身体つきの女性は風呂上りに柔軟体操をして体形の維持に努めていた。休日の前日のせいか客が多かった。
扉のない三段の棚が四列に置かれていて、脱衣籠が無防備になっている。
これでは簡単に盗まれてしまう。そのため入浴の際、財布などの貴重品は受付に預けるのだが、ときにはものぐさな客もいて、脱衣籠に貴重品を置いたまま入浴する客がいる。
こういう客が被害に遭うのだ。
アメリアは時おり自分の衣服が置いた棚を探す感じで脱衣所の中を見廻る。今のところ怪しい女はいない。警戒しながら元の長椅子に戻った。
「アメリアー」
長椅子に腰を掛けてから、甘ったるい声が聞こえてきた。
一緒に張り込みをしている警邏課のリジー・ローチェ巡査である。
アメリアよりも二つ年上だが、階級は下だった。友人という体で脱衣所を張り込んでいて、憲兵だと悟られないようにお互いタメ口で話すようにしている。
「長かったわね、リジー」
「うん、最近疲れがたまってさあ。たまにはゆっくりしてもいいじゃない」
「そうね。手足を伸ばして湯船に入る。ほんと極楽よね」
「やだアメリア。おばさんみたい」
「そうかな」
若い女性客らしい談笑をしながら、アメリアは棚の方をちらちらと目を配る。
普通の客の真似をしながら、盗人が犯行に及ぶ瞬間を見逃さないように注意を払っていた。
「でさ、アメリアってほんといい身体してるよね」
「そ、そうかな。私なんて小柄だし、あまりスタイル良くないわよ」
「うそばっか。腰だってくびれているし、腕や脚だって健康的でつやつやだし、胸だっていいじゃない。なんてったって顔がいいからね。こりゃモテるわ」
「え、いや、リジーだって可愛いじゃない」
アメリアはお世辞で言ったわけではなかった。リジーは目がくりっとしていて、輪郭に丸みのある愛らしい童顔である。アメリアよりも背が高く、身体つきも程よい肉がのっていて、男に好まれる外見だとアメリアは感じた。
「いーや。ねえアメリア、男の人ってなんで欠点しか見ないのかな」
「欠点?」
アメリアが怪訝に訊くと、リジーは俯いて顔をしかめた。
「胸よ、胸。ほんと、男って下品よ」
「はあ」
アメリアは納得いかない感じで言うと、思わずリジーの胸に目が行った。
――あ、なるほど。
と、失礼ながらに思った。
タオルで巻かれたリジーの胸は申し訳程度にしか盛り上がっていない。
彼女は貧相な胸に劣等感を持っているらしかった。
棚の方を一瞥して、盗人の女がいないのを確かめた。
それから慰めの言葉をかけようとしたら、リジーがアメリアの胸を見つめている。
「いいなあ、アメリアは。ちょうどいい大きさで形が良くってさ」
「……」
「だいたい男の人って、なんで胸で女の価値を決めちゃうのかな」
「それは偏見よ。胸なんて関係ないわ」
「いーや。わかってない。だいたいさ、男ってなんで巨乳好きなのかな? だって下品じゃない。谷間見せて男の鼻の下伸ばして、悦に入ってさ。あんなブヨブヨの脂肪だらけの胸なんてなにがいいのよ。そんなんで色気を感じる男なんて▲◇×※○よ、●□よ、◆※●よ。あんなやつら○▲になって一生苦しめばいいんだわ」
「えーっと」
公の場で言ってはいけない言葉を使って一気に捲し立てるリジーに閉口してしまった。
ここまで決めつけるのは、過去に相当厭な思いをしたからなのだろう。
リジーの劣等感が根深いのを知ったアメリアであった。
苦笑いを浮かべながら棚の方に目を遣ると、一人の女が背を向けて何かを探しているように見えた。
アメリアは注意深く見つめながら、無駄に落ち込んでいるリジーに手で女がいる方を見ろと合図を送る。
彼女は二列目の上段の棚にある脱衣籠の中を、人目を気にせず漁っていた。
「うそでしょ! ない、ない!」
女は突然大声を上げた。
「まさか」
アメリアは慌てて立ち、女の元へ駆け寄った。
「憲兵です。どうかされましたか?」
「盗まれた。盗まれたのよ」
女は狼狽えた表情でそう言った。
「リジー。急いで着替えて、下の人に知らせて」
「はい」
リジーはアメリアの指示通りにした。
リジーを一階の受付に行かせたのは、他の憲兵に連絡することと、この隙に乗じた盗人が売上金を掠める可能性があるので、増員の目的もあった。ここでアメリアが行かなかったのは、金庫強奪犯の方は刑事三課と警邏課の担当という取り決めがあったからである。
「お願い、取り返して」
女の目が震えて恐慌をきたしていた。
「落ち着いてください。いま憲兵が追っています」
と言ってから、アメリアは唇を噛む。リジーと話していたのは事実だが、だからと警戒を怠っていたわけではない。棚を物色するような怪しい女は一人もいなかったはずだ。
「逃げたぞ。追え、追え」
けたたましい怒号がアメリアの耳を打った。盗人が売上金を盗み逃走したらしかった。
――しくじったわ、この……。
アメリアは呪詛を口に出したい気持ちを押さえて、被害者の聞き取りを始めた。
完全なる敗北に、息苦しい思いがするのを耐えていた。