王都の湯屋 1
「女性憲兵を、ですか?」
査察課の詰所で、アメリア・ティレットはカップにお茶を注ぎながら訊いた。
刑事三課が王都イクリスの湯屋を荒らしまわる盗賊を捕まえるため、女性憲兵を集めて捜査する方針を固めた、と上役のシズマ・ラージヒルが新聞に目を落としながら言ったのだ。
「なんでも、手当たり次第に盗みに入っては逃走するらしくてな。女湯で犯行が行われるようじゃ、男がずかずかと立ち入るのも気が引けるわな」
ラージヒルは新聞に目を落としながら、何気ない口調で言う。
「最近、女が増えたとはいえ、憲兵はまだまだ男社会だからな。数が足りない。そこで庁内で女憲兵をかき集めているってわけ」
とラージヒルは続けた。男性の数が多く、女性は少数派という憲兵庁の事情も絡んでいる。
「王都中の湯屋を張り込むとなると、かなりの人員が必要ですね。果たして女性憲兵の数が足りるのでしょうか?」
アメリアはカップを自分の机に置いて席についた。書きかけの報告書の上に置かないように気を付ける。
「それでもやらにゃなるまいよ。この手の盗みにしちゃ、かなりの被害らしい。刑事三課が調べたところによると、ここ一月で二万オーロにもなるって話だ」
「そんなにですか?」
アメリアが驚くのも無理はなかった。二万オーロといえば、王国の多数を占める中流平民半年分の給金とほぼ同額である。それをわずか一月で、それも盗みで稼げるものなのか。
アメリアの疑問を察したようで、ラージヒルはこう言った。
「狙われているのは客だけじゃない。湯屋の売上金を盗まれているからこれだけの額になるのさ」
「お客さんもお店も、警戒心が薄いですね」
「いや、警戒しているけど、盗まれているっていうのが正解さ。これだけの被害が続いたんだ。憲兵だって指導するし、湯屋だって盗みに入られちゃ商売上がったりだからな」
ラージヒルは新聞を机に広げて手招きした。これを読んでみろ、と言われてアメリアは席を立って横から記事を読んだ。
「湯屋を襲う盗賊、客と店の被害は甚大。一月経っても解決の糸口が掴めず。手を拱く憲兵に王都民から不信の目が向けられる」
要約しながらアメリアはつぶやく。
「まあ、多少大げさに書かれちゃいるが、これを読んだ民間人から憲兵はだらしないって思われるかもしれんな。こんなこと書かれちゃ憲兵の面目は丸潰れだ。お偉いさんがたも、早く解決しろって刑事三課をせっついている状況だよ」
「それで他の部署にも協力を要請したのですね」
「そういうこと。近いうちに、おまえさんにもお達しが来るからそのつもりで」
ラージヒルの口調は軽い。
そのときアメリアはラージヒルの視線が自分の顔から下に向けられているのに気づいた。
その先を探ると……。
「……課長、なにを考えていらっしゃるのですか?」
アメリアの声音に不機嫌な色が混じった。平然と凝視するラージヒルに対し、下世話な感情を抱いていると察知した。
「ん? 盗賊は本当に女だけかと思っただけさ。どうもこれは複数犯っぽいな。女湯の方は陽動だろうし、本命は湯屋の売上金に違いない。じゃないと一月で二万オーロなんて被害は出ない。となると」
真面目な口調で自分なりの推測を述べつつも、視線は動かない。
「質問を変えます。なにをご覧になっているのですか?」
アメリアに騙される気はない。
するとラージヒルは視線をアメリアの顔に合わせた。
「ごめん」
両手を合わせて素直に謝る。
「女性の胸を見つめるなんて、いやらしいにもほどがありますよ。まあ、課長も男の人ですから仕方ありませんが。今日は見逃して差し上げますから、今後は気をつけてください」
男からいやらしい目で見られるのには慣れていた。
アメリアは十二歳のとき、ティレット侯爵の養子として引き取られて以降、周囲の目に晒されてきた。
小柄ながら凛々しく愛らしいと容姿を褒められ、何人もの男に言い寄られた。
今さら口の減らない上役が劣情を催した視線を向けてきたところで動じることはない。
「うん、まあ、それもあるんだが」
とラージヒルの口は減らない。机の上に両肘を乗せて言葉を続ける。
「外見と内面は比例するのか反比例するのかどうか。それとも相関関係はないのだろうかと考えていただけ」
言っている意味がわからなかった。
どうせろくなことを口走らないだろうと思い、アメリアは右手を握りしめた。
「で、その真意は?」
「アメリア・ティレットという女性は、間違いなく美貌で、顔も良く、胸もちょうどいいし、嫌いな男はいないだろう。しかし内面はといえば、一般的な貴族のイメージとはかけ離れていて、目上の人間に口答えをするわ、すぐにキレるわ、魔法をぶっ放すわ、人を人とおもわぁ―!」
ラージヒルが言い終わるまえに、アメリアは不意を突いて拳を放った。
腰と肩の回転が効いた右ストレートである。
しかし、ラージヒルは驚いた顔をしたものの、アメリアの拳を掌で受け止めた。
「私が怒るのは課長がいらない言葉を言うからですよ。なに失礼なことを臆面もなく口にしているんですか」
「おまえ、上役に対してそれはないだろう」
「デルベーネ局長がおっしゃっていました。課長が減らず口を叩いたら、遠慮することはない、拳固の一つや二つくれてやれと」
アメリアは拳を押し込むようにして、肘を曲げながら顔を近づける。
拳を押し込もうとするが、ラージヒルの力が強く、そうするのが精一杯だった。
「おばちゃんめ」
ラージヒルが言ったおばちゃんとはミレイユ・デルベーネ警務局長のことである。彼女のいないところでラージヒルはそう呼んでいる。
「わかったよ。本当に気をつける。俺だって痛い目見るのはごめんだ」
「わかればいいんです」
アメリアは怒りを収めたものの、素直に信じたわけではない。
また懲りずにいらないことを言うに決まっている。
いつか仕返しをしたいと思っていて、どうにかできないかと時々考えてしまうのだった。
「すいません。査察課の方はいらっしゃいますか」
ドアを叩く音がし、外から若々しい男の声がした。
「はーい、どうぞ」
課長であるラージヒルが入ってくるよう促す。入ってきたのは若手の憲兵である。
「失礼します。刑事三課の者です。これから湯屋連続窃盗事件の会議を始めますのでお二人にも来ていただくお迎えに参りました」
「ん? 俺もか」
ラージヒルはてっきりアメリアを貸すだけだと思っていたらしく、自分が加わるのは意外だという顔をした。
「はい。デルベーネ警務局長が許可しました。ラージヒル警視は忙しいが、仕事が早いからこき使ってもかまわないとのことで、お呼びしました。あとデルベーネ警務局長は、だからと言って査察の仕事を怠ってはいけないともおっしゃっていました」
どういう経緯でそうなったかまでは若い憲兵も知らないようだった。上から言われたことを事務的に伝えている印象がある。
「おばちゃんめ」
忌々しげに、同じことをつぶやく。
査察課は同僚の素行を正す部署である。今のところ、こまごまとした告発があり、その処理を引き受けていた。大きな事件はないものの、面倒な仕事が溜まっている。
それらの仕事をこなしながら、窃盗事件も捜査するとなるとラージヒルの負担は大きい。アメリアを貸すぐらいならこなせない量ではないのだが、ラージヒルも手伝うとなると多忙は避けられそうもなかった。
アメリアはラージヒルも捜査に加わる理由に察しがついた。口の減らないラージヒルにちょっとした罰を与えようとミレイユが一計を案じたのは想像に難くない。この男、余計な口を叩く悪癖があるものの、仕事はできるとアメリアも認めざるを得ないのだ。
「わかった。今行く」
諦めがついたようで、肩を落とした。
「課長。お察しします」
おざなりに慰めるアメリア。仮にも上役なので一応そう声をかけただけだった