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過去からの刺客 5

「なにやってんだか、ったく」


 と、ラージヒルに言われてしまった。


 石工のダオメを酔い潰した翌日、借りた服とバッグを返しに行ってから、出勤した。


 ダオメに酒を奢ったことと、オグデンが十二、三年に事件を起こしたことをラージヒルに報告すると、やんわりと注意された。


「はい、以前課長がおっしゃっていたことを実行しまして」


「あのな、酒を飲ませるなとは言わんよ。有益な情報を得られるなら、飯や酒を奢るぐらい目を瞑るさ。けど、潰すまで飲ませることないでしょうよ。それに十二、三年前にオグデンが憲兵沙汰になった、それだけわかりゃ、あとは資料室で調べればすむ話だろうに」


「あ」


 何か手落ちがあったと思ったが、ようやくわかった。過去の資料を探ることを失念して、余計な酒代を払ってしまったことだ。


「まあ、いいか。おかけでオグデンとジョアンのつながりがわかったことだし。過去の事件と絡んでいる可能性も出てきたとわかっただけでも良しとするか」


 と言うなり、ラージヒルは机に手をついて立ち上がろうとした。長く説教する気はないらしかった。


「そうだ、アメリア。報告を省いてないか」


 ラージヒルは腰を浮かせたまま訊いた。


「はい?」


 アメリアの胸に気まずい思いが生じる。襲い掛かってきた石工たちを川に落としたことは伏せた。

 言うとまた小言、というより憎まれ口を叩くからだった。


 ラージヒルがじっと見つめてくる。精悍な顔立ちの中にある、どこかとぼけた眼差しで見られると、妙な緊張が胸の内に忍び寄ってくる。自分の考えが見透かされているような気持ちが芽生えるのだ。

 その感覚に捕らわれたまま、アメリアはラージヒルの顔を観察するように見つめた。


「仕方ないな、大方、魔法をぶっ放したってところだろ」


「うっ」


「お、図星だな」


 芯を食った指摘をして、満足げに笑みをこぼすラージヒル。


「せ、正当防衛ですよ」


 泡を食ったアメリアはやむを得なかったと説明する。


「いきなり男性に襲われて、黙って好き放題やられるわけにはいきません。それに非は石工たちにあるとパウル親方が認めました」


 と訴えた。


「ははあ、男社会ってのは女に飢えているからな。けどよりによって、おまえさんを襲うとはねぇ。奴らも不運だったな。いやあ、かわいそうに」


「課長。少しは部下の心配をしていただけたら嬉しいのですが」


 アメリアは眉根を動かして、控えめに言う。


「心配? そんじょそこらの人間が束になってもかなわない武闘派魔法遣いにか」


「誰が武闘派ですか。相手が理性を失くしたけだものになってしまったので、魔法を遣っただけです」


「ほら、なにかしら因縁をつけてぶちのめすのが趣味だろ」


「人を不良みたいに言わないでいただけませんか」


 怒っちゃいけないと、胸の内で言い聞かせる。

 それでも、アメリアの心底から気泡が弾けるような感覚が湧いてくる。


「ん、じゃあ雑談はこれぐらいにして資料室に行くか」


 そそくさと席を立つと、ラージヒルはアメリアの()めつける視線を気にしないかのように部屋を出て行った。


「いつかとっちめてやる」


 と、アメリアは貴族の令嬢らしくないことを小声でつぶやいた。

 武闘派、と言われたのが頭から消えたようだった。


   ◇


 憲兵庁二階の奥まったところに、資料室がある。ここには過去に起きた事件の捜査資料が保存されている。現在起きている事件との関わりがない限り、立ち入ることはまずない。

 資料室へと続く廊下にはわずかな明かりが射し込んでいるくらいで、さみしげな場所にある。


 古びたドアを開くと、年季の入った紙の匂いが鼻を打った。

 明かり取りの窓から射し込む日の光のおかげで思いのほか明るい。

 その光と照明の下、空間の広い部屋の中に、夥しい数の棚と資料が置かれていた。

 堆く積もった資料の山から自力で十二、三年前の資料を探し出すのは難しそうだった。


 ラージヒルは入ってすぐの右側にある受付へ顔をのぞかせた。


 アメリアも目を遣ると、資料室係の憲兵が暇そうに新聞を読んでいるのが見えた。


 ごま塩頭の小柄な男で、色黒の顔の目じりに数本の皺が刻まれていた。長年憲兵として勤めた経験がにじみ出ていて、現在は退職前の憲兵が最後の奉公をしている感じであるが、閑職に回されて暇を持て余しているようにも思える。


「チルダーズさん」


 ラージヒルが声をかけると、チルダーズがおもむろに顔を二人に向ける。


 すると、彼はぱっとにこやかな表情になった。


「やあ、警部どの。いや、今は警視どのか」


 気軽に声をかけてきた。


「おかげさまで。アメリア、チルダーズ巡査部長だ。この資料室の主。チルダーズさん、アメリア・ティレット警部補です」


「ほう、その年で警部補ってことは特級組か。おまえと同じだな、シズマ」


 チルダーズは目を細めた。ラージヒルとは階級を超えた間柄らしい。


 ちなみに特級組というのは幹部候補を選抜する、特級試験に合格した憲兵のことである。


「アメリア・ティレットと申します。課長がいつもお世話になっております」


 アメリアは形式的な挨拶をした。


「ああ、よろしく。しかしこんな可愛らしい子を部下に持つとはな。シズマ、どんな手を使った?」


「なにもしちゃいませんよ。デルベーネ局長が決めたことなんで」


「どうだかな。お前のことだ、目の保養にと裏で手を回して引き入れたんじゃないのか。なんせただでさえ少ない女憲兵だ。どうせなら美人と仕事したいと思うのが、男ってもんだ」


「そりゃそうですが、仕事中にしんねこを決めてただならぬ恋の道、というわけにはいきませんな」


「ふむ、おまえも案外意気地がないな」


 チルダーズはかっかと笑う。資料を閲覧しに来たはずが、下世話な世間話に様相を変えてしまったようだった。


「いやいや、性格の問題です」


 ラージヒルは台から身を乗り出した。それに合わせてチルダーズも耳を近づける。


「下手したら、こっちの命が危ないんですよ」


「ほう」


「大きい声じゃ言えませんがね。なにしろ、外見は文句なしですが、キレやすく気の強い女でして、上役にも物怖じしないんですよ。おまけに魔法の才気に溢れていて、所かまわず魔法をぶっ放す危ない女なものでして」


「聞こえてますよ。課長」


 アメリアは憮然と言った。なぜ彼らがアメリアに聞こえないと思ったのか不思議である。


「資料を探しに来たんですから、早く終わらせて捜査に戻りますよ」


「ちょっとぐらいいじゃないか。久闊を詫びるついでに世間話の一つや二つ」


「人の悪口に花を咲かせるのは、人としてどうかと思いますが。しかも本人の目の前で」


「そりゃ見当違いってもんだ。長所と欠点を簡潔に教えただけなのに」


「言い方というものがあるでしょう」


「ああ、そう。そうだな。今後気を付けるわ」


「はっはっは」


 不意にチルダーズが哄笑した。まるで二人のやり取りがこの上ない娯楽であるかのように感じたようだ。


「シズマ、いい子を部下に持ったじゃないか。これくらい気が強くないと面白くない。これは将来楽しみだ。ティレット警部補、シズマの下で働くのはいろいろ気苦労が絶えないでしょうが、必ずその経験が役に立つときが来るはずですよ」


「はあ」


 チルダーズの曖昧な助言に、アメリアは釈然としない気持ちで答える。


「で、シズマ。今日は何の用だ。まさか部下の自慢をしに来たわけじゃないだろう」


 ようやく本題に戻り、ラージヒルは十二、三年前ぐらいにジョアンとオグデンがかかわった事件がないかを調べに来たと言った。


「ちょっと昔のことだな。どれどれ、取ってきてやる」


 とチルダーズはランプを手に取って、受付から出て来る。

 棚の方に足を進めて、明かりの届きにくい場所へ入った。


 資料は年度ごとに保管されていて、年の新しい事件の資料が入り口近くに置かれているようだった。

 チルダーズは資料室の少し奥に入ったあたりで、ランプの灯をかざして指をさしながら探っていた。

 そして、ランプを床に置いて、資料の束に手を入れ、表紙を確認しながら次々とめくる。

 昔の事件なので探すのに手間がかかるかと思われたが、チルダーズはすぐに一綴の資料を持って戻ってきた。

 資料室の主というのは伊達ではなく、どこにどんな資料が保管されているのか、把握しているらしかった。


「これだな」


 チルダーズは資料を差し出した。表紙には『少年三人による少女暴行事件』と記されていた。日付は十三年前の夏ごろである。


「助かります」


 ラージヒルは資料を受け取り、受付に近い机の上に置いた。

 アメリアも横からのぞくようにして資料を目にする。

 ただ、ラージヒルがさっさとページをめくるので、完全に内容を把握できなかった。


「どうやら、当たりのようだな」


 ラージヒルは確信を持ったかのように言った。


「ジョアンとオグデン、それにイェンス。当時の担当者は退職しているな」


 と、頭の中に刻み込むようにしてラージヒルはつぶやいた。


「アメリア、読んでみろ」


 ラージヒルは資料を滑らせて、アメリアの前に置いた。


 アメリアは資料の文字を追っていくにつれて、吐き気を覚えた。


「ひどい」


 今すぐ記憶を消したい思いに駆られた。

 資料には事件の内容がありのままに書かれていた。

 あまりにも生々しく、その光景が頭に浮かぶようだった。


「そして、もう一つ。どうやらジョアンとオグデンが襲われたのは、今回だけじゃない」


「え?」


「病院に行って、話を訊いてきた。ジョアンの奴、なかなか口を割らないから苦労したよ。で、ようやく三年前にも大怪我をしたって言ってくれたよ」


「では」


「ああ、これは計画的な犯行だろうな。生かさず殺さず、奴らが忘れたころを見計らって、徹底的に痛めつける。相当陰湿で執念深いやり口だ。おそらく、オグデンが襲われたのも一度や二度じゃあるまい。それに殺しはしないとなると、捜査の手が伸びないようにしているとも考えられるな。元不良のいざこざなんて、殺しでも起きない限り、憲兵は軽視しがちだからな」


 殺さずに痛めつける方法を選んだことに犯人の執念深さが窺われた。

 一生逃れられない罪を背負えと言わんばかりだった。

 何年も消えない暗い怒りが、犯人の心奥にくすぶり続けているように感じる。


 ラージヒルは後ろ首に手を当てて、うーんと唸った。


「アメリア、三年前に大事件があったのを知っているか?」


「三年前、というと貴族が何人も襲われた事件のことですか?」


 アメリアが王立学園の生徒だったころに起きた事件だった。貴族たちが多く学ぶ学校では事件の噂で持ちきりだったのを覚えていた。


「当時、俺も捜査員の一人として、犯人を追っていたんだが、他の事件は後回しになっていてな。あのときも、貴族襲撃事件の犯人を捕まえるのに躍起になっていたころだ。なにしろ世間に広く知れ渡った事件だったもんだから、憲兵の面子に賭けて逮捕しなければならない空気があった」


「ですが、貴族たちを襲った犯人は捕まったと聞いています」


「ああ。ただ、その裏で起きた事件は初動捜査が遅れて未解決になったものもある。ジョアン、オグデン、イェンスの三人が襲撃された事件もそうだ」


 ラージヒルの表情がいつになく真剣になった。机に目を落として睨んでいるように見える。


「なら今回の事件も」


「ああ、十中八九、同一犯の可能性が高い。大事件の裏での犯行となると」


 とラージヒルが言葉を紡ごうとしたとき、チルダーズが横から新たな資料を渡してくれた。


「シズマ、話は聞かせてもらったぞ。お前の言った三人な、やっぱり三年前にも被害に遭っていた」


 チルダーズの仕事は早かった。何が必要なのかすぐに推し量ってくれたのだ。


 二人は新しい資料に目を通した。手口は今回のやり方と同じ、人目のつかない時刻と場所を狙い、魔法や体術、短剣、木剣を用いて暴行を加えている。


 三年前と今回、同一犯の可能性は極めて高かった。


「じゃあ。残りのイェンスのところへ聴取に行くとするか。とりあえず、住居が変わっていなかったら、三年前と同じ場所に住んでいるはずだ」


 新しい資料をめくって、イェンスの住居を確認する。イクリス北部の住宅街である。


 アメリアはあることに気づいた。


「課長、今回も三年前も、憲兵の威信がかかった事件の裏で起きていますね」


「お前も気づいたか。どうやら捜査が手薄になるのを狙っているな」


 ラージヒルは確信ありげに言った。


「いったい、誰が犯人なのでしょう? 十三年前の被害者の肉親が疑わしいと考えられますが……」


 口にしてから、アメリアは違うと思い始めた。最も疑わしい人たちを当時の捜査員が取り調べなかったはずはない。現に資料には親族に疑わしい点はなく、犯行の日時を考えると、彼らには不可能だと記されている。


「たしかにそうかもしれんが、もう一つの可能性がある」


「もう一つ?」


 アメリアが鸚鵡返しに答えた。


「これだよ」


 ラージヒルは三年前の資料の、数か所の記述を次々と指さした。

 それらには同じことが書かれてあった。


「まさか」


「可能性の一つさ」


「でしたら、早速取調べを」


「いや、現時点では証拠がない。しらばっくれるのがオチだ」


「ではどうしたら」


 アメリアには良い考えが思いつかなかった。

 ラージヒルの言うとおり、現段階で被疑者を取調べても自供しないだろう。

 なにか確固たる証拠を掴まない限り、逮捕はできない。


「犯罪を未然に防ぐか、被疑者を捕らえるか」


 ラージヒルが、そうつぶやいた。


「いや、ひとまずイェンスのところへ聞き取りに行かにゃなるまい。まだ襲われていなければなんとかなるはずだ。チルダーズさん、どうも。アメリア、行くぞ」


 とチルダーズに礼を言って資料を返すと、ラージヒルは資料室から出て行こうとする。


 アメリアはラージヒルの背中を見つめながらついて行く。ラージヒルは、なにか不穏な企みを思いついたように見えた


 ――いったい……。


 なにをする気なのかしら、とアメリアは若干の不安を感じた。


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