過去からの刺客 4
石工の親方パウルの許しを貰って、オグデンを連れだした。
彼はアメリアを襲った弟子たちとは違い、あのバカ騒ぎにも動じず黙々と作業をこなしていた。
他の弟子たちと同様引き締まった身体をした物静かな男である。目に暗い光を湛えて、口を動かすのも億劫なようだった。
休憩室の窓から射しこむ日の光が色味を帯びて、空がもうすぐ暮れようとしていた。
壁が薄く、石工たちがパウルにどやされる声が聞こえてくる。
アメリアが魔法を撃って川に落としたのにもかかわらず、すぐに作業に戻れるあたり、心身ともに丈夫なのだろう。
先日の通り魔について、形式的な質問をするアメリアに対し、オグデンはそっぽをむいたまま答える。
何度も同じことを話すのがうんざりだと思っているらしかった。
アメリアもおおよそのことは把握しているが、事実の確認をする以上はやむを得ないと感じながら尋ねている。
事件当日のことを訊き終えると、次にジョアンの名前を出し、彼が襲われたことを教えた。
「ジョアン?」
オグデンは初めてアメリアに目を合わせた。彼の目がわずかに揺れて見えた。
「お知り合いですか?」
「ああ、まあ、ちょっと、な」
と口を濁す。あまり話したくないというふうに顔をそむけた。
「どういったお知り合いでしょうか?」
「べつに、ちょっとした知り合いなだけだ」
オグデンの態度はあくまでもそっけない。二人の関係を訊いても何も出てこなさそうである。
「では、質問を変えます。なぜあなたは、通り魔に襲われたことを黙っていたのですか?」
「別に、大した理由なんざねえ」
ちっと舌打ちをして、黙ってしまった。
オグデンは明らかに憲兵を嫌っていて、それを隠そうともしない。聞き出すのは容易ではなかった。
憲兵の威信など掃いて捨てるほどの価値しかないと感じる人間の姿である。
なんとか突破口を見出したいが、頑なな態度を軟化させる方法が思いつかない。今のところ、色々な質問をして反応を窺うしか術はないようだった。
「では、あなたを襲った通り魔と、昔のことと関係があると思いますか?」
パウルの言ったことが念頭にあった。通り魔事件と昔の出来事がつながっているかはわからないが、聞いてみて損はないはずである。
するとオグデンはいきなり、机を壊さんばかりに拳をたたきつけた。
身体を震わせて顔に怒りの炎が滾る色が現れる。
あまりの激情にアメリアは胸を衝かれた。
「なあ、憲兵さんよ。たしかにおれはワルだったよ。けどな、今は大人しく暮らしているんだ。今さらほじくりかえっしたってなにが出てくるっていうんだ」
「いえ、私は」
「うるせえ!」
オグデンは立ち上がって椅子の脚を蹴った。感情に任せて平静さをなくしたようだ。
「失せろ! 雌犬!」
悪しざまに罵って休憩室を出て行った。アメリアは引き留める言葉が思いつかず、その様子をただ見るしかなかった。
触れたくない過去を持ち出されて、憤慨したのは間違いなかった。
「なにがあったのかしら?」
とつぶやいて考えを整理しようとしたが、情報が不足していて、推測の目処も立たなかった。
◇
パウル親方の作業場を後にして、アメリアは職人町の見廻りを装って時間を潰した。
これといった収穫もなく憲兵庁に帰るのは気が引け、なにか策はないかと歩きながら考える。
研修で習ったことを思い出しながら、手がかりを得る術がないかどうかを検討する。
もう少しでアイディアが浮かびそうだと思ったとき、喉の渇きを覚えた。
そろそろ仕事終わりの時刻で、暑さも和らいでいるはずだが、昼間の暑気が石造りの町並みにこもっているようだった。
いっそのこと魔法を遣って涼むのも一つの手だが、少々だらしなく見えるのではないかと考えなおし、我慢しながら町中を見廻ることにした。
あれこれ考えを巡らせていると、やがて飲食店らしき店があるのに気づいた。
職人町に来たときには気づかなかったが、そこはパウル親方の作業場から西に行ったところにある。
喫茶店らしく、ドアに『茶房クラフト』と刻まれた小さなプレートが慎ましげにかかっている上に、小さな店だった。
漫然と町を歩いていては気づかないのも無理はなかった。目立つように商売している感じではなく、地元の人間を相手に軽食を提供する店のようだった。
「あ、周辺の訊き込み」
本人が本当のことを話してくれないのなら、周りの人間に訊けばいいとようやく思いついた。
休憩と訊き込みを兼ねて、アメリアは『茶房クラフト』に行った。ドアの建付けが古く、鳥の鳴き声のような音を立てた。日の当たりが良くない店で、昼間にもかかわらず、中は暗めだった。
「あら、いらっしゃい」
暇そうにしていた女性店主らしき人がだるそうに声をかけた。薄い皺のある目じりが垂れていて、ほっそりとした首をのぞかせた格好には世馴れた女性の雰囲気がある。
アメリアはカウンターに腰かけると、冷たいお茶を注文した。出されたのはどこにでも置いてある麦茶だった。
「すみません、お尋ねしたいことがあるのですが」
お茶を一口飲んでのどを潤してから訊いた。
「あら、かわいらしい憲兵さんが何の用かしら?」
と女はさらりと訊く。憲兵が訪ねてくるのは珍しくないようだった。
「石工のオグデンさんをご存じでしょうか」
「オグデン? さあ知らないわね」
「パウルさんのお弟子さんなのですが。あの、無口で暗い感じの人なのですが」
「ああ、親方の。でもごめんなさい。そんな人、この店に来たことがないわ。あそこのお弟子さんたちもこの店にちょくちょく来てくれて、たいていの人の顔と名前は覚えているけど、オグデンさんねぇ……」
女は頬に手を添え、宙に目を遣って考えたが、やっぱり知らないようだった。
空振りに終わりそうだと思ったとき、女はヒントを出してくれた。
「ダオメに訊いてみたら?」
「ダオメ?」
「ほら、親方の一番弟子よ。髪が短くて色黒の大男」
「あー」
とアメリアはどこか間の抜けた声を出した。
ダオメはアメリアに抱きつき、あまつさえ胸を触った男だ。手痛い一撃をくらわせたが、そのせいで機嫌を損ねたかもしれず、素直に話に応じてくれるか不安になった。
さらにもう一度作業場に行くにはオグデンがいるかもしれず、アメリアが訪ねると何をしでかすかわからない。ダオメをどこかへ連れ出して訊く必要がある。
そこで、前にラージヒルから教わった、少々古典的かつグレーな手法を使うことにした。
「あの、ちょっとお願いがあるのですが」
アメリアは申し訳なさそうに言った。
◇
日が暮れて王都イクリスに鐘の音が鳴り響いたとき、職人たちが仕事を終えようとしていた。昼間のどこか張り詰めた雰囲気が、にわかに緩んだ。一日中、根を詰めて作業をしていた職人たちの解放感は格別のものがあるようで、これからお楽しみが始まると言いたげに歓楽街へ繰り出す者が多いようだった。
ただし、作業が残っている職人もいるらしく、槌の音が鳴りやまないところもあった。職人は独自のこだわりを持つ者もいる。納得のいく出来に仕上がるまで、身体を動かしているらしかった。
石工たちが今日の作業を終えたのは、青みがかった暗い空におぼろな月が浮かぶころだった。昼間の空気が冷えて町に靄が薄っすらと這っている。外の作業場には灯がなかった。光の魔法が遣える者がいないらしく、手元が見えなくなったら作業を終えるようだった。
ダオメは同僚たちと別れを告げて、一人でどこかに寄るようだった。
建物から洩れるわずかな明かりを頼りに道を進んでゆく。
途中、何人かの顔見知りとすれ違って軽く挨拶を交わす。
職人町の南西にある飲み屋街を目指しているらしかった。
「ちょっとすみません」
アメリアは後ろから声をかけた。
ダオメが振り向く。
「ん、あんたは」
「昼間はお邪魔してすみませんでした」
「なあに、構うことはないさ。で、仕事上がりのようだな」
ダオメがそう訊いたのは、アメリアがありふれた平民女性用の服を着ているからだった。薄灰色の上着を着て、黒のロングスカートを穿いている。『茶房クラフト』の女店主から借りたもので、後日返すと約束した。靴は憲兵用の黒いブーツのままだったが、思いのほかこの服と合っている気がする。サイズが大きめだが違和感のあるほどではない。制服姿だと目立ってしまうため、借りて着替えたのである。制服は、これまた女店主から借りたバッグに入れた。憲兵庁まで戻って着替えるとなると、時間がかかり過ぎてダオメが帰宅してしまうかもしれなかったので、わざわざ女店主から服を借りたのである。
「それで迷惑ついでですが、ご一緒に夕食でもいかかですか。あなたにお聞きしたいことができたのもですから」
「マジか」
ダオメは目を丸くして喜んだ。昼間、魔法を食らったのを忘れたかのようだった。
「ですが」
とアメリアはロッドでダオメを指した。
「いかがわしいことはいけません。もし、そのようなことをなさったら、どうなるかおわかりですね。昼間の電撃だけではすみませんよ」
微笑みながら釘を刺した。
「わ、わかったよ」
こめかみに汗を垂らしながら頷くダオメ。アメリアがただの女ではないことが身に沁みていて、彼女の笑顔に油断ならないものを感じたようだ。
◇
男たちに席を埋められた酒場には、むせ返るほどの暑苦しさが満ちていた。
大酒を食らい、調味料や油をたっぷり使った料理が各テーブルに並んでいる。
腹に響きそうな大声で叫んだり、猥雑な話をしてはゲラゲラ笑う声が店中に届く。
中には女給仕を茶化す客もいたが、彼女は手慣れているらしく、適当に相手してあしらう。
アメリアはこういう雰囲気の酒場に足を運ぶのが初めてで、しかも女の客が自分しかいないこともあって、居心地の悪さを感じていた。それでも、仕事の一環だと我慢した。注文した冷たいお茶を飲んでからダオメに話を訊く。
「で、訊きたいことって何だい?」
料理の半分を食して、酒を二杯飲んでからようやく質問してきた。どうやらかなりの酒好きのようだった。
「ええ、オグデンさんのことですが、昔なにがあったのでしょうか?」
周りの声がやかましく、心持ち大きい声になる。
「ああ、まあ、ちょっとした不良だったらしくてな」
ダオメは口を濁した。大きめに切った肉をほお張り、少し咀嚼をしてから飲み込んだ。
「なにか重大な事件を起こしたとか、そういうことですか?」
「ん、ああ。なんでも十二、三年ぐらい前に憲兵の世話になったとか、なんかだったかな」
なるほど、オグデンが不機嫌なのも無理はなかった。
パウル親方が言うように更生して真面目に働いているとすれば、憲兵に過去の事件を訊かれて、嫌悪感を示しても仕方ない気がした。
「どのような事件だったのかご存じですか?」
「それはちょっと、なんだっけな」
一瞬視線が逸れた。それをごまかすかのようにダオメがまた肉を口に入れた。
「お酒はもうよろしいのですか?」
と、ジョッキが空になったのに気づいてアメリアが言う。
「もうちょっと飲みたいんだけどな。ただ手持ちがねえんだよ」
「すみません。お酒をもう一杯」
アメリアはすかさず注文した。ちょっとした手ごたえを感じ、もう少し飲ませれば口が滑るかもしれないと思った。
「遠慮はいりません。お酒の代金ぐらいは私が持ちますから」
「本当か」
ダオメは目を輝かせた。憲兵、それも年下の女に奢ってもらうのに抵抗はないらしく、本物の酒好きだと言っているようなものだった。
憲兵が民に利益を図るのは倫理的にふさわしくなかった。
ましてや査察課という仲間を取り締まる部署に所属している以上、他の憲兵に示しがつかない気がする。
ただし、犯人逮捕につながるのなら、自費で飯や酒を協力者に奢るぐらいなら構わないという暗黙の了解が憲兵庁に存在する、とラージヒルから聞いたことがある。
正攻法しか学ばない研修では絶対教わらないやり方だった。気が咎める思いがあるものの、犯人逮捕のため気持ちを切り替えた。
ただ、違和感を覚えた。なにか失敗した気がするのだ。そう感じても、今さら引き返すことができず、ダオメに酒を勧めるしかないと思った。
女給仕が運んできた酒を飲み干すと、今度は強い酒を頼んだ。
「素晴らしい飲みっぷりですね」
アメリアは、ぎごちない笑顔を作って褒めた。自分でもわざとらしいと感じる。
「だろ。おれは王都一の酒豪よ」
おだてられて調子にのってきたようだ。さらに注文を重ねる。
「さあさあ、お飲みになって」
さらに勧めるアメリアだが、一方で手持ちの金の心配もあった。奢るといった手前、多少の出費は覚悟していたが、ここまで飲むとは予想外だった。
足りるかしら、と冷や汗をかいていると、ダオメがようやく飲む手を止めた。
「ふう、こんな、飲んだの久しぶりだ」
そろそろ滑舌が怪しくなってきた。
「石工の方ってお酒が強いんですね」
アメリアは複雑な気持ちになって褒める。
「いやあ、おれぐらい、つよいやつなんて、そう、いねえ」
ダオメの目が据わり、肘をテーブルにつけて上体を支えている。かなり酔いが回ったようだ。
「オグデンさんもお強いんですか?」
「あ? ああ、あいつは、人付き合い悪くて、一緒に、来やしねえ。人を襲う、やつなんて、そんなもんだ」
酒の効果が表れた。とんでもないことを口走った気がする。
「人を襲った?」
アメリアは気が急くのを押さえて慎重に訊こうと心掛ける。
「ん、ああ。人を襲って、ブタ箱に入ったん、だとよ。ああ、これは内緒な。おやっさんとおれしか知らねえからよ」
「ということは、喧嘩とか強盗とかですか?」
「んにゃ、よくわからねえ。ひでえこと、しやがった、らしいぜ」
ダオメの首が安定感を失って、頭をかくっと垂れては元の位置に戻る。
「あら、大丈夫ですか」
アメリアは引き上げる気になった。ダオメがここまで酔ってしまうとこれ以上聞き出せることはなさそうだった。
「だいじょ、ぶ」
ダオメが身体の平衡を失い、ついにテーブルに突っ伏して、やがていびきをかいてしまった。
「飲ませすぎたわ」
申し訳ない気持ちと、懐を裂いたわりに得られた情報が少なかった気持ちが混在した。
アメリアは女給仕を呼ぶと、勘定を聞いた。
60オーロ。およそ三日分の生活費である。
アメリアは、声にならない呻き声を上げた。