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過去からの刺客 3

 昼下がりの王都イクリスに、容赦ない日の光が降り注いでいた。夏はまだ遠く、季節外れの暑気が町中に溜まる。

 上着を脱いで腕にかけている紳士や、日傘を差している夫人も散見される。中には横着な者もいて、冒険者らしき魔法遣いが自らの魔力を駆使して、そよ風を顔に当てながら歩いていた。


 アメリアは制服の上着を憲兵庁に置いて外に出ている。まだ夏服の時期ではないので長袖を着るのが規則だった。憲兵も人間だし暑かったらジャケットぐらい脱いでもかまわない、とラージヒルにあらかじめ言われていた。実際他の課の憲兵も同じ格好をしていた。


 訪ねようとしている職人町は、王城の北西に位置する。家具、鍛冶、大工、魔法道具、武具、そして石工など多くの職人たちが作業場を構えている。

 通りは広く、日の光がまっすぐ照らしていた。低い建物が軒を連ね、作業場に混じってアパートや一軒家も点在する。  

 年季の入った声で指示をする親方らしき男の声が時おり耳に届く程度で、人の声よりも乾いた槌の音の方が多いくらいだった。


 アメリアはある家具職人の店の前で立ち止まって、ポケットからハンカチを出して顔の汗を拭いた。憲兵庁からかなり歩いたので、喉を潤したい気持ちに駆られる。どこか手ごろな飲食店はないかとあたりを見回すが、飲み物を提供してくれる店はありそうもなかった。


 仕方ないと思い、石工のもとへと歩き出す。そろそろ日が傾く時刻に差し掛かりそうで、休憩している暇はないと、考えを改めた。


 ようやく町はずれの石工のもとへ着いたときには、日がやや傾き、町並みが色付きつつあった。

 石工の作業場は外にあり、その奥は川に面している。自前の船着き場と(はしけ)を所有しており、重量のある石を運ぶには最適の土地だろう。艀は沈まないように魔力を遣って浮力を増幅させて運搬するものだった。


 石工たちは大詰めの作業を迎えているらしく、せっせと身体を動かして石材を加工したり、運んだりしていた。

 ここで大まかな作業をしたあとで、現場に運ぶらしかった。

 作業場の隅には平たい石板が積まれている。どこかの道に敷かれる石畳のようだった。

 他にも墓石や、神像らしき彫像もあり、石工できる仕事を一通り受注しているようだった。


 職人たちの身体つきは、無駄な肉が一切なく、日々の仕事で培われた健康的な肉体であった。

 両腕をむき出しにして、頭にタオルを巻き、いかにも力仕事をしている男たちの群れといってよかった。

 他人の目を一切気にしない格好をした職人たちを見て、アメリアは少々気後れした。男性に苦手意識があるわけではないが、この作業場は膂力のない者が近寄れない雰囲気があった。職人たちにその意識はないだろうが、手抜かりのない作業を見ているうちに、自分が場違いなところに来てしまったような気がした。

 声をかけ損ねていると、一人の職人がアメリアに気づき、こちらに顔を向けながら、隣で作業をしている同僚に声をかけた。彼らは興味ありげな視線をアメリアに投げている。


「なんの用だ?」


 後ろからぶっきらぼうな声がした。振り向くと、頭を短く刈り上げた色黒の大男が立っている。


「これは失礼しました。憲兵庁査察課のアメリア・ティレットと申します」


 手帳を出して、自己紹介した。相手を刺激しないように丁寧さを心がけて対応しようと思った。


 大男は一瞬顔をしかめたかと思うと、相好を崩して、


「うおおお!」


 と天を仰いで歓喜の雄叫びを上げた。


「え?」


 正気でも失ったのかと思った。いったい大男になにがあったのか。


「まじか」

「おい女がここに来るなんてな」

「何日かぶりの女だ」

「ああ、地獄に女神とはこのことよ」

「しかもすげえ美人じゃねえか」

「ああ、小柄なのもいい」

「おれは気の強そうな感じが気に入った」


 石工たちはいきなり仕事の手を止めてアメリアのことを言い出した。


「え、え」


 あまりの変わりように、どう応えていいかわからず、きょろきょろと男たちの顔を見るのが精一杯の反応だった。

 そのとき、彼らの騒ぎに目もくれずに、隅の方で黙々と身体を動かして小さな神像を彫っている男の姿が目に入った。


「あの人」


 とアメリアは独りごちた。


「いやあ、歓迎するよ、お嬢さん。しかしこんな美人さんが憲兵だなんてね」


 大男がアメリアの肩に手を回そうとする。


「なにしてやがる! このクソガキども!」


 突如、大気が震えるような一喝があたりに轟いた。

 男たちがあっという間に直立不動になって固まる。


「てめえら、納期が近いってこと忘れたのか! たかが女一人が来たからっていきり立ちやがって!」


 初老の男が横から近づいてくる。白髪を短く切りそろえ、口元や額にくっきりとしわが刻まれ、身体は引き締まっているものの、背丈が幾分小柄である。どこから筋骨隆々とした男たちを黙らせる迫力が出るのか不思議だった。


「憲兵さんか」


 そう言われて、アメリアは彼に自己紹介をした。


「俺はパウル、一応ここを仕切っている親方だ。ご足労いただいてすまないが、きりのいいところまで待っててくれねえか。なに、飲み物ぐらいは出してやるさ」


 弟子たちを叱ったときとは打って変わって、表情が柔らかくなり優しい口調になった。弟子たちには厳しいが客にはそつなく応対するらしかった。


「それでもおれたちは」


 と男たちの中から声がした。


「仕事よりも大事なことがある。お嬢さんおれたちとデートしよう」


 バカなことを言い出した。


 目が点になるという手垢にまみれた表現を、アメリアは生まれて初めて実感した気がした。男に言い寄られたことは何度もあるが、ここまであからさまに直情的なことを口走る男はなかった。


「ずりいぞおまえ」

「おれがさきだ」

「いやおれだ」

「おれにやらせろ」


 またもやいきり立つ男たち。


 アメリアはだんだん腹が立ってきた。


「ちょっと待った、ここは一番弟子のおれからだ。それからお前たちに回してやる」


 へっへと大男が笑うと、いきなりアメリアの後ろから両腕を絡ませてきた。そのとき、男の掌が胸に触れた。


 アメリアの頭の中で糸の切れた音がした。


 素早くロッドを抜き、大男の腕に雷の魔法をくらわせる。


「おわあ!」


 大男の身体が一瞬震えると、アメリアは大男の腕の中から潜るようにして脱出した。大男はどっと倒れた。


「いい加減にしろよ、貴様ら。人のことを軽い女だと思っているのか。私をなめているとどうなるか教えてやろう」


 ロッドを男たちに向け、低い声で怒りをあらわにするアメリア。


「そうだな、この男のわいせつ行為は見逃してやる。さらに、もし私に勝ったら好きにするといい。だが怪我をしても責任は持たんぞ」


 憲兵とは思えない挑発をした。アメリアの思考は職人たちを懲らしめることで満たされている。

 

 男たちは獲物を見つけた喜びを表すかのように殺到してきた。まず年若の男が抱き着くような格好で飛び込んできた。アメリアはロッドを年若に向けて風の魔法を放つ。年若の身体が曲がって吹っ飛び、川に落水した。

 それでも残りの男たちから(よこしま)な気持ちが絶えない。

 女に飢えてしまった男の、悲しい性と本能が理性を奪ったようだった。

 目から狂気の光を放ち、意味の分からない叫びをあげて、一斉に襲い掛かってきた。


 だが勝負は、一撃の魔法で決まった。


 アメリアの怒りを乗せた風の魔法が男たちを一気に吹き飛ばした。宙に浮いた男たちが悲鳴を上げて川に落ち、何本もの水柱が経った。


 アメリアは肩で息をしながら、その様を見つめた。


「いやはや、人は見かけによらねえな」


 パウルが奇妙に優しい口調で言った。


「あ」


 ここでアメリアははっとなり、正気に帰った。


「申し訳ありません。大切なお弟子さんたちをこんな目に遭わせてしまって」


 アメリアはパウルに向き直って謝った。


「いや、いいんだ」


 とパウルは手を振って鷹揚に構えた。


「このバカども、女と見ればさかりやがって。憲兵さんがやらなくても、俺がこいつらを川に沈めてやるところだ」


 結局親方の教育を代行した形になったらしかった。


「おやっさん、助けて」

「おれ、泳げねえんだ」

「もう女には懲りたから」

「ごめんなさーい」


 口々に救助を求める男たちが腕をばたつかせて、派手に水しぶきを上げる。


「黙れ! そもそも憲兵さんを襲ったてめえらが悪いだろうが! しばらくそこで頭を冷やしてろ」


 ものすごい剣幕で弟子たちを叱る親方には、長年職人として生きてきた者特有の迫力がある。アメリアも思わずたじろいで、苦笑いを浮かべた。


「憲兵さん、すまなかったな。あのバカどもがしたことはこれで勘弁してくれないか」


「あー。私もやりすぎてしまいましたから」


「じゃあ、おあいこだな。ん」


 とパウルは何かに気づいたようだ。


「そういえば憲兵さん、今日は何の用で?」


 やっと本題に入れそうだった。


「あ、はい。オグデンさんにお話があってうかがいました」


「あのことか」


 パウルの顔がにわかに陰った。


「憲兵さん、昔のことじゃねえか。あいつだって今は真面目に働いているんだ。これ以上、つつき回してなにになるっていうんだ」


「昔? 私は先日の通り魔事件のことについて、改めてお話を伺いに来たのですが」


 要領がいまいち掴めなかった。昔というほど古い出来事ではない。パウルの話ぶりだと、かつてオグデンが何かをやらかしてしまったらしい。


「通り魔? あいつがか?」


「いえ、オグデンさんは被害者です」


「ああ、どうりで顔に傷があったわけだ。あの野郎、恥だと思ったのか、石段から足を滑らせたとか下手な嘘つきやがって。俺はてっきり喧嘩でもしたのかと思ったんだ」


 パウルの口元が歪んだ。弟子に裏切られた思いが胸の内で芽生えたのかもしれなかった。


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