恐怖と怒りと消えた腕
女神が出てこなくなってきてる。
アラーリアは天才であった。彼女の世界のスライムは水の中に潜み、自在に色と粘度を変え、反射的に近づいてきた獲物を狩る。いわばトラップのようなものであった。人型になれる程の色と粘度の操作が可能で、人の子供以上の知能を持つものは彼女の世界のスライムにはほとんどいなかった。
だがそんなことをこの場にいる者は誰も知らなかった。
「どっどうしたの? 大丈夫?」
状況に気が付いた椿が太郎と水たまりのもとに走ってきた。
「椿さん。アラーリアが混乱しているみたいで……」
簡潔に太郎は状況を説明した。
「何で混乱してるんだ?」
「わかんないです……」
椿は地面の水たまりを覗き込んだ。
「それでこうなったと。……詳しい理由がわかんないと俺にはどうにもできないから教えてくれない?」
椿に言われたアラーリアは丸いよく見るスライムのような形になってゆっくりと話を始めた。
「私はきっと一番弱い。助けるために来たのに。戦わないといけないはずなのに……」
椿は感情を吐き出したアラーリアを抱えて静かに話しかける。
「君には、物事を考える力がある。それは人が進化で手に入れた、この星で最も強い力だ。だから他の物を持っていなくても気に病む必要はない。……御堂の受け売りなんだけどね」
話しながら椿はアラーリアが寝ていたベッドの上に座った。
「御堂は誰に向かって言ったの?」
アラーリアは流動してクラアジーナのベッドの上に乗っかり、人型になって質問した。自分の位置が二人の間になった太郎は椅子をすこし引いた。
「俺」
椿の返答に対してアラーリアはまた質問をする。
「なんで?」
「俺も御堂に会った時、同じ感じで悩んでたから」
椿が軽く笑いながらアラーリアに返答した。
「あなたは、それでいいの?」
アラーリアの質問は止まらなかった。
「なんでこれじゃダメなの?」
椿は国語のテストで0点を取るような返答をした。
「だってあなたは他に何の力もない奴だって言われてるんだよ」
アラーリアは椿がなぜこの状況下で平気な顔をできるのかわからなかった。
「確かに戦いなら俺は誰の役にも立たない。でもさ、それ以外のことをやれば何も問題はないじゃん。あいつが戦うなら戻ってくる時までに家事でもしてればいいし、戦えないからって思い詰めることはないよ。勇気と力なんて持っててもそんなにいいことないでしょ?」
椿の出した理由にアラーリアは納得していなかった。
「でも、それでも……私は戦わなくちゃ……」
「……別に戦う勇気を育てようってわけじゃないけど君について気になることがあるんだ」
アラーリアの話に椿は疑問を抱いていた。
「なあに?」
「君は一体どういう生き物なんだ?」
「私は……スライム。流体生物系最弱の魔物」
椿の質問にアラーリアは答えを呟いた。
「スライムってなんだ?」
しばらく部屋の中が静かになった。
そしてその沈黙を破ったのはクラアジーナであった。掛け布団の中に入っていた左手を外に出して指先から小さな青い電撃を放ち、アラーリアの手の甲に当てたのだ。
「いたっ! もー何すんの]
アラーリアに当たった電撃は彼女の手の甲に小さな焦げ跡を残した。
「焦げ目ができてるよ。だいじょうぶ?」
それを見た太郎はアラーリアの手の甲をさすった。
「どうしたの? クラアジーナちゃん」
椿はアラーリアを自分が座っていたところへ移して、クラアジーナのベッドの上に座った。そのままクラアジーナに優しく問いかけた。
「ちょっとあの二人を外に出してくれない?あなたと二人きりで話がしたいの」
クラアジーナが椿に囁く。
「ちょっと二人で御堂の様子をみてきてくんない?たぶん地下でなんかしてるから」
椿は人差し指で下を指しながら二人に頼んだ。
「わかりました。行ってきます。ほらいこう」
太郎はアラーリアの手を引いて部屋の外に出て行った。それを見たクラアジーナは椿の左に座った。
「で、何の話?」
椿が軽い気持ちでクラアジーナの話を聞こうとする。
「わたしは……復讐がしたい。私の腕を奪った奴に、でもできない。私はもう人を殺す度胸も力も持ち合わせてない。だから知りたいの……復讐心を止める方法を」
クラアジーナは自分の怒りをあらわにした。
「君の腕がなくなった原因はおそらく何たら教団だってのはわかるんだよな?」
「うん」
椿の問いにクラアジーナは頷く。それを確認した椿は話を続けた。
「俺もあいつらの被害者だ。復讐したいと思っている。でも俺には暴力的な復讐はできない。俺にある力をあいつらは小さな雲くらいに思っているだろうし実際にそうだ。だから俺は御堂があいつらと戦う手伝いをして復讐ってことにする」
「つまり?」
クラアジーナは結論を求めた。
「復讐心を止めなくていい、それを暴力以外で満たせるだろうから。ってのじゃダメかな?」
椿の出した結論に彼女は納得しなかった。
「私は暴力で……復讐心を満たしたい」
彼女の復讐心は椿のそれよりもはるかに強かった。それを察した椿は険しい表情をした。
「……わかった。それなら御堂に聞くといい。下にいると思うから」
椿の言葉にクラアジーナは無言で頷き、立ち上がって歩き出した。
「あ、ちょっと待って」
だがそれを直ぐに椿は呼び止めた。
「何?」
話しかけられたクラアジーナは立ち止まり、振り向いた。椿はどこからかビニール袋と包帯を取り出した。それをみた彼女は椿の隣に座った。
「巻きなおしてくれるのね」
「もともとそのために来てたんだ」
椿に新しい包帯を巻いてもらったクラアジーナは今度こそ部屋の外に出て行った。