美少女から説教されました
日は完全に落ち、代わりに煌々と満月が浮かんでから数時間。俺達は帰路につく間も一言として喋ることはなかった。
リマの家に着いてからも永遠ともいえる沈黙。家主であるリマは、居心地が悪そうに無言のまま夕食を作っている。
そんなリマの視界から外れるように、リビングの隅っこの方へと移った俺は、姫から渡された説明書を読んでいた。
そこには、こう記されてあった。
能力名--アイズバック
能力その一
--現在瞳を合わせている者と、過去にも瞳を合わせていた場合、直前に瞳を合わせていた場面に、記憶だけを保持したまま遡及する能力。この時、己だけでなく世界の刻も遡及する。
能力その二
--現在瞳を合わせている者と、過去にも瞳を合わせていた場合、直前に瞳を合わせていた時の自分の肉体だけを、現在の自分に引き寄せ移し替える能力。この時、過去の肉体は消失するのではなく複写される。
能力の発動について--瞳を合わせた状態の時、心から強く能力名を思い浮かべると発動
能力の使用回数ついて--残り三十回使用可能
正直に言おう。
読んだだけではさっぱり分からなかった。
いや、具体的に言うと頭に入ってこなかった。
それは恐らく、先程の姫を攫われたという現実が尾を引いてるからだろう。
心が落ち着かず、集中できず、理解できず。
鳴かず飛ばずじゃないか。
だが、この能力を姫から移されたんじゃないかという予想はできた。胸に飛び込んできたあの謎の光。たぶんあの光が能力のことだったんだ。
しかも、察するにこの能力は過去と干渉できる能力らしい。
とんでもない能力だ。
とんでもなさ過ぎて、過去に飛べる能力らしい。
だが、イマイチ使いどころが分からない。
習うより慣れろということかもしれないが、瞳を合わせるとは一体?
それとなぜ俺にこんな能力を?
俺なんかなが使いこなせる訳ないのに……。
俺がぐちゃぐちゃになったまとまらない思考を深く巡らせていたところ、
「ナイトさん、夕食にしましょう」
沈黙を破ったリマが声をかけてきた。
リビングの隅っこから中央へ移ると、リマが俺の分の料理を準備し、テーブルに並べ始めた。
だが、今の俺は食欲がこれっぽっちも湧いてこない。
姫が攫われた直後だからだと思うが、こんな泥沼に浸かったような気分で何を食べればいいのか。
胸糞悪い思いだけが身体中に渦巻いており、とても胃に何かを入れる気にはなれなかった。
「俺は必要ない」
リマのやさしさをぶつ切りの言葉で突き返す。
「ナイトさん、食べないと力が出ないですよ。明日の為にも、しっかりと食べてください」
食べないと力が出ない? 明日の為に?
何の力も無く、明日の希望も見失った俺に、何を期待しているのか。
リマの無神経な言葉に嫌気が差し、
「俺は必要ないんだよ!」
心無い言葉が部屋の中に響き渡った。
そして、ギリギリのところで留めていた胸の中の泥沼が一気に溢れ出し、決壊した。
「俺はまた守れなかった! 何も力になれなかった! 姫を守る勇気さえ出なかった! 戦うこともできず震えながら命乞いするしかできなかった! こんな俺にこれ以上何ができるって言うんだ!」
まだまだ収まらない。次々と泥沼が溢れ出す。
「なんで異世界に来てまでこんな思いをしなきゃなんないんだよ! もう沢山だ! 俺は元の世界でもこの世界でも使えない、必要ない人間なんだ! こんな俺なんか死んで消え去った方がマシだ!」
俺は全てを目の前の小さな女の子にぶちまけた。もう面倒くさい。どうだっていい。どうにでもなれだ。
「それは何ですか? 不幸自慢ですか?」
「は?」
「不幸自慢かって聞いてるんですよ! 私にそれを言ってどうしたいんですか!? ねえ!?」
「うるせえ!! 変態と呼ばれ! キモいと言われ! 弱いと罵られ! 何もできないこの俺の惨めな気持ちが!! リマになんかに分かるかよ!!」
「分かりませんよ! 何にもできないから死んで消え去りたいってことしか! 私には分かりません!!」
それからお互いに一通り叫んだ。こんなに怒りをぶちまけたのはいつ以来だろうか。
すると、リマが俺の手を強く掴み、奥の部屋へと連れ込んだ。一体何をする気だ?
--
「ここは召喚部屋です。私が初めてナイトさんを召喚したのもこの部屋です」
床には大きな魔法陣が描かれていた。いかにも召喚が行えそうな雰囲気が漂っている。
周囲には『四大精霊の召喚について』や『猿でもわかる! 異世界召喚』といったタイトルの古い本が幾つも山積みになっており、どの本もボロボロにめくれていた。
この部屋でリマが悪戦苦闘しながら日々召喚の練習をしていた様子が窺える。
「私は、魔法陣の描かれた場所でしか召喚ができません。現に、先程の戦闘でも私は精霊召喚に失敗しました。召喚士として失格です。そして、そんな未熟な私が異世界召喚してしまったばっかりに、ナイトさんには本当に辛い想いをさせてしまいました。ナイトさん、すみませんでした」
リマは深々と頭を下げ謝った。そして、
「私、ナイトさんと契約中ですので、キスしない限り元の世界へは還せません。なので、その代わりに私がナイトさんのことを消滅魔法で消して、楽にしてあげます」
静かに俺に告げた。真っ直ぐに俺を見つめながら。
今回の『消す』は、これまでのような冗談交じりの言葉ではない。
俺は、リマによって召喚され、そして消される。
「なんだ。契約解除して強制送還せずに魔法で消せるんじゃん」
俺が呟く。
異世界で消されたら、一体どうなるんだろうか。元の世界へは戻れないだろうから、これで完全に俺の人生は終焉となるのか。はたまた、新たな別の異世界へ行けるのか。
それとも--
「では、いきます。僅か二日間ほどでしたが楽しかったです。感謝しています。ありがとうございました。そして、さようなら」
リマは最後の別れを告げると、やさしく俺に微笑んだ。そして、杖を強く握りしめた。
俺は静かに目を閉じ、消されるその時を--終焉の時を黙って待った。
何も聴こえることのない永遠とも思える静寂の空間。
どこまでも続いているような終わりのない闇。
俺は、やっと終わるんだ。
惨めな人生を終えられるんだ。
無力で、無気力だった俺を、終わらせられるんだ。
今の俺は、ふわふわしている。
まるで宇宙のような無重力空間にいるかのようだ。そこに一人、ぽつんと取り残されて、ただただ漂っている。終わりのない闇だけが続いている。
きっとここが、終焉なんだ。
…………………………
………………………………
……………………………………
あれからどのくらいの時間が経っただろう。
今頃俺の肉体は、消滅魔法によって消え果ててしまったか。
俺のヒョロくてみすぼらしい肉体。モブのようなありきたりな顔。弱々しい瞳。
全て消滅してしまったかな。
--その時、俺の思考は突然終わりを告げた。リマの言葉によって。俺の終焉は始まってすらいなかった。
「どうして、震えているんですか」
震えている? 俺が? なぜ?
恐る恐る自分の身体を触ってみた。
確かに震えている。
手が、膝が、肩が、口が、頭が、心が、震えている。
なぜだ? なぜ震える?
「どうしてだろうな……。ははは……」
「私にはなぜナイトさんが震えているかわかります。それは、『生きたいから』です。ナイトさんは、生きたいから、消えたくないから、震えているんです」
生きたいから? 消えたくないから?
俺はまだ生きたいのか? だから震えているのか?
剣先を突きつけられたあの時、俺は痛いのが怖かったんじゃなくて、死ぬのが怖かった?
生きたかった? だから震えていたのか?
リマの消滅魔法をかけられようとしていた今も、震えているのは死ぬのが怖いから? 生きたいから?
そうだ。そうかもしれない。
どうしようもない俺の人生。
いつの間にか成功の道を外れ、荒んだ道を歩くことになり、自分ではその道を変えることはできないことを知り、人生を投げ捨てたつもりでいた。
俺は自分の生きる道を外れ、姫という輝く人物の歩く道を羨み、いつしか一緒に歩む幻を見ていた。姫に勝手に想いを乗せていた。俺は空っぽになっていた。
だが、空っぽになったはずの俺は、姫に道を託したはずの俺は、荒んだ俺の人生を断つことは決して考えていなかった。
それは、俺が心のどこかで俺の人生を諦めていなかったのかもしれない。まだ俺の人生を生きたいと思っていたのかもしれない。
姫を守ろうとした元の世界でも、姫から守られたこの世界でも。心のどこかでは生きたいと、そう願っていたんだ。
生きたいから震える。そうだ。俺は生きたいんだ。
俺はまだ、消えたくない。生きていたい。
「ナイトさんっ! 震えるくらい消えるのが怖いのなら! 死んで消え去りたいなんて言葉! 簡単に口にしないでくださいっ!」
俺は目をゆっくりと開け、闇から光のある世界へと戻る。そこには、大粒の涙を輝かせるリマの姿があった。
「弱くて変態でキモくてどうしようもない! だから何ですか!? 何かそれを自分から変えようとしたんですか!? したことないんでしょう!? 誰かが変えてくれると思ってずっと受け身だったんでしょう!? いつまでも受けで! 攻めに転じようとしない! だから二十四年間もそんなに卑屈なんですよ!!」
俺は、俺よりも小さな女の子にここまで言われないと分からないほどの大馬鹿者だ。
それもどうしようもないほどの大馬鹿者。
だが、大馬鹿者もやるのもこれっきりだ。
この時、俺の中で何かが変わった気がした。
そうだ。俺は生きる。諦めずに、強く、生きる。
「リマ。俺は今、生きているか?」
「生きていますよ。私の目の前に、ちゃんといます。変態でキモくて弱い、ナイトさんがいます」
「ははっ。よかった……。俺は、生きてる。こんな俺だけど、まだ生きたいと思っている」
自分自身で確かめるかのように呟く。震える手を見つめながら。
「俺は、受け身だ。自らは何も変えようとはせず、ダメな俺を受け入れていた。世界に適応できない自分を恨み、適応していった他人を羨んでいた。だが、こんな自分を心のどこかでは変えたいとも思っていたんだ。しかし、結局は変えたいという受け身の考えのままで、リマにこんなに言われないと気づかないほどに受け身だった。そう。俺は受け身だった。だが、そんなダメな自分とはもうお別れだ。俺は変わりたい。いや、変わるんだ」
「ナイトさん……」
「それに、姫から生かしてもらったこの命、大事にしないとな。俺、頑張るわ。目覚めさせてくれてありがとな、リマ」
俺は呟いたあと、そっとリマの頭を撫でた。
リマは変態ともキモいとも言わず、それを受け入れてくれた。
「一つ一つ、一歩一歩、変えていく。随分と寄り道をしたけど、やっと正しい道を見つけられた気がするよ」
ついさっきまでは死にたがっていたのに、今ではもう生きたがっている。
明日への希望を見出している。
ちょっとした気持ちの変化で、こうも大きく変わるんだ。
「リマ。俺は、どうしようないこの人生を生きていきたい。だから、俺を消すのはやめてくれ」
「ナイトさん。一つ謝らないといけないことがあります。私、消滅させる術は習得していません。なので消すことはできません」
「なっ! 俺をハメたな!」
「すみません、嘘をつきました」
リマは頭を下げ謝ってきた。
俺は嘘をつかれてしまっていた。
だが、こんなに思いやりのある嘘は初めてだ。嘘のお陰で本当に生きる道が見えたのだから。
「謝ることなんてない。むしろ謝るのは俺のほうだ。いや、ここはありがとうだな。リマ、ありがとう」
と言い、そっと微笑む。
それを見たリマは透き通った涙を流し、そして笑った。
「それより良かったのか? 俺が目を瞑ってた間はキスをするチャンスだったんだぞ?」
「あ、ウッカリと忘れてました」
「ウッカリと、か。ははっ。リマらしいな」
俺が笑うと同時にリマも笑う。
こんな俺達の間に安堵感が広がり始めた思ったその時だった--
突然、花火を耳元で打ち上げられたような爆音が家中に響き渡った。それは発破音のようでもあった。
その音は、平和な世界の終わりと、今宵がまだ終わらないことを告げる合図のようだった。




