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11. A Pitiful Sight

-エルネスタ・コンツ-


「すこし、夏の匂いがする」


 南からそよぐ生温い風に鼻をスンスンと鳴らしてわたしが言うと、ウィルマが「夏の匂い?」と、怪訝そうな表情で首を傾げた。


「季節に匂いがあるの?」

「あるよ」と、わたしは答える。「春は華やかな香りがするけれど、夏の匂いはもっと、ムッとしている感じ」

「それは、たぶん熱で蒸された草の匂いとか、水気を含んだ土の匂いとか、そういうものだよね?」

「そういうのが、夏の匂いなのよ」


 音は聞こえなかったけれど、すこし空気がビリビリと震えた気がした。勘のいい小鳥たちの群れが、木立ちから一斉に飛び立った。どこかとても遠くで、爆発があったのかもしれない。ひょっとすると、急に生温く感じられるようになったこの南風も、戦場から吹く爆風の名残りなのだろうか。


「全然、心が揺れないみたい」フッと笑って、ウィルマが言う。


 すこし上の空だったわたしは「え?」と言って、ウィルマのほうを振り返る。ウィルマが静かに笑っていたから、わたしも微笑んで「なあに?」と訊いてみる。


「ひょっとしたら……ううん、きっとたぶん、これが最後になるのに、エルナがとても平気そうに見えるから、不思議だなって思って」

「ああ、うん。そうだね」


 いま戦況がどうなっているのか、正確なところはわたしたちにはもう把握できていない。ブリーフィングでは色々な数字が提示されるし、その数字を見る限りではわたしたちはまだまだ善戦していて、むしろ優勢とも言える、らしい。


 往々にして、そういった数字は楽観的に見積もられているものだし、その楽観的な数字を色々と操作して、こういった観点から見れば優勢ですという結論をひねり出すのが仕事の人もいるのだ。


 でも、そんな数字なんかアテにしなくても、こうして外に立っていればそれだけで、雰囲気で分かってしまう。基地の周辺には地上軍が展開していて、空気に戦いの気配が漂っている。敵の地上部隊を警戒しなければいけないほどに、もうすぐそこまで戦線が迫ってきているのだ。


 イルヘルミナは負ける。

 戦争は終わろうとしている。


 上の人たちは、わたしよりもずっと頭が良いのだから、そのことを分かってないはずがない。でも、分かっていれば正しい選択ができるかといえば、そんな簡単なものでもないのだ。たぶん。


 五手先で詰むのか、十手先で詰むのかは分からないけれど、いずれこちらの陣営が詰んで、それで終わりになるのだろう。機体が壊れて、いずれ墜落することが分かっていても、地面に激突するその瞬間までは諦めきれず操縦桿に齧りついてしまうものだ。


「逃げちゃおっか」

 ウィルマが、静かな笑顔のままでそう言った。


「え?」と、わたしは馬鹿みたいに、また同じように聞きかえした。


「逃げちゃおうよ、スクワルトに乗って。燃料満タンのスクワルトで超音速巡行すれば、どこまでだって逃げられるし、誰にも追いつけないよね。北極でも南極でも好きなところに飛んでいけるよ」


「ああ、そうだね」と、わたしは答える。


 そんなこと、全然これっぽっちも思いすらしなかったけど、よく考えてみたらそうかもしれない。空のうえで、わたしたちに敵うやつなどイルヘルミナにはいないのだ。空にあがってしまいさえすれば、彼らにはわたしたちに命令を強制する方法がない。他の戦闘機だろうが地上からの対空ミサイルだろうが、そんなもので、わたしたちのスクワルトを墜とせるわけがないのだから。


「北に行くなら、エーコのところに寄っていきたいな」

「どうかな。着陸できるところがあればいいんだよね」

「いいね。エーコも連れて、北極まで行ってみるのも。わたし、オーロラが見たい」


 空のうえからオーロラを見たエビエータに、話を聞いたことがある。オーロラは航空機が飛ぶ空よりも、もっとずっと上の空で起こるのだそうだ。雲よりもずっと高いところを飛ぶわたしたちも、所詮は空の低層に浮かんでいるだけに過ぎないということがよく分かると言っていた。


「スクワルトは単座だから、エーコを乗せていけないよ」

「ウィルマは小さいから、もうひとりくらい、なんとか乗せられないかな?」

「無茶を言わないでよね」

「そうか、エーコを連れていけないんじゃ、仕方ないね」


 ウィルマの返事はない。北極行きの話はそこで途切れたから、それで終わりになった。


「わたしにも、エルナみたいに平らかな心があれば良かったのに」

「平らか、かなぁ」


 褒められているのか呆れられているのかは微妙だったけれど、平らか、という言葉の響きがなんだか面白くて、ちょっといいなと思った。


 わたしには平らかな心がある。


 わたしも別に、冷静なわけじゃないし、平気なわけでもない。勝てる見込みの薄い戦いをするのは嫌だ。でも、たとえば諦めているというのとも、なにかが違う。


 どんな状況だろうと、なにが目的であろうと、空にあがるのは無条件にワクワクしてしまう。わたしは今も、離陸の指示を心待ちにしている。


 これで最後だというのなら、なおのこと悔いのないように飛ぼう。

 美しく飛ぼう。


 そう思う。


 そう言ってしまうとなんだかカッコ良すぎて、それもそれでなにかが違うような気もする。でもたぶん、わたしが勇敢だとか誇り高いとか、そういうことでもなくて。


 要するに、わたしはちょっと呑気すぎるだけなのだ。いつだって、本当に危機感を抱くのがワンテンポ遅れてしまう。全部が終わってしまってからドキドキしたり、怖くなったり、悲しくなったりしてしまう。


 先のことをあまり考えらえないから、平らかでいられる。

 きっと、それだけのことなのだろう。


「ほら、コジマおばさん。わたしたちのことは大丈夫だから」

「でもねぇ……」

「わたしたちは地上にいるよりも、スクワルトに乗って空を飛んでいるほうがよっぽど安全なのよ。でも、スクワルトは地上を守るのには向いていないから、わたしたちじゃあ、コジマおばさんを守ってあげられない」


 最後までエビエータたちの食事の面倒を見てくれていたコジマおばさんも、なんとか宥めすかして後方に退避するトラックに乗せてしまうと、いよいよ基地には兵士以外誰もいなくなった。


「戦争に負けても、それで世界が終わってしまうわけじゃないんだ。世界は続くんだよ。どうか、無事でいておくれね」

「コジマおばさん。そういうのたぶん、あまり聞かれるとよくないよ」


 すこし心配したけど、見回してみても、誰もコジマおばさんを非難する人はいなかった。聞こえていないわけじゃないだろう。みんなも、分かっているのだ。わたしたちが、敵に勝つ戦闘をするためでなく、ただ時間稼ぎのためだけにここに残るのだということを。


 非戦闘要員を乗せたトラックを見送ってしばらくすると、離陸の指示が出た。

 わたしはとても平らかな気持ちで、それを聞いた。


 スクワルトのコックピットに収まってしまうと、わたしの心はますます平らかになる。ただの空を飛ぶための、メカニズムのひとつになる。


「さあ、行こう。スクワルト」と、呟いて、わたしは操縦桿のあたまを撫でる。無線のスイッチを入れて「ハティ4、スタンバイ」と報告する。


「了解。ハティ隊から管制へ。ハティ隊2機、スタンバイ完了。離陸許可を」

 即座にウィルマが管制に通信を入れる。

「こちら管制。ハティ隊二機、離陸を許可する。ヴィッケ隊に続いて一番滑走路から順次離陸せよ」


 空にあがる。


 空のうえは低空から高空まで、いろんな機体が飛び回っていて、まるでパーティーみたいだった。地上部隊の支援をするヘリコプター、そのヘリコプターを支援する小型の戦闘機。地上攻撃機と、その護衛をする対空戦闘機。それぞれがそれぞれの領域で仕事をするために編隊を組んでいる。空がこんなに賑やかなのを見るのは初めてのことだ。


 わたしたちの役目は敵の対空戦闘機の迎撃だから、ひとまず高度を高くとる。


「ハティ隊、そのまま南に進路を取れ」

 管制から通信が入る。本来なら自分たちの国土での空戦はそもそも避けるべきだけど、ここまで押し込まれてしまったからこその利点というのもあるにはあって、地上のレーダーの支援を受けながら戦うことができるというのがそれだ。


 逆に、敵は目視だけを頼りにこの混戦を戦うことになる。そこは大きなアドバンテージだし、勝ち目も見えてくる。


 高度を上げると、遠くの地平にたくさんの煙が上がっているのが見えた。地上で戦闘しているのだ。


 地上攻撃機が猛禽のような急降下をして、敵の兵士たちのうえに爆弾を落とした。

 わたしたちの国の飛行機が、わたしたちの国土に、わたしたちが作った爆弾を落としている。


「なんて哀れな光景」

 誰にともなく、わたしは呟く。


 閃光。

 爆炎。

 立ちのぼる、けむり。


 音は聴こえない。

 遠く離れているし、すぐうしろのエンジンの音のほうがずっとうるさい。


 スクワルトのエンジン音は聴き慣れ過ぎていて、もう気にもならないから、感覚的には無音に近い。普段、自分の心臓の音が気にならないのと同じだ。


 地上の戦争は、空から見るととても静かだ。


 あの爆発一回で、多くの兵士たちが死んでいるのだろう。

 空のうえの格闘戦では、死ぬのはだいたいは一機撃墜につきエビエータひとりだけだから、地上戦では失われる命の数が桁違いだ。相対的に、地上の命は安いということになる。


「間もなく作戦空域に入るよ。エルナ、戦闘準備」

 ウィルマの声。「了解」わたしは返事をする。


「六時方向に機影を確認。IFF照合できない。敵機だ。全機迎撃」地上レーダーから通信。

「了解。ハティ3、交戦開始」ウィルマが答える。


「ハティ4、交戦開始」わたしも答える。ウィルマに続いて機体をロールさせ、エレベーターをあげる。


 背面に入ると眼下の様子がよく見える。攻撃可能な範囲に三機。

 素早く視線を走らせて判断する。減速を最小限に、滑らかなライン取りで足の遅い攻撃機に襲い掛かる。

 レーダーロック。

 一秒。


「ハティ4、FOX2」

 ミサイル発射。発射してしまったら、その行方を見届けずにすぐまた上昇する。

 残り九発。


「ミサイル命中。ハティ4、一機撃墜」地上レーダーからの通信で結果を知る。わたしはもう次の動きに入っている。


「ハティ3、FOX2」ウィルマもどこかでミサイルを撃っている。背面に入れると、ちょうど敵の攻撃機が爆発するのが見えた。


「ナイスショット」「ハティ3、一機撃墜」わたしの声と地上レーダーの報告が被る。


 エレベーターアップ。機首を地面のほうに落としてロールしながら周囲を確認。またチョロそうなのが一機、横切っていった。


 タイミングを合わせてスムーズにロールを止めて、機首を起こす。水平に入ったときにはドンピシャで敵のおしりが見えている。レーダーロック。


「ハティ4、FOX2」

「ハティ4、一機撃墜。いいぞ」残り八発。


「練度の低いのが混じってるよね。拘らずに落とせるやつからどんどん落としていこう」

 ウィルマの声。


 空が狭い。味方の戦闘機を掠めるようにして上昇。


 飛行機の数は多いけれども、見た感じ、半分ぐらいは辛うじて空を飛んでいるだけの素人みたいなものだ。


 敵も味方も、どちらのエビエータも。


 でも、素人だろうと空から爆弾を落とせば地上の人間を殺すのは容易い。数がこれだけいると厄介だ。


「レーダー照射を受けている。誰か、援護を」

 すぐ脇で、味方の戦闘機が敵に背後を取られていた。


「了解。ハティ4、援護する」

 エレベーターアップ。ループの頂点で背面から水平に戻す。

 レーダーロック。

 やや遠い。一秒。


 敵が、撃った。

 わたしも撃つ。


「ロト4被弾。離脱する」

「ハティ4、一機撃墜」

「ちっ」


 どちらのミサイルも命中して、味方の機体と敵の機体の両方が落ちていく。

 一秒が余計だったか。


 でも終わったことを考えていると、また出遅れる。わたしは次に向けて動いている。


 残り七発。


「こちらシュバルツ隊。敵の対空戦闘機から攻撃を受けている。支援を頼む」

 味方の地上攻撃部隊から通信。


「エルナ! まだ飛んでる!?」ウィルマの声。

「飛んでるよ」視線を巡らせる。ウィルマの機体が見える。キャノピーが反射してウィルマの姿までは見えないけれど、こちらを視認したことが機体を見ているだけでもなんとなく分かる。


「シュバルツ隊の援護に回る。B6へ。ついてきて」

「了解」


 いったん高度を上げながら、九時の方向へ旋回する。

 飛び交うミサイルが空に描いた、細長い雲のゲートをいくつも潜り抜ける。

 シュバルツ隊を確認。ウィルマがロールしてダイブしていく。

 敵は二機。先行するウィルマがどちらに行くかを、わたしはすでに把握している。


 ミサイル発射。残り六発。

「ハティ3、ハティ4、ミサイル命中。二機撃墜」

「さすがだ、天使たち(エンゼルス)」この声は、シュバルツ隊だろうか。


 シュバルツ隊が川に架かった橋に向かってミサイルを撃つ。

 立派な石造りの橋が崩落していく。

 橋を落とすことで、敵の地上軍の侵攻を妨害しようとしているのだ。

 まるで、洪水を手で食い止めようとしているみたい。


 きりがない。


 無線にノイズが混じる。地上管制の声が遠い。そろそろ、ぎりぎり地上レーダーの覆域外だろうか。


「……緑しっぽ……の敵に…る。丁度いい……」


 なにかの通信が、一瞬、聞こえた。


 混線している。

 戦場ではあまり聞き慣れないような、少年みたいな幼さの残る声。


「こちらヴィッケ3。B7で被弾した。離脱する。敵は緑しっぽだ。増援を頼む」


 味方の対空戦闘機からの無線。

 緑しっぽ。あいつが来ている。


「こちらハティ4、了解。ヴィッケ隊、増援に回る」

 機体を鋭くバンクさせて旋回する。高度を取りながら敵影を探す。


 ヴィッケ隊の機体が煙を吐いて、錐揉み回転しながら墜落していく。キャノピーが吹き飛んで、パイロットが緊急脱出したところまではっきり見えた。


 そのすこし先に、いた。

 緑の下塗りのままの垂直尾翼。


 あいつだ。


「こちらハティ3、緑しっぽを確認。あいつはハティ隊が相手する。各機、巻き添えに気をつけて」ウィルマが全機に通知する。「エルナ、援護をお願い」

「了解」


 これまでのところ、スクワルトはほとんどすべて、あの緑しっぽに墜とされている。逆に言えば、あいつさえ討ち取ってしまえば、敵にはスクワルトを墜とせるようなエビエータは他にいないということだ。


「低空に誘い込まれないで。速度と高度を維持」ウィルマから通信。

「了解」


 緑しっぽの機体は低速域に強いようだけど、これだけの混戦だと速度を落とすのはリスクが高い。一対一で戦っているわけではないのだ。一度失速してしまえば、一機をやり過ごしたところで、他の機体の餌食になってしまう。状況的にはスクワルトのほうが有利だ。


 緑しっぽもこちらを見たのが、なんとなく分かる。


 あれが犬だったら、きっとその緑のしっぽを大きく左右にブンブンと振っていただろう。


 そうか、お前も嬉しいのか。

 分かるよ。


 さあ、始めようか。


 ウィルマが緑しっぽに向けて旋回する。緑しっぽが機体をロールさせて降下してくる。


 速度ではややウィルマが優位。高度ではわずかに緑しっぽが優位。都合で五分と五分。

 ウィルマの機体と緑しっぽが交錯する。速度と高度の関係がそのまま入れ替わる。


 わたしはウィルマと対称に水平旋回。緑しっぽは追ってこない。旋回戦を嫌って垂直機動戦に誘い込もうとしているのだ。


「向こうの作戦に乗る必要はないよね。そっちがこないなら墜とせるやつから墜としていく」

 ウィルマが大きく旋回して、都合のいいところにいた機体をもののついでみたいに墜としていく。わたしも、そのあとに続いて一機撃墜。残り五発。


「アンタがこないなら他をどんどん落としていくよ。どうする? 緑しっぽさん」

 さらに高度をとって緑しっぽから離れながら水平旋回。不用意に上にあがってきて速度が落ちているやつがいる。いい的だ。レーダーロック。発射。

「命中。ハティ4、さらに一機撃墜」

「……台風かよ」

 地上管制からの通信に、敵機らしき音声がノイズと共に混じる。わたしは無線を操作してバンドを広げ、複数の周波数帯を同時に拾う。


「こちらヤクトフント隊!! 敵攻撃機の爆撃を受けている!! 誰か援護――」

 地上部隊の声が遠い。後半は爆音でかき消されてしまう。死んだだろうか。でも、わたしたちにも地上部隊に構っている余裕はない。


「僕がいく。巻き込まれたくないやつは距離を取れ」

 幼さの残る男の声が、明瞭に。


 緑しっぽだ。

 いよいよ、くるか。


「エルナ、気を付けて。緑しっぽも高速旋回戦の不利は百も承知のはず。またなにか曲芸を仕掛けてくるかもだよね」

「了解」


 イングリットを仕留めた機動はすでに一度見た。

 なんども頭の中で再現したから、完全に把握している。


 二度とは通じない。


 緑しっぽと、もう一機、あがってくる。

「曲芸がしたいならサーカスにでも行ってるやな、お嬢ちゃんたち」

 ひどい極東訛り。ユリアナを落としたやつ。緑しっぽの僚機だ。

 こいつも強い。


 135度にバンク。ピッチアップして周囲を確認。


 空が広くなっている。

 もうだいぶ墜ちたのだ。敵も、味方も。


 極東訛りが、わたしの背後に回ろうとしている。


 ミサイルアラート。

 まだ遠い。そんなのじゃ当たらない。


「エルナ! ロックされている!! ブレイク!!」

 ウィルマの声。心配性だな。


 ラダーを右に。切り返して左に急バンク。ラダーを左へ。

 機体が滑る。右前方で閃光。逸れた。


「ちっ……またそれやな」

 正立に戻す。スライドしてポジションが入れ替わっている。

 極東訛りの背後に回ったけど、急な機動で速度が落ちている。当たらないだろう。


 高度を下げて速度を稼ぐ。キャノピーから上を確認。極東訛りが左に旋回。

 45度にバンク。速度を高度に変えて極東訛りを追う。

 レーダーロック。


「くそったれめ……」極東訛りの声。

 もう遅い。食らいついた。発射――!?


 すぐそばで爆風。機体が煽られる。

 逆らわずにロールしていなす。ミサイルは……? 当たらないか。


「対空ミサイル!? くそっ!! どこの部隊だ!?」

 地上管制からの怒号。地上の味方部隊が撃った対空ミサイルがこちらに飛んできたのだ。管制も想定外か。指揮系統が、もう機能していない。


 追い詰められれば、誰だってキレる。でも、それにしてもタイミングが悪い。

 千載一遇のチャンスを逃した。残り四発。


「敵味方おかまいなしかよ……」

 この声は、緑しっぽ?

「ウィルマ! まだ飛んでる!?」

「もちろん。あんなのに当たったりはしないよね」


 敵味方の識別もままならないまま闇雲に撃っているのだろう。当たりはしないだろうけど、ちょっとややこしい。高度を上げて射程外に出たい。


 見上げれば、緑しっぽも高度を上げている。高度を上げれば速度が落ちる。

 エンジンパワーで上回るスクワルトのほうが有利だ。


 ピッチアップしてループ。頂点でロールして正立に戻す。ドンピシャだ。

 緑しっぽの緑のしっぽが、はっきりと見える。


 レーダーロック。

 次こそ……もらった!


「ハティ4、FOX2! FOX2!!」

 二発発射。


 緑しっぽが機首を上げ、ループに入って、フレアを撒く。速度が遅い。失速直前だ。


 頂点の手前で、機体がスイッと横滑りして。

 ミサイルが逸れる。


 すぐに斜め旋回に入って、こちらに機首を向ける。

 ヘッドオン。


 こちらが速すぎる。バンクして旋回。


「は……あははっ……!!」

 笑ってる。

 わたしはついつい、笑っちゃっている。


 横滑りでの旋回ショートカット。綺麗だった。


 ()()()()()()()()()()


 真似をされた。

 ()()()()()


 残り二発。


僕ちゃん(ブルード)! もう一機がいくやぞ!!」

 降下して速度を取り戻そうとしている緑しっぽの背後に、さらに速度を上げてウィルマが食らいつこうとしている。スクワルトは垂直機動戦のほうが苦手とはいえ、絶対的優位に立ってしまえば関係がない。そのうしろに極東訛りがついているけれど、遅い。


「ハティ3、FOX2! FOX2!!」

 ウィルマの上からの撃ちおろしを、緑しっぽはバレルロールとシザースを組み合わせたブレイクで回避する。水平に入る。


「こんのおおおおっ!!」

 ウィルマが一旦、緑しっぽの背後を通り過ぎて高度を落とし。


 一気にピッチアップする。キャスカルでさえギリギリ耐えられるかどうかの、限界の急激なハイGターン。


 高度を合わせれば、緑しっぽの背後にぴったりと出るライン取り。


 だけど。

 機体が震えて。


 なにかに引っかかったように、機首が横を。


 ウィルマのスクワルトの、片翼が。

 もげる。


「うそっ!?」

「ウィルマ!!」


 エビエータの限界よりも先に、スクワルトの限界がきたのだ。

 スピン軌道に入ったウィルマのスクワルトが。


「うううううう~~っ!!」


 アフターバーナーを点火させて。

 加速。

 スピンが、止まる。


 起こした機首が、極東訛りの機体を。捉えて。


「うっそやろおいっ!!」

「ハティイスリィイー!! フォーーックスツーー!!」


 片翼のスクワルトがミサイルを発射した。

 極東訛りの反応は早いけれど、間に合わない。


 翼端に着弾。翼の半分ぐらいを吹き飛ばす。極東訛りの機体が、激しくスピンする。


「くっそ!! なんちゅう執念や!! あかん、ヴォルチャー2被弾した!! 戦線を離脱する!!」

「ハティ3! 離脱――っ!!」

 爆音。


 ウィルマの声が、途切れて。


「ウィルマ!!」

 どこだ。機体が、見えない。


 無線から……この音は? 激しい。銃声?


 静寂が、五秒。


 ノイズ。

 通信。


「イルヘルミナ航空各機に告ぐ。こちらはバークワース陸軍ブラボー隊。我々はすでに貴君らの基地管制を占拠した。これ以上の戦闘は無意味だ。ただちに戦闘を中止し投降せよ。繰り返す……」


 基地が……占拠された?


 空が広い。

 それに、静かだ。


 見回してみれば、もう他に飛んでいる機体はほとんどいない。


 そうか、負けたのか。わたしたちは。

 なんだ……。そうか。


 終わったのか、もう。


 なんだろう。なんだか思ってたよりもずっと。


 心が平らかだな。


 ウィルマは……? どうなった? 緊急脱出できただろうか。


「あー、あー」

 なんとも間の抜けた声が、無線から。


「え~っと、こちらはバークワース傘下、アルメア軍第十航空師団、第一戦闘飛行隊、ヴォルチャー小隊一番機、デレク・キムラ空尉だ……です?」

 なんで最後がちょっと疑問形なのよ。


「あ~、その……つまり、いま君の目の前にいる、緑の垂直尾翼の飛行機なんだけど」

「うん。だいたい分かるけど」

「ああそう」


 なにこいつ。ほんと、まるっきり子供みたい。

 ああ、そうか。それで僕ちゃん(ブルード)なのか。


「えっと、だからそういうことなので、これ以上の戦闘に意味はない。……と、思います。ので~~、終わりにしません、か?」

 まず上からくるのか下からくるのかハッキリしなさいよ。


「その……、君のような素晴らしいパイロットが無意味に失われるのは、勿体ない。できれば、生き残ってほしいと思う」

「え?」

「君の機動は、綺麗だ。とても」


 いきなりなにを言い出してるんだろう、この人。


「えっと、お世辞とかじゃなく、すごいと思う。君は、すごいパイロットだ」

 堪え切れなくて、わたしは笑ってしまう。緑しっぽが重ねてなにかを言おうとする機先を制して、わたしは「ありがとう」と返事をする。これ以上こんなことを言われ続けたら、気でも狂いそうだ。


「うん、褒められるのは普通に、嬉しいよ。えっと……キムラ――ミスター? んっと、僕ちゃんさん?」

「あ、えっと。デレクでいいけど」

「そう――デレク……君? も、さっきの横滑り、綺麗だったよ」

「ああ、あれはその……君の機動だ。前に一度見た」

「そうだね」

「あの機動をなんども脳裏で再生した。機体特性的には、イカよりもブログラーのほうが向いているから、僕のほうが条件は有利だ」

「なるほど……えっと、これなんの話だったっけ?」

「あ、そっか」


 そんな話をしながらも、わたしたちの機体はどちらも緩やかに高度を上げながら旋回している。お互いに、優位を譲るつもりはないのだ。主翼の下には、まだミサイルが二発ずつ。


「えーっと、君の基地はもう、うちの地上軍が制圧したから、このままではどっちみち、君は着陸できない。もう別の基地まで飛ぶだけの燃料も残ってないだろう? 降伏しよう。兵装を捨てて下手なことをしないと約束してくれれば、着陸は許可されると思う。無駄に死なずに済む」

「あ~~、そうね~~」

「これ以上戦うことに、意味なんてないだろう?」


 意味。戦う意味か。


「意味のある戦いなんて、空の上にあったっけ?」

 わたしは、なんとなくそんなことを呟いている。

「うん?」


 どうしようか、スクワルト。

 操縦桿の頭を、ふわりと撫でる。スクワルトはなにも答えない。


「わたし、なにかのために戦ったことなんて、たぶん、一度もないんだよね」

 なにを話そうとしているんだろう、わたしは。自分でもよく分からない。


 緑しっぽ――デレク君? は答えない。


 国のために戦ったことなんてない。わたしにはそういうのは難しすぎて、遠すぎて、よく分からない。

 それに、今も目の前にイングリットを墜とし、ユディトとユリアナを墜とし、ウィルマを追い詰めた敵がいるのに、わたしの心はやっぱりとても平らかで、恨みも憎しみもどこにもない。彼女たちの弔いのために戦おうなんてつもりも、毛頭ない。


「君は、最高のパイロットだよ、デレク君。君は、とても強い」

 わたしは言う。


「そりゃ……どうも」と、デレク君が応答する。


 これっぽっちも憎くはない。その機動の美しさには敬意さえも覚える。

 でも、だからこそ。


「目の前に最高のパイロットが敵として存在しているならさ……どうしたって、挑みたくなるものじゃない?」

 わたしは問う。


 これが最後なら。

 ただ美しい機動で飛びたい。


 そう思う。


「君が最後のダンスパートナーなら、わたしも悔いはない」


 さあ、わたしと踊ってよ! 緑しっぽ!!


「……分かった」


 その通信を最後に、わたしたちはお互いに機体をバンクさせて降下に入っている。


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