1. May Fortune Be With You
-エルネスタ・コンツ-
「変じゃないかな?」
わたしが両手を広げてそう訊くと、ウィルマが両手を握りこぶしにして「ぜっ……ぜっんぜん!! 変じゃないよ! すごく似合ってるよ!!」と、前傾姿勢で力強く言ってくるから、かえって不安になってしまう。
普段はだいたい制服で過ごしているから、私服でお出掛けをするのなんて本当に久しぶりのことで、ベッドの下のトランクの奥の奥に仕舞いこんだままだった一張羅を引っ張り出してみたものの、自分自身でも違和感がすごい。
やっぱり、すこし古臭いだろうか? なにしろ、ここにくる前のものだから、少なくとも三年はトレンドから遅れているし、しかもセールで買ったのだから、その時点でもべつに最新のものだったわけでもない。つまり、宿命的に古臭くはあるわけだけれど、問題はそれが妥協できる水準なのか、致命的なのかということだ。
姿見でもあればいいのだけれど、あいにくと、二段ベッドとそれぞれのデスクとロッカーと諸々の私物だけでもうパンパンになってしまっているわたしたちの部屋には、そんな上等なものは存在しない。とはいえ、確認してなにかがおかしいと判明したところで、ほかに着ていく服があるわけでもないから、どうしようもないのだけれど。
「なんか見慣れなくて、照れるよね」と、頬を掻きながらウィルマが言う。
「わかる。女の子の仮装をしているみたいな気分」と、わたしは頷く。
でも、ウィルマの格好はコンサバティブというか、地味ではあるけどあまり流行に左右されない定番のコーディネートって感じだから、すごく普通だ。すごく普通に、似合っている。ウィルマはわたしよりも八カ月だけ年上なのだけど、身体が小さいから同じ制服を着ているとわたしよりも幼く見える。でも、こうして私服に着替えると、グッと大人っぽい。
「あれ、なんかすごく気が重くなってきた」
わたしが言うとウィルマは「いいじゃん。別に素敵な男の子とダンスパーティーに行くってわけじゃないんだから」と、鼻で笑う。
まあ、いつまでもここでモタモタしていても仕方がない。もうすっかり太陽は昇っていて、東向きの窓からは明るい陽射しが射しこんでいる。壁にハンガーで掛けてある制服の襟元の微章が、キラキラと光を反射している。ハンザのグランバザーは朝早くにはじまって昼過ぎからは徐々に店仕舞いムードになってしまうから、さっさと出掛けないと間に合わなくなってしまう。
ウィルマと向かいあって、腰に手を当て、うえから順番にお互いの服装を指差しで確認する。髪型よし、襟元よし、足元よし。
「お財布」「持った」「身分証」「持った」「鍵」「持った」「鞄」「持った」「忘れ物ないか」「忘れ物なし」「それでは出撃」「了解。エルネスタ・コンツ出撃します」
すばやく部屋を出て、タタタタタッと、リズミカルに階段を駆けおりる。踊り場の切り替えしで、手すりの出っ張りを掴んでぐるんとヨーイングする。廊下の途中で食堂に立ち寄って、カウンターの奥であいもかわらず大量の芋の皮を剥きつづけているコジマおばさんに声を掛ける。
「コジマおばさん、わたしたち今日は晩ごはんいらないから!」
「あらあら、ずいぶんとオシャレをして。華やかだね。どこかにお出掛けかい?」と、コジマおばさんは手を止めて、くすんだ細やかな花柄の三角巾のしたのズレた大きな眼鏡の位置をなおしながら返事をする。コジマおばさんはもう何年もずっと同じ三角巾を頭に巻いていて、わたしのイメージの中ではそれはコジマおばさんの一部として完全に一体化している。
「ちょっとハンザまで」
「ああ、そうか。今日はグランバザーの日だね。ゆっくり楽しんでおいで。気をつけていくんだよ」
「うん、ありがとう!」
「コジマおばさんにも、なにかおみやげを買ってくるからね!」
わたしとウィルマは口々にそう言って、コジマおばさんに手を振り、バタバタと玄関のほうに走る。わたしとウィルマが揃うと、立っても座ってもなんだか騒々しくなってしまう。
前をいくウィルマが玄関ホールの大きな姿見の前で急制動をかける。かるくウィルマにぶつかりながら、わたしも止まる。鏡で全身を確認する。
「あれ? 思ったほどには悪くないんじゃない? うん、イケてるイケてる」と、ウィルマが言う。
「そうかな? うん、言われてみれば、そんなに悪くもないかも」と、わたしも頷く。
私服姿のわたしはやっぱり見慣れないけれど、すごく変ってことはないと思う。たしかにすこし古臭くはあるけれど、そもそもハンザじたいが古臭い街だから、かえって丁度いいかもしれない。
ちょっとだけ前髪を手櫛でなおす。とくにかわり映えはしないので、諦めて外に出る。
跳ねるようにポーチの階段をおりて、寮の横手の駐車場にまわる。前日に申請して借りておいた小型車両の運転席に、ウィルマが乗り込みシートベルトを締める。わたしは助手席にすわる。前の前の大戦のころから使われていそうな古いピグミーは、あちこちにガタがきていて今日もエンジンのかかりが悪い。イグニッションキーをまわすと、咳き込むみたいにボスボスと湿気た音を吐く。
「よしよし、いい子だから。がんばって、ほら。もう一息」
ウィルマが宥めたり褒めたりしながらキーを回していると、そのうちにボッ……ボッボボッ……ブロロロロンッ! と、なんとかエンジンが始動する。マシンを扱うこのへんの謎の手際は、わたしよりもウィルマのほうがずっと巧い。
ブオンッ! ブオンッ! と、しばらくニュートラルでアクセルを吹かしてアイドリングを安定させてから、サイドブレーキを下げ、ギアを一速に入れてクラッチを繋ぐ。ゆっくりとタイヤが回って、ピグミーが動き出す。ゴトゴトと未舗装の駐車場を抜けてドライブウェイに出る。
守衛所のおじさんに軽く手を挙げて挨拶しながらゲートを抜ける。敷地を出てしまえば、あとはただひたすら、なにもない牧草地を緩やかに蛇行する広いアスファルトの道が続いているだけだ。これだけなにもないところなのに道路の舗装状態だけが妙にいいのは、陸軍の兵員輸送のためだ。前の大戦では、このルートは南部の激戦区と後方とを繋ぐ補給の要だった。この国は貧しいくせに、軍事行動のための予算は惜しまない。
道路と並走するように、鉄の巨人が一列に並んでいるみたいな愛嬌のあるフォルムの送電線の鉄塔が、丘の向こうまで延々と続いている。遠くの斜面に、白い点々のようなコブ羊の群れが見える。みんなまだ冬毛のままでフクフクとまるく、モコモコとしている。朝と夕方の空気はまだ冷たいけれど、陽射しはすっかり暖かくなってきているから、そろそろ毛刈りの時期のはずだ。分厚い冬毛を刈ってしまうと、コブ羊たちは見かけ上、すっきりスリムになる。
古い堅牢な石造りの橋で、広い川を渡る。石畳のでこぼこを拾って、ピグミーの車体がガタガタと揺れる。走るための最低限の機能しか備えていないピグミーには、当然、車載ラジオなんてものはついていないから、わたしは鞄の中から電池式のポータブルラジオを取り出す。アンテナを伸ばし、ダイヤルを回して風の中を漂う音楽をなんとか拾おうとする。
国営のニュースチャンネルは電波が強いからすぐ拾えるけれど、怒っているみたいな口調のアナウンサーが国内外、とくに周辺国との緊張状態について喋り続けているだけだから、わざわざ休日のドライブの最中まで聴きたいようなものでもない。今日は朝から、隣国のバークワースとの境界水域上で起きた海難事故のニュースをずっとやっている。
「そういえば、今日はイングリットとエーコは?」
ふと思い出したわたしは、ウィルマにそう訊く。
「あっちはあっちで、今日もお出掛けじゃないかな」と、一瞬、空を仰ぎ見てウィルマが答える。
しばらく微妙なダイヤル操作と格闘して、かろうじて音楽らしきものが鳴っているっぽい気がする周波数に合わせる。ボリュームをあげる。モノラルのスピーカーから、シャカシャカとしたチープな大衆音楽が流れてくる。なにかが鳴っているのは分かるけれど、ピグミーの唸るエンジン音と、時折バコンバコンと暴れるロードノイズで、ほとんど聴こえはしない。まあでも、多少はお出掛けっぽい雰囲気にはなる。
「それにしても、いつまで経っても、このステアリングホイールっていうのには慣れないよね。スロットルを足で操作するっていうのも、なんだか妙な感じ」
ラジオから流れる微かな音楽に合わせて指でリズムをとりながら、ウィルマはそう言ってハンドルを緩く切る。旋回方向とは逆の向きに、車体がややロールする。
「どうして逆の動きにするのかな」
わたしがそう呟くと、ウィルマは無言で首をすこし捻り、頭のうえにクエスチョンマークを浮かべる。
「ほら、曲がる方向と逆にロールするじゃん。自転車だって曲がるときは曲がっていく方向に体重移動するんだし、自動車だって同じ方向にロールしたほうが安定すると思うんだけど」
と、わたしは掌を水平にして左右に傾けながら説明する。普通は左に曲がりたかったら左に身体を預けていくわけで、自動車はそこの動きが人間の直感に反しているから、乗っていて酔ったりもするんだと思う。
「それは別に、好きでロールしているわけじゃないんじゃない? 原理的に、遠心力で勝手に外側にロールしてしまうだけで」
「勝手にロールしちゃうのなら、それを打ち消すような機構を組み込めばいい」
「その機構を組み込む手間と費用で、エアコンとかカーラジオを取り付けられるってことじゃないの?」
「ああ、なるほど。優先順位の問題というわけ」
ピグミーにはエンジンとかタイヤとかブレーキとかの、とりあえず前に進めて、曲がれて停まれるという以外の装備はなにもついていない。なるべく安く、なるべく頑強にが基本コンセプトだ。つまり、予算などの諸々の都合で諦めているだけで、やはり理屈のうえでは曲がっていくほうに車体をロールさせたほうがよいということだろう。もっと高価な自動車なら、そういう機構が備わっているものもあるのかもしれない。
「余計なものを搭載しないから、見た目はベコベコでもとりあえず前には進めるわけで、なんでも複雑にしてしまうのも考えものなんだよね。たぶんだけど」
スクワルトは複雑で繊細だから、ブルーノおじさんが四六時中めんどうを見ているわけで、このピグミーみたいに半年放置してても鍵を回せば(素直にとは言わないにせよ)ブルンッ! とエンジンがかかって走り出す、なんていうわけにはいかない。カタログ上の数値だけでなく、整備性や堅牢性、部品の調達のしやすさやコストパフォーマンスなどの諸々の要素まで含めたものが、マシンの性能だ。
平野部を抜けて、くねくねとした峠道にはいる。針葉樹の太陽の光を切り取り、ボーダー柄の影を道に落としていて、走り抜けると目の端がチカチカとして楽しい。大型の猛禽が一羽、空のひくいところを旋回しているのが木立の向こうに見えた。フワッとピッチアップして速度を落としたかと思うと、一気に急降下して、次に空にあがってきたときには、なにか大きな獲物を爪の先に掴んでいた。持っていた速度をいったん高度に変換して、狙いを定めてから再度、高度をすべて重力加速に変換してダイブしたのだ。なかなか良い腕をしている。
丘を越え、左右を切り立った地形に囲まれたバイラル湾が見えてくるころには、太陽はすっかり高く昇っていた。海辺のわずかな平地に貼りつくように、ハンザの街が広がっている。いつもはちらりと見下ろして通り過ぎるだけだけど、こうしてわざわざ自動車で地面のうえを走ってくると、意外なほど遠い。それに、肉眼で視認しても真っ直ぐにおりていけるわけじゃなくて、ここからさらに斜面をくねくねと蛇行していくことになるから、なかなか辿り着かない。
やっとのことで街に入ると、こんどは人や馬車や自転車や自動車が混沌と通りを行き交っているせいで、じわじわとしか前に進めない。交通ルールなんていうものは、あってなきが如しだ。バザーは港に近い広場でやっているから、まだまだ先のほうだ。
「もう、このへんで車を置いて歩いたほうが早くない?」と、わたしが提案すると、ウィルマは「ん~、そうかもだけどね~」と、視線を左右に巡らせる。
どこかに車を停めようにも、路肩はびっしりと縦列駐車で埋まっていて、なかなか一台置けそうな場所がない。でも、ピグミーは前後も短いから、ちょっとこれは無理そうかな? という隙間にでも、うまくやればねじ込めたりする。すこし行ったところに丁度それくらいのドライバーの技量が試されるような絶妙な隙間があって、ウィルマがピグミーの速度を落とす。うしろの車がすこし車間距離をとって停車する。
おいおいお嬢ちゃん、まさかその隙間に入れるつもりかい? みたいな感じで、道行く人がちらほらと足を止めて、ジッとウィルマの挙動を見守っている。暇なのだ。
ウィルマは危なげなくスイスイとハンドルを切って、ピグミーをおしりから隙間にねじ込む。一度もハンドルを切り返さずに、一発でスポンとピグミーを停める。様子を見守っていた通行人たちからパチパチとまばらな拍手が起こり、ウィルマも笑顔で手を振りかえす。待っていた後続車もウィルマの武勲を称えるかのようにプッ! と短いクラクションを鳴らして通り過ぎていく。みんな暇なのだ。
ピグミーをおりて「さてさて、どうしますか」と、わたしが訊くと、ウィルマが「なにはなくとも腹ごしらえだよね」と、言う。ランチにはまだすこし早いけれど、たしかにお腹は空いている。というか、わたしたちはだいたい常にお腹を空かせている。
そんなわけで、とくに悩みもせずに、たまたま目の前にあった大衆食堂にそのまま入る。ハンザの食堂はだいたい焼き魚が基本で、なにしろ目の前の海で新鮮な魚が獲れるから、どのお店に入っても魚はおいしい。注文をすると、その場で魚をひらきにして焼いてくれる。塩を振ってグリルするだけだから、お店による違いというのもそれほどない。
内陸では場所柄どうしても肉と根菜ばかりになってしまうし、魚はあってもフライにしてしまうことが多い。食堂のコジマおばさんの料理もおいしいのだけれど、さすがに毎日だと飽きてくる。新鮮な魚を食べるというのも、わざわざハンザまで出てきた目的のひとつだ。
開け放たれたままの扉をくぐって中に入ると、炭で魚を焼くプンとした香ばしい漂ってきた。まだ昼前なのに、お店にはお客さんがけっこう入っていて、ほとんどがそのへんのおじさんてきな人たちだ。メラミン貼りの簡素な机に相席をして、お茶を飲みながらドミノに興じている。暇なのだ。
注文を聞きにきた少年に子持ちニシンはないの? と、たずねると、子持ちニシンにはまだすこし早いと教えられた。ハンザは子持ちニシンがおいしくて有名なのだけど、ないものは仕方がない。
「じゃあなにか他におすすめは?」と、わたしは少年に訊く。
「お姉さんたち、なにか嫌いなものはある?」
「え、初対面からスキンシップの激しい人間とかが嫌いかな」
「エルナ。たぶん食べ物の話ね」
「ああ、食べ物ね。うん、別にない。だいたいなんでも食べるよ」
それじゃあと少年がいくつか名前を挙げるけれど、わたしもウィルマも魚の種類には詳しくないから、音の響きで適当に決めてしまう。ハンザで不味い魚が出てくることもなかろうから、魚ならなんでもいいやという判断だ。
「はいよ、お待たせ」と言って、少年がどんっとテーブルに巨大な皿を置く。
出てきた魚は脂がしっかりのっているわりに、クセのない淡白さでおいしいことはおいしかったのだけれど、アザラシみたいにまるまると太っていて、とてもじゃないけれどひとり一尾ずつは食べきれなかった。
「あ~ダメダメ。もうお腹いっぱい。いや~いい一日だった」
「いや、終わるの早すぎるよね。動けば消費されるよ。歩こう歩こう」
お店のおじさんが食後のお茶をサービスしてやろうかと言ってくれたけれど、これまでの傾向的に、こういう場面でお茶をごちそうになると過度に話が長くなってしまうことが多い。わたしたちはなにも、おじさんと長話をするために、遠路はるばるピグミーでゴトゴトやってきたわけではないのだ。おしりに根を生やしてしまうのはまだ早い。丁重にお断りをすると、かわりにお会計の下二桁ぶんをサービスしてくれた。ただでさえ安いから、とても安い。この手のお店は若い女の子が珍しいので、行くとだいたいなにかしらサービスをしてくれる。
お店を出ると、路肩に停めたピグミーを熱心に眺めまわしている怪しいおじさんがいた。一瞬、自動車泥棒か車上荒らしかと思ったけれど、それにしてはやけに堂々としている。なんだろうと思って眉をひそめていると、おじさんもわたしの視線に気がついて「これはあんたの車か?」と、訊いてくる。めちゃくちゃ怪しい。
ウィルマが訝しそうな表情を隠しもせずに「そうだけど……?」と、返事をする。正確にいうと借りているものだから、ウィルマの車というわけではないけれど、そのへんのディティールはこの際いいだろう。
「それなら、ちょっとボンネットを開けて中を見せてくれないか?」
「ええ……? まあ、見るくらいは別にいいけど」
ウィルマが運転席のドアを開け金具を操作すると、おじさんは勝手にボンネットを開けて中を見る。そうすると、どこからか通りすがりの別のおじさんたちもワラワラと集まってきて、ボンネットの中を覗きこむ。配管や電気配線なんかを見ながら「なるほど、これがここに繋がっているのか」「でも、それならここにリレーさせたほうが話は早いんじゃないか」と、メカニズムを推測したり、アレコレと批評を加えたりする。いつの間にか、人だかりと言っていいレベルで様々なおじさんたちが集まっている。
ハンザのおじさんたちはほとんどが漁師で、夜中から朝の早いうちにもう一日の仕事を終えて日中はプラプラしていることが多い。船も自動車も自分たちで整備や修理をして、本当の本当にウンともスンとも言わなくなるまで徹底的に使い潰すから、総じて機械好きだ。前の前の大戦の前に作られたトラックが、まだ現役でその辺りを走っている。
それぞれに、腕に覚えがあったり機械に関してなにか哲学じみた考えを持っていたりして、自動車には一家言あったりする。まあ、必ずしもそれが正しいとは限らないのが難点なのだけれど。
「はいは~い! はい! もうおしまい! 解散かいさ~ん!!」
また話が長くなりそうだったので、ウィルマが半ば無理矢理にボンネットを閉める。おじさんたちも、特になにかを気にした風もなく「おう、ありがとな」とか、めいめいにお礼を言う。それぞれのおじさんたちは別にお互いに友達というわけでもないらしく、解散となると全員がてんでバラバラの方向に散っていく。
「なんでハンザのおじさんってすぐ増えるのかな?」
「なんだろうね? 不思議な群体生物みたいだよね」
このようにして、ハンザの街では往々にして物事はなかなか前に進まない。
グランバザーをやっている広場までの道にも、細々とした露天がいくつか立ち並んでいて、とくにガレットの屋台がおいしそうな甘い匂いを漂わせていた。
「あっ! 食べたい!! ウィルマあれ食べたい!!」
「無理だよね? ほんの数分前にこれ以上食べられないって言ったよね?」
「うう~ん、実際お腹はいっぱいなんだけど、そこをどうにか」
「いや、普通に帰りに寄ればいいんじゃない? それまでにはお腹も空くだろうし」
なんて言いながら、後ろ髪を引かれつつウィルマに押されて前に進む。もうお昼を過ぎているから、グランバザーから帰る人のほうが多くて、人の流れに逆らいながら歩くことになる。ウィルマがわたしのスリップストリームに入る。
ハンザは女の人のほうが元気な街で、グランバザーでは店番をしているのもお買い物をしているのもほとんどが女の人で、全体的に華やかな印象だ。北部のケテルのバザーなんかは、逆に店番もお客さんも男の人ばっかりで、しかも判で押したようにみんなムッスリとしているものだから、なんだかちょっと居心地が悪い。直線距離にすればそこまで離れていないのだけれど、間に大きな山脈を挟むと文化がまったく変わる。
魚や野菜なんかの生鮮食料品のお店は朝イチが勝負だから、もうほとんどが店仕舞いをはじめているけれど、生地や洋服や、ちょっとしたアクセサリーなんかを売っているようなお店はまだまだこれからっていう感じで、お昼を境にすこしお店も客層も入れ替わる。つまり、ここからがわたしたちのお目当ての時間帯だ。
とはいえ、洋服は見るのは楽しいけれど、戻ればまた制服を着て過ごす日々だから、買っても仕方がない。通りすがりに見て楽しむだけだ。見て楽しむだけでも楽しい。模造石のついた金メッキのヘアピンが安かったので、ウィルマと色違いでそれぞれ買う。おみやげ用に生地も少し見る。ハンザはニシンの他には絨毯が特産品で、そういったお店もたくさん出ている。もちろん、絨毯なんかわたしたちがノリで買えるような値段ではないし、よしんば買えたところで敷くスペースがない。そうそう飛ぶように売れるものでもないからか、お店の人もわりとのんびりとしていて、わたしたちみたいな見ているだけの冷やかしでも、あまり邪険にせずにアレコレと説明してくれる。あと、なぜか絨毯屋には必ずと言っていいほど猫がいる。
てれてれとバザーを冷やかしながら歩いていると、広場を抜けて海に突き当たる。バイラル湾はイルヘルミナでも有数の大きなフィヨルドで、海とはいえ、ここから外洋まではまだ百キロ以上もある。海岸は砂ではなく丸いコロコロとした砂利で、すこし行くだけで一気に水深が深くなる。概ね、高い波もなく穏やかで、パッと見には広大な湖のようにも見える。
突堤の先では、釣りを楽しんでいるおじさんたちがいる。その脇には、突堤からアクロバティックに海に飛び込んで遊んでいる、真っ黒に日焼けした子供たちのグループもいる。釣りをしているおじさんたちのすぐ横でザッブンザッブンやるものだから、魚は逃げていってしまうし、おじさんたちと子供たちの間では喧嘩が絶えないし、釣り竿に魚がかかる気配はない。歩き疲れたわたしたちは、ボラードに腰掛けてしばらくそんな長閑な様子を眺める。
この海の遥か向こうに犬猿の仲のバークワース連合王国があって、イルヘルミナはバークワースと、この百年くらいずっと戦争を続けている。実は前の戦争は尻すぼみに収束しただけで正式には終結していないから、こんなにのんびりしているように見えても、建前上は今もまだ戦争中だったりする。
「さて、そろそろ行こうね」と言って、ウィルマが立ち上がる。
「きた道を戻るのもつまらないから、すこしグルッと回って別の道で戻ろうよ」と、わたしが言う。わたしが言ったのだけれど、それがあまりよくなかった。
大通りからそれほど離れているわけでもないのに、ひとつ裏に入るだけで通りが入り組んでいて、あっという間に迷ってしまう。こっちのほうかな? と曲がった先は、三階建てのアパートに挟まれた薄暗く細い路地で、ちょっとガラの悪そうな男の子たちが4~5人でたむろしていて、なんだか嫌な感じだった。談笑していた男の子たちがスッと黙り込んで、ジッとこちらを見てくる。そこまではっきりとした悪意を向けられている感じではないけれど、隙をみてなにかチョッカイをかけようと悪巧みをしているクソガキ特有の、あの目つきだ。でも、それしきのことでわざわざ引き返すのも癪だから、わたしは何事もないような顔をして、その横を通り抜けようとする。
壁に背を預けていた少年のひとりが、不意に別の男の子の肩を押した。男の子がたたらを踏んで、なるべく素早く真っ直ぐ進もうと思っていたわたしは、止まり切れずにその男の子の肩にドンとぶつかってしまう。
「あ、いって~。ちょっとなに? ぶつかったんだけど?」
自分からぶつかりにきておいて白々しいと思うけれど、こんなことでカリカリするのも大人げないかな? とか、いや、こんなクソガキにいちいち気をつかうのもバカバカしいし、ここは一発ガツンと言ってやるべきなのでは? みたいなことを色々と考えてしまって、わたしは瞬間的に対処ができない。地面を歩いているときのわたしは、自分でも嫌になってしまうくらいに愚鈍だ。
わたしがなにも言えないでいるうちに、ウィルマのほうが先に「いや、そっちからぶつかってきたよね。なに言ってんの?」と、吹き上がる。こういうことに関しては、ウィルマは意外と沸点が低い。
「ほら、行こう」と、わたしの手を引くウィルマの前に、頭にバンダナを巻いた別の少年が通せんぼをするみたいに立つ。
「ちょっと待てよ、お姉さんたち。ぶつかっといてなんの挨拶もないって、そりゃさすがにないんじゃない?」
バンダナの少年がそう言うと、黙って見ていた周りの子たちがクスクスと嗤う。なんだか、ずいぶんと訓練が行き届いているんですねっていう感じで、嫌だった。バンダナの少年が「なあ?」と言って、周りの少年たちを見回してから、わたしに視線を戻す。
まいったな。ぶつかった瞬間に相手の顔をしっかりと見て、すこし微笑んで、大人みたいに「あら、ごめんなさい」とでも言ってやればよかった。肩がぶつかったくらいのこと、いちいち目くじらを立てるような話でもない。でも自尊心とか社会の道理とか、そういう冷静に考えれば別にどうだっていいようなことに思考を引っ張られて、その瞬間には、最適な道を選ぶことができない。そして、こういうのはタイミングを逃してしまうと、もう上手くはいかないのだ。
「別に取って食おうってわけじゃないよ。お姉さんたち、道に迷ってんだろ? なんだったら俺が案内してやろうか?」
バンダナの少年がそう言うと、ウィルマはひとつ大きく溜め息をついて「こういうのは、あんまり好きじゃないんだよね」と呟いてから、ジャケットの懐に手を突っ込んだ。半身になって一歩わたしの前に出て、洗練された動作で懐から手を引き抜き、少年の眼前に突きつける。
そのあまりの素早い挙動に、少年は一瞬怯んで目を瞑った。拳銃を突きつけられるとでも思ったのかもしれない。ウィルマの動きは、まるっきりそんな感じだった。でも、ウィルマが少年に突きつけたのは拳銃などの武器ではなく、ただの身分証のバッヂだ。
恐る恐るという感じで薄目をひらいたバンダナの少年が、ウィルマの突きつけているそれを確認して、また目を細めて、今度は大きく目を見開いてバッヂとウィルマの顔を見比べる。
「エビエータ? お前がか?」
ウィルマは「記載の通りだよね」とだけ返事をして、バッヂをまた懐にしまう。
「でも……」と、男の子は腑に落ちなさそうな顔で言う。「お前、女じゃん」
「やめとけよ」と、ひとりだけ奥に控えて、それまでずっと興味なさそうな顔をしていた別の少年が声を掛けた。髪が短くて、薄手のスタジアムジャンパーを羽織っている。あまり不良っぽくなくて、見た目てきには少年たちの中で一番マトモそうに見える。
「え? だけど」と、バンダナの子がそちらを振り返る。その短いやりとりと、わずかに緊張した表情だけで、そっちの少年がこの集団のボス格なのだろうということが分かる。
「親父だろうと学校だろうと警察だろうと別になんにも怖かねぇけどさ。軍隊だけはマジでやべぇんだ、この国じゃ。それはお前もよく知ってんだろ?」
「でも、こんな、女で子供で、エビエータなんて」
「嘘かもしれないけど、嘘じゃなかったらやべぇじゃん。それに仮に嘘だったとしても、真顔でそんな大嘘つけるような肝っ玉の太い女、どっちみちお前の手には負えねぇよ。こんなところで、わざわざ危ない橋を渡ることもない。ただ、行かせてやればいいだけだ」
スタジャンの少年が言うと、バンダナの子は納得いかなそうな顔のままではあったけれど、肩をすくめて端に退く。親指を立てて、身振りで「行けよ」という仕草をする。わたしとウィルマは、その脇を通り抜ける。
「ありがとう」
通り過ぎざまに、足を止めてわたしがお礼を言うと、スタジャンの少年は「別に」と言ったあとで「お前たちも、キャスカルなのか?」と、訊いてきた。この少年は、知っているのだ。
「ん、いちおう機密なんだけど。まあ」
しらばっくれても仕方がないので、わたしも正直に認める。しらばっくれるつもりなら、そもそも最初から身分証なんか提示するべきじゃない。わたしたちのような子供が軍属のエビエータである可能性なんて、他にないのだから。
「俺の従姉もキャスカルで、エビエータだった。勇敢な人だった」
スタジャンの少年が、わたしに言っているとも独り言ともつかない曖昧な口調で呟く。だから、わたしも「そう」としか返事ができない。
「次の角を左に曲がって、すぐ右に行けば、あとは道なりで大通りに出られる」
「そうなんだ。ありがとう、それじゃ」
わたしが返事をして立ち去ろうとすると、最後にスタジャンの少年が「ご武運を」と、わたしたちの背中に声を掛けてきた。そこだけが、なんだかとても古式ゆかしい格式ばった言いかたで、でもそれが妙にスタジャンの少年の堅い雰囲気とマッチしていて、おかしかった。
「ご武運を、だって」
ハンザを抜けて、バイラル湾を見下ろす丘の上にピグミーを停めたわたしたちは、道路わきの草原に座り込んで、帰りに屋台で買った甘いガレットを食べながら、そう言ってクスクスと笑った。陽当たりの良い西向きの斜面では、たんぽぽが長く首を伸ばしていて、その多くが白い綿毛をつけている。
「なかなか傑作だったね。ウィルマなんか、こういうのは、あんまり好きじゃないんだよね、とか言っちゃうんだもの。なにかのお芝居みたい」
「いや、エルナの顔も相当なものだったよね。笑い堪えるのが大変だったんだから」
ひとしきり笑ったあとで、ウィルマは食べ終わったガレットの包み紙を弄びながら「あの子の従姉も、キャスカルだったんだね」と、言った。たぶん、わたしたちよりもすこし上の世代のキャスカルだったのだろう。少年に過去形で語られてしまっていることが、その後の彼女のすべて物語っていて、だから、わたしたちはそれ以上、なにも話すことができない。
キャスカルは遠からず死ぬ。それは運命のようなもので、仕方のないことだ。
わたしたちはそのことを、とうのむかしに受け入れている。受け入れざるを得ない。
不意に「戦争、はじまるのかな?」と、ウィルマが呟いた。
「どうだろうね。実は今この時も、戦争中らしいけれど」と、わたしは応じた。
なんだか陰気になってしまった雰囲気を払拭するつもりで、わたしは「ウ~ン」と、大きく伸びをして、そのままゴロリと草原に寝転がる。ウィルマもつられて横になる。海から吹き上げてくる風はすこしだけ湿っていて、陽が傾いてくるとちょっと肌寒い。見上げた空は、高いところの雲もゆっくりと動いていて、とても穏やかだ。世界はとても穏やかだけれど、この百年というもの、人類は各地で戦争ばかりを繰り返している。
「生き抜こうね、ウィルマ」と、わたしは言ってみる。
「もう、なによそれ」と、ウィルマが笑う。わたしは顔を横に向けて、ウィルマを見る。
「ご武運を」
「ご武運を」
お互いに寝転がったまま、敬礼を交わす。また、ふたりして笑う。
そのとき、遠くのほうから特徴的な甲高いジェットエンジンの排気音が聴こえてきた。上半身を起こすと、西の空に機影がふたつ見えた。こちらに向かって飛んでくる。高度はかなり低い。この距離でも、排気音だけでスクワルトだと分かる。高速で航行するスクワルトの機影は、見えたと思ったらあっという間に大きくなる。
「イングリットとエーコだ」
スクワルトに搭乗できるのはキャスカルだけだから、ここにわたしとウィルマがいる以上は、あれを操縦しているのはイングリットとエーコでしかあり得ない。
「でも、どうして西の洋上から? 今日は北部のアナトリア方面に向かったはずだけど」と、エーコが言う。「なにかあったのかな?」
わたしとウィルマは立ち上がって、空を見上げる。
わたしたちの頭上、それほど高くないところを、二機のスクワルトが轟音を響かせながら通過していく。先端から伸びる小さなカナード翼と、滑らかに胴体と一体化した大型の後退翼。機首をコックピットごと大きく前方に突き出した、有機的で特徴的なシルエットは、よく鶴に喩えられる。腹下の横に長いエアインテークは上弦の弓型をしていて、正面から見るとニカッと笑っている口のようにも見える。一見すると奇妙で、でも見慣れてくると愛嬌が感じられるような、変わった風体だ。
スクワルトが通過すると、一瞬遅れて、その風圧でたんぽぽの白い綿毛が一斉に舞い上がった。わたしは振り返り、高速で遠ざかるスクワルトを目で追う。オレンジに色づいた東の空の雲を背景に、複雑なフラクタルを描く無数のたんぽぽの綿毛と、つるりとしたスクワルトのお腹が見える。
「増槽がない。兵装も減っていたよね」と、ウィルマが呟く。
「どこかで戦闘があったんだ。基地に戻らないと。ウィルマ、急ごう」
わたしたちは弾けるように丘の斜面を駆け上って、飛び込むようにピグミーへと乗り込んだ。東へと向かうわたしたちの背後で、太陽がゆっくりと沈もうとしていた。