大切なぬくもり(隼人視点)
夜中に目が覚めた。
日向を抱き寄せようと手を伸ばしたら……いない。
俺は身体を起こした。日向がいない。
ベッドが冷たい。日向? 俺はベッドから出る。
小学校低学年の記憶だろうか。
俺は夜中に目が覚めるといつもおばあちゃんの布団にもぐりこんでいた。
温かくてすぐに眠れて……日向と眠るとその時の幸せな気持ちを思い出す。
両親がいなくてもあまり淋しくなかったのは、おばあちゃんに全力で甘えていたからだと思う。
暗い部屋を歩いていく。すると奥の部屋に電気がついているのが見えた。
ドアを開けて、椅子に座って作業していた日向を後ろから抱き寄せた。
「わ! 隼人さん、すいません。ちょっと作業をと思ったら……1時間以上経過してましたね」
「……いなくて、驚いた」
「寝ます。えへへ」
日向の手を引いて布団に戻る。
温かい。丸いオデコにキスをして大切に抱き寄せる。
こうしてちゃんと人を愛せるのは、おばあちゃんのおかげだと思ってる。
俺のことをかなり忘れてしまっていて悲しいけれど、なるべく感謝を伝えたい。
それ以外、できないから。
「おはようございます」
「隼人くん、おはよう。今日もよろしくね」
最近現場にいくといつも犬飼さんがいて落ち着く。
やはり現場のディレクターが優れていると、仕事の進みが違う。
最近は演劇の仕事をメインに請けているが、声優の仕事も面白くて続けている。
声だけで人を演じるのは予想以上に難しい。体という分かりやすい表現がないだけ、難易度が高く面白い。
それにラジオは演じた役の感想や、見ている人の反応がダイレクトに入ってきて、とても刺激になる。
俺は届いたメールを見る。
毎週ちゃんと反応をくれる人、ゲームの感想、こんな本を読んでほしいというメール。
どれも興味深い。日向は言わないが、毎回送っているらしい。これが面白いほどどれか分からないのだ。
日向はうぬ~と目を細めて「いや……読まれても言えないかも! いや言うかも! 言わないかも!!」と笑っていた。
「今日の分の脚本です、よろしくお願いします」
「はい」
俺はアシスタントの女の子から脚本を受け取った。
あのアシスタントの女の子は今も犬飼さんの下で働いている。
犬飼さんに「いいかしら?」と言われたけれど、俺は全く気にしない。
むしろとても優秀なエンジニアさんだと思う。人は間違えることもある。
それに仕事が増えて楽しくなったくらいで、俺は被害を被ってない。
密室でする仕事は苦労も多いと思うが、頑張ってほしいと素直に思う。
仕事を終えて町に出る。
今日は劇団の皆が結婚祝いをしてくれると聞いている。
なにしろ小学生の時からの知り合いが多いので照れ臭いが、ここは喜ぶ所だと思っている。
日向も「めっちゃ楽しみです!」と仕事を早めに終えるため今日は朝の5時に出て行った。
俺は西久保さんたちといつも飲んでいた飲み屋に入った。
「主役の登場だ~~~!」
店は貸し切りで、もう来ていた日向は一番奥で照れ臭そうに正座していた。
頭に花を載せられている。……可愛い。
日向の横に向かう間に、背中をバシバシ叩かれる。
劇団員は基本的に「ただ飯」と聞くと一週間分たべて飲む。お金はすべて菅原社長と西久保さんが出すと聞いているので……今日は恐ろしく飲まされることを想定して漢方を入れているし、日向にも飲ませた。
開始一分のテンションとしては恐ろしすぎるが、俺の仕事は日向を守ることだろう。
幸い日向もお酒には強いようなので適度に……と思ったら座った瞬間、完全に出来上がっている西久保さんが一升瓶を机の上に置いた。
その名も『隼人』という焼酎だった。作ったラベルではなく、こういう商品があるらしい。
よく見たら『隼人・心』と書かれたものや、『隼人・麦』まであり、みんなそれを飲んでいた。
西久保さんはもう完全に出来上がっている。
「隼人おおおお……おじさんは嬉しい。おじさんは嬉しいんだよおおお」
「西久保さん、最初からトップギアすぎます」
「私は最初からまるっとすべてお見通しよ!!!」
「美和子さん、もうそれ500回目くらいです」
「いや~~~運命の出会いの瞬間に会えて嬉しいよ~~~」
「菅原さんにはお世話になりました」
「次のハンター大会はいつですか」
「高梨、今それは関係ないぞ」
俺は順番にくる人たちに挨拶をした。
日向も嬉しそうに応じてくれる。
何十年も一緒に仕事してる人たちはみんな素直に喜んでくれて嬉しい。
「ここで! 日向ちゃんから! プレゼントがあります!!」
近年まれにみるレベルで飲んで仕上がっている美和子さんが立ちあがった。
日向から? 俺は横を見た。
日向は俺の耳にスッ……と近づいて「……ドン引きしないでくださいね」と苦笑した。
なんだろう。
「じゃじゃ~~ん、号外です号外です、隼人くんが復帰しましたよ~~~、号外です~~!」
美和子さんは新聞の束を取り出した。
それは本当に『新聞』だった。
劇団員たちは突然行われるコントに慣れている。なんだなんだとそれに群がる。
俺も一部受け取った。横で日向が「いや~~我ながら良い仕上がりですわ~」と笑った。
それは完全に『号外の新聞』だった。
手触り、質感、紙、そして文字……大きく見出しが書いてある『一ノ瀬隼人、舞台に復帰』と書いてある。
そして先日出たばかりの舞台写真が大きく使われていて、細かい記事が書かれている。
本当に新聞のようだ。その名も『隼人新聞』になってるし、日付も今日。そして細かいスポンサーも書いてあって、なんならこのお店も書かれている。
裏側には劇団員の顔写真と一言コメント、それに今までの歴史がすべて書かれていた。
メチャクチャに手間がかかる……過去のデータもたぶん正しいのだろう。
よくここまで。どれほど時間が掛かるのか想像もできない。
「いやあ、作ってる時に隼人さんが起きて来ちゃってヒヤヒヤしましたよ~、さすがにこれを会社で作れないですからね。あと私演劇関係の雑誌も少しくらい関わりたいんです。もぐり込めますからね。練習も兼ねてますよ!」
日向はドヤ顔で語り始めた。
あまりの仕上がりにみんな読み入っている。
うちの劇団は菅原さんが30年前に立ち上げた……など俺が知らない歴史まで書かれていた。
最初はあの場所じゃなかった事なんて、俺も知らなかった。
菅原さんも俳優をしていたのか。
菅原さんもそれに気が付いて叫ぶ。
「?! 日向ちゃん、俺が俳優してた時の写真どこから持ってきたの?!」
「美空社の演劇部署すごいんですよ。過去40年くらい写真があって、入り浸って探しちゃいましたよ~」
「社長若い、痩せてる、髪の毛がある、王子役やってる、無理」
高梨が爆笑しているのを、菅原さんが肘でえぐる。
正直俺も全く知らなくて興味深い。
過去の作品、出演者、それに現在の情報まで書き込まれていて、情報量がすごい。
欄外には小さな文字で『隼人さんは小学校の時に机の引き出しでカマキリの卵を孵化させたことがある』『西久保さんは酔っぱらって川で泳いだ』『菅原さんの娘さんは超美人』など小ネタも仕込んである。
見れば見るほどすさまじい。
美和子さんと西久保さんは楽しそうに昔話を始めた。
日向は昔の話を楽しそうにつっこみ入れながら聞いている。
大騒ぎだった宴会は日向の新聞をきっかけに落ち着いて終了した。
「どうでしたか? 最初は作りながら『やりすぎ?!』かなと思ったんですけど、作ってて最高に楽しかったです」
「おいで」
家に帰り、少し酔って頬を上気させている日向を俺は膝の上に乗せた。
そして抱きしめながら言う。
「ありがとう。大変だっただろ」
「新聞は作ったこと無かったのでめっちゃ楽しかったです。刷ってもらうのが恥ずかしかったですけどね。知り合いの印刷所さんがノリでやってくれました。余ると悲しいので劇団員さん数しか刷ってないのでレアですよ?」
「大切にする」
日向は「えへ」と微笑んで、実は……と口を開いた。
「ネタを集めていたときに発見したんですけど」
トコトコ移動して紙を俺に渡してくれた。
それは小学校の時の文集のコピーだった。内容は『未来に一言』。
どうやら子どもが夢を書いて、保護者が一言返すコーナーのようだった。
俺が書いた内容は……『いつか 大きなぶたいに立って おばあちゃんにみてもらう!!』
その横のコメントは『みるのを たのしみに してますね おばあちゃん』と返信。
日向は目を輝かせる。
「これ、今めっちゃ夢叶ってますよね。なんかすごいなあと思って」
こんな事を書いていたのか。全く覚えて無かった。
日向は「おばあちゃんをネタ新聞に載せられなくて見送りました」とほほ笑んだ。
夢は叶ったが……それは……日向に会えたからだ。
会って再起しなければ、もう舞台に立つつもりは無かった。
「……夢が叶ったのは日向のおかげだろう」
「?? 私はただのキッカケで、隼人さんの実力がないと無理ですよ??」
その表情は「本当に何を言っているんだ、この人は」という顔だ。
本当にこの子は『キッカケ』がどれほど俺を救ったのか分かってない。
どれほど俺がそれに感謝して、日向をどれほど愛してるか知らない。
俺は口を開く。
「しかし……隼人新聞なのに、俺が結婚した記事がないな。大切なことなのに」
日向は「?!」となって毛布に丸まった。
「……書こうとしたんです! したんですけど……自分のことを書くのは恥ずかしくて無理でした!! すいません、散々隼人さんの事を調べまくって書いたのに、自分は恥ずかしいとか!! でも無理でした!!」
そして毛布に包まったまま、モゾモゾと逃げ出そうとする。
俺は毛布ごと抱きしめて引き寄せる。
そして毛布から顔を出して、優しくキスをした。
日向は「えへへ」と笑って抱きついてくる。
……愛しい。
深く甘い夜、俺は日向を抱き寄せて、眠った。
 




