表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風のあやかし  作者: 石見千沙
4/4

風のあやかし

 あきらかに劣勢だ。あたりの風まで弱まった気がする。

 そのとき、イツキが叱咤した。

「立っているのでやっとじゃないなら、おまえも凧を動かしてやれ!」

 自分がほとんど何もしていなかったことを思い出して、イトはあわてて手を動かした。ゆるみかかっていた凧糸がぴんと張り、影の塊の中で風妖がもがく。しかし、形勢逆転までは至らない。

「どうしよう、できない……! できたことない!」

 混乱しきったイトに向かって、イツキはもう一度怒鳴った。

「たぶん、いいんだよ、風を思いどおりにしなくても! 風妖がやりたいようにやれるようにすればいいんだよ!」

「どうしたらいいの!」

「細かいことは気にすんな、ちゃんと凧を風に乗せていてやれ! とにかく強い風を起こさせるんだ、ワザワイなんか吹き飛ばしてやれ! できるだろ、それくらい!」

 イトは目を見開いた。

 そうだ。イツキは、おまえなんかにはできない、とは言ったことがない。イツキに煽られて、やろうとしてきたことだってあった。

「それくらい」という言葉の、見たことのない一面が見えてきた。

 はっとした拍子に、不安が消し飛んで腹がすわった。イトは、風妖とイツキに向かって怒鳴った。

「できるわ! それくらい……!」

 背中からイツキの明るい笑い声が聞こえた。イトがめちゃくちゃに凧を動かしているうちに、風妖がやっと影の中から抜け出した。

 風がさらに強くなる。結局立っていられなくなって、イトとイツキもゆっくりと膝をついた。イトの襟首をつかんでいたイツキの手が肩に移動して、イトが座りこむのを助けてくれた。

 風妖の勝利は見えていた。白銀の獣は小さな牙をむきだしにして、影の塊のあちこちにかみついた。風妖にかみつかれた影の片端から、影がちぎれて風に散っていく。

 影が雀ほどの大きさになって弱々しくうごめいたとき、風妖が黒い生き物から身を離した。風妖がどう動きたいのかがわかってきていて、イトは凧を操作し、黒い生き物から距離をとる動きを支えた。

 風妖が身を縮める。それから、黒い生き物に、矢のように突っこんでいった。

 風妖にひき裂かれて、黒い生き物が砕け散る。すると、今までで一番強い風が一陣、影の塊のなれの果てに向かって吹きつけていった。

 黒い破片が吹き散らされて消えていく。最後の一片が消えたとき、ついに風がおさまった。

 顔をかばって下を向いていたイツキは、光を感じて顔を上げた。

 さっきまで曇っていたのが噓のように、空が晴れわたっていた。

 風ももう穏やかだ。真っ青な空に、イトの白い凧がぽっかりと浮かんでいる。風妖がその手元まで降りてきて、誇らしげに鼻をひくつかせていた。後ろから少しだけ見えるイトの顔は微笑んでいて、イトは風妖に何ごとか話しかけてから、凧に合図を送った。

 風妖が天へ駆けのぼり、消えた。

「やっつけちまったのか……」

 呟いたイツキのほうを振り向き、イトは笑った。

「できたよ。わたしたちにも……」

 やっとそれだけを言ったイトの体が、ぐらりと傾いた。

 イツキの顔がぐにゃりとゆがむ。視界が暗くなっていく。朦朧としていく意識の中で、全身が湯上がりのように熱くなっているのを感じた。それでいて体の芯がひどく寒い。震えが止まらなかった。

 高熱を自覚したのを最後に、イトは意識を失った。


 イトが目を覚ましたとき、最初に目に映ったのは、見慣れない家の天井だった。ここはどこなのか、なぜ、いつから自分はこんなところで寝ているのか、イトはぼんやりする頭で思い出そうとした。

「気がついたかね。よかったよかった」

 知らない声がして、イトはぎょっとした。体をこわばらせたイトを、知らない老女がのぞきこむ。

「そなたは三日三晩、高熱を出して、生死の境をさまよっていたのだよ」

「わたしが……?」

「そう。ワザワイに近づきすぎたせいだね。障りを受けてしまったのだ」

 その言葉を聞いて、イトは、岩場で起きたことをだんだんと思い出しはじめた。

「ワザワイって、黒い鳥のような……」

「そんな姿をしていたそうだね。わたしは見てないがね。わたしは宮廷づきのまじない師だ。ワザワイを祓うためにやってきていたが、そなたが先に全て終わらせてしまったようだね。しかし来ていてよかった、そなたの障りを清める役目は果たしたよ」

「……ありがとうございます」

 イトがしわがれ声で礼を言ったとき、隣から今度はよく知っている声が聞こえてきた。

「イト、起きたのか!」

 イツキだ。顔を横に向けると衝立があって、向こう側にも布団が敷かれているのが見えた。衝立からイツキが顔半分だけ出している。

 イトと目が合うと、イツキはほっとした様子で口元をゆるめた。

「死ぬかもしれんと聞いて、気が気じゃなかったぞ」

「イツキは……どうしてここにいるの?」

「おれも障りを受けたんだよ! 清めてもらわなけりゃ、おれも死んでたかも」

 それにはまじない師が苦笑した。

「大げさなんだよ。あんたのほうは、一日寝込んだだけで元気になってたくせに。もう清めは必要ないって言ったのに、まだここで休んでいたいだなんて、どういうわけだか……」

 まじない師はぶつぶつ言った。

 それから、祈祷のようなものを受けたり、薬湯を飲んだりしているうちに、イトの体にも、やっと上半身を起こせるほどの力が戻ってきた。

 まじない師がどこかに出かけてから、イトは、衝立越しにイツキと少しずつ話をした。もはや以前のように、イツキを嫌な奴だと思わなくなっていたから、話し相手がいることがありがたかった。

 岩場で、イツキが嫌いだ、と言い放ったことを思い出したイトは、まずそのことを詫びた。

「……そうだ、イツキ。あのときはごめんなさい。助けてくれたのに、ひどいことを言って」

「いや……それは、おれがずっときつい物言いをしていたせいだろ」

 イツキが気まずそうに、衝立の影にそろそろと引っ込んで、イトはくすっと笑った。

「うん、そうね。だから、これでおあいこね」

 イツキが困ったように笑って、またちょっと顔を出した。

「あのとき言ったことは、噓じゃないぞ。それにあの岩場で、おまえはすごいやつだって、改めてわかったよ」

 イトが返す言葉を探して黙っていると、イツキは衝立からさらに身を乗り出した。

「戦ったのは風妖とはいえ、あそこで逃げ出さなかったのはたいしたもんだよ。おれは……あのワザワイってやつが、ものすごく怖かった。おれなら逃げてた。他のやつらでも、きっとそうだ」

 イトは首を横に振った。

「ワザワイは怖かったけど、村の一員でいるための、最後の望みだと思っただけよ。いつまでたっても役立たずのままでいることのほうが、もっと怖かった」

「それでもすげえよ。それだけじゃない、おまえの風妖は、ほかのどの風妖にもできなかったことができたんだ。よかったじゃないか。おまえとおまえの風妖にしかできないことが、やっと見つかったんだ」

 イツキは心から喜んでくれている様子で、イトも嬉しくなってきた。

 それからふと思い出して、そういえば、とイトは口を開いた。

「みんなの風妖は戻ってきたの?」

 イツキが頷く。

「ワザワイが消えたその夜には、また凧に宿るようになったみたいだ」

「よかった……」

「まあ、また同じことが起こっても、イトがいれば安泰だな」

 そう言ってからちょっと黙って、イツキは、そうだ、とこんなことを言いだした。

「おまえも、成人の儀の後は浜守りに入ったらいいんじゃないか。漁や木の実狩りや、器用さが必要な役目より、村を守るほうが合ってるだろ。そんな力がある風妖と一緒なら」

 イツキが口にしたのは、朝夕に村の周辺を見回り、賊や猛獣のような外敵から村を守ったり、村の中で出た罪人を取り締まったりする仕事のことだった。イツキはずいぶん前からそこに入りたいと言っていたし、腕自慢のイツキは適任だろうと誰もが思っている。

 だが、イトは首をひねった。

「イツキにはぴったりだろうけど……わたしはどうかな」

「また、ああいった災厄のたぐいがやってきたら大活躍できるぞ」

「そうね。でも、そんなことにならない限りは、やっぱり使い物にならないままだわ」

 成人の儀のことを考えると、また気持ちが沈んでくる。イツキは不満そうにうなった。

「もったいないな。イトが不器用なのは確かだけど、せっかくできることが見つかったのにな」

「わたしにできること、ね……」

 その言葉で、ふと、イサゴのことを思い出した。冷たい風に頬を撫でられたときにも似た心持ちがして、イトは、ひとつの可能性について考えはじめた。


 すっかり元気になってから数日、その日はよく晴れていたので、イトはまた岩場に来ていた。

 海を眺め、空を眺めながら凧を揚げたイトは、風妖の起こしたそよ風を顔に受けて、目を細めた。

 そうやって、しばらく景色と空気を楽しんでいると、背後の茂みががさがさと音を立てた。もう驚くことなく振り返ると、予想どおり、やってきたのはイツキだった。

「なにか用?」

「聞いてないぞ、イサゴさんの弟子になるなんて」

 イツキがいきなり話を切り出してきて、イトは笑った。

「そうなの。イサゴさんも喜んでくれて、村長にも話をつけてくれた」

「浜守り、やらないのかよ」

「向いてないってば」

 顔をしかめてそう返してから、イトは自分の風妖を見上げた。

「……風妖の力を、もっと引き出せないかと思って。わたしの風妖が他の風妖と違っているなら、その違いを比べてみるのは面白いかもしれないって、イサゴさんも言ってたの」

 イツキは、へえ、と声を上げたが、たいして興味を引かれない様子ではあった。イトはかまわず、自分の考えたことを続けて話した。

「風妖のことがもっとわかれば、この先、わたしとわたしの風妖みたいに不器用な人が現れても、できることを見つけてあげられるかもしれない」

 イツキがちょっと目を見開いた。イトは微笑んだ。

「結局、他のみんなとは違うお役目になってしまうけど……村長もイサゴさんも認めてくれるなら、わたしは、これでいいと思ってるの」

「……なるほどな。うん、いいんじゃないか」

 ついにイツキも納得した様子でうんうん頷いた。

「よかったなあ。おまえたちの良さを生かせることが見つかって」

「ありがとう。……今までも、ぜんぜん気づかなかったけど、ことあるごとに助けてくれていたのよね」

「助けたってほどのことはしてないけど」

 イトの礼に照れくさそうに苦笑してから、そうだ、とイツキは話題を変えた。

「おれ、たまにはここに来てもいいよな? もうあっち行けなんて言わないでくれよ」

 イトはくすくす笑った。

「うん、もうそんなこと言わない。イツキなら来てもいいよ」

 イトがそう言うと、イツキの顔に笑みが広がった。

「ここ、気に入ったんだ。海と空が見渡せて、気持ちいいな」

「いいでしょう。わたしもそこが好きなの」

 イトは眼前の風景を見つめた。

「つらいこと、たくさんあったけど、わたしはここで生きていきたいの」

 しゃべっているうちにイトの手もとが少し狂って、凧が揺れた。風妖が凧の上で身じろぎして、冷たく鋭い風が吹いた。

 風妖の白銀の毛並みが風に流れて、陽光をはじいてきらめいた。

 今日は一日、天気がよさそうだ。この場所でずっと風に吹かれながら、澄みわたった海と空を眺めていたかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ