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風のあやかし  作者: 石見千沙
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ワザワイ

「ワザワイが来る? なんだそれ」

 木の実狩りのため、村で足場を作る手伝いをしていたイツキは、意味のわからない知らせに顔をしかめた。

 本当だってよ、とイツキを呼びに来た友達は言う。

「わざわざ都からまじない師さまがやってきたって話だ。風妖が消えたのも、ワザワイに関係があるかもしれねえってさ。急いで村を離れて、このあたりはそのまじない師に任せて、しばらく避難してろって」

「へえ。急な話だな……」

 そのへんで作業していた村人たちも、連絡を聞いて動きはじめている。いったん家に帰る様子の者や、家族と合流している者たちの中に、イツキは、林から戻ったばかりのムグラを見つけた。

 木の実でいっぱいの籠を手にしているが、一緒にいたはずの少女の姿がない。イツキは首をかしげ、ムグラに近づいた。

「ムグラさん、一人ですか」

 声をかけると、ムグラはじろっとイツキを見返してきた。そして、低い声でこう言った。

「あいつのことなら、知らん」

 それから、イツキが何か言う間もなく、ずかずかと歩いていってしまった。その背中を見送りながら、イツキは少し考えこんだ。

 またイトが何かをやらかして、ムグラの堪忍袋の緒が切れたのだろうか。もしムグラがどこかにイトを置いてきたのだとしたら、一人になったイトは、またあの岩場に行くだろう。

 村人は誰もあの場所を知らない。イトはワザワイの知らせを聞いていないはずだった。

 イツキが他の村人たちとは逆方向に歩きだすと、友達は、おい、と驚いた声を上げた。

「どこ行くんだよ」

「忘れ物。さっさと取りに行ってくるから、先に行っててくれよ」

 そっちに何忘れたっていうんだよー、という問いかけにイツキは答えず、足早に岩場に向かっていった。


 イトは一人、空に凧を浮かべてぼんやりしていた。

 これからどうしよう、と何度も考えた。このままでは、ほんとうに村にいられなくなる気がした。イトは空と海が近いこの場所が好きだった。風妖との暮らしが好きだった。ここを離れるとしたら、凧も取り上げられるにちがいない、どうせおまえには使いこなせない、などと言われて。

 イトが手を動かさないでいると、風妖は、水平線のほうを眺めてじっとしている。朝から曇り空だったが、今は灰色の雲がいっそう分厚くなっている気がする。湿ったような、いやなにおいがあたりの空気をとりまいていて、イトは、雨が降るかもしれないと思った。

 村に帰る気はしなかったけれど、雨が降り出してからもここにいるのは危険だ。

「……きりあげようか」

 ねえ、と風妖に声をかけて、イトは凧をおろそうとしていた手を止めた。

 水平線の彼方をじっと見つめていた風妖の毛並みが、怒った猫のそれのように逆立っている。風妖は穏やかな生き物だ。こんな様子は見たことがない。

「どうしたの?」

 風妖は応じない。前方に視線をそそいでいる。何か気になるものがあるのかと思って、イトも水平線のほうへ目をやった。

 遠くに小さな鳥の影が見えて、それは空を滑るようにしてこちらに近づいてきていた。

「あの鳥が気になるの?」

 ぐんぐん近づいてくるそれは黒い。烏か鳶かと思ったが、だんだんそれが、烏よりも、鳶よりもはるかに大きいことに、イトは気づきはじめた。

「何かしら……」

 呟いたとき、突風が吹きつけてきた。崖っぷちで背中をおされるような感じがして、ひやりとしたイトは、数歩後ろに下がった。持ち手にまきつけていた凧糸が、一巻、二巻とほどけて、凧が少し上昇した。

 凧に染めつけられた紋様が、ぎらぎらとした輝きをはなつ。

 強い風は一度で止まらず、イトの背中から前方に向かって何度も何度も吹きつけてきた。イトは凧を揚げているだけで手を動かしていないが、この風は、風妖が起こしているものらしいということだけわかった。

 風にあおられた髪を片手で払って、再び黒い鳥に目をやって、イトはまばたきした。

 黒い鳥は、強風におされるようなかたちで、それ以上こちらへ進んでこなくなっていた。それでも、ずいぶんこの崖へ近づいていたその姿が異様なことは、一目でわかった。

 その巨大な鳥は、黒い影か煙のようなものでできていた。影のかたまりが、鳥の姿をかたちづくっているように見えるのだ。

 イトの背筋を冷たいものが走った。鳥肌が立ち、体が芯から震えはじめた。これは危険なもの、恐ろしいものだと、体全体を通して本能が伝えてくる。

 風妖が白銀の毛並みをいっそう逆立てて、その鳥と向かい合っている。風妖と鳥のあいだにはまだ少し距離があったが、あと少し近づけば、互いが互いに襲いかかれそうだった。

 イトは逃げたかった。だが、風妖は戦う準備ができている様子だ。

 イトはついに、逃げてはいけないのだと悟った。

「……凧、絶対はなさないから……やっつけて……!」

 その鳥を、上陸させてはいけない……!

 そう思ったとき、また一巻、凧糸がほどけて、凧がさらに鳥に近づいた。そして、風妖が鳥に襲いかかった。

 鳥は四つ足の獣のかたちに姿を変えて、風妖に応じた。

 風が荒れ狂う。あの影のような生き物を、これ以上近づけさせまいとする風妖の強い意志を、イトは理解した。凧を放すものか、風妖を負けさせるものかと思うのに、背中を激しくたたいてくる風に、眼下の海へと今にも吹き飛ばされそうだった。イトはじりじりと片足を引いて、後ろに重心をかけた。

 そのとき暴風は、東の浜一帯に吹き荒れていた。

 岩場に向かう坂道を、イツキは顔を庇いながらのぼっていた。

「変な天気……」

 ひとり呟いて、イツキは途中の柵を乗り越えた。風は、海に向かって吹いている。

(こんな危険な風の中じゃあ、もしかしたら、さすがにイトももう立ち去っているかもしれないな……)

 そう思いながら茂みをかきわけて、イツキはぎょっとした。

 ものすごい風の中、イトは、崖っぷちにいた。そして、イトが揚げている凧の先で、風妖が何か黒いものと戦っている。えたいの知れないそれを見たとたん、今まで感じたこともないような恐怖と嫌悪感に襲われたが、いっそう強く吹きつけた風に目の前のイトがよろめいて、イツキは我に返った。

 考えるより先に手が伸びて、イツキは、イトの腰帯をつかんだ。風になぎ倒されかけていたイトの体が、がくんと止まる。

「おい! なんだ、あれは!」

 つかんだ腰帯を通して、イトの全身が震えているのがイツキにも伝わってきた。イトはゆっくりとイツキのほうに顔だけ向けた。

「わからない……」

「さっさと凧をたため! すぐに逃げるぞ。たぶん、あれは、ワザワイとかいう恐ろしいものだ! みんな、避難してるところなんだ」

 熱に浮かされたようになりながら、イトは、首を横に振った。

「だめ……」

「何がだめなんだ。このままここにいたら、ワザワイが何かするより崖から落ちて死ぬぞ」

「あなたなんか嫌いなの。あっちへ行ってよ」

 うつろな目でそう言われて、イツキは一瞬、言葉に詰まり、それから叱りつける調子で言った。

「そんなこと言ってる場合じゃないだろう!」

「凧をたたんだら、風妖が戦えない! あれを浜に入れてはだめ!」

 イトは怒鳴りかえした。今だけは邪魔をしないでほしかった。

(もう、ここに来ないで。わたしをそっとしておいて……!)

 イツキは空いたほうの片手で、自分の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。

「……ああ、もう! わかったよイト、それならおれも手伝う。重石がわりにはなってやるから、今はここにいさせてもらうぞ!」

 そう言うと、イツキはイトの襟首にも手をかけ、ゆっくりと後ろに引っぱりはじめた。

 イトの体が一歩、二歩と崖っぷちから離れる。年のわりに体が大きくて重いイツキは、この風の中でも、ほとんどびくともしない。多少安全な位置まで移動して、イトも立っているのが少し楽になった。

「……ありがとう……」

「礼はいいよ。なんでこんな無茶を一人でやるんだ? 村の大人でも呼べばよかっただろうに」

「わたしの風妖だけが残ったの、このためだって思うから。ここで立ち向かわないと、何もできない、役立たずのままだから……」

 風妖と黒い生き物との戦いを凝視しながらも、イトはイツキの質問に答えた。イツキはため息をついた。

「何もできないってことはないだろ」

「できたことなんかない」

 イトはイツキのほうを見ないでそう言った。イツキはため息をついた。

 ごうごうと吹きすさぶ風の中で、イツキはイトに語りかけた。

「おまえはとろいけど、なんでも最後まで粘るじゃないか。みんなからあれだけ言われて、人前ではめそめそしないのもすげえと思うぞ。ここに来て自由な時間まで一人で練習してるのも、偉いと思ってたよ」

「うそ。あなたが一番、馬鹿にしてきたくせに」

「そんなつもりはなかった。いや、怒らせるような言い方はしてきたかもしれないけど、心が折れるような……本当に言っちゃいけないことは言わないようにしてきたつもりだぞ」

 イトは前方を見たまま、まばたきした。過去をふり返ろうとしたとき、風妖が黒い生き物の影の体に包まれ、呑みこまれていくように見えて、イトは真っ青になった。

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