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風のあやかし  作者: 石見千沙
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客人

 凧が落ちないように気をつけながらも、イトは凍りついて、若者たちを見返した。まさか、本気でそんなことを疑っている? 彼らの表情には、あざけりと敵意しか見えない。

 そのとき、一人が大笑いしはじめた。

「いや、どうやってやるんだよ、そんなこと」

 イツキだった。それをきっかけに、他の数人も吹きだす。そりゃそうだ、イトには無理だ、そんなことを言いながら、何人かが離れていった。

 それと入れ替わりに、砂浜に出てきた男がいた。若者たちの固まっているところへ近づいて、声をかけてきた。

「イトはいるね。ここで修練していると聞いて」

 イサゴだった。数年ほど都に勉強しに出ていたこともある、賢い男だ。村の歴史と風妖の研究をするのだといって、大人の組の中では他の村人と同じように外で仕事をせず、ほとんど家に引きこもって何かを読んだり書いたりしてばかりいる。それで許されているし、尊敬もされている。

「イサゴさん……やっぱりうまくいきません……」

 イトの疲れきった表情を見て、イサゴは苦笑した。

「まあ、諦めずに、もうちょっとやっていてくれないか。きみの風妖をよく見せてほしい。なぜ、きみの風妖だけが残ったのか、考えてみたい」

「……わかりました」

 イサゴが出てきたことで、残りの若者たちも散っていった。いくぶんほっとしながら、イトは凧を動かし続けた。

 イサゴは優しい。村の中で、役立たずのイトをけむたがらないのは、両親以外だとイサゴくらいなものだろう。

 小さい頃、逃げ場にしていたのは、秘密の岩場ではなくイサゴだった。しょっちゅう崖に行くようになったのは、イサゴが一度村を出て、一人になれる場所が必要になってからのことだ。

 ――ぼくも村じゃ変わり者だからねえ。子どもの頃はよくいじめられてた。イトもああだこうだと言われるだろうけど、あんまり気にしないで、自分にできることをじっくり探せばいいんだよ。

 イサゴが都に行くとき、そう言ってくれたのを覚えている。帰ってきてからは、昔のように親しく行き来することはなくなったけれど、それでも、村の中に一人は味方がいるという心強さがあった。

 イサゴは、しばらく首をひねりながら、イトの風妖を眺めていた。イトは、風妖の動きがいくつか見られるといいのではないかと考えて、あれこれ手を動かしてみたが、イサゴが何かをつかんだ様子はなかった。

 やがて、イサゴが首に手を当てた。うーん、とうめきながら伸びをして、だめだな、と呟いた。

「他の風妖と比べられればいいんだけど。よくわからないね」

「他に、わかったことはないですか?」

「いま、手もとにある文献を調べているところなんだ。これから、残りの資料を見に帰るよ」

 それじゃあね、と微笑んで、イサゴは家に帰っていった。あとにはまた、イトと風妖だけが残された。

その日はイトも、日が暮れるまで練習しても、何も得られなかった。


 翌日は朝から雲行きが怪しかったから、イトは漁ではなく、林へ木の実狩りに連れていかれた。

 木の実の豊富に採れる林には、凧を上げるために切り拓いた小さな広場がある。その広場の真ん中で、イトはムグラと向かいあっていた。

「凧糸の引き方に気をつけてみろ」

「やってみます」

 今日も、イトにはムグラがついていた。もともと厳しい男だが、イトには笑顔さえ見せてくれたことがない。ほとほとうんざりしていることだろう、と思いながら、イトは凧を広げ、ムグラに手渡した。

 背の高い木々に囲まれていても、風はこの林に吹きこんでくる。ムグラが風を見て、凧から手を放す。イトが手を動かすと、凧は風に乗って、茂る枝葉が取り囲む空へのぼっていった。

 いつものように風妖が姿を見せると、ムグラがよし、と頷いた。

「やれ。強い風を起こす必要はない」

「……はい」

 そうだ、どうせ時間がかかるのだから、弱い風で少しずつ木の実を落とせばいいのだ。そう思って、イトは風妖に合図を送りはじめた。

 天の高いところで、そよ風が吹きはじめたのがわかる。枝葉がざわめいている。木々が身を震わせて笑っているかのようだ。

 とうぜん、その程度では木の実は落ちてこない。ただ、もっと手を動かすと、このあいだのようにやりすぎてしまうのではないかという気がして、できなかった。にらみつけてくるようなムグラの視線が怖かった。

 さわさわと揺れる木々から、やっと、ひとつ、ふたつ、茶色の殻に包まれた木の実が落ちてきた。

 イトはほんの少しだけ、やった、と思ったが、それを顔に出してしまったのは失敗だった。見とがめて、ムグラが厳しい声を上げた。

「喜んでいる場合か、その程度で」

「ご、ごめんなさい」

 イトの肩がこわばり、思わず手が震えた。

それだけで、いっきに風の流れが変わった。

 小さな竜巻にも似た突風がいきなり起きて、イトもムグラも顔を覆った。足元の細かな草や砂が巻き上がって、手や頬を刺していく。

 突風は広場を走り回るように天へ立ちのぼっていきながら、周辺の木々を激しく叩いた。木の実が、葉っぱが、かなり大きめな枝がばらばらと落ちてきて、イトとムグラは頭をかばいながらそれらを避けて動いた。

 突風が静まったとき、空には、風妖のとりついた凧が静かにぷかぷかと浮かんでいるばかりだった。

 あたりはひどいありさまだった。いつもきれいに掃除され、整えられている緑の草地はところどころ土が顔を出し、必要以上に落としてしまった木の実や、折れた枝や木の葉が散乱していた。

 凍りつくイトの目の前で、ムグラが顔を真っ赤にしてあたりを見回している。上を向くと、見るからに傷ついたあたりの木々の哀れな姿が視界に入った。

 ムグラはゆっくりとイトに目を向けた。イトはがくがく震えながら、ムグラの言葉を待った。

何かを耐えるように深呼吸してから、ムグラがやっと口を開く。

「……おまえは……どうしてそう……。おまえのせいで、おれまで、ひどい落ちこぼれを作った教育係だと言われるんだ」

「ごめんなさい……」

 初耳だった。謝ってもどうしようもないことを知りながら、イトはやっと、それだけを口にした。ムグラは血走った眼でイトを見ながら、背負った籠に木の実を拾いはじめた。

「もういい。謝られても困る」

「あの、せめて後片付けは、わたし……」

「いらん!」

 怒鳴られて、イトは凧糸の持ち手を落としそうになった。ムグラはもう一度、いらん、と静かに言いなおしてから、言葉を続けた。

「もういいと言ってるんだ。一緒にいるだけで不愉快だ、この役立たず。あとはおれがやって、他へ報告しておく。おまえは凧をたたんで、誰にも迷惑をかけないところへ行ってろ」

「そんな……」

「しつこいぞ、イト。もうすぐ代わりの船や、木の実狩りのための足場が準備できるから、そうしたらおまえとおまえの風妖は用無しだ。もうおまえにできることなんぞないから、おとなしくしていろ。いいな」

 イトが返事できず、呆然と立ち尽くしていると、ムグラは拾った小さな枝をイトに向かって投げつけ、怒鳴った。

「さっさと行け!」

 イトは肩を震わせて、風妖に、凧から離れるように合図した。

 風妖の去った凧をおろし、たたんでいるあいだ、ムグラはついに一言も口をきかなかった。胸のあたりがしびれるような感じがして、イトも声を発することもできず、ただ黙々と手を動かした。

 広場を去ろうとしても、ムグラはイトのほうを見ようともしなかった。イトは黙ったまま、深く頭を下げて、とぼとぼと歩きだした。

 ついにムグラに見放されてしまった。村中の風妖が戻ってきてもこなくても、これから、村でどう生きていいのかわからない。教育係にあんなことを言われる若者の話など聞いたことがない。そんな自分が、春の成人の儀式を迎えたところで、どんな役目を与えてもらえるというのか。

 イトは走りだした。あせりが悲しみを上回って、もはや涙も出てこなかった。向かう先はいつもの岩場、少しでも風妖と修練しなければ。


 そんなことがあって、まっすぐ岩場に向かったイトは、村に都からの客人があったことを知らなかった。

 村長への面会を求めたのは、宮廷が遣わしたまじない師だった。まじない師は砂浜に村長を呼んだ。村長と共に、他の村人たちもちらほら遠巻きに出てきたが、まじない師はたいして気にしていない様子だった。

「はるばるご足労いただいて……こんな田舎に、なんのご用ですかな」

 村長がかしこまってたずねると、四人の護衛兵に囲まれた老女は小さく頭を下げた。

「この地に、不吉の兆しがあった」

「不吉の兆し、とは」

「今朝の占に、東の浜にワザワイ来たる、と出たのだ。それは空を翔けて、東の浜からこの国に入りこもうとする。ワザワイが上陸すれば、疫病、飢饉、天の気の乱れ、大地鳴動が起こり、春からの新しき一年は、国中歎きに満ちたものになる」

 恐ろしい知らせに村長は青ざめ、あたりもざわめいた。老女は落ち着いた様子で、案ずるな、と言った。

「しばらく、ここら一帯の土地を借りたい。ワザワイ除けをこころみる。なに、そのあいだ、村の方々には宮廷が仮の宿を用意してある。申し訳ないが、急ぎ、村中でそちらに避難していてもらいたい。ワザワイに近づいて、村人たちにどんな障りがあるともわからぬから」

「仮の宿まで用意していただいて、我々に断る理由はありませぬ。おっしゃるとおりにいたします。しかし、ひとつだけお聞きしたい」

「なんじゃ」

 村長は、風妖が突然現れなくなったことをかいつまんで話した。

「このようなことは初めてで……風妖がいなくなったことは、そのワザワイに関係があるとお思いでしょうか」

「ふむ、あるであろうな。おそらく、いなくなった風のあやかしたちを束にしたよりも、ワザワイのほうが強いのだ。鷹の現れた地から烏どもが逃げ出すのと同じように、風のあやかしたちはワザワイから逃げ出している状態なのではないかと思う。ワザワイを祓ったあかつきには、戻ってくるのではないかな」

 なるほど、と村長は頷いた。

「では、すべてお任せするしかありませんな」

「さよう」

 まじない師は、それでは、と言葉の調子を変えた。

「村長どの、村人たちの移動をお願いする。仮の宿までは、こちらの兵士の一人がご案内する」

「ありがとうございます。では、今すぐに」

 頭を下げながら、村長は、イトの風妖のことを思い出した。そしてすぐに、いや、とその考えを打ち消した。あんな役立たずの娘のもとにいるのでは、風妖にも何もできはすまい。

 それからすぐに、村長は動いた。大人たちを集め、村中に連絡が行き渡るように、手はずを整えた。

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