平均であり普通の何事もない生活 7
一体なにに苦しんでいるのだろうか……などと寝ている女の顔を見ながら悩むのは、失礼に当たるのだろうか。
「なんで逃げてきたんかね」
病院の帰り道。俺の顔の横には、肩にアゴを乗せるように、ジャッカロープの少女の顔がある。背負った少女が時々小さく呻き顔を歪めていては、少女になにがあったのか思ってしまうのも、しかたがないというものだろう。
少女は病院で極度の疲労と睡眠不足という診断を、医者から受けた。そんで寝ているところに手早く栄養剤を打たれ、俺ごと追い出された。診察で脱がされたのは上半身だけ。時間にして十五分程度。コレでこの村一番の医者だってんだから、どう信用していいものか。
「まずは家に連れて行かないとな。帰ったらヴェラにこの子を見てもらって、その間に買い物に出かけて……」
幸いにも軍資金はたんまりとある。医者には急な来訪で多少大目の診察代を払ったが、それでも十分残っている。ミラ姐さんに感謝だ。
「栄養のある野菜でスープでも作るか。ついでに俺たちも、いつもより豪華な夕食にするかな。それくらいはいいだろ」
不幸があれば幸運もある。世話する代わりにイイもんが食えるなら、まだマシ……だと思っていたんだけど。
「――よう、レオン。景気のよさそうな話をしてるじゃないか」
ダミ声の不機嫌そうな男を中央に、三人の男が俺の前を塞ぐように立つ。裏道を通ったのが仇になったか。しかし、なんなんだ今日は。男の道を塞ぐか、塞がれる日なのか?
「……たった今、そんな気分じゃなくなったけどな……。なんか用すか、キーンさん?」
中央の男の名前は、キーン=ロットラ。この辺りのはぐれ者やスネに傷のある者を集めた、若い衆を束ねている男。店でミラ姐さんにボコボコにされていたルクも、その若い衆の一人。キーンの機嫌が悪そうなのは、ルクが問題を起こしたことを誰かから聞いたんだろう。
「今日の仕事はどうした。お前もなんかやらかしたのか?」
「これも仕事ですよ。ミラ姐さんに確認してもいい」
俗にいう“普通の生活”というのは、悩みもなく、悪いことがなにもない生活ではない。そんな順風満々な生活は、“幸運”の部類だろう。良いこともあれば、悪いことも起きる。それが普通。で、これは悪いこと。懐じゃなくて精神にくるね。
「確認なんて必要ねぇよ。オレはそれが仕事にゃ見えねえ。今日の分は給料から差っ引くからな」
「……そうですか。じゃあ勝手にしてくれ」
結局、懐にもくるんか。こりゃ豪華な食事はなしだな。
俺の目下一番の不運は、この男が俺の雇い主だということだろう。幸運にも仕事先は気のいい店主がやっている娼館だが、実際に俺に給料を払っているのはキーンになる。
一年前、新しく建つ娼館の経営者であるミラ姐さんは、開店に向けて雑用係を探していた。荒事が得意で、雑用もできる若い男。だが当時、娼館で働くことに抵抗を感じていた住民がほとんど。そんななかで手を上げたのが、キーンだった。ウチの若い衆を貸し出そう、と。俺はちょうどその頃、事情も知れぬ子供連れのガキを雇うような普通の店はどこもなく、キーンに拾われていた。そして気が付けば、俺は娼館で働くことになっていた。
ミラ姐さんはキーンに金を払い、俺はそこから給料を貰う。生活に困らない程度の給料を貰えていることを考えると、ミラ姐さんは結構な額をキーンに支払っているのだろう。だがキーンは時折、難癖をつけてきては給料をピンハネしてくる。問題なんて起こせば、しばらくはタダ働きになる。
「で、その女はどうした。新しく入った娼館の女か?」
「それはまだ確認中で。なんでか、俺が預かることになりましてね」
「はん……オレのかわいい部下の私生活まで使うような仕事を与えるなんざぁ、ちょっと考えなきゃならんよなあ」
あんたさっき、仕事に見えないとか言ったじゃないか。俺の生活なんざ興味もないくせに。あー、くそ。嫌な目をしてやがる。
「おい、レオン。その女、オレが預かってやろうか? “イイ具合”にしといてやるからよ」
両脇の男たちと一緒に、キーンが下卑た笑みを浮かべている。見たくないんだよ、そんな笑顔。……まぁ、曇らせるのも簡単なんだけどね。とりあえず、少女に心のなかで謝っておく。
「すみません。たった今、“病院”に連れて行った帰りなんすよ。早く休ませてやりたいんで」
病院という言葉を強調しつつ、キーンが伸ばた手を避ける。そんなに睨まないでくれ。これでますます給料が減ったってのは、俺もわかってる。
「病院だと? それを早く言え! ケッ、さっさと連れてけ。オレもヒマじゃねぇんだ」
だったら話しかけてくるなと言いたいところだが、キーンたちは逃げるように、さっさと歩いていってしまう。
「勘違いしてくれて助かった……いや、別に俺は助かってないな。……メンドくせ、さっさと帰ろう」
さて、マイナスになった分は、どうプラスになってくれるのかね。それともこれで吊り合ったんだろうか。
結局、少女の目は家に着いても、ついぞ開くことはなかった。