平均であり普通の何事もない生活 4
見えてきたのは宿屋……のような風体をした俺の仕事先。酒や飯だって出すし、“適切”な料金さえ払えば、部屋を貸し出しもする。
「――るせぇ! そんな金払えるか!」
「まてこの! あっ! レオン! そいつ捕まえて!! “ヤリ”逃げ犯!!」
店から飛び出してきた男を追うように、薄く透ける肌着を着た少女が出てくる。俺は返事もせず、男の進路を塞ぐよう前に立つ。
まったく、運が悪いな。
「そこをどけガキ!」
「どかねーよおっさん」
男が振り上げた拳を避けると、そのまま手首を取り、足を払う。この程度の相手に、ナイフを抜く必要もない。
「ぐあっ!?」
掴んだ手首を支点に男の身体は綺麗に回転し、地面にうつ伏せに転がる。そのまま男の上に跨り、掴んだままの腕を捻り上げる。これでもう男は動けない。
「運が悪いな、おっさん。昨日の夜は天国にイケたんだろうが、今からいく場所は地獄だ……あ? おっさん、昨日、俺の富籤を覗いてた奴か?」
「な、なんだ兄ちゃんか。た、たのむ! 見知った顔だろ! 見逃してくれよ!」
「見たこたあっても知っちゃいねーよ。だが、妙な縁だ。地獄の行き先くらいは選ばせてやる。お前、この村の住民じゃないな。だったら、事務所で身包み剥いだあと村の外に捨てられるのと、有り金全部置いて自分から村の外に出るの、どっちがいい?」
捻る腕に力を込めながら、ドスの効いた声で男に語りかける。これもお仕事。あー、怖い怖い。
「わ、わかった……財布を渡す……渡すから離してくれ……! お、折れちまうよ……!」
「そーかい。少しだけマシな地獄を選んだな」
男は懐から財布を取り出し俺に渡してくる。ずいぶんと重い財布を駆け寄る少女に投げ渡すと、少女は財布の中身を改める。少女の顔を見るに、料金分は入っているようだ。
「銀貨一枚だけ抜いて渡してやれ」
「え、でも」
「いいから」
捻る力を緩め男の上から退くと、少女に言って男の財布から銀貨を一枚だけ抜き、地面に投げさせる。
「ほら、これで乗り合いの馬車でも探して、どっかに消えろ」
「……っ! …………」
銀貨を拾った男は、なにか言いたそうにしながらも、黙って去っていった。よかった。これで向かってこられたら、銀貨を渡した意味がなくなったところだ。
「レオンは甘いんだから」
「これでいいんだよ。金を全部取られて村の周辺をうろちょろされるよりは、さっさとどっかに行ってもらったほうが面倒がない」
厄介の種は、近くに植えるより遠くに飛ばしたほうがいいに決まってる。
「で、なにがあったんだ?」
「あのオヤジ、昨日富籤で一等を当てたとかで、ウチの店で散々飲み食いしたんだよね」
「あのおっさん、俺のあとに当ててたのか……」
「レオン、またやったの? 勝てないのに懲りないのー」
「うっせ」
横に並んで話す少女――リコリー=ペリアが肩を竦める。
頭の横から上に突き出るように生やした角以外は、人間と変わらない姿をした亜人。リコリーはブラウニーと呼ばれる小人の亜人の母親と、ミノタウロスという牛顔巨躯の亜人の父親から生まれた、亜人のハーフ。
身長は低いがブラウニーにしては大きい。だが、ミノタウロスの血を引いているにしては小さ過ぎる。角もミノタウロスほど太いわけでもない。身体は母親譲りで、父親からは女性でも似合う角を貰ったのだと、本人が言っていた覚えがある。
「それでね、最後の締めにって、ミー姐さんを“御所望”したってわけ」
「そりゃー豪気だな。ミラ姐さんを指名するなら、富籤一等ぐらいならパッっと飛ぶわな。料金表を見せなかったのか?」
御所望とはそのまま、料金表に載った金額で買うこと。
目の前にある店の名前は、小さな看板に掲げられている。看板の文字は『サキュバスの吐息』。淫魔という名のとおり、ここは性を商売にする店。つまりは娼館。俺がこの村にきた頃と同時期に開店した店でもある。
飲み屋の営業時間は、日が落ちてから深夜までの数時間。そこから朝までは、娼館の営業時間。それぞれの娼婦がとる客は一日に一人。普通の娼館よりも高い金を払う代わりに、望めば一晩中天国を味あわせてくれる。
リコリーもこの店で働いている娼婦であり、名前の挙がったミラというのは、この店で一番料金の高い最高級の娼婦だ。
「ちゃんと見せたって。高額になるから、誓約書にサインも貰ったよ。なのにアレだもん」
リコリーは、自分を指名した客を店の外まで見送ったところで、逃げようとしていたさっきの男を見つけたらしい。
「酔っ払って強気になって女を買ったはいいが、朝になって料金を見て青ざめたんだろ。せっかく富籤を当てたのに、一晩で使い果たしたってんだからな。まさに天国から地獄だ」
だからこそ、トップクラス――料金と質どっちをとっても――の娼婦が指名された場合は、誓約書を書いてもらうことになっている。内容は、納得しましたよーってのと、払えなかったらナニされても文句を言いませんよーってこと。酔っ払いに判断できるかと言われればそれまでだが、酒に飲まれたほうが悪い。
「ホントホント。レオンがきてくれて助かったー。せっかくの大金が、パーになるところだったから」
「それが仕事だしな」
俺の仕事は、この娼館の雑用係。用心棒の真似事から、手が足りないようなら館の掃除や給仕もやる。ちなみにシフト制。俺の他に雑用係は五人いて、交替交替で休みをもらっている。
「今日はルクが当番のはずだけど、アイツは?」
ルクというのは、雑用係の一人。逃げるような相手がいれば、ルクが追うはず。
「寝てたみたい。問題が起こらなきゃ誤魔化せただろうけど、これじゃね。クビになるかもねー」
「そりゃキツイな。俺の負担が大きくなる」
「かもねー。……じゃあさ、仕事がキツクなる前にさ」
リコリーが左腕に絡みついてくる。朝風呂に入ったのか、髪からは香油のいい香りがする。小人のブラウニーの血を引く割には大きな胸も、薄い生地をとおして柔らかく肌をくすぐってくる。胸の大きさは、ミノタウロスの血かもしれない。小柄な身体に大きな胸、好きな者には堪らないだろう。実際、リコリーの人気は店でも上位だ。
「わたしとイイこと……しない? まだ時間、あるんでしょ?」
「しない」
即答。
甘えた声で囁き潤んだ瞳で上目遣いをしていたリコリーは、半目になり口を顰める。なぜ仕事前に疲れることをしなきゃならない。それに、店の女性に手を付けるのはご法度だ。俺はクビになりたくない。
「それと、角が脇腹に当たって痛い。刺し殺す気か」
「この角がいいって言うお客さんだっているのに。手に持って動かすのに、丁度イイんだって。わたしも無理矢理されるの嫌いじゃないし……ああでも、腕枕してもらいづらいんだよね。相手の顔が穴だらけになるかもって思うと」
「知らんわ。冑でも被せて寝させとけ。いいからほら、離れろ。それにここは外だ、周りの目を気にしろ」
昔ながらの生活を良しと考えている老人などは、宿場町になりつつある現状に嫌悪感を抱く者もいる。しかも店が店だけに、元から住んでいる村の住民にもいい目で見られることは少ない。そんな目を気にしてか、村の住民が娼館にくることも少ない。客のほとんどは、村の外からきた商人や旅人が相手。
「やぁん、レオンったらひどぉ~い!」
ワザとらしく上擦った声をあげるリコリーを無視し、店のドアを開ける。
店に入ると、甘い香水の匂いが漂ってくる。それと、濃い女の匂いも。
「あらレオン。おはよう、今日は早いわね」
「あっ、ミー姐さん! おはようございます!」
「はよーさん。今日は早くこいって話だったろ、ミラ姐さん。俺は今日休みだってのに急に昨日、言い出すんだもんな」
正面ホールの階段の上で、ミラ姐さんは『そうだったかしら?』などと首を傾げる。こちらもなんともワザとらしい。
「ミラ姐さん。その足元に転がってるのは、あー……雑巾でいいのか?」
「そうね。さっきまではルクって名前だったけれど」
ボロ雑巾のようになったルクを、ミラ姐さんは“足を数本”使って持ち上げ、階下に降りてくる。
ミラ姐さん。フルネームはミラ=メル。足音どころか、上半身さえ揺らさず階段を降りるミラ姐さんの下半身には、タコのような八本の足が生えている。スキュラと呼ばれる、上半身が人間、下半身が軟体生物の亜人。海辺を好む亜人らしいのだが、別に海でなくても水分さえあれば大丈夫なようだ。
このミラ姐さんこそが、娼館サキュバスの吐息の最高級娼婦であり、そして経営者でもある。
「起きてるなら、自分で捕まえてくれればよかったのに」
「私もさっき気付いたのよ。リコリーとレオンが追ってくれたみたいだったから、私は寝こけてた“こっち”を、ね」
「ひゅ、ひゅみまへん……もう、ゆるひて……」
腫れたルクの頬を、ミラ姐さんの足がペチペチと叩く。可哀そうだとは思うが、自業自得だ。トップ娼婦がヤリ逃げされたなど、娼館の沽券に関わる。
「あのお客、透明になるまで搾り取ったから、今日は足腰立たないと思ったのよ。ちょっとお客を取らなさ過ぎたかしらね、勘が鈍ったわ」
富籤でも当てなければ指名することができないミラ姐さん。そんなミラ姐さんを指名したことのある男性は、ミラ姐さんを淫魔と、店と同じ名で呼んでいる。この世のものとは思えない、天国に連れて行ってくれる悪魔だと。男を惑わす美貌を持ち、均整の取れた上半身。最初は下半身を見てだいたいのお客は驚くが、腕並みに器用に動かせる足の虜になるという。
「そういえばレオン、あなたリコリーに手を出さなかったのね」
「そっちはミラ姐さんの仕込みだったのかよ……。従業員をハメようとして、なにがしたいんだ」
ペロッと舌を出すリコリー。ミラ姐さんの仕込みだったのは本当らしい。
「だってあなた、今年で十八でしょ? なのに一年もここで働いてて、どの女の子にもそんな調子じゃない。従業員だとしても、お客として私たちを買ってくれるなら歓迎だって言ってなかったかしら。……まさか、男色の気でもあるの?」
「俺はノーマルだ! 気色の悪いことを言わないでくれ!」
「もう、そんなに怒らなくてもいいじゃない。リコリーの角の先でも齧ってみる? あら? ウシの角って骨だったかしら」
「レオン、やさしく……噛んでね? 角って、意外と敏感だから……。でもでも、どうしてもって言うなら、本気で噛んでもいいよ? それとも……別の先っぽがいい?」
「齧らねーし噛まねーよ! リコリーもミラ姐さんの冗談に乗るな!」
差し出されたリコリーの頭を齧る代わりに叩いておく。
「わたしは本気だよ!」
「なら余計に悪いわ!」
「もしかしてあれかしら。レオンの家にいるっていう、ヴェラちゃんって女の子。その子がレオンのパートナーなのかしら。でも、すごくちっちゃな子だった気がするのだけど……」
「あっ……レオンの好みって……。わたしに反応しなかったのも納得だね!」
「勝手に納得するな! なんなんだよ! 人が真面目に働いた結果がこれかよ!」
なんと酷い職場か。泣きたくなる。
ヴェラに関しては、パートナーという点では間違ってはいないが、そういった対象ではない。それに娼館にだって、通えるものなら通ってやる。だが、そんな余裕はないのだ。
生活に困らない程度には金が稼げている。だが、困らないというだけだ。俺一人の稼ぎでヴェラの食い扶持も稼ぎ、生活に必要な消耗品やなんやと買えば、残りは微々たるもの。娼館に通うような金は残らない。富籤にでも当たれば別だが、そんな運がないのは、この一年で重々承知している。
「ふふっ、そろそろ勘弁してあげる。真面目な従業員をこんなことで辞めさせても、もったいないものね」
「……そうしてくれると助かるよ」
「ごめんねレオン。わたしを指名してくれたら、いっぱいサービスしてあげるね?」
「んな金があったらな。それで、今日はなにをすればいいんだ?」
「こっちよ、ついてきて。リコリーも元気が有り余ってるのなら、レオンを手伝ってあげてちょうだい」
まだ仕事も始まっていないのに、えらく疲れた。しかしサボるわけにもいかない。俺は絡みついてくるリコリーを腕から剥がしながら、ミラ姐さんの後ろについて行った。