黒花の病 5
床に倒れたリコリーには目をくれず、鎧姿の男は不機嫌そうな顔をしたまま店のなかを見回している。
おい、なにをしてるんだよ……つまりあれか。俺も役目柄、やっちゃっていいってことだよな?
「――ッ!」
一瞬で騒然となる店のなか、リコリーを殴った男の前に飛び出す寸前の俺を制したのは、ミラ姐さんの視線だった。
「お客様……ここは女性と共に、一夜の夢を見る場所でございます。独りよがりをしたいのであれば、別のお店に御行きくださいませ」
前に出たミラ姐さんを見て、男は面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「フンッ。そこの売女がオレに触れたからだ。まったく、汚らわしい手で触れやがって」
男の物言いに、ギシリと奥歯が軋む。だがここで飛び出しては、ミラ姐さんが俺を止めた意味がなくなってしまう。
「それにオレは客じゃないんでな。店主を出せ」
「店主は私でございます。お客様でないのなら、この店にどのようなご用件でしょうか」
「はっ、下半身がバケモノの売女が店主か。女を捜している。探させてもらうぞ」
男はミラ姐さんの脇を通り、ホールに――
「お待ちください」
――入ることはできない。ミラ姐さんの足が、入ろうとした男を止める。
「お前も殴られたいのか――うおおおっ!?」
ミラ姐さんの足は男に絡みつき、男の体が宙に浮かぶ。男はそのまま、入り口付近にいた男の部下たちのほうへと投げ飛ばされる。ざまぁ。
「な、なにをするこの売女風情が! 俺はミ――」
「黙りなさいっ!!」
ミラ姐さんの声が、店内に凛と響く。
「この店の子たちは、私の娘であり妹であり、大事な家族です! 私の家族を売女と誹るアナタに、この店に入る権利はありません! ……どうぞ、お引取りください」
「くだらない仲間意識を持ち出しやがって……! ――おい!」
男が声をかけると、後ろの部下たちが一斉に剣の柄に手をかける。
「おやめなさいな。ここで剣を抜けば、無事では済みませんよ? それとも……試してみますか? 一瞬で昇天させてあげましょう」
ミラ姐さんの足が床を叩くと、ビシリ! と床が悲鳴をあげた。ミラ姐さんの怒気に、男たちの手が止まる。怒っているのはミラ姐さんだけじゃない。店の女の子たちも、客も、もちろん俺も。全ての怒りの視線が鎧の男たちに向いている。
「……ちっ! いくぞお前ら! いいか、覚えておけ売女! このままでは済まさんからな! どうせこの村は終わりだ!」
捨て台詞を吐き、男が出て行くのにそう時間はかからなかった。そして、静まり返っていた店内に歓声が沸き起こる。
「ミラ姐さん、一生ついていきます!」
「俺たちもすまねぇ。ビビって咄嗟に助けられなかった」
みんながミラ姐さんに次々に声をかけてゆく。初老の男性はミラ姐さんの手を握り、なにか感動しているようだ。あの初老の男性とミラ姐さんが、一体どういう関係なのか少し気になる。
それにしても、やはりミラ姐さんは怖い。怖くて、強くて。
「優しい人だな」
運喰いのグリップを握り締めていた手は、強く握りすぎて剥がしにくかった。だが俺が余計なことをしていれば、もっと面倒なことになっていただろう。止めてくれたミラ姐さんに感謝だ。
「リコリー、大丈夫か?」
「へーきへーき。これくらい、慣れてるから」
男に叩かれたリコリーの頬は赤くなっている。血でも流れていたら、ミラ姐さんの視線じゃ止まれなかったかもしれない。囲まれていたミラ姐さんと店の女の子たちもやってくる。
「ごめんなさいね、リコリー。大丈夫だった?」
「もー、みんな心配しすぎだよ。……ごめんね、ミー姐さん。わたしのせいで、余計にお店に変な噂が流れちゃうかも……」
「あなたが無事ならいいのよ。ニーコ、リコリーの手当てをしてあげてちょうだい」
「りょーかい! 一緒にいこっ、リコリー」
「えー……。ニーコって雑だから、顔を包帯だらけにされそう」
「リコリー、さすがのボクも怒るよ? ほら、顔を早く冷やさなきゃ」
二人が奥に引っ込んだのを見ると、ミラ姐さんは客のほうに向き直る。
「お騒がせいたしました。お詫びにといってはなんですが、本日の御代は結構です。皆様、存分にお楽しみください。女の子たちも、今日は好きに飲んでいいわよ。ただし、お客様に失礼のないようにね?」
また店内に歓声が上がる。
「豪気だね」
「今日はどうせ、売り上げに期待できないもの。だったら、パーっとやったほうがいいわ」
「そうだな。俺もヴェラたちを呼んできていいか? ついでにシスナも連れてくるよ」
「それは……レオン、これを見て」
ミラ姐さんが差し出したのは、一枚の小さな紙だった。紙には顔写真と、名前が書いてある。
「ニーコがね、男の倒れた場所から拾ってきたの。私が投げ飛ばしたときに落としたのね。それで、この紙に書いてあるのって」
紙を持った手が震える。なぜ、あいつの写真が載っている。なぜ、あいつの名前が書いてある……
「……ミラ姐さん。今日は帰らせてもらってもいいか?」
「ええ、気を付けてね。あなたになにかあったら、みんな悲しむわ」
「すまない!」
服も着替えず店の裏口から出て、家に向かって走る。
チリチリとこめかみの辺りがひりつく。これはダメだ。ダメに決まってる。
「くそ……さっきの男たちは……!」
ミラ姐さんから渡された紙には、よく知った顔が書かれていた。ウサギの耳に、小さな角。ああ、この数日で何度見たか。
男は、この村は終わりだと言った。これがなにを意味するのか、理解したくない。だが、理解しなくてはいけない。
奴らは、マリクラムの手の者だ。
……天秤は、ますます不幸の側に傾いてゆく。




