桜とともに、きみは散る
10/22 大幅に編集しました。元々とは、ストーリー自体が全然違ってしまっています。大筋は同じです。
僕、皇城雅也は、今日から一人暮らしを始める。
一人暮らしに憧れを抱いて、早5年。小学5年生からの夢は、今日、成就しようとしていた。
高校に進学するにあたって、一人暮らしをするために、家から遠い高校まで行けるだけの努力をした。成績もめきめきと上がり、親が、一人暮らしという条件付きでの進学をゆるしてくれるくらいに、その高校も余裕を持って行くことができる。
新しい僕の家に着くまでは、まだ時間があるらしい。元の家からは少し離れたところにあるその家は、元々は別の人が住んでいた。それ自体は、あまり珍しいことではない。でも、僕の行く一軒家には、家具がほとんど全て残っている。
前の住人については、あまり詳しくは知らない。でも、家の近所の人なら知っているかもしれない。挨拶回りのついでに聞いておこうと思っている。
「そういえば」
運転をしてくれている父が話しかけてきた。
「雅也は、実は一人暮らしがしたかったんだろう?」
心を見透かされた気がして、ドキリとする。
「まあ、どちらでもいい。俺は、1度でいいからやってみたいと思っていたな」
「父さんは、一人暮らしをしなかったんじゃなかったっけ?」
助手席から見る父の顔は好奇心に満ちている。時には厳しいことも言うが、父を嫌いになることができないのはこの笑顔のせいだ。たまに見る父の幼さは、親近感と優しさを感じさせるから。
「まあな、俺には、高校生で一人暮らしをする勇気はなかったからな」
そして、声を上げて笑う。ハンドルがぐらりと揺れて、車もそれに合わせてフラフラと蛇行する。慌ててハンドルを押さえ、周りを見るが、車はいない。この辺は随分と田舎らしい。
「それに、母さんとも付き合い始めたから」
再び、車が揺れる。しかし、今度は、僕が止める前にハンドルを握り直していた。
「辛くなったらすぐ帰ってこい。くれぐれも健康には気をつけてな。それから」
父が言葉を切ると、窓の外を見る。いつの間にか目的地に着いていた。
「頑張れ、雅也」
「……はい」
ドアを開け、外に出る。父の声を背中に聞き、小さな声で返事をした。
父さんに感じたのは、いつも感じているどれとも違った。
好奇心にあふれた目を見たときの幼さ。怒られたときの怖い迫力と、その後浮かべる、「やってしまった」というような苦虫をかみつぶした表情。母さんにお小遣いをねだるときの姿勢の低さと、もらったときの得意げなピースサイン。今まで16年生きてきて、覚えている限りで初めて感じる、甘酸っぱいような気持ち。でも、喪失感も大きく、いろいろな感情が交ざって、とても繊細な一つの感情になっているように感じた。
走り去る車を見届け、気持ちを切り替えるために、改めて庭を見回す。
田舎にしては小さい庭は、端っこの方に、同じく小さな花壇があった。花壇の隣に並ぶ水道と、蛇口に着いたままのホースは、水やりをするためだろう。そのほかの土地は、芝生に覆われていた。きれいに刈りそろえられた芝日にあとをつけつつ、自転車を押して庭に入れる。随分と窮屈そうに見えるが、玄関までの道は空くように、花壇とは反対側の塀に沿って置いた。
花壇の草|(雑草なのか故意に植えられた物なのかは分からない)にのる水滴は日光に反射する。芝生の緑は生き生きとし、命を感じさせる。
だから、この家の前の住人が、自殺していたなんて、想像もしていなかった。
その事実が発覚したのは、その日の午後。引っ越しのご挨拶で、隣の家を訪ねたときだった。
「こんにちは。隣に越してきた、皇城雅也と言います。初めての一人暮らしなので、至らないところもあると思いますが、よろしくお願いします。」
お隣さんは、40代くらいのおばさんだった。宮部キョウコさんと言うそうで、今年で17歳の息子さんがいるらしい。その日は会えなかったが、僕の先輩にあたる。後でご挨拶しておこうと思った。
「最近の若者は礼儀がなってないとか言うけれど、雅也くんはしっかりしているね。まったく、りく……うちの息子にも見習って欲しいくらい」
「りく」と言いかけたのが息子さんの名前らしい。リクさんなのか、それとも別の名前なのか……。僕には、分からなかった。
「ところで、あなたの新しい家について、何か聞いている?」
「いえ、特には」
正直にそう言うと、キョウコさんは少し戸惑ったようだった。
「そう。なら、はなさない方がいいのかもしれないね」
「いえ、聞きたいです」
キョウコさんは、それでも少し躊躇した。もう一度お願いすると、流石に教えてくれた。
そして、その内容が、女子高生の自殺だったのだ。
前の住人は、川原有紀と言うらしい。僕の一つ年上で、17歳になるはずだった。去年の今頃に、急に行方不明になり、見つかったのは、よく散歩しに行っていた林。崖から飛び降り自殺したとして処理されたらしい。
僕は、「あの家に幽霊が出るっていう話は聞かないから大丈夫だよ」と慰めてくれたキョウコさんにお礼を言い、新しいマイホームへ帰る。
家の中は、イメージしていた女子の部屋とは違う、落ち着いた雰囲気だった。アンティーク小物が多く、それが女子らしいイメージとかぶる。僕は、女子は小物を集めたがるという、殺伐としたイメージを抱いていた。ただ、鬱対策の本が多かった。自殺というのは、案外本当かもしれない。
自分の部屋は、一番荷物の少なかった部屋にした。亡くなった人の部屋をあさるのは気が引けたし、なにより、整った雰囲気を壊したくなかった。リビングの壁にかけられたカレンダーは、今年の物だったので残しておき、僕のカレンダーは自室に置いた。
1時間ほど部屋の整理をして戻ると、リビングの食卓にはコーヒ-がおいてあった。僕の持ってきたカップだったし、湯気も出ていた。コーヒーを入れて忘れていたのかなぁ、と思った。しかし、いくら何でも1時間経てば冷める。その事に気づいたのは、全て飲み干した後だった。
カップを洗い、再び自室に入る。
自室は庭に面しており、窓を開けると、草花の匂いがした。刈りそろえられた芝生は、夕日に照らされ、紅く染まっている。花壇は、一日中日光の当たるところにあるようで、相変わらず、水滴がまぶしかった。
「刈りそろえられた、芝生。水滴が、まぶしい……」
ぼんやりと思ったことに違和感を感じて、声に出してみる。そして、初めて気がつく。
この家の持ち主は、ちょうど一年くらい前に亡くなっているのだ。
慌てて、キョウコさんを訪ねる。代わりに出てきたのは、僕と同じくらいの年に見える、青年。キリッとしていて、眼鏡で、絶対にモテるな、と分かる容姿を持っていた。
「あれ? どなたですか?」
「昼間ご挨拶に伺った、皇城雅也です」
すると、青年は納得したようだった。
「ああ、母が言ってた人か。俺は、宮部陸人。雅也くんは、一人暮らしなんだって?」
昼間聞いた、息子さんだ。リクト先輩だった。学年は1つしか違わない。クラス替えのとき、隣の席の知らない子が、僕と一緒で緊張していたときのような親近感を覚えた。
「はい」
「じゃあ、頑張れよ」
そう言って陸人さんはニカッと笑った。(インテリ系の人に対する偏見だが)眼鏡をしているのに、陰気な雰囲気はなく、スポーツマンのような、気持ちのいい笑顔だった。さっきよりも緊張は薄れ、実はその子が僕と同じ物が好きだったときのような親近感を覚えた。
おかげで、聞きやすくなった。
「あの、僕の引っ越してきた家って、最近、誰か来ていたりしましたか? 管理人さんとか……」
「いや、そんな話は聞かないし、見たこともないな。何かあったのか?」
「いえ……」
家に帰ると、変化を探した。結果、花瓶の花が新しくなっていた。
試しに、声を出す。ノートを指さしながら、室内を見渡した。
「先輩、この問題が解けないんですけど、教えてもらえますか?」
そして、返答を待つ。
返答はなかった。我ながら、ものすごく変なことをしたと思う。
とにかくほっとして、夕飯をつくって食べる。そのまま、寝てしまった。
翌朝起きると、リビングにメモがあった。初め、寝ぼけていた僕は、自分の書いたメモだと思って、くしゃくしゃに丸めて捨ててしまいそうになった。冷たい水で顔を洗った後、あれは僕の字じゃなかったかなと思って慌てて広げてみる。そこには、昨日言った問題の解き方が、きれいな細かい字で綴られていた。
僕はそれを持って自室に入り、メモの通りに問題を解く。もともと自分で問いていた解き方よりも、シンプルで簡単だった。ノートに書かれていた途中式が2つも減った。
リビングにかえると、朝食が用意されていた。白くきれいな皿には、僕の嫌いなブロッコリーがのっていた。もちろん残した。それ以外は完食した。時折、テーブルの向かいの席を見た。有紀さんの椅子は、まだ残してあった。
「問題、無事解けました。ありがとうございました。わかりやすかったです」
もう、存在を疑うこともなかった。
訳あってこの世界にいる。今もこの家に住んでいる。1つ上の先輩。ふと気になって、声に出してみる。
「なんで成仏しないんですか?」
返事は、もちろんなかった。話すことはできないらしい。
食べ終えた食器を洗い、散歩に出る。
この近くには林がある。その中の遊歩道を歩く。一カ所だけ、崖が見えた。遊歩道からは遠かったから、下は見えない。でも、ここまで、のぼり坂が多かったから、きっと、とても高いはずだ。ふと、有紀の自殺が脳裏にうかぶ。彼女は、ここから飛び降りたのではないか? ……考えすぎか。
自分のアイデアを自分で否定すると、来た道を戻った。帰る途中、行きには、気にも留めなかった川を見つけた。その上に、崖があった。たぶんあの崖だろう。途中に、ちょうど出っ張った岩があり、ステージのように目立っていた。自殺には不向きそうだ。その下には、太い木がたくさん生えていて、浅く川幅の広い川が流れている。水に濡れた岩は、つるつるとよく滑った。慌てて一歩足を出すと、丁度川の中だった。スニーカーがびしょびしょになってしまった。水は上流のためにきれいで、湧き水だということを意識させられる量だった。そのくせ川幅は決して狭くはなく、とても浅い川が、横に広くなっている。ここの水は、やがて大きな川とぶつかるらしい。すると、このきれいな流れも、いつかは濁ってしまうのだ。少し複雑な気分だ。
もうすぐ家、という距離にある公園に、陸人さんがいた。
「やあ、雅也くん」
「こんにちは、陸人さん」
何気なく、ベンチに並んで座る。近づきすぎず、遠すぎず。恋人がいたらこんな感じに座るのか、という感じの、微妙な距離だった。もっとも、恋人とはもっとくっついて座るのかもしれないけど、僕には、そんな経験はないのでよくわからない。
「陸人さんって、好きな人とかいるんですか」
陸人さんは、少しほおを赤らめて、びっくりとした顔をしていた。僕の中では、ものすごく筋の通った話題だったのに、陸人さんにとっては突拍子もないものだったらしい。同じ気持ちにはなってもらえなかった。
「俺はね、有紀と付き合ってたんだ」
聞かなければよかったと、後悔した。でも、陸人さんは話し続ける。
「付き合い始めて、1年くらいたった頃に、有紀が、後輩と仲良くしてるっていう噂がたったんだ。俺は疑わなかったけど。でも、その時期に、有紀は死んだ。俺の誕生日の前日だったから、よく覚えているよ」
陸人さんの表情は暗かったが、口からこぼれる言葉は止まらなかった。誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
「ちょうど、あと一週間くらいだな。新学期になる直前の時期だったから。林のあたりに、湧き水でできてる、小さな川があるんだけど。そこに生えている桜が、一斉に散るんだ。」
今日見てきた木だろう。桜だったのか。時期によっては毛虫が多くなるな、と思い、僕は、顔をしかめた。
「ちょうど、そんな、桜の舞う季節だった。冷たくなって発見された有紀は、雨に濡れて、汚れ1つ着いていなかった。多少の打撲があったが、それ以外はきれいなものだった。川に落ちたのもあって、血はみんな流れていたから。元々、ほんの少しで、すぐに止まってしまったようだったし……。俺やみんなや警察が見に行ったときには、既に動かなくなっていて、そんな有紀を包むように、桜の花が舞い降りてきたんだ。」
いつの間にか、陸人さんは、穏やかな笑みを浮かべていた。やっぱり、聞いて欲しかったのかもしれない。
「有紀は、桜のように、美しく、はかない物だった。桜の花びらのように、……舞い散っていったのだと、思ったくらいに……」
返事のメモはなかった。
僕は、ふと思い立った疑問を、どこにいるか分からない有紀に向かってぶつける。
「本当に自殺?」
返事は、なかった。
翌朝も、いつものように、有紀が用意してくれた朝食を食べた。
いつものように、テレビも、ラジオもつけない。いつものように、1人だけで朝食をとる。相変わらず、メモはなかった。いつもと同じ、朝の風景。朝食のメニューだけが昨日と違っていた。
その日、公園をぶらついていると、陸人さんとその友達を発見した。
すっかり打ち解け、陸人さんがジュースを買いに行ってくれているあいだも、仲良く話をして待っていたほどだ。そのうち、有紀の話題になった。
「そういえば、有紀の家に引っ越してきたんだよな。有紀と陸人が付き合ってたって聞いてるか?」
「はい。本人から聞きました」
「そうか」
お友達さんは、内緒話でもするかのように小さく声を潜めて話した。陸人さんと同じく、誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
「元々、部活やら人間関係やらで、陸人の悩みは多かったんだ。それをケアしてた有紀が、浮気してるって噂になって……。有紀にそんなつもりは全然なくて、必死で鬱病対策してやってたけど、陸人は、裏切られたって思ってたみたいなんだよな」
昨日、陸人さんに聞いたのと全然違う。それに、自殺の話ともかみ合わない。やっぱり、有紀の言うとおり、他殺だったようだ。それでは、鬱対策の本は、みんな陸人さんのために買い集めたって事か……?
一応、ケータイにメモしておいた。
そこで、陸人さんが帰ってきたので、話を打ち切る。
「何の話をしてたんだ?」
「別に。入学早々に書かされる作文の話。な、後輩」
「はい、先輩。聞いてて、入学したくなくなりました」
もちろんそんなことは聞いておらず、即興で話を合わせただけだ。陸人先輩はちゃんと引っかかってくれた。あるいは、ボケを重ねてくれただけかもしれない。
「おい、何教えてるんだよ。そんなんじゃ、またサッカー部の部員がいなくなる!」
「何を言ってるんだ、あんなに部員がいて」
「僕、サッカーの経験無いんですけど」
これは本当のことだ。慌てて否定すると、陸人さんは、白い歯を見せて、爽やかに笑った。
「冗談だよ」
陸人さんは結構ノリが良かった。
こんな調子で、気づけば腹の虫が鳴く時間になっていた。
家に帰ると、有紀の手料理が待っていた。食べながら、あることを言おうか少し迷って、やめておいた。
翌朝、有紀が料理をしている最中にリビングに入って、目玉焼きを焦がされた。
ここ最近、薄々感づいてはいたが、有紀は、決して僕の前では行動しない。もしかすると、できないのかもしれない。部屋に持って帰って作業するか、途中でやめるかのどちらかだ。それ以来、入るときにはノックをするクセがついた。どちらにせよ、僕が有紀を感じられるのは、行動の結果のみ。本人を感じることはないし、宙にうかぶ物を見たこともない。ただし、僕がいても、自分自身が動くことはできるみたいだ。だから、あらかじめ移動しておいて、僕が部屋に本を取りに行ったりしているときなどのわずかな時間に、行動を起こすことはできる。……間に合わないと、目玉焼きの件のように、たまに悲惨なことになっているけれど。
陸人さんを公園に見つけた。サッカーをしていたようで、薄く汗をかいていた。
「毎日散歩か、健康だな」
「サッカーしてる人の方が健康かと思います」
「それもそうだ」
僕は、少し迷ってから、やっぱり質問してみることにした。
「オススメの散歩コースとか、ありますか?」
「それなら、林に遊歩道があるから、そこがオススメだぞ。有紀と、よく行ったんだ」
昨日言ってきたばかりだったので、お礼を言って、家に帰った。
帰って、昼食を食べる前に、ミステリー小説を読んだ。僕が持ってきた本で、まだ途中だった。ご飯の時間(いつのまにか料理担当になっていた有紀が困らないように、毎日同じ時間に食べるようにしている。また目玉焼きのように焦がされたら困るから、仕方が無い)になって、いったん栞を挟んで置き、ご飯を食べ終わってから、部屋に戻った。続きを読もうと、本を開くと、栞のページは、明らかに、今までとストーリーが繋がっていなかった。表紙を見ると、僕の読んだことのない、夏目漱石になっていた。有紀の仕業だ。
そのあと、夏目漱石を読み終わって、ふて寝すると、翌日、僕の部屋の机に、無くなった本と、いつもよりも少し大きいメモ用紙がおいてあった。その紙には、つらつらと感想が書いてあり、僕とは違う視点から読んでいたことがうかがえた。そして、メモの裏に、衝撃的な文を発見した。
『犯人は、主人公のお兄さん』
完全なネタバレだった。
ミステリー小説において最もやってはいけないことをされ、悔しくなった僕は、有紀に向かって文句を言ってみた。
「人を驚かせたり、怖い思いをさせたりはしないのに、ネタバレはするんですね、先輩。幽霊なのに」
午前中、ネタバレされてしまった本の続きを読んで、犯人が主人公のお兄さんであると確認した。そして、リビングに行くと、朝と同じサイズのメモ用紙があった。
そこには、どこかの本から引用してきたのであろう怪談が書かれていた。しかし、途中で飽きたらしく、紙の4分の3うめたくらいで書くのをやめていた。なんとなく気になって裏面を見る。
『月がきれいですね *英語訳〈 〉』
わざわざ、回答欄まで作ってくれた。昨日読んだばかりだったし、その話は有名だ。しかし、僕は、あえて書いた。
『月がきれいですね *英語訳〈The moon is beautiful 〉』
そして、ネタバレの恨みを晴らすべく、からかってみることにした。
「陸人さんにそう言ったんですか?」
言ってから、紙を、赤ペンと共に廊下に出しておくと、昼食が食べ終わる頃には、紙いっぱいの大きな赤丸がついていた。そして、別のメモも発見した。
『本当は、私から言いたかったんだけどね。こっちが言う前に、気づかれちゃったんだよ。だから、言えなかった。私、よく、態度に出やすいっていわれるんだよ。隠すのが下手みたいで。やっぱり、内緒って難しい。サプライズも成功しなかったし……』
というようなことが、メモの約4分の3にわたり書かれていた。引用した怪談と同じくらい書いていたので、女子って、なぜかみんな恋愛話が好きだよな、と思った。中学の女子も、ことあるごとにコイバナをしていた記憶がある。
どうでもいいけど、書くの早くないですか、先輩。
次の日は、午前中いっぱい自室に引きこもって、本を読みあさった。2冊読み終わったところで、ふと庭を見る。
庭までなら動けるらしく、相変わらず花壇の花は水滴をかぶっていた。もうそろそろ咲くだろう。つぼみは、初めてここに来たときよりも、随分大きくなっていた。
初日に、僕の休憩を見計らって、コーヒーを入れてくれた。昨日だって、僕を元気づけようとしてくれたのだろう。(というか、そうであって欲しい。あのいたずらは何だったのか)
有紀は、死んでなお、草花を大切にして、他人を思いやることもできる人なのだ。そんな人が、自殺をするだろうか?
僕は、みんなの話を聞く内に、一つの仮説を組み立てていた。
翌日、家に陸人さんを呼び出した。昨夜、同じ場所で、有紀に話したのと同じ内容の話をしようと思う。
「まずは、合っているかどうか、確認をさせてください。」
できるだけ簡潔になるよう、頭の中で整理しながら話した。
有紀の死因は、陸人さんに、崖から突き落とされたこと。
その原因の1つ目は、有紀が、後輩と浮気をしているという根も葉もない噂。しかし、それだけでは、ここまで大事には至らなかっただろう。不幸だったのは、陸人さんの誕生日と重なってしまったことだ。ウソをつくのが苦手な有紀は、サプライズか何かを計画し、それを隠し通そうとして、陸人さんを避けたのだろう。それを噂に重ね合わせた陸人さんは、有紀さんの浮気を信じてしまい、鬱気味になる。それをサポートする有紀さんに対し、裏切りの気持ちを抱いた。いろいろなことが重なり、突き落とすという大事に発展したのだと思う。
僕のえがく事件の真相を、陸人さんは黙って聞いてくれた。そして、ぽつりぽつりと話し始めた。
「噂自体は、俺だって、信じていなかった。でも、有紀に避けられて……。本当は、仕返しみたいな気持ちだったんだ。そのまま、別れるつもりだった。あの出っ張っているところに落として、引き上げるつもりだった。けがをするか、しないか。その程度だと思ってたんだ」
「でも、雨が降っていて、滑って、落ちた」
あの川のまわりの岩も、濡れるとつるつると滑った。雨が降っていたのなら、滑ってしまってもおかしくはない。
「なんで気がついた?」
「みんなの話を聞いていただけです。陸人さんの話によれば、“雨に濡れて、汚れ1つ着いていなかった”のに、“俺やみんなや警察が見に行ったときには、既に動かなくなっていて、そんな有紀を包むように、桜の花が舞い降りてきた”んですよね? 雨が降っていれば、桜は舞い降りません。さらに、“ほんの少しで、すぐに止まってしまった”量の血が、“川に落ちたのもあって、血はみんな流れていた”のに、初めは血が流れていたことを知っている。……その道のプロでもないのに。それに、陸人さんは、表現が豊かで、決して、言葉として表現することを苦手としてはいませんでした。苦手なら、“桜の花びらのように、……舞い散っていったのだと、思ったくらいに……”なんて素敵な表現、できませんから」
「さすがだな。だけど、みんな、ということは、それだけじゃないだろう?」
流石に鋭い。
「あとは、先輩のお友達さんに聞いた話と、先輩に聞いた話が食い違っていました。そのほかは、有紀さんに聞きました」
陸人さんに首をかしげられたが、そこは譲れない。
「先輩はいますよ。良かったら、先輩の手料理をどうですか? ……彼氏だったなら、味で分かると思いますけど」
あらかじめ用意してもらっていた料理を振る舞うと、流石に信じてくれたようだった。
「先輩なら、たぶん、この部屋で聞いていると思いますよ」
そう言ってお手洗いに行き、帰ると、リビングからは陸人さんの声が聞こえた。僕は、入ろうとドアノブに手をかけ、すぐにきびすを返し、自室に向かった。
しばらく陸人さんの声だけが聞こえ、やがてそれも消えた。陸人さんは、「じゃましたな」と一言言って、帰って行った。表情は見えなかった。
このまま寝てしまおう。そう思って、ベットに倒れ込むとすぐに目を閉じた。
そして、慌てて起き、リビングへと向かった。
「先輩、勝手に、こんな風にしてしまってすみませんでした。頼まれてもいないのに、こんな風にしてしまって……」
先輩がそこにいるという確証はなかったが、いるような気がしていた。きっと、気持ちは伝わっているだろう、と思った。
翌朝、有紀からの手紙を前に、固まることになった。
薄ピンクの封筒の中には、桜の絵が四隅についた、おとなしめの便せんが入っていた。それには、見慣れた有紀の文字が、びっしりと並んでいたのだ。
『拝啓
桜の咲く頃となりました。
……本当は、きっちりと書こうと思ったんだけど、メモでやりとりしていた雅也くんにはいらないかな?
ほんのわずかな、短い間でしたが、大変お世話になりました。昨日、しっかりと誤解を解くことができ、思い残すことはなくなりました。信じていたままの陸人で良かった。ありがとね、雅也くん。
だから、新しい未練ができる前に、逝こうと思います。もう一つの手紙をテーブルの上に置いておくので、陸人に渡してください。お願いします。
これからも、陸人とは仲良くしてあげてください。それから、ちゃんとご飯食べてね。植物たちの面倒も見てくれると嬉しいけど、強制はしません。
じゃあ、もう逝きます。本当に、ありがとう。
敬具
川原有紀』
“宮部陸人様”と書かれた同じ封筒を手に取る。
きっと、中のおとなしめな便せんには、小さな、たくさんの文字が並んでいるだろう。
そして、有紀が言いたかった言葉が書いてあるんだろう。前に、確かに書いていた。メモの裏に、約4分の3も使って、赤いペンで。言いたかったのに、言えなかったと。
もしかすると、便せんの裏に、こっそり書いてあるのかもしれない。
あの、几帳面な字で、一言。
『月がきれいですね』と。