レアンの秘密(4)
食後。
出された紅茶(らしきもの)を至福顔で飲みながら、チドリは余韻に浸っていた。レーヴェがクスリと笑う。
「朝食はお気に召されたかな?」
「はい、すごく……!とっても美味しかったです!私、あんなに美味しいもの初めて食べました……!」
「おお、本当ですか?料理長が喜びますな」
大袈裟な表現ではなく、チドリは初めて口にする食材にすっかり魅了されていた。
見た目はどれも元いた世界の物とあまり変わりはないのだが、野菜の瑞々しさや、パン(のようなもの)の柔らかさ、肉の旨味、香辛料の薫り高さなどは比べものにならないと思えた。
チドリが一口食べるごとに目を輝かせるので、カミラを除く三人は、微笑ましさに何度も口元を緩ませた。
「……魔道士殿。少しお話させて頂きたいのだが、よろしいかな」
お茶を半分ほど飲み終えたところで、レーヴェが真剣な声音で話しかけてきた。自然と背筋を伸ばし、チドリは頷く。
「……アロガンから聞いたが、魔道士殿は魔法について何もご存知ないというのは、本当ですかな?」
「……はい。本当です」
カミラがわざとらしく息を呑む。チドリは気づかぬフリをした。
「アロガンによれば、魔力も微細であると……」
「……量とか質とかは、わからないですけど……強くないと、思います」
「っ……陛下」
耐えかねたように、レアンが声を発した。焦燥の浮かぶ顔を見て、レーヴェが心得顔で頷く。
「カミラ、フィオーレ。三人で話がしたい。席を外してくれるか」
「わかりました」
「何故ですの!?」
素直に応じたフィオーレと違い、カミラは抗議の声を上げた。
「この国の大事に関わることではありませんか!王妃である私が退室させられるなんておかしいですわ!」
王妃にフィオーレさんは含まれないんかい、と、チドリは心の中でツッコんだ。
レーヴェが深い溜息をつく。
「国の大事に関わるからこそだ。魔道士殿と私、そしてレアンで話し合わなければならぬ」
「なぜレアン殿下が含まれますの!?レアン殿下が許されるなら、アロガンだって……」
「この城の中で、一番魔道士殿と時を共にしておるからだ。それに、当のアロガンが魔道士殿のお世話をとレアンに命じたのであろう。文句があるならアロガンに言うことだ」
カミラはグッと言葉に詰まり、チドリを思いっきり睨み付けてからズカズカと部屋を出て行った。対するフィオーレは、心配そうな顔で振り返ってから、静かに出て行った。
扉が閉じると、レーヴェが視線でレアンに続きを促す。レアンは焦った表情のまま、口を開いた。
「父上、確かに魔道士様は魔法についてご存知ないとは思いますが……俺の発作を鎮めて下さったのは、他でもない魔道士様なのです!魔力も、俺に分け与えて下さるほどの量はお持ちです……!」
「うむ……まあそう急くでない。私も、何も魔道士殿を追い出そうというのではないからな」
苦笑したレーヴェは、チドリの方に顔を向けた。チドリは沈鬱な目で、レーヴェの目を見る。
「……魔道士殿は、どうしたいとお考えかな」
少し考えてから、チドリは重々しく唇を開いた。
「……私は…………皆さんの迷惑になるようだったら……その、他の方に魔道士の役目を譲りたいと思います」
レアンが目を見開く。
「私は、異世界の人間で、ここのこと何も知らなくて……魔法なんて、生まれて初めて出会いました。自分が強くないってことも、なんとなくわかってます……だから、国王様やレアンさんに迷惑をかけたくないです」
「…………元の世界に帰りたい、ということですかな」
静かに問われ、体が凍りついた。血の気が引いて、手が震えた。
帰る?元の世界に?
居場所のないあの灰色の毎日に?
(結局私は、どこに行ってもダメなんだ)
そう思い、絶望した。レーヴェに答えようとすると、声が震えた。
「……帰りたく、ないです」
「魔道士様……?」
レアンの声がしたが、顔を向けられなかった。泣いてしまいそうだった。
「元いた世界に帰ることもなく、この城から出て行こうと言うのですかな?それはあまりにも……」
「そうですよ……!そんなの無茶です!お一人でどうしようというのですか!?」
二人にそう言われ、堪らずチドリは俯いた。何も考え付かなくて、全身が空っぽになった気分だ。チドリの様子に、レアンも口を閉ざす。
レーヴェが、少し声を低くした。
「……魔道士殿。実は、私は魔道士殿をこの城に留めておきたいと考えている」
「どうして、ですか……?」
尋ねると、レーヴェの目はレアンに向けられた。憐れむような、慰めるような。
「……レアンの発作を、魔道士殿が治めてくれたからだ」
息を呑む。レアンも、瞠目していた。
「レアンの発作は、今まで誰にも治められなかった。主治医も、原因不明だとして手が付けられなかったのだ。発作が出れば、此奴は地下牢に繋げられ、痛みに苦しむことしかできなかった……それを、魔道士殿はたった一日で救ってくれたのだ。私は、それに縋りたい」
「父上……」
「レアンが姿を変貌させてしまうことは、私とフィオーレ、ステラ、エスカマとアジーン……そしてアロガンしか知らぬ。他の者には、ただの病だと言ってある……アロガンは狼人間だと言って譲らんがな。今はまだそれを信じる者は少ない……だが、変異したレアンの姿が皆の目に晒されれば、レアンは王子の座を追われるどころか、下手をすれば処刑される。だから、私は魔道士殿に留まって欲しいのだ」
レーヴェの真剣な双眸が、チドリを射抜いた。国王としてでなく、父親としての彼の思いに、強く胸を打たれる。
「魔法が使えなくともよい。どうか、レアンの助けになってやってはくれないか」
レアンの顔を伺う。紺碧の目が、動揺に揺れていた。チドリは、一瞬目を伏せ――しっかり、頷いた。
「わかりました」