レアンの秘密(3)
鉄格子の一件から一晩経った翌朝。
温かいベッドの中で熟睡していたチドリは、侍女に優しく肩を揺すられて目を覚ました。
「おはようございます、魔道士様。御仕度致しますので、申し訳ありませんが、起きて頂けますか?」
「んぁ……は、はい」
目を擦りながら体を起こして、壁際にズラリと並んだ侍女の数に驚いた。シックなメイド服に身を包んで、皆ニッコリ微笑んでいる。
チドリの胸を嫌な予感が掠めた。
「あ、あの……なんでこんなに、侍女さんが……?」
尋ねると、目の前の侍女が美しい笑みをますます深くする。
「魔道士様の御身のお世話をするのですから、このくらいは当然ですわ。御髪から爪先まで、しっかり整えて差し上げますからね」
「ひぇ……っ」
青ざめたチドリに構わず、侍女達はテキパキと身支度を始めた。
数十分後。
慣れない事にゲッソリしたチドリは、着ていたセーラー服を着替え、ワンピースに身を包んでいた。深い青色のそれは、腰元が絞られたデザインで、裾から覗くフリルが可愛らしい。手触りからして、かなり高価な物だと思われる。髪も、自分ではまずしないような凝った編み方をされていた。髪飾りまでつけられてしまい、チドリは恐縮するばかりだ。軽く化粧まで施されてしまい、尚且つ自分は何もせず成されるがままだったものだから、精神的疲労感が否めなかった。
「国王陛下が、魔道士様とご朝食の席を共にしたいと仰せでしたので、広間にご案内致しますね」
「は、はい……」
ドアを開けると、見知った銀色が朝日の中で艶やかに揺れた。
「おはようございます、魔道士様」
「お、おはようございます……!」
日華を受けたレアンは、その美しさが眩しいほどだった。銀髪が露のように煌めき、青い瞳が湖面のように輝く。凛々しい正装も相まって、感嘆の溜息が漏れそうになる。
高鳴るチドリの心臓など知らずに、レアンはその端整な顔立ちをフワリと綻ばせた。
「お召し物を変えられたのですね。とてもよくお似合いです」
「え!?あ、いや……侍女さん達が頑張ってくれたおかげです……」
真っ赤になったチドリに、レアンと侍女達の温かい視線が注がれる。
「お話は聞いていらっしゃると思いますが、陛下が朝食を共にとのことですので……僭越ながら、俺がお連れ致します。お前たちはもう下がっていいぞ」
声を掛けられた侍女達は、一礼して去って行った。レアンがチドリの隣に並び、スッと自分の右腕を差し出す。
(……?)
どうしてよいかわからず、レアンの顔と腕を交互に見ていると、「ああ」と苦笑された。
「失礼しました。こうして頂ければよろしいですよ」
そう言ってチドリの手を取り、自分の腕に優しく添わせた。チドリの顔がまたも熱くなる。
(これはまさか、エスコート……!?)
慣れぬ淑女扱いに、頭がグルグルし出した。レアンが苦笑を深くする。
「こういったことは、あまり馴染みがありませんか?」
「は、はい……元いた世界では、こんなこと一度もなかったので……」
「……お気に召さないようでしたら、やめましょうか?」
「い、いえ!恥ずかしいだけなので大丈夫です……!」
思いのほか大きな声が出てしまい、音を立てそうな勢いで顔が赤くなる。情けなくて居た堪れなくなっていると、レアンが優しく微笑んだ。
「それはよかった。でも、無理はなさらないで下さいね」
「は、はい……ありがとうございます……」
緊張しながらしばらく廊下を歩いていると、大きな扉の前でレアンが足を止めた。傍に控えていた執事らしき人が、進み出て扉を開ける。
広がった光景に、チドリはポカンと口を開けた。
アーチ型の高い天井。いくつも輝くシャンデリア。真っ白なテーブルクロスをかけられた大きな長テーブル。並べられた柔らかそうな椅子。新たな王城の一角に、チドリは圧倒された。
「陛下。魔道士様をお連れしました」
凛と響いたレアンの声で、ハッと我に返る。
部屋の奥にある一際豪華な椅子で、誰かが立ち上がった。
鳶色の短い髪に、同色の立派な髭。少し皺の刻まれた、健康そうな肌。こちらを見つめる優しげなトパーズ色の目。放たれる厳格な雰囲気。
間違いなく、この人物がイリオルス国王だった。
「お初にお目にかかる。私はレーヴェ・グランツ・イリオルス。このイリオルスの国王だ。魔道士殿は、昨晩よく休まれたかな?」
「あ、はい!ベッド、とてもフカフカで、あったかくて……ぐっすり眠れました!」
「それは重畳。ああ、もう少しこちらへどうぞ。紹介せねばならん者がおるのでな」
ニッコリ笑ったレーヴェにつられ、チドリの胸も自然と温かくなった。レアンと共に、部屋の中に足を踏み入れる。レーヴェの近くに来たとき、新たに女性が二人、椅子から立ち上がった。
一人は、豪華な黄色のドレスに収まりきっていないような、ふくよか過ぎる女性だった。薄い橙色の長い髪を複雑に結い上げ、不機嫌そうな緑の目がチドリを頭の先からジックリ眺めていく。ゴテゴテした指輪が並ぶ指は、落ち着きなく手元の扇を弄っていた。真っ赤な口紅を引いた分厚い唇が、への字に歪められている。
もう一人は――一目で、レアンの母だと分かった。
同じ端整な顔立ち。長く美しい銀髪。透き通るように白い肌。桃色のふっくらした唇。ただ一つ違うのは、目の色が青緑に近いということだった。薄青の清楚なドレスが、驚くほどピッタリ似合っている。チドリと目が合うと、優しく微笑した。
「こちらはこの国の第一王妃、カミラ・マルドーソ・イリオルス。アロガンの母だ」
レーヴェに手で示され、ふくよかな女性――カミラが、申し訳程度に会釈した。チドリは内心ひどく納得しながら、小さくお辞儀を返した。
「そしてこちらが第二王妃、フィオーレ・ミゼリ・イリオルス。レアンの母だ」
「初めまして、魔道士様」
高めのアルトで、フィオーレはチドリに挨拶した。声までも美しく、チドリは真っ赤になって「は、はじめまして」と返す。レーヴェは満足げに笑うと、全員に座るよう勧めた。着席すると、どこからともなく美味しそうな匂いを漂わせた料理が運ばれてきた。チドリの腹が小さく鳴る。
「魔道士殿は、何か食べられない物はあるかな?」
「え、えっと……まだ、この世界の物は何も食べたことがないので、わからないですけど……いろんな物を、食べてみようと思います」
子どものような答えを口走ると、レーヴェは温かく笑ってくれた。
「そうか。作法などは気にせず、お好きなように食べると良い」
「ありがとうございます……!」
レーヴェの厚意に感謝して、チドリは絶品の数々を心の底から堪能した。