レアンの秘密
再びの地下だったが、通る道は先ほどのものより暗かった。
階段をいくつも降り、岩のような坂を下る。
その間中、両腕は衛兵に拘束されていた。前を歩いていくレアンは、ふらつきながらも抵抗はしていない。絶望に近い諦めが、その背から伺えた。
しばらくして、衛兵達の足が止まった。
「こちらへ」
無機質な声に言われて見ると、頑丈そうな鉄格子が並んでいた。岩壁と鉄格子に囲まれただけのそこが、地下牢であるらしかった。
中は湿っていて、肌寒い。壁に取り付けてある物を見て、チドリは息を呑んだ。
(あれは、鉄枷……!?なんで壁に、鎖で繋がれて……)
「お入りください、殿下」
レアンは厳しい表情のままに、牢の中へ踏み出した。衛兵は、当たり前のようにレアンの両手に鉄枷を嵌める。壁に鎖で繋がれたレアンは、虜囚そのもののようだった。
「な、なんで……!?」
チドリの呟きに応えたのは、レアンの歪められた口元だけだった。
ふいに背中を押され、チドリはよろめきながら牢の中に入れられる。レアンがギョッと目を見開いた。
「おい!なぜ魔道士様まで……!!」
「アロガン殿下のご命令です」
「何だと……!?即刻魔道士様を牢から出せ!自分が何をしているのかわかっているのか!!」
「アロガン殿下は、レアン殿下御自身で対処せよと仰せでした」
レアンの明眸に、ハッキリと恐怖が映った。
蒼白な顔を、チドリに向ける。
「魔道士様!今すぐこの牢からお逃げ下さい!!」
「なりません。御二方をとのご命令です」
非情にも、衛兵は重厚な音を立てて牢の鍵を閉めた。
「では、失礼致します」
衛兵達は無表情のまま一礼し、去って行った。残されたチドリは、レアンに向き直る。レアンは体を縮こまらせ、震えていた。整った顔が、今は苦痛に歪んでいる。
「レ、レアンさ……」
「近づいてはいけません!」
大声に、チドリは肩を震わせる。レアンは呻きながら体を捩った。
「で、でも……」
「離、れて、下さ……!」
そう言われても、チドリは心配で身動きが取れなかった。オロオロしている間にも、レアンの様子は悪化していく。地面に爪を立てて耐える様は、痛々しいほどだった。震えながら、チドリはレアンに近づく。それに気づいたレアンが、苦しそうに首を振る。
(何か、私にできることは……)
辺りを見回したとき、レアンがくぐもった声を上げた。もがく度に、鎖が冷たい音を立てる。
「ッあ……が……!」
「レアンさん……!!」
もう見ていられないと、チドリがレアンに近づいた時だった。
ふいに、レアンの銀髪がザワリと蠢いた。
違和感を覚えたのも束の間、レアンが絶叫した。
苦しげにのた打ち回るレアンの体が、次第に変化していく。
耳の先が伸びたかと思うと、それは髪とおなじ色の毛に包まれた獣の耳になり、青かった双眸はギラついた金色に変わり、瞳は血のような赤に染まって、鋭く尖った。
地面に突き立てられた爪は伸び、常人にはありえない、肉食獣のそれのような形に変わる。
シュルリと乾いた音がして、銀色の尾が現れた。
チドリは呆然と、変貌したレアンを見つめた。
(これって……)
レアンは尚も呻きながら、胸元を抑えた。爪がかかり、服が裂ける。露わになった胸元に、黒い痣が見えた。
レアンはその痣が痛むようで、自分の胸に爪を立てようとした。
「あ、駄目ッ……!!」
思わず、その手を掴んだ。レアンが体を震わせる。見開いた金色の目に、チドリが映りこんでいた。
「はな、れて、下さ、い……!!」
「で、で、できません!」
情けない声で言い返すと、レアンの動きが一瞬止まった。それを逃さず、チドリは渾身の力を込めて爪を胸元から引きはがした。僅かに血が滲んでいる。
「わわ、私なら大丈夫ですから!ち、近づいても触っても大丈夫ですから!ほら!」
無我夢中で、チドリはレアンの手を握りしめた。鋭い爪の先が肌に食い込んだ気がしたが、知らぬふりをする。
「ま、魔道士としてはダメかもしれないですけど……恩を仇で返すようなことは、したくないんで……」
俯いたチドリの頭上で、ハッと息を呑む気配がした。見上げると、レアンが自分を凝視している。いつの間にか、体の震えや痛みは治まっていたようだった。
レアンの視線は、握られた自分の手に移った。
「あ、す、すみませっ」
「え?あ、いや、違うんです……!」
慌てて離そうとしたチドリの手を、今度はレアンが握りしめる。咄嗟のことだったので爪が遠慮なく刺さってしまい、チドリは「いてててて」と声を上げてしまう。
「す、すみません……!!」
「だ、大丈夫です!平気ですから!」
誤魔化すように笑うと、レアンはチドリの手を見つめたまま動かなくなった。獣のような耳と尻尾と爪は変わらないが、血のようだった瞳の色が、今は深い金色に落ち着いている。
「あ、あの……どうかしましたか」
沈黙に耐えかねて声をかけると、レアンは弾かれたように顔を上げた。大きな銀色の耳が、ピクリと動く。不謹慎かもしれないが、可愛らしく見えた。
「……魔道士様は……今、意識して俺に魔力を下さっているのですか?」
「…………マリョク?」
突然の異世界ワードに、チドリは聞き返す。レアンの驚きが大きくなった。
「無意識で、魔力を扱っておられるのですか……!?」
「え、え、えっと、た、多分……?」
魔力と言われても何の自覚も無いが、今実際に、それはチドリからレアンに与えられているようだった。
意識を集中させてみると、微かにではあるが、自分の体の中に何かの流れを感じ取ることができた。血液の流れを、直接感じるような感覚だ。
(こ、これが魔力……?私の中にも、ちゃんとあったんだ……)
感心していると、レアンが身じろぎした。気まずそうに目を逸らしている。
「あの、魔道士様……もう、大丈夫、です」
一瞬キョトンとしてから、チドリの顔がカッと熱くなる。電光石火の速さで手を離した。
「すすすすみません!!いやあのとにかく必死だったというか何というかレアンさんが怪我したらと思ってもう夢中で止めてしまってでもあのやっぱり失礼でしたよね不躾にすみませんでした!!」
「い、いえ……魔道士様が謝られることはありません」
言ってから、レアンの目が優しく細められた。美しい微笑に、チドリの胸が高鳴る。美人の笑顔は凶器だった。
「お蔭で、救われました……いつもこの発作が出ると、三日はこの牢にいなければなりませんので」
「三日……!?そんなに、ですか……それで、あの……どうしてレアンさんは発作を起こしてしまうんですか?どうして、この姿になってしまうんですか?」
問われたレアンは、柳眉を悲しげに曇らせ、静かに語りだした。