雷雲の獣(3)
馬車は町並みを抜け、険しい山道に差し掛かった。
木々もまばらで、辺りは灰色の岩ばかりが覗いている。レアンは馬車と並んで馬を歩かせながら、チドリの寝顔に目をやった。
「そんなに気になんのか?」
ライゼが荷台から身を乗り出す。レアンは目を逸らし、手綱を握り直した。
「……いえ。しっかり休まれているかどうか、確認しただけです」
「その割にはさっきから結構見てるみたいだが?」
「気のせいでしょう」
一蹴したレアンを、ライゼは面白そうに眺めた。その視線に、レアンは顔を顰める。
「……何なんですか。一体」
「別に?コイツのこと、大事なんだろうなぁと思っただけさ」
「……当たり前でしょう」
「イリオルス国にいる時に噂で聞いたが、お前さん、あの天狼なんだって?」
「そうですが、何か?」
「いや。ちょっと不思議に思ってな」
蓬髪から覗く目が、ふいに鋭くなった。今までとまるで違う雰囲気に、レアンは背筋に緊張を覚える。
「……天狼のお前さんが、何でコイツに従うような真似をしてるんだ?俺の見た限りじゃ、コイツとお前さんじゃあ明らかにお前さんのが強い。それなのになんで、自分より弱いやつに従ってんだ?」
「……何を言い出すかと思えば」
呆れたようなレアンの溜息に、ライゼが目を瞬かせる。
「貴方の言う強弱とは、魔力や腕力のことですか?そんなもの、俺がチドリ様に従う理由にはなりませんよ」
「……じゃあ、一体何が理由でコイツに?」
問われ、レアンが一瞬考え込む。ややあって紡がれた言葉は、静かだった。
「……はっきりとしたことは、俺にもよくわかりません。ただ……チドリ様に、救われたことがあって」
「命をってことか?案外安直な気がするが……」
「いえ、もちろん救われたのは命でもありますが……自分という存在そのものを、救われた気がしたんです」
「存在を、か」
「チドリ様が望まれることは叶えて差し上げたいと思いますし、チドリ様を傷つけるようなもの全てから守って差し上げたいと思います。天狼の習性のように言われてしまえば、それまでなのでしょうが」
「お前さん、もしかして……」
「はい?」
「いや。なんでもない」
誤魔化してから、ライゼは苦く笑った。
「無自覚なら、しょうがないかもな」
「何のことです?」
「いや……だが恐らく、お前さんがそう思うのは自分が天狼だからじゃないと思うぜ」
不思議そうな顔のレアンに笑いかけ、ライゼは荷台の中に身を沈ませた。
馬車は益々深い山中に差し掛かり、辺りは荒れ果ててきた。時折、風の中に煙の匂いが混じる。雲は厚く垂れ込め、薄暗くなっていた。山肌に岫が点々と存在している。
「あれは……?」
「魔物達が山の方に追いやられてるらしいからな。恐らくあの穴に住んでるんだろう」
荷台の中から、ライゼがそう答えた。
レアンは頷きかけ――ふと、馬を止めた。辺りを厳しい目で見まわす。
「で、殿下。どうしたんで?」
「静かに……ライゼ殿。チドリ様を起こして下さい」
「はいよ。お前さんも存外勘が良いな」
ライゼはチドリの肩を軽く叩いた。ボンヤリ瞼を開いたチドリに、身振りで静かにするよう伝える。チドリは小さな声で尋ねた。
「あ、あの……何か、あったんですか?」
「ごめんなぁ起こしちまって。でも、結構ヤバい状況みたいだぜ」
「囲まれてます」
低く答えながら、レアンが腰元の剣に手をかける。ライゼも胸元に手を忍ばせ、目を光らせた。
「……どうするんだ。レアン」
「あまり事を荒立てたくはありません。可能なら、動きを封じるくらいにしておきます」
チドリがそっと胸に手を当てた時、辺りの岫から無数の何かが飛び出してきた。
「人間だ!!」
「やっちまえ!!殺せ!!」
怒鳴りながら、レアン達を囲むように距離を詰める。
レアンは剣を鞘ごと抜き、馬上から身軽に降り立った。ライゼが電光の速さで動き、両手に銃を構える。その銃口が光り、迫っていた魔物二体を打ち抜いた。悲鳴を上げ、魔物が地面に倒れる。
「麻痺銃だ。安心しな!」
レアンが剣を魔物の脳天に叩きつける。唸り声を上げる相手に構わず、更にもう一体を地に伏せた。
二人の強さに、周りにいた魔物は思わず躊躇する。半ば自棄になりながら、手数を増やして襲いかかってきた。
「嬢ちゃん、頭伏せてな!!」
「は、はいっ!」
荷台の中に縮こまるチドリは、胸から聞こえた声にハッと身じろぎした。
『……チドリ。俺が手を貸そう』
「琥珀?」
『魔物達を拘束すればいいのだろう?ここは山だ。俺の力が最もふさわしい」
「そ、そうだね……!お願い!」
チドリは目を閉じ、詠唱を始めた。
『荘敬たる地の精霊王よ。アクィルスの真の名を以って汝に命ず……我が手に大いなる嶺牙をもたらさんことを!』
轟音と共に、地鳴りがした。
魔物達の悲鳴が上がる。
荷台から顔を出すと、地面が蔦のように蠢いて辺りの魔物を雁字搦めにしていた。突然のことに、ライゼがポカンと口を開ける。
「なんだなんだ!?」
「チドリ様、ありがとうございます。助かりました」
「今の嬢ちゃんがやったのか!?」
「お、お役に立ててよかったです……」
最後の一人を気絶させ、レアンが鞘ごと抜いた剣を腰に収める。ライゼは感心したようにチドリを見つめていた。
「すげぇな……どこにそんな力隠してたんだよ?」
「話は後です。まずは此奴らをどうしかしないと」
レアンは一つ頭を振り、その身を天狼の姿に変じた。チドリ以外の全員が息を呑む。特に魔物達の反応は、ある種の恐怖すら滲んでいる気がした。
「お、おい嘘だろ……なんで天狼が人間と一緒にいるんだよ!?」
「俺に聞くな!」
「て、天狼に……俺達なんてことを……」
交わされる囁きに、チドリは首を傾げる。
「やっぱり、天狼は魔物の中でも神様みたいな扱いをされるんですか?」
「黙れ人間!お前達と口を聞く気はな……」
喉元にレアンの爪が当てられ、魔物は黙り込んだ。
震えだす魔物に、レアンが獰猛な笑みを見せる。
「……俺達はこの国の者ではない。この方に無礼な真似をすれば、貴様らの首が飛ぶぞ」
「レ、レアンさん!私は気にしてませんから……!」
「……おっかないな。レアン」
制止され、レアンが不満げに手を下ろす。魔物達が気まずそうに顔を見合わせた時、遠くから「おーい」と間延びした声が聞こえた。見ると、三人の獣人がこちらに走ってきている。襲ってきた者達とは違い、敵意は見受けられなかった。
「何やってんだよーお前ら!ベスティアさんが無闇に人間を襲うなって言ってただろー!?」
「すんません旅の方!怪我は……」
「おわー!?天狼がいらっしゃる!?」
場の空気が打って変わって緩む。三人は近づいてくると、こちらにペコペコ頭を下げた。肩すかしを食らった気分で、レアンがそれに応じる。
「いやぁ失礼しました。あ、俺はルヒルと言います」
二足歩行の大きな黒熊の獣人がそう名乗った。
「俺はグリーヴァと言います」
「俺はランフォスです」
黄土色の毛皮の獣人と、山羊のような角をもつ獣人が続けて名乗った。
「お前らなぁ~ベスティアさん困らせるようなことすんなよな!今大変なんだぞあの人!」
「だが……!先日また住処が襲撃されたんだぞ!黙っていることなど出来るものか!」
「気持ちはわかるけどな。この人達が悪いわけじゃないだろ」
ルヒルの言葉に、言われた魔物はグッと言葉に詰まった。
荷台の上から、チドリが遠慮がちに口を開く。
「あ、あの……ベスティアさんって、誰なんですか?」
「ん?ああ!ベスティアさんはこの国の魔道士ですよ」
「え!?」
驚くチドリに、三人は同意するようにウンウンと頷く。
「まあそう思いますよねぇ。俺達も驚きましたけど、一番驚いてたのはベスティアさんですし」
「代々人間ばかりが選ばれてきたトゥオーノ国の魔道士に、獣人であるベスティアさんが選ばれたんですからね」
「天変地異でも起きるんじゃないですかねえ」
「何を呑気なことを……!!人間どもはベスティアさんを魔道士とは認めていない!!勝手に別の魔道士を仕立てあげ、我々を迫害するばかりなんだぞ!!」
怒鳴る魔物に同じくして、拘束されたままの魔物達も深く頷く。
「だぁかぁらぁ!それを何とかするためにベスティアさんが奮闘してるんじゃないか!お前達が今人間との間に問題を起こせば、ベスティアさんの頑張りが水の泡なんだぞ!」
「そうだそうだ!全く……あ、すんません、こいつら自由にしてやってもらってもいいですか。多分もう何もしないと思うんで」
「は、はい!すみません」
魔物達を捕らえていた地面は崩れ、元に戻った。解放された魔物達がチドリ達から距離を取る。
「んで、天狼さん方はこんなとこまで何の用で?」
「杖に使う鉱物を探していてな。この鉱山が探すのに最適だと聞いたんだ」
「ああ!そういうことでしたか。じゃあ丁度良いんで、俺達の家に来て下さいよ。狭いとこですけど、もてなしは出来ると思うんで」
「この山で採った物も、何かお譲りできると思いますよ」
「ありがとう。そうさせてもらう」
三人に案内され、チドリ達は山道を進んでいった。