雷雲の獣(2)
暁光が空に差し始めた頃、馬は立派な建物の前に着いた。既に、何台もの馬車が停まっている。こちらに気付いた中年の男が走り寄り、深く頭を下げた。
「殿下。お待ちしておりました」
「すまないな。今日はよろしく頼む」
「準備は整っております。あの、そちらの方は……」
「この国の魔道士だ」
「こ、この方が……!し、失礼致しました!」
「い、いえあの、気にしないで下さい」
男に案内され、二人は行商人達の馬車の列に混じった。周りから注がれる興味津々の目に、チドリは身を縮こまらせる。
「出発いたします」
声がかかり、列が動き出した。車輪が重々しく軋む音がする。
朝焼けの中を歩く一行を、チドリは静かに見つめていた。
家並みが無くなり、辺りが野原に近い風景になってきたとき、目の前に関門が見えた。石造りの重厚な雰囲気を纏う門に、チドリの背が緊張する。
「トゥオーノ国の役人がいるかと。怪しまれることはないと思いますが、気をつけて下さい」
レアンに耳打ちされ、頷きだけで応える。
近づくと、役人と思しき者が二人、こちらに声を張り上げた。
「止まれ!!お前たちは何者だ!!」
「イリオルス国から参りました商人でございます。本日は我々の商館の荷をお届けに……」
「中を検めさせてもらう!!」
険しい表情の役人がゾロゾロ現れ、五人がかりで馬車の荷を手荒に見始めた。緊張で震えるチドリの腕に、レアンがそっと手を当てる。
馬の傍を通り過ぎようとした役人が、こちらを睨んだ。
「……お前達は何者だ。やけに豪奢な服だな」
チドリの心臓が跳ねる。レアンが人の好い笑顔を浮かべた。
「私は雇われ騎士です。こちらは商館の長の娘さんで」
「雇われ騎士だと……?」
「はい。貴族の方に雇われることもありますので、服も派手に見えるのでしょう」
「商館の長の娘が何故ここにいる!」
役人がチドリの顔にサッと手を伸ばす。チドリが息を呑むのと同時に、レアンがその手を払った。
レアンから発せられる無言の殺気に、役人の顔が引き攣る。
「……長から、将来の為に商談の勉強をと言われたそうですよ。まだ何か?」
「ふ、ふん!もうよい!」
逃げるように去っていく役人を見ながら、チドリは安堵に脱力した。レアンが僅かに身を寄せてくる。
役人の検問が終わり、列はまた動き出した。
巨大な門をくぐり抜けた先に広がった光景に、チドリは目を見張った。
鈍色の空の下に、灰色の山がいくつも見えた。峰々は鋭く、空に向かって突き出された剣先のようだ。目の前の一際大きな山の麓に、白い城壁の王城が見えた。裾廻には、トゥオーノの街並みがある。
近くにいた商人が声をかけてきた。
「王城の後ろに見えるのがオリクト山ですよ。俺達の中にもあの山向こうの町に用があるやつらがいるんで、ここから先はそいつらと一緒に行って下さい」
「そうか。ありがとう」
レアンが礼を言うと、後方から一台の馬車が近づいて来た。馭者台に乗った初老の男が会釈する。
「ロルドスと申しますだ。ワシらがあの山向こうまで行きますでな。よろしくお願いしますだ」
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
馬を寄せると、馬車の荷の上からヒョッコリと誰かが頭を覗かせた。ボサボサの鳶色の髪に、伸び放題の髭。こちらを見て、笑いながら手を振った。
「彼は?」
手を振り返しながら、レアンがロルドスに尋ねる。
「へえ、流れ者みたいなんでさ。ワシらと同じ方向に用があるってんで、乗せてやってるんですけんど……」
「名は?」
「俺はライゼだ。よろしくな、お二人さん」
男がそう名乗った。ボサボサの髪の下で、目が明るい笑みに染まる。
「身なりはこんなだが、腕っぷしには自信があるんだぜ?この馬車の用心棒も兼ねてるんだ」
「お前さん、酒飲んで寝とるだけじゃないか」
「失礼な。イリオルス国が平和過ぎたんだよ」
屈託なく笑う姿に、ロルドスが苦笑した。
「それじゃ、行きますかの。ああ、荷の中に飯がありますで。口には合わんかもしれませんが、腹の足しにしてくださいや」
「ありがとう。そうさせてもらう」
「おーいそこの嬢ちゃん。馬に乗ってたら休めないんじゃねえか?こっち乗ったらどうだ」
ライゼがチドリに向かって手招きした。レアンの顔が強張る。
「え?で、でも……」
「なんか眠そうな顔してるぜ?飯だって馬の上じゃ食いづらいだろ」
「…………」
レアンが無言のままライゼを威圧する。それに気づき、ライゼが破顔した。
「そぉんな怖い顔すんなって!何もお前のお姫さんを取って食おうってんじゃないんだからさ」
「お姫さん……!?」
「はあ……当たり前でしょう。そんなことしたらその首掻き切りますよ」
「こえーな!」
またもライゼが大笑いする。レアンは渋々馬を降り、チドリに手を貸した。馬車の荷台によじ登ったチドリに、ライゼがニッコリ笑いかける。
「狭いが、寝る場所くらいならあるからな。嬢ちゃん、名前は?」
「は、あの、チドリと言います」
「チドリかー!よろしくな!」
「あ、はい!」
荷物を脇にどけ、ライゼはチドリが腰を落ち着けられる場所を作ってくれた。そこに小さく収まり、膝を抱える。
「そこの騎士が王子サマってのは知ってんだけどな。チドリは?本当は長の娘なんかじゃないんだろ?」
「え、えっと、あの……」
戸惑ってレアンを見つめると、レアンは頷いて返した。話しても良いということなのだろう。
「わ、私は……イリオルス国の魔道士なんです」
「へぇー!!アンタがか!あんまりそうは見えねえな!?」
「よ、よくいわれます……」
「まあ俺もこんなだからな!人の事は言えねえか」
豪快に笑うライゼに、チドリはつられて笑顔になった。悪い人ではないらしい。
反対に、レアンの機嫌が悪くなっている気がした。
「……あの。休ませてくれるのではなかったのですか」
「おおそうだった!すまねえな王子さん」
「レアンです」
「そうか!すまねえなレアン!」
一国の王子をすぐさま呼び捨てにできる辺り、なかなか胆の据わった男であるようだった。