終わりと始まり(4)
岩壁だと思っていた物の一部が開き、一人の男が姿を現していた。
大柄で、肩幅がガッシリしている。短い茶髪に、ギラギラと光る黒い目。日によく焼けた肌。全体的に、ズングリした印象を与える男だった。
そして、幾分冷静になっていたチドリの目に、その衣装がハッキリと視認される。
レアンやエスカマもそうだったが、皆一様に特殊な衣装を身に着けているのだった。それはまるで、ゲームや小説の中の登場人物のような。レアンとエスカマが来ている服は、現れた男の物と比べるとかなり質素に見えた。それほど、男は豪奢な身なりをしていたのだ。
突然の事にチドリが呆気にとられていると、男の目が自分に止まった。丸い顔が訝しげな表情に染まる。
「……レアン、そこにいる小娘がそうなのか」
「……はい兄上」
(お兄さん……!?でも、全然似てないような……)
驚いていると、男がズカズカと歩み寄ってきた。男の後ろから、さらに誰かが顔を覗かせる。明かりが届かず、表情はよく見えなかった。
男が驚愕とも呆れとも言えない顔をする。
「こんな貧相な娘がか!?貴様、まさか手を抜いたのではないだろうな!」
「……いえ。魔法陣は言われた通りに作りました。発動も問題なく、魔道士様の体にも異常はありません」
(マホウジン?マドウシサマ?一体何のこと……!?)
縋るようにレアンを見るが、彼はいつの間にか男に対して膝をつき、厳しい表情を浮かべていた。目の色が、先ほどとは打って変わって冷たくなっている。
エスカマとアジーンも、男の方に向かって頭を垂れていた。
男がチドリを睨み付ける。
「おい。お前がこの国の魔道士で間違いないのか」
「え……?」
問い返すように呟けば、男は苛立ちを露わにした。
「お前が、このイリオルス国の魔道士で間違いないのかと聞いている!」
「兄上……!!」
レアンが咎めるように声を上げる。
「魔道士様は今しがた転移を終えられたばかりなのです!恐らく状況がわかっておらず、混乱されているかと……!それに、魔道士様の御服を見る限り、この世界の人間ではありません!」
「なんだと……!?」
男は怒気を隠さず、振り向きざまにレアンを思いっきり蹴とばした。レアンが倒れこみ、エスカマとアジーンが悲鳴を上げる。チドリも息を呑み、思わずレアンに駆け寄った。レアンは胸元を蹴られたらしく、激しく咳き込んでいる。
「レ、レアンさん……!!大丈夫ですか!?」
レアンはチドリに頷いてみせ、弱弱しく上体を起こした。チドリは支えるように手を添えながら、男を精一杯睨んだ。
「なんてことするんですか……!!」
「ふん。貧相な小娘のくせに、この俺に歯向かうか」
嘲笑を浮かべた男は、胸を反らし、チドリを見下ろした。
「俺はこのイリオルス国第一王子、アロガン・シュヴァイ・イリオルスであるぞ!」
「は…………王子………?」
「そこに膝をついているのは我が愚弟だ。そいつが転移魔法陣で魔道士であるお前をここに呼び出したのだ」
(私が、何?)
新たな情報の波で、チドリはまたもや混乱してきた。レアンが苦しげに口を開く。
「兄、上……魔道士様はまだ、ご自分の置かれている状況が、よくわかっていらっしゃらないのです……そう矢継早に言い立てては……」
「黙れ。こんな脆弱そうな者が我が国の魔道士だと?笑わせるな。貴様の魔法に不備があったのだろう」
「……申し訳ありません。ですが今は、魔道士様を休ませて差し上げたいと……」
「休息だと?そんなものは必要ない」
そう言い捨てると、アロガンは乱暴にチドリの腕を掴み、グイと引っ張った。突然のことに、チドリは思わず「いたっ」と悲鳴を上げる。無理矢理立たされたチドリは、信じられない気持ちでアロガンを見上げた。あまりの傍若無人っぷりに、言葉が出ない。
「こんな者でも、魔道士であるならば父上に報告せねばなるまい。国民も待ちわびていたのだぞ。今は一刻も惜しいのだ」
豪語するアロガンの手の熱が、不快極まりなかった。振りほどこうと力を入れると、逆にギリギリと力を込められてしまう。
「行くぞ。まずは父上の所だ」
「え、ちょ、待っ……!」
チドリは渾身の力で抵抗した。色々起こりすぎて、何がなんだかわからない。レアンの言うように、まずは休息を取りたかった。
「なんのつもりだ。さっさと動け!」
「い、嫌ですっ!!」
「貴様、この俺の言うことが聞けないのか!?」
「兄上ッ!!」
怒声と共に、レアンがアロガンの手を掴んだ。チドリは最早半泣き状態だ。
「お気持ちはわかりますが、今は魔道士様の身が最優先です!お控え下さい!」
レアンの言葉に、アロガンは寸の間黙り込むと、舌打ちしてチドリの腕を離した。チドリは即座にアロガンから距離を取る。
「……明朝には父上の所へ行かせる。世話は全てお前がしろ」
「……かしこまりました」
最後に一度チドリを睨んでから、アロガンは出て行った。辺りに静寂が訪れる。それを破ったのは、隅で震えていたエスカマとアジーンだった。
「だ、大丈夫でございますか……?」
「腕、赤い。痛い?」
恐る恐る、エスカマが赤い痕のついた腕に触れてきた。心地よい鱗の冷たさを感じ、チドリの目に涙が浮かぶ。一度涙腺が緩んでしまうと歯止めが効かず、ポロポロと涙が零れた。
「あわわわわ!泣かないで下さいませぇ!!」
「痛い?痛い?大丈夫?」
「魔道士様……」
エスカマはオロオロと腕を優しくさすり、アジーンは大きな目にうっすらと涙を浮かべている。レアンは瞠目しながらも、どうしてよいかわからないようだった。そんな三人の様子に、益々涙が溢れる。
「……じっで、なんなんでずが」
「え?」
「まどうじっで、なんなんでずが」
鼻が詰まり、ひどい声が出る。しゃくりあげながら、チドリは言葉を紡いだ。
「さっぎがら、なんなんでずが。わだじが何だっで言うんでずが」
「…………説明も無しに、申し訳ありません」
「レアンざんは悪ぐないでず」
まだ涙の止まらない目で、チドリは咎めるようにレアンの青い双眸を見つめた。
「でも、ほんどにわけわがんないんでず。まどうじとが、わがんないでず。せづめい、してほじいでず」
顔を無茶苦茶に拭う。少しザラついたこの感触は、高校のセーラー服だろうか。今更ながら、そんなことをボンヤリと考えた。
レアンが目を伏せ、まだ申し訳なさそうに「はい」と応えた。