聖夜の空騒ぎ(3)
夕食の席は、ひどく重苦しい空気が漂うものとなってしまった。
泣いた痕を誤魔化そうと薄く化粧をしたはいいものの、レアンの方を全く見れないチドリと、同じくチドリに会わせる顔がないとでも言うように目線を彷徨わせるレアン、そして氷の彫刻のようなステラが並ぶという、何とも異様な光景となってしまったのだ。執事や給仕達が顔を見合わせる中、侍女達だけは事情を察したのか一様にチドリに向け目を潤ませていた。
部屋に戻った時、チドリはレアンへの贈り物を握りしめたままステラに告げた。
「……私、今晩レアンさんのところに行ってみる」
「え?でも、チドリ……」
「泣いてたり疑ったりしててもわからないもん。頑張って、直接聞いてみるしかないよ。それがどんな結果でも、私、レアンさんに嘘つかれるより良いから」
「チドリ……」
「何か理由があるんだと思う。だって、いつもあれだけ想ってくれてるレアンさんだもん。やむを得ない事情があるかもしれない……怖いけど、ちゃんと聞いてみる」
ステラは少し黙った後、そっとソファーの下から箱を取り出した。大きめの箱で、可愛いリボンとラッピングが施されている。
「これは……?」
「私からの贈り物。本当はもっと違う形で渡したかったんだけど……」
開けると、中には美しい真紅のドレスが入っていた。部屋の明かりを受けて、生地が柔らかく光る。決して派手過ぎず、かと言って地味でもない、絶妙なデザインのドレスだった。纏えばきっと、一輪の花のような可憐さを生み出すことだろう。
「お兄様の所に行くなら、これ着て行って。私が貴方の為に作ったものだし、それに今日は……聖夜だから」
「……うん。ありがとう、ステラ」
微笑んだチドリの髪を、ステラが優しく梳いた。
若干の罪悪感を感じながら、チドリは深夜の廊下を歩いていた。ステラがくれたドレスは肩が大きく開いたデザインであるにも関わらず、寒さをほとんど感じなかった。それでも、贈り物の箱を握りしめた手は震えていた。寒くないのに、歯の根が合わずカチカチと鳴る。口の中は乾いていて、脳天から爪先まで氷で串刺しにされた気分だった。
レアンの部屋の前で、チドリは爆発しそうな心臓を落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。冷えた指先を擦り合わせ、何とか暖めようと奮闘する。が、段々とそれらが空しい抵抗だと気づき始めた。結局、レアンと対峙するのが怖いだけなのだと。
(でも、いつまでもここで立ってるわけにもいかないし……うん。当たって砕けろだ)
緊張と恐怖は拭えないまま、半ば勢いでドアをノックする。
「はい」
小さく聞こえたレアンの声に一瞬息を詰めて、チドリは唇を開いた。
「レ、レアンさん、チドリです。あの……入ってもいいですか?」
部屋の中で何かが落ちる音がした。バタバタと慌ただしく動き回るような音に、チドリは体を強張らせてしまう。
(もしかして、もう中に……)
ジワリと、胸に広がる痛みは毒のようだった。動き回っていた気配はふと途切れ、ドアのすぐ傍でレアンの焦燥に満ちた声が聞こえた。
「チ、チドリ様。どうされたのですか?こんな時間に……」
「あ、の。すみません、急に。でも、あの、お、お話が、あって」
「……今でなければ、いけませんか」
痛みが心臓から広がって、目頭を熱くした。
思わず、声に責めるような雰囲気が混じる。
「ダメなら、いいです。もう帰ります、から」
(なんでこんなに子どもみたいなことしてるんだろう、私)
自己嫌悪と居た堪れなさで、チドリは今すぐにでも逃げ出したかった。
ドアの向こうのレアンが、諦めたように深く溜息をつく。
「……いえ、大丈夫です。入って下さい」
チドリが口を開くより早くドアが開いた。現れたレアンがチドリの姿を見て、ハッと息を呑む。
「チドリ様、それは……」
「ステラがくれたんです。今日は、その、クリスィメンシアだから」
蒼いレアンの瞳から顔を逸らして、チドリは部屋の中に入った。机の上に、書類と混ざって外套のようなものや化粧品のようなものが置かれている。チドリはもう何度痛んだか知れない胸をそっと抑えた。
(どうして、隠そうともしないんだろう)
涙が滲みかけ、チドリは痺れるほど唇を噛んだ。背後で、レアンがドアを閉じ歩み寄るのを感じる。
「……チドリ様、お話とは……」
恐る恐る切り出すレアンに、チドリは振り返らないまま応えた。
「……レアンさんは、何か、私に隠してることとかありませんか」
「え?」
「……ありませんか?」
促すも、レアンから返ってくるのは戸惑ったような声だけだ。
チドリは、贈り物に施されたリボンを空虚な思いで見つめた。
「……いえ、何でもないです。すみません、お楽しみのところを邪魔しちゃって」
「はい?お楽しみって、何……」
「帰ります。もういいですから」
顔を俯かせて、ドアへ足を向ける。
足早にレアンの横を通り過ぎようとした時、ふいに腕を掴まれた。
驚いて見上げると、苦しげな顔をしたレアンと目が合う。
微かにぼやけた視界のまま、チドリは精一杯レアンを睨んだ。
「離して、下さい。帰りますって、言ったじゃ」
「話します」
レアンの言葉に、チドリは口を噤んだ。レアンは尚も真剣な顔でチドリを見つめてくる。
「……俺は確かに、貴方に黙っていたことがあります。今からそれをお話ししますから、どうか、少しの間待っていて下さいませんか」
チドリはこのまま腕を振り切って逃げようかとも考えたが、もうその気力も無い事に気づき、仕方なく頷いた。促されるまま、ソファーに座る。
「……すぐ戻ります」
そう言い置いて、レアンは部屋の奥に続くドアを開け、その中に入って行ってしまった。
チドリは自分の足元に目を落とし、瞬きを繰り返して涙を乾かした。ドレスの裾から覗いているのは、ステラが用意してくれた靴だ。踵が高く細身のため、綺麗に見えるのは申し分ないのだが、履き慣れていないチドリの足には少し痛かった。爪先の方が既に上手く歩けないほど痛い。その痛みも何だか空しくて、チドリは溜息も出なかった。
(……裸足でいいから帰ろうかな。背伸びした靴なんて、似合わなかったんだ……でも、渡せなかった贈り物と靴持って歩くのは、ちょっと出来そうにないなぁ……)
いっそこのまま意識を失えたら楽なのにと考え始めた時、奥のドアが開いた。
「レ……――」
顔を上げたチドリの体が、金縛りに遭ったように凍りつく。
ドアの前に、侍女達が話していた娘が立っていた。