捕らわれた魔道士(2)
城の中は混乱状態だった。衛兵や侍女、執事達が駆け回り、総出でチドリを探している。
大広間には、王族が集められていた。
レーヴェは厳しい表情で玉座に座り、傍らには真っ青な顔で震えているフィオーレがいる。レアンは落ち着きなく窓の外を眺め、アロガンとカミラは寄り添って不満げな表情を浮かべていた。
開かれた扉の前で、衛兵たちが報告していく。
「大浴場にもいらっしゃいませんでした!」
「鍛練場にもです!」
「給仕室にもいらっしゃいません!」
その一言一言に、レアンの体が焦燥を増していく。頭の中が冷たくなっていった。
「陛下、これは……」
「……うむ。何者かに攫われた可能性が高いな」
「そんな……!」
フィオーレが口元に手を当て、真っ白な顔で震えだした。アロガンがフンと鼻を鳴らす。
「下らんな。どうせ構ってほしくてどこかに隠れているだけであろう。人騒がせな……」
「黙れ!!」
レアンの激昂に、さすがのアロガンも言い返せなかった。いつもは穏やかなレアンの青い双眸が、今は抑え難い怒りに満ちている。
レアンは内心、この兄がチドリの失踪に関わっていることを確信していた。
「落ち着け、レアン」
レーヴェが静かに制す。レアンは怒りで震えそうになる体を抑え、アロガンから視線を外した。
「一先ず、捜索範囲を広げさせよう。急がねば……――」
「失礼致します!!」
駆け込んできた衛兵の声に、一同は一斉に目をやった。衛兵は若干気圧されながらも、手に握ったものを差し出す。
「中庭に、これが……!!魔法水晶かと思われます!」
「なに……!?」
レアンは急いで衛兵から魔法水晶を受け取り、レーヴェに手渡した。
「遠隔操作型の物……犯人が置いて行った物か?」
レーヴェは手近な机に魔法水晶を置き、衛兵の方を向いた。
「ご苦労であった。引き続き魔道士殿の捜索を」
「はっ!」
同じ頃。
頭部に鈍い痛みを感じて、チドリは目を覚ました。飛び込んできた見慣れぬ光景に、驚いて体を起こそうとして――自分が後ろ手に拘束されていることに気付く。口には猿轡までされていた。
「んーっ!んんーっ!!」
(ここ、どこ……!?)
チドリが転がっていたのは、古びた小さな木造の部屋だった。天井や隅に埃が溜まり、家具は色が剥げ落ち、所々壊れているものまであった。
不安と恐怖が押し寄せる。
(私、中庭で誰かに襲われて……そこから気を失っちゃって……)
思わず涙が滲みそうになり、グッと口中の布を噛んで堪えた。
(泣くな。泣くな。泣くな……ここから逃げなきゃいけないんだから)
直感で、自分が攫われたのではないかと悟った。だとしたら、城の皆は心配していることだろう。探してくれているかもしれない。迷惑をかけるわけにはいかないと、チドリは自分を奮い立たせた。
(頑張れ、頑張れ……まずはこの縄を解かなきゃ……!)
必死で腕を動かす。ギリギリと縄が食い込んだが、チドリは構わずもがいた。
肌が擦れてジンジンし始めたころ、古びたドアが乱暴に開かれた。大柄な髭面の男が姿を現す。
チドリを見て、野卑な笑いを顔いっぱいに広げた。
「おお。なんだよ、もう目ぇ覚ましてんじゃねぇか」
「……っ!!」
近づいてくる男の後ろから、もう一人誰かが現れた。真っ黒なローブを纏い、顔がよく見えない。
「薬が効いているようだな。まともに動くことはできまい」
「へへっ案外簡単に捕まえられるもんだなぁ?魔道士なんだろ?コイツ」
「まあな。だが、他国の魔道士と比べると土芥に過ぎん」
男の一言が、チドリの胸に突き刺さった。
髭面の男が、大声で笑う。
「ストゥトの旦那も人が悪ぃや!まあ、俺らみたいな賊をあっさり使っちまうイフテカール公爵もなかなかだとは思うがな!」
「ふん……貴様らは金があればなんでも良いのだろう」
「まあな。報酬はきっちり払ってもらうぜ」
「つくづく薄汚い連中だ」
「ハハハッ!アンタらに言われたくないねぇ」
二人は会話を続けながら、チドリに近づいて来た。チドリは逃げようとするが、恐怖で体が思うように動かない。
ストゥトと呼ばれた黒いローブの男が、グッとチドリに顔を近づける。
「惨めなものだな?一国の魔道士ともあろう者が、こんな姿で埃塗れの床に転がっているとは」
チドリは答えず、渾身の力でストゥトを睨んだ。ストゥトが嘲笑する。
「この状況で尚強気に出るか。自分のせいでレアンが失脚するとも知らずに」
「……ッ!?」
「ははっ今更だな……我々がお前を捕らえたのは、何故だと思う」
頭が真っ白になってしまい、チドリは指一本動かすこともできなかった。ストゥトの眼元が満足げに弧を描く。
「アイツの本性を暴くためだ。発作を起こし、変貌した奴の姿をな……いや、実際には、発作を起こさずとも奴をあの姿に変えることはできるのだ。そのためには、奴の心に大きな揺さぶりを掛けねばならん。だからお前は攫われたのだ。いわば、奴を誘い出すための餌だな」
(なんてことを……!!)
「奴が姿を変えざるを得ん理由は他にもある。ここと城の距離だ。人間の足では三日はかかるであろうな。馬でも一日だ。我らがやったように転移でもできれば良いだろうが、準備に時間が掛かり過ぎる。だが、変異した奴ならば数時間で辿り着ける。魔物ならではだな。醜い姿と引き換えた身体能力……お前の身が危ういとなれば、なおさらだろう?」
呻くこともできず、チドリは呆然とストゥトを見つめた。否、実際には、その眼は何も映していなかった。
自分のせいでレアンが危険に晒される。
そう考えるだけで、吐き気がしてきた。
己の無力さが腹立たしくてしょうがなかった。
「この部屋の階下には俺の手下達がわんさかいる。アイツが来たら全員で袋叩きだな」
「殺すなよ。口がきけなくなったら困るからな」
「わぁかってるって」
「さて……準備は揃ったことだし、レアン殿下にご連絡差し上げるとするか」
ストゥトはほくそ笑み、懐から魔法水晶を取り出した。