聖夜の空騒ぎ(2)
部屋に呼ばれたファリアと、第一発見者である侍女、ヴィリーはステラの前に並んで立たされていた。ステラは未だ目の奥に炎を燃え上がらせたまま、二人に問いかける。
「……で?その女の素性は知れたの?」
「ス、ステラ、言い方が……」
「申し訳ありません。それが、全く分からないのです」
「全く?ファリアの力でも無理だったの?」
「恐れながら。どこから城に入って来ているのか、部屋を出た後どこに向かっているのか、毎晩張り込んで監視していたのですが……全く掴めませんわ。同時刻にそっと部屋から出てくるだけですわね」
「ヴィリー、顔は見ていたんでしょう?」
「は、はい。一日目以降はしっかりと……美しい方でした。絹のような黒髪に、真っ白な肌で……紅玉のように綺麗な目をしていらっしゃいました」
「……ふむ。そんな顔の女なんていたかしら……私の記憶にもないなんて」
「着ている物がいつも同じドレスというのも気になりますわね。目立たないように濡れ羽色なんて、コソコソする気満々のようですわ」
「それは同感よ。深夜に出ていくわけだから、隠れられるような色にしてることはまず間違いないわね」
三人の会話を、チドリはどこか遠くから聞いているような気分になっていた。胸がジクジクと痛み、頭が思考することを放棄している。
俯きそうになっていたチドリの手を、ステラが突然掴んだ。驚いたチドリの視界いっぱいに、ステラの端整な顔が近づく。
「よしチドリ。お兄様の所に行くわよ」
「ふあっ!?」
「ただし貴方は姿を消してね。私の後ろに着いてきて。私が色々お兄様に聞いてみるから」
「え、ちょ、ちょっと待っ……」
『姿を消すなど造作もない事だ。チドリ、それは俺に任せて貰おう』
現れたのは藍晶だった。片眼鏡の奥の瞳が氷のように鋭く光る。
『姿を消すだけでは物足りないというなら、天狼を氷漬けにしてやってもいいが?』
「そっそんなことしなくていいよ!?」
慌てて押し止めるチドリの耳に、翠妃の『過保護ねぇ』という声が聞こえた気がした。
レアンの部屋の前まで来て、ステラは背後に向かって口を開いた。
「いい?チドリ」
「う、うん。あ、でもちょっと待って。し、深呼吸したい」
ステラの後ろには一見すると何もないように見えるが、そこには藍晶の力によって光の屈折で姿を消したチドリがいた。ステラのドレスの腰辺りをそっと掴み、チドリは大きく深呼吸する。
「い、いいよ」
チドリの声を受け、ステラがノックも無しにドアを思いきり開けた。
部屋の中には、書類の山の間から驚いた顔を覗かせたレアンがいた。ステラを見て、眉間に思いっきり皺を寄せる。
「……なんだステラ。ノックも無しに」
「ああ、今日はいたのね。良かったわ。探す手間が省けて」
刺々しいステラの物言いに、レアンが不審げな顔をする。ステラがズカズカと部屋に入るのに合わせ、チドリも慌てて続いた。見えないとわかっていても、自然とステラの背後に隠れようとしてしまう。それでも、久しぶりに見るレアンにホッと気が緩んでしまっていた。
レアンが書類に目を落としたまま口を開く。
「何の用だ?今は特に込み入った事は……」
「この部屋に来てる女って誰なの」
盛大に書類の山が雪崩を起こした。
舞い上がった書類は気にも留めず、レアンが張り裂けんばかりに目を見張ってステラを凝視している。その顔からは血の気が失せていた。
「…………は?……おま、なん……どこで……いや、それよりも」
「私が聞いてるのよ。で、誰なの?心当たりがあるんでしょ?」
チドリは必死に呼吸を押さえてレアンを窺った。ドレスを掴んだ手が震え、それがステラに伝わる。ステラは瞳を剣呑に光らせて尚も迫った。
「どこの誰なのよ。何の目的でお兄様を訪ねてるの?お兄様、自分がやってる事の重大さわかってる?」
「い、いや、ちょっと待て。その、あの人は、というか、あの子は……」
チドリが小さく息を呑んだ。ステラに半分縋りつくような形になる。ステラはレアンに苛立ちをぶつけた。
「何あの子って!?そういう仲なわけ!?チドリは知ってるのかしらその人のこと!!」
「っ……その、チドリ様、は……」
「あーら何よ!チドリには後ろめたい関係の人だとでも言うのかしら!!」
ステラの放った一言に、レアンの肩がビクリと揺れた。目が力なく泳ぎ、「それは……」と口ごもる。ステラは溜息をついた。
「あっそう。言えないような関係にあるのね。チドリ、これを聞いたらきっと悲しむわね。泣くでしょうね」
「っやめろ」
「やめろって何よ?何をやめろって言うの?今のお兄様にそんな事言う資格あるの!?」
ステラは、自分の肩にチドリが顔を押し付けているのを感じていた。そこから温かい涙が滲んでいることも。だからこそ怒りが収まらず、声が抑えられなかった。
レアンはチドリの名前に瞳を揺らした後、消え入りそうな声で呟いた。
「……で、くれ」
「何?聞こえないわ」
「……チドリ様には、言わないでくれ」
チドリは雷に打たれたように身を震わせた。頭の中が真っ白になってしまい、知らずステラのドレスを力一杯握りしめてしまう。
ややあって、ステラが唇を歪めた。
「……チドリは私の親友よ。家族同然の仲だわ」
「わかっている。だが、チドリ様にだけは知られたくない。知って欲しくない」
「……言うなっていうの。こんな事」
「……頼む」
レアンは、ステラの目を真っ直ぐ見つめて言い切った。ステラは一瞬拳を握ったが、諦めたように唇を噛んだ。
「……もういいわ」
踵を返し、ドアの方へ向かう。
部屋を出る間際、チドリが見たのは悲痛に染まったレアンの顔だった。
チドリの部屋に戻ってから、二人は長いことお互いに黙り込んでいた。チドリは火傷したように痛む胸をどうにも出来ず、先ほどのレアンの言葉を反芻しては涙を零していた。
「……ごめんなさい。チドリ」
掠れた声でステラが呟く。チドリは声もなく首を振った。
「……私も、お兄様がまさかあんな答えを返すなんて思ってなかったのよ。きっと何かの勘違いで、事情があるんだって……でも、でも、あんな……っ」
「チドリ様には言わないでくれ」という言葉が、ステラの胸に深く突き刺さっていた。
言わないでくれってどういうこと?
どうしてチドリだけなの?一番知られたくないのがチドリなの?お兄様が一番信頼しているのに?
どうしてチドリに隠し事するの?
そんな疑問が渦を巻いて、淀んだ水を胸中に流し込む。
それはチドリも同じようで、目を腫らしながら俯いていた。
「……せっかくの、聖夜なのに」
ステラの呟きが、空しく部屋に転がった。