捕らわれた魔道士
カイトに出会ってから数日。チドリは、一日の大半を書庫で過ごしていた。
エスカマに言われていたより早く望みの本が見つかり、読み書きの勉強をしながら本棚を漁っていたのだ。元より大の本好きだったチドリは、時間が経つのも忘れて読書に没頭していた。
分類がハッキリ分けられていないので、読むのに一苦労したが、この世界の構造を僅かながら知ることができた。
まず、この世界には元の世界と同じように暦が存在すること。十二か月が存在するのも同じだったが、呼び方が違い、一月に当たるものから順に、真の月、黎の月、陽の月、花の月、翠の月、霖の月、蒼の月、烈の月、錦の月、霹の月、銀の月、玄の月と呼ばれること。国ごとに信仰する神が存在し、イリオルス国は光輝と蒼晃の神であるシェーネ・ティ・クラーロ神を祀る国であるということ。また、各国の特色や、過去に起きた戦争、この世界に存在する魔物のことなどを、少しずつではあるが、知っていった。またそれが楽しく、チドリは誰かが呼びに来るまで、散らかった書庫で一日中読書をして過ごすのだった。
「お前、ほんっとに本が好きなんだなー」
いつものように床に座って読書していると、上からカイトの声がした。顔を上げると、呆れた顔でチドリの手元を覗き込んでいる。
「うん、まあ……これくらいしかできることなくて。カイトは?今日はもう練習終わったの?」
「おう。ファリアにおやつ貰ってきたぞ。食うか?」
「食べる!」
ファリアというのはこの城の副侍女長で、カイトの従姉妹であり、婚約者のファリア・ジュンティールのことだ。フワフワした亜麻色の髪と、クリッとした紅茶色の大きな目が愛らしい少女である。
渡された焼き菓子を食べながら、チドリはまた手元の本に目を落とした。
「今は何読んでんだ?また歴史書か?」
「ううん。魔物のことを調べてるの」
「魔物?」
「うん……レアンさんのことで」
そう言うと、カイトは表情を曇らせて「ああ……」と呟いた。チドリは小さく溜息をつく。
「きちんと調べたいんだけど、本があちこちに散らばっちゃってるから見つけるのも大変で……」
「ふーん?お前も結構勉強熱心なんだなぁ」
「うーん……勉強熱心ってわけじゃないよ。自分にできること探してるだけだから……」
言いながら自分で落ち込んできた。きっと、他の国の魔道士はこんな風に一日の大半を、地味な本探しに費やしたりしないだろう。それこそ魔法で、読みたい本を手元に呼び寄せたりできるのでは――
「まあ俺なんか読書始めたらすぐ眠くなるようなやつだからな!純粋に読書できるやつはすげーと思うぜ!」
「そ、そう……?」
「おう!」
豪快なカイトの笑顔につられ、チドリの心も少し軽くなった。
カイトが去ってかなり経った頃。視界にメイド服の裾が映って、チドリはハタと顔を上げた。苦笑顔の侍女と目が合う。
「魔道士様。そろそろ夕餉の時間でございますよ?」
「え!?もうそんなに……!すみません!」
「いえいえ。楽しそうで、なによりですわ」
温かく微笑まれ、チドリはカッと顔が熱くなった。
夕餉の席には、フィオーレがいた。チドリを見ると、可憐な笑みを見せる。
「陛下とレアンは公務でして……私が同席しても、構いませんかしら?」
「は、はい!もちろんです……!」
美人に囲まれるというのも心臓に悪いが、美人と二人きりというのも心臓に悪いことを、チドリは知った。
それでも、運ばれた料理に口をつければ、そんな考えは吹き飛んでしまう。
「んん……!美味ふぃい……!!」
「ふふっ。魔道士様はこちらの料理がお好き?」
「は、はい……!すごく美味しいです!あ、でも、全部美味しいです……」
「まあ、嬉しい事を仰ってくれるのね。そちらは、この時期が一番美味しいフィフィロ魚ですのよ。私も大好きでして」
「そうなんですか……!あの、こ、これは何でしょう?」
「ネノスという根菜のサラダですわ。こちらも今が旬ですわねぇ」
チドリの子どものような質問にも、フィオーレは気さくに笑いながら答えてくれた。
お蔭で、チドリはお腹も心も満たされるような食事をすることができたのだった。
部屋に戻ると、侍女が一通の手紙を差し出してきた。
「レアン殿下からでございます」
「レアンさんから……?」
不思議に思いながら手紙を開き、借りた本と照らし合わせて、何とか内容を全て読み取ることが出来た。
『公務を終えたらお連れしたい場所があるので、中庭にお越し頂けますか』
「連れて行きたい場所……?まだ行ってない所があったのかな。どこなんだろう」
手紙を机の上に置き、チドリは侍女に声をかけた。
「レアンさんからお呼び出しされたので、行ってきますね」
「かしこまりました」
廊下に出ると、チドリはウキウキとした足取りで歩き出した。
中庭にでると、美しい夕焼けが空に広がっていた。様々な草木や花が茂る中庭はヒッソリとしており、落とされた影で暗くなっている。チドリは手持ちぶさたに近くの花を触りながら、レアンが来るのを待った。
(連れて行きたい場所ってどこだろう……お城の中、素敵な場所がたくさんあったから、楽しみだな……)
ふいに、背後で足音がした。
「レアンさ……――」
振り返ろうとしたチドリの口元に、布のような物が押し当てられた。驚いたのも束の間、ツンとした刺激臭が鼻をつく。
(何……!?)
もがこうとすると、後ろから拘束されてしまった。振りほどこうにも、体格差があるのかビクともしない。そのうち、目の前が霞みがかったようにボンヤリしてきた。
(誰……?)
意識を失う前、崩れ落ちたチドリを見下ろしていたのは、レアンのものではない、下卑た男の笑みだった。
公務を終えたレアンは、足早にチドリの部屋へ向かっていた。
夕餉はまだだが、先にチドリに会っておきたかった。エスカマにチドリが読み書きの練習をしていると聞いて、自分が使っていた本を彼女に渡そうと思い、小脇に抱えていたのだ。
(魔道士様のお役に立てば良いが……)
ドアをノックし、侍女が現れるのを待つ。が、顔を見せた侍女はレアンを見るなり不思議そうな顔をした。
「?……レアン、殿下?」
「どうした?魔道士様に用があるのだが……」
「あ、あの……魔道士様とご一緒ではないのですか?」
「どういう意味だ?」
「さきほど、魔道士様が部屋を出て行かれまして……殿下に手紙でお呼びされたので、行ってくる、と」
「なんだと……?」
呆然と呟くと、侍女の顔もサッと青ざめた。レアンは慌てて部屋に入る。
机の上に、身に覚えのない手紙が置かれていた。
内容に目を通し、愕然とする。
「こんなもの、俺は書いた覚えがない……筆跡も違う。それに、まだ字を上手く読めない魔道士様に手紙など出すわけがない……!!」
侍女は震えながら床に崩れ落ちた。レアンは形振り構わず、廊下に出て声を張り上げる。
「衛兵!衛兵はいないか!!魔道士様が……――!!」