金烏玉兎(3)
刹那の無音の後、紫紺の閃光が空から地上に向け放たれた。
爆音と共に、とてつもない魔力の波がチドリ達にまで届く。
目の前で、魔導兵達が見る見る間に消し炭と化していった。
「な、なんつー力だ……!!」
「エ、エデ……!!」
体の内部にまで伝わる魔力に、二人は頽れた。
砂塵となった魔導兵の中心で、黒槍を地面に突き立てたユリシアが立ち上がる。
「ふぅ……やっぱり運動は適度にしておかないと駄目ね。腰が痛くなってしまったわ」
「あ、あの……母さん……?」
恐る恐る声を掛けたエーデルに気づいたユリシアは、淡々とした表情に僅かな喜色を滲ませた。
重々しい音を立てて槍を引き摺りながら、歩み寄ってくる。
「あらエーデル。久しぶりね、元気?ちゃんと食べてる?睡眠は充分に取ってるの?また背が伸びたみたいね」
「い、いや、そんなことは今どうでもいいんだよ!!」
「あら、どうでもよくないわ。母親として心配だもの」
「そうだとも!!それが母親の愛というものだ!!」
突然明朗な声が響き、ユリシア以外の四人がビクリと肩を震わせた。
いつの間にか、ユリシアの隣にシュヴァルが立っている。
ニコニコと笑い、エーデルの頭を強引に撫で回した。
「デカくなったなぁエーデル!!何年ぶりだ!?うはははは!!」
「ちょ、な、おい、やめ」
「あらズルいわシュヴァル。私も撫でたいわ」
二人にもみくちゃにされ、エーデルは顔を真っ赤にした。
エルローズはそんな三人を見て、次第に頬を緩めていった。
「なに、笑ってんだよ!エル!」
「いや、すまない。なんだか懐かしくて……」
「おおそうだな!!こうしてエルローズとエーデルが一緒にいるところをまた見られるなんてなぁ!」
「そうねシュヴァル。嬉しいことだわ」
和やかな雰囲気が流れる中、チドリが激しく咳き込んだ。赤い飛沫が散り、レアンが青ざめる。
「チドリ様!!」
「……っ……は、ぁ……」
「おおすまない!!失念していた!!」
シュヴァルがチドリの傍に屈み込み、額に手をかざした。
柔らかな金色の光が、チドリの体を包み込む。
すると、血の痕が消え、チドリが閉じかけていた瞼をゆっくりと開いた。
「あ……私……」
「チドリ様!大丈夫ですか!?」
「ふうむ……なるほど。精霊王の霊具を長時間発現させていた上に、二人目の精霊王の結界も保ったままだったとはなぁ。そんな無茶なことをすれば、魔力が底を尽きて倒れてしまうぞ?」
「す、すみません。ありがとうございます……」
「なに、エーデルの大切な友人だからな。当たり前のことだ」
白い歯を見せて、シュヴァルは快い笑みを見せた。
レアンがホッと息をつき、抱えていたチドリを支え直す。
その時、唐突にチドリの頭の中に声が響いた。
『チドリ!!何か来てる!!』
「白羅……?」
聞こえた声は、恐怖と焦燥に満ちていた。
チドリの背筋を、冷たいものが駆け上がる。
『わかんないけど、何か良くないもの!!こんな、こんな魔力僕じゃ対応できないよ!!』
半ば悲鳴になっていく白羅の声に、チドリはたまらず立ち上がった。
胸元から翡翠色の光が溢れる。
「チドリ?」
「チドリ様?」
「皆が危ない……!!」
チドリの言葉にレアン達が瞠目したと同時に、チドリは地を蹴って飛び上がった。
翠妃の起こした風が、チドリを一瞬で大聖堂まで運ぶ。
白羅が現れ、安堵に頬を緩めた。
『よかった……!!ぼ、僕どうしていいかわからなくて……』
「白羅、良くないものってどういうこと!?街の皆は……」
『わ、わからないんだ。魔力は感じられるのに、どこにいるのか探れない……この辺一帯に魔力が流されててわからないんだよ。皆はまだ大聖堂の中だ。こんな魔力の中にいさせられないし……』
白羅の言葉通り、大聖堂付近一帯には冷酷な魔力が垂れ込めていた。
巨大で禍々しく、足元から恐怖が這い上がるようなおぞましい感覚だ。
チドリは震える足を踏ん張り、グッと唇を噛んだ。
「……っとにかく、何が来るにしても皆を守らないと……!」
「その必要はない。魔道士の娘よ」
背後から聞こえたのは静かで冷酷な声だった。
体が凍りついたように、チドリはその場に硬直する。
大聖堂も白羅の姿も、今は見えなかった。
目の前にあるのは、無限に広がる闇だ。
ヒタヒタと肌から体の内部へと侵食するような闇に、チドリは震えあがる。
また、声が響いた。
「こちらの目的はお前だ。余計なことを考える必要はない」
「目……的……?」
「四人の魔道士。我らの外敵となる存在……だがセロ様は、お前を狙えと仰せだった。その内に隠された陰惨な記憶を利用せよと」
「……っそんな、こと……!」
歯を食いしばり、チドリは大きく頭を振った。
硬直していた体が、自由を取り戻す。
「私はもう一人じゃない!過去のことなんてどうでもいい!!」
「理解している。だが、お前は気づいていない」
冷気が流れ、チドリの目の前で渦巻いた。
闇の中から、一人の男が姿を現す。
初老に差し掛かろうかという皺のある顔。灰色の髪に口元を覆う髭。背は高く、キッチリした装いをしている。
だが、こちらを見つめる目は明らかに人間のものではなかった。
白いはずの部分が血のように赤く、瞳が濃い緑色をしている。肌も、岩のように無機質な色だ。
悪魔のように、見据えられるだけで気が遠くなりそうだった。
チドリは、震える声を何とか絞り出す。
「き、気づいてないって……何を……」
「否。その様子では自ら忘却していると言った方が正しいのか。皮肉なものだな、自身を守るために眠らせた記憶で苦しむことになろうとは」
男がふいに右手をチドリの顔の前に掲げた。
流れ出る魔力にチドリの体が再び動かなくなる。
チドリの頭の中を、禍々しい魔力が満たしていった。
不快な感覚に、チドリは悲鳴を上げる。
「や、やめ……嫌ッ!!」
「恨むな。これもまたセロ様のため」
足元から、言いようのない恐怖がチドリを襲った。
絶叫が、闇の中に迸る。
「嫌だああぁぁあぁあああぁぁああッ!!」