紺燕と獅子(5)
(……始まったか)
婚儀が執り行われている部屋の天井裏で、エーデルは伝わってきた振動を感じそう一人ごちた。
下にいる人々の悲鳴と騒ぎ声が聞こえる。
エーデルは立ち上がり、杖で床を小突いた。
白い光が迸り、床が砕ける。
エーデルはそのまま、階下に落ちた。
更なる事態に騒然としていた一同が、祭壇に姿を現したエーデルを見て息を呑む。
一番近くにいた国王が大きく目を見開いた。
「き、貴様……ッ!?エーデル!?何故お前がここに……」
「エーデル!!どういうつもりだ!!」
怒声を上げたのはシュティレだ。木屑を被り、一張羅が汚れている。
エーデルは二人に応えず、呆然とこちらを見上げているエルローズに手を伸ばした。
「エル、来いッ!!」
「エデ……!!」
涙を浮かべ、エルローズがその手を取る。
引き寄せたエーデルは、シュティレに目を移した。
「兄上……いや、シュティレ。悪いが、俺はこの結婚に賛同は出来ない」
「なにを……!?貴様、私情で我がクアドラート家を滅ぼす気か!!」
「違う」
凛とした顔で、エーデルが首を振る。
エルローズはその横顔を見つめ、拳を握りしめた。
「俺は間違ってることは嫌いだ。そして、アンタは間違ってる。アンタも、月蝕会も、王族達もだ」
「貴様ぁ……!!」
激昂したシュティレは、次の瞬間膝から頽れた。国王も、他の者も皆同じように倒れこんでいく。
エーデルとエルローズが呆気に取られる中、銀髪の兄妹はその場に涼しい顔をして佇んでいた。
「え……な……これは……?」
「あら?私達は何も知らないわよ?ねえお兄様」
「ああ、そうだな」
「ちょっと皆の飲み物に痺れ薬なんて仕込んでないわよ?ええ、全く知らないわそんなこと」
「イリ……オル、スの……!ク、ソ……!!許さん……!!許さん、ぞ……!!」
床を這い、国王が恨めしい目でステラを睨む。
が、ステラは冷酷な視線でそれを打ち返した。
「許さなくて結構。私だって貴方達を許す気なんて毛頭ないわ。王族として、一人の人間として、微温湯に浸りながら阿漕の限りを尽くす貴方達を見過ごせない。貴方達には、王族であると名乗ることすら過ぎたものだわ」
言い終え、ステラはエーデルとエルローズに向けて微笑んだ。
「行きなさい。やるべきことがあるんでしょう?」
「ここはお任せを」
レアンも同じように笑う。
エーデルは頷き、杖を構えた。
「悪いな、二人とも」
「お礼は期待してるからね」
「す、すまないイリオルスの御二方!この恩は必ず……!」
「構いませんよ。さあ、行って下さい」
光が弾け、二人の姿が掻き消えた。
と、辺りに押し殺したような笑い声が響く。
見ると、国王が顔を歪めて笑っていた。
「何がおかしいの?」
「ック……逃げる、だと……?無駄だ、そんな、こと……!クククッ……!括目し、そして、恐れるがいい……!我がネフェロディスの、魔法の、真髄を……!!」
震える手で国王が取り出したのは、濁った色の魔法水晶だった。
ただならぬ気配を察知したレアンが踏み込むより早く、その魔法水晶が黒い輝きを放つ。
城全体を、新たな揺れが襲った。
城から少し離れた所で、エーデルは抱えていたエルローズを降ろした。
「ちょ、お、お前、太ったか……?」
「なな、な、なにおうっ!?お、お前、仮にも乙女に向かって太ったとは何事だーっ!!」
「いでぇ!!殴るな!!……って、ああ、そうか、そのドレスのせいか」
エーデルは呟き、純白のエルローズを見つめた。さながら今のエルローズは、白薔薇のような美しさと気品がある。
エルローズが頬を赤らめて、フフンと胸を反らした。
「どうだっ?似合っているであろう!」
「ケッ。どこがだよ。ぜぇーんぜん似合ってなんかないっつの」
「な!?わ、私が頑張って綺麗にと思ったものを気に食わないと言うのか!?」
「ああそうだ!!全然似合ってねーよ!!寝巻にでも着替えた方が何倍もいいな!!」
「うっ……!ひ、ひどいではないか、何もそこまで言わずとも……私は、エデだけはきっと心から綺麗だと言ってくれると思って……」
涙目になったエルローズに、エーデルは苛立ちを露わに声を張り上げた。
「他の男の為に着たドレスなんか似合ってるわけないだろ!!」
エルローズが「へ」と耳まで赤くなった時、城の方から地響きが届いた。
思わず体勢を崩しかけ、二人は降り立っていた屋根の上で何とか踏ん張る。
「な、何だ今のは……!?チ、チドリがやったのか!?」
「いや違う。アイツは城とは反対方向にいるはずだ。この揺れは……」
城に目を向けたエーデルは、次の瞬間サッと顔を青くした。
「…………おい……なんだよ、アレ……」
「エデ?」
つられて城を見たエルローズは、ヒッと引き攣った悲鳴を上げた。
城周辺の地面が、灰色の靄のようなもので覆われている。
いや、目を凝らすと、それは靄ではなかった。
波打ち、こちらに押し寄せてくる流れ。
その一つ一つは、灰色の鎧達だった。
覗く双眸に光は無く、落ち窪んでいる。一目で、それが生きたものではないと確信させた。
数百か、数千か、数万か、数えきれないほどの群れがこちらに歩いてきているのだった。
「何よアレ!?」
窓から身を乗り出すようにしてステラが叫ぶ。レアンは鎧達を一瞥した後、国王を振り返った。
「中は生身の人間ではない。魔力の波状からして……遠隔操作の魔法、でしょうか」
「ッフ……流石は、イリオルスの、王子……魔力から見抜く、とは……」
「御託は結構。で、あれは何なのです?」
「我が、ネフェロディス王家と……月蝕会が、総力を結集して、作り上げた……魔導兵だ。対象の抹殺、破壊、蹂躙の限りを尽くす最強の魔導兵だ!!」
狂ったように、国王は高笑いを響かせた。シュティレも、未だ膝をついたままニヤリと笑う。
「覚悟するがいい。あれが動き出した今、お前達に勝ち目などない。あのまま、魔導兵達は街を壊し、民を轢き、全てが終わるまで進み続けるぞ!!」
「なるほど。つまりはチドリ様の敵であると……そういうことですね?」
レアンの問いに、国王とシュティレは一瞬何を言っているのかわからないという顔をした。構わず、レアンがニッコリ笑う。
「答えずとも構いません。俺にとって大切なのは、いついかなる時もそれだけですから」
言うが早いか、レアンは天狼の姿に変ずると部屋の壁を蹴った。派手な音と共に、壁一枚が吹き飛ぶ。
新たな悲鳴にも耳を貸さず、レアンは呆れ顔のステラを抱え上げた。
「行くぞ。ここを何とかしたかったが、あれを止めるのが先のようだ」
「そうね。早くチドリの所に行きましょうか」
「ま、待て……ッ!!」
制止の声を後に、レアンは駆けだした。