レアンの秘密(5)
朝食後の席には、レアンとレーヴェだけが残されていた。
チドリは先ほど、侍女に連れられて部屋に戻った。二人の間には、静かな雰囲気が流れている。
「初めて会ったが、なかなか人の好い魔道士殿であるようだったな」
「……はい。お優しい方です」
レアンの目が穏やかに細められる。レーヴェは息子の様子に薄く笑ってから、僅かに眉根を寄せた。
「……少し、痩せていたな。肌の色からして、健康体そのものというわけでもないだろう」
「はい。侍女達から聞きましたが、お体も、ひどく軽かったようです。髪を見る限り、恐らく十分な食事を取っていらっしゃらなかったのではと」
「ふむ…………元いた世界に帰りたくないと言っていたことと、関係がありそうだな」
「はい……」
帰りたいかと問われた時のチドリの様子を思い出し、レアンは顔を歪めた。
(あの方に、何があったのだろう……辛い思いをされてきたんだろうか)
そう考えると、胸の底を炙られるような気分になった。
再びレーヴェに話しかけられてからも、レアンの脳裏には、青ざめたチドリの顔がチラついていた。
同刻。
部屋に戻ったチドリは、待っていたエスカマとアジーンに手を引かれ、城の中を案内されていた。
「さてさて……お次は、書庫にご案内致しましょう!」
「書庫……!?本があるんですか!?」
チドリの顔が輝いた。エスカマが誇らしげに胸を反らす。
「もちろんでございます!イリオルス国内で最も本のある場所と言っても過言ではありませんぞ!」
「本、いっぱい。魔道士様、本、好き?」
「大好きです……!」
期待に胸を躍らせて、チドリは足早に歩いた。大きな扉の前で、エスカマが足を止める。
「こちらでございます!」
開いた扉の中に広がる光景に、チドリは感嘆の声を上げた。
床から天井まで、壁が全て本棚になっており、その中に厚さや色の様々な本がギッシリ並べられていた。インクと紙の匂いを肺いっぱいに吸い込む。
「すごい……!!本がこんなに……」
感動していたチドリは、ふと、床に本が散乱していることに気付いた。よく見ると、あちこちに大小差はあるが、本の山が出来ている。
「あの……床にある本は、棚にしまわなくていいんですか?」
「ああ、あれはですね……この間起きた地震で、散らかってしまった本でして」
「地震?」
「はい。書庫の本が崩れましてねぇ。片づけに手間取っておるのですが……他にも地震の影響を受けた部屋がありまして、そちらの方の復旧を優先するようにと、アロガン殿下が仰せなのです。ですからこちらは、まだ片付いておらぬのですよ」
「そうですか……大変でしたね」
「ええ。ちょうど同じころに、レアン様が発作を起こされたりして……バタバタいたしました」
「魔道士様、本、好き。中、見る?」
「いいんですか?」
「構いませぬよ。もともと、そのつもりでお連れしたのですし」
二人に促され、チドリは本棚に近づいた。
一冊を手に取って、パラパラと捲り……ハッと息を呑む。
(……書かれている言葉は日本語じゃないのに、意味がなんとなくわかる……)
それはちょうど、少し難しめの英文に目を通す感覚に似ていた。ボンヤリとではあるが、内容が掴める。
(でも、書けなかったらきっと困るよね……)
一人頷き、エスカマの方を振り返る。
「あの、この国の文字の読み書きができるような本はありますか?」
「読み書きでございますか?あると思いますが……」
うーんと、エスカマは眉を顰める。
「……お借りするのは、難しいですか?」
「いえ、借りて頂くのは全く構わないのですが、なにぶん先の地震の時に慌てて本を戻したものですから……分類などが、滅茶苦茶になってしまっているのです」
「そうなんですか……」
「書庫番の者に頼んで、探してもらいましょう。数日もあれば探し出してくれると思いますぞ!」
「すみません。ありがとうございます」
本を棚に戻して、三人は書庫を後にした。
次はどこに行こうかとエスカマが悩んでいると、廊下の向こうからレアンが歩いてきた。三人に目を留め、歩み寄ってくる。
「魔道士様、何をしていらっしゃったのですか?」
「あ、エスカマさんとアジーンさんと一緒に、お城の中を見て回ってたんです。今ちょうど、書庫を見せて頂いたところで……」
「そうでしたか。実は俺も、魔道士様をお連れしたい場所があるのですが……よろしいですか?」
「は、はい!ぜひ、お願いします」
また慣れぬエスコートの形を取ってから、チドリはレアンと共に歩き出した。エスカマとアジーンも、後ろからピョコピョコついてくる。
「お連れしたい場所なのですが……そこに、俺の友人もいるのです」
「レアンさんの友達……ですか?」
「はい。厳密に言うと乳兄弟にあたるのですが……母が、俺の乳母だったのです」
「へぇ……」
「俺の発作についても、知っている奴です。昔からの仲なので」
「……仲が良いんですね」
「ふふ。どうでしょう……ただの腐れ縁な気もしますが」
そう言うレアンだったが、横顔を見る限り、その人物には心を許しているように思われた。
四人でお喋りしながら歩いていると、いつのまにか中庭らしき所に着いていた。遠くの方で、掛け声のようなものが聞こえる。レアンは、その声のする方へ歩いて行った。
声を上げていたのは、甲冑に身を包んだ兵達だった。日の光に、兵の手にした剣が煌めく。
「カイト!カイトはいるか!」
レアンが呼びかけると、兵達の前で指揮を取っていた一人が振り向いた。
「おー!レアンじゃねーか!」
走り寄って来たのは、快活そうな青年だった。
短く刈り込んだ金髪に、キラキラしたエメラルド色の目。笑うと、人の好さが溢れ出て見えた。細身のレアンと違い、かなり鍛えているのか、ガッシリした体躯をしている。
「どうしたよ!また手合せにでも来たのか!?」
「馬鹿者。そんな用で来たのではない」
豪快に笑ったカイトは、ようやく、レアンの隣で縮こまるチドリに気が付いたようだった。指さし、大きく目を見開く。
「レアン!お前とうとう恋人が出来たのかっ!?」
「こっ……!?」
「この阿呆が。畏れ多いことを口にするな……この方は、イリオルス国の魔道士様だ」
「魔道士っ!?やっと来たのか!!」
「五月蠅い。全くお前は、声の調節というのができんのか……魔道士様が怯えていらっしゃるだろう。少しは静かにしろ」
言うが早いか、レアンの足が素早く動き、カイトの脛を蹴った。
「いてぇ!なんだよー!蹴ることないだろ!」
「喧しい」
「ひでぇな!そんな乱暴な奴は魔道士サマに嫌われるぞ!」
レアンの体が硬直した。恐る恐るといった感じで、チドリの顔を伺い見る。
「…………そうなのですか?魔道士様」
「え!?いや、あの……き、嫌いになんてなりませんけど、その……痛そうなので、出来れば蹴らないであげた方が……?」
「魔道士様がそう仰るのでしたら」
ケロリと向き直ってきたレアンを見て、カイトは苦渋の色を示した。
「相変わらず食えないやつだな……で?今日は何しに来たんだよ?」
「魔道士様が城内を見ておられたようでな。せっかくだからと、鍛練場にお連れしたんだ」
「ほーん。なるほどねぇ」
得心顔で頷くと、カイトは清々しい笑顔をチドリに向けた。
「初めましてだな!俺はカイト・アウダーズってんだ。城の騎士団の副騎士長をやってる!レアンとは乳兄弟でなー、たまに手合せとか視察とか一緒にしてんだよ。アンタの名前は?」
「あ、えと……チドリと言います。よろしくお願いします」
「チドリか!珍しい名前だなー!あ、敬語とか気にしなくていいぜ。堅苦しいの苦手だからな」
「わかりま……わ、わかった」
「うん!それでよし!」
満足げなカイトに、レアンの冷やかな視線が刺さる。
「あろうことか魔道士様の名を呼び捨てにするなど……お前、正気か?」
「言っただろー!堅苦しいの嫌なんだよ!年だって絶対近いし!」
「あ、あの……私は気にしませんから……!」
宥めるも、まだ二人はお互いに不満そうだった。
「チドリ!いくつだ!?」
「え!?えっと……十七です」
「ほらなー!?俺らと二つしか変わらないじゃんか!」
「年齢が問題なのではない」
「わからずやー!!」
二人の言い合いはしばらく続き、チドリは仲裁に入りながらも、この状況をどこか楽しく感じていたのだった。
レアンとカイトは十九歳になります^_^;