Doll party~小さな女神と光の天使~
よろしくお願いします。
透明な水鏡の向こうの世界は、白みがかった空と新緑の葉を芽吹かせた大木だけ。わたしなどまるで小さいと嘲笑うかのようにそれはどこまでも遠く、手も足も瞼も一切動かせず流れるままに身を任せる。ゆらゆらゆらゆらゆらゆら……
あの子がくるくると巻いてくれた髪が視界の隅に映る。僅かな光に照り、赤く染まって。
お気に入りの真白な姫袖がぐっと引っ張られ、腕と耳がひっついた。
透明な流れがわたしを置いて流れる。まるで邪魔だとでもいうように激しくわたしの髪を振り乱し、お気に入りのドレスの裾をめくりパニエが広がる。
途方に暮れたわたしを、掬い上げた人がいた。
茶色いくりくりとした大きな目がじっと見つめてくる。わたしもじっと見つめていると、その子は目を半弧に歪ませて。
「ぼくのおうちに来なよ!」
わたしをぎゅっと抱きしめて、まとわりついた長い髪をそっと綺麗に整えてくれた。
「あーあ、お洋服がまっくろくろ。カヤちゃんなら持ってるかなぁ」
まっくろくろ? わたしは首が動かないことを少し後悔した。お気に入りの真白の服が、あの子がはじめてわたしにくれた大切な大切な大切な大切な純白のドレス。汚してしまったらあの子は怒る? それとも可愛らしいお顔を歪ませて、両の目から透明な雫を零してしまうかしら?
窓から手を振ってくれた人たちも、どんな風にわたしを見るの?
ああ、それよりも。こんなところまで旅してしまったわたしを、必死に探してくれているんじゃないかしら。
「大丈夫だよ。すぐ綺麗にしてあげるから」
そんなわたしの不安を読み取ったかのように、その子は優しい言葉をくれる。柔らかな手つきで頭を撫でてくれるので、わたしの荒波のようなこころも落ち着いていく。
「今日からぼくのおうちが君のおうちになるんだよ。ぼくはコール。エルシャ、よろしく」
エルシャ、エルシャ……コール、コール……
何度も何度も刻みつけるように呟いていたら、甲高い声が聞こえてコールの手が離れた。
「あなた可愛いわね! エルシャ? それコールが考えたの? そのまんまじゃん」
「だって女神様みたいに綺麗だろ? 今はちょっと泥とかで汚れてるけどさぁ」
「綺麗な水色のお目目いいなぁ。お鼻の穴も小さいし」
「カヤちゃんとは大違い」
「コールにはもったいないからうちに来なよ、エルシャ」
「カヤちゃんごめんなさい。エルシャの服ください」
やりとりをしている二人の声を聞いていると、突然服を脱がされた。動かないわたしの腕も支えて丁寧に脱がしてくれる。それはコールがカヤちゃんと呼んでいた子の手で、そっとわたしの頭を撫でた。
「コールは男の子だから外で待っててもらってるの。その間に全身綺麗にしようね」
わたしが目を合わせれば、こころに燻る不安を澄んだ目が取り除く。ほっと力を抜いてそのまま身を任せると、程なくして新しいお洋服を着せてくれた。あのお気に入りの真白なドレスとは違うふわふわした中の生地が肌に触れそっと包み込む感触は、一度だけあの子と一緒に眠った日を思い起こさせる。
「うん、巻き髪も綺麗にくるくるになったし上出来かな。新しいお洋服はどう? あなたの瞳の色に合わせた水色よ。ちょっとグラデーションかかってるから大人っぽい?」
そう言ってさらに上にもこもこした白いものを羽織り、完成のよう。
「うおお!! やっぱカヤちゃんすげぇ! 綺麗だなぁ、エルシャ」
「もともとの素材が良いから楽だったわ」
「誰かさんと違ってなあ」
「コール」
「もう何も言いません」
コールの手がわたしの頭を撫でて、腕をさすり、手の甲に軽くキスを落とす。
労わるような優しい態度にどこかがツンと痛んだのは気のせい?
「綺麗になりたいときはわたしのところおいで、エルシャ。着替えくらいならコールでも大丈夫よね?」
「カヤちゃん、この服どうなってるのかわかんない」
「後ろのチャック開けるだけだって! アホね、コールは」
「破いちゃいそうだよ」
「破いたらエルシャが泣いちゃうよ」
「エルシャ、先に謝っとく。破いたらごめん」
じっと見つめるコールの目が真剣なので、わたしは大丈夫だという意味を込めて見つめ返す。コールなら大丈夫。コールなら信じられる。この短い時間でそう感じられる、あの子に似た眼差しがわたしは好きになった。
わたしだけに注がれるその穏やかで優しい眼差しに。
その日、コールから離れたくないわたしを彼は優しく抱きしめて一緒に眠ってくれた。
コールの寝顔は安らかで、少し顔にかかった彼の髪が愛おしかった。
わたしがコールのそばで暮らし始めてしばらくのこと。
その日は月明かりの差し込む窓辺から夜の景色を眺めていた。
コールはとっくに夢の世界で、今日は月が綺麗だからわたしは一緒には眠らないで柔らかな光を浴びている。
コールがそばにいない寂しさの中淡い月明かりがからだを包み、こころまで満たすような充足感に浸っていると、ふっと体が軽くなった気がした。
『望みはひとつだけ』
不意に響いた囁きのような声。ことん、と傾げた耳に届く音はなく。
少し傾いた視界にわたしはしばらく何が違ってなんで目の前の景色が斜めなのかわからなかった。
ついにいのちも尽きるのかと思えば、はらりと頰を滑る何かを感じる。
夢なのか、幻想なのか、もうわからなくなってしまったわたしの目の前で、金色の光が差し込む。深く青い瞳が潤み、眉を下げたまるで月光のような少年がわたしを見つめていた。
僅かに濡れる唇が開いて、白い指が窓にはりつく。
「なぜ泣いているの?」
――悲しいからに決まっているわ。
答えたくてもわたしの声は出ない。首も手足も瞼さえ動かない。
「動かないんじゃない、動かないと思ってるだけ」
少年の唇を読み取り、わたしはよけいに混乱してしまう。
「おいで、エルシャ。ボクと一緒に行こう」
憂いを帯びた眼差しがわたしを見つめる。その美しさに誘われたわたしは、ちゃんと目を合わせたくて首を動かそうとする。けれど反対側にこてん、となってしまう。
「想像して」
わたしはもとの景色を思い出す。すると首はもとの位置に戻り、真正面から少年の微笑みを受け止める。
立ち上がりたい、と願えば窓枠に手を置いて足が動き始める。初めて足の裏につく地の感触を靴の底でも感じる。
高鳴るこころのまま、コールがしていたように窓を開けて金色の髪の少年の隣に立った。
「行こう、エルシャ。もうすぐパーティーが始まる」
そっと繋がれた手を引き止めるため、力を込める。今までできなかったことが一気にできるようになってわたしは戸惑うものの、このままどこに連れて行かれてしまうかの方が気がかりだった。
コールと離れたくない。可愛がってくれるコールのそばにいたい。わたしの切なる願い。
「どこに行くの? どうして体が動けるの?」
「今日が聖夜だからだよ、エルシャ。聖夜の魔法……ボクらドールの願いを現実にできる日」
「聖夜だと、体が動くの? でも今までなかった」
「月の光を浴びたから。これから行くパーティーで君が誰かと対になれば、君は願いを叶えてもらえる。ねえ、ボクと行こう、エルシャ」
「あなたは誰なの?」
「ボクはカヤのドール、レイル。ボクは君が初めて来たときから、君を見てたよ」
「わたしは見てない」
「カヤはボクを人前に出さないから。それより、行こう?」
「いや。コールから離れたくない」
「彼とずっと一緒にいられるように願えばいいよ、エルシャ。その為にパーティーに参加するんだ。そうすれば聖夜の魔法が叶えてくれるんだよ」
「コールとずっと一緒に?」
「そう。ねえ、だから一緒に行こう? ボクも願いを叶えてもらうんだ。エルシャは場所がわからないでしょ?」
「わかった、レイル案内して」
「いいよ。行こう」
レイルの手が少し力強くわたしを引っ張る。わたしもおとなしく後をついて行き、少し足がくたびれてきた頃にレイルはある一軒の建物に入っていった。
コールたちのおうちは少し木の香りがするけれど、そこはまるであの子のおうちのようにキラキラとしたものが輝き、柔らかい絨毯が足を受け止める。仄かな花の香りにつられレイルと歩いていると、僅かに開けられた白い扉から光が溢れていた。
レイルが躊躇いなく入っていくので、わたしもそっと中を伺う。
「どうかされましたの?」
後ろからかけられた声に驚いて振り返ると、青みがかったグレーの目がわたしを見つめていた。
豊かな金茶の髪を後ろで高くまとめ、くるくると巻かれ肩にかかっている。ラセットブラウンのドレスの腰から下は真ん中が開いてふわふわしたレースが見え、飾りすぎない上品さを出している。何より彼女の纏う慈しみの空気にわたしは詰めていた息を吐き出した。
「もしかして初めてのお客様?」
「はい、エルシャです」
「あら、女神様の御名をいただいたのね。私はリリーアンジェルノ、リリーでいいわ。よろしくね、エルシャ様」
「はい、よろしくお願いします。リリー様」
「さ、中に入りましょう。パーティーはもう始まっているわ」
促されて入った先は、煌びやかなシャンデリアの明かりに包まれている。その中にドールたちがくるくると踊り、話し、楽しそうな笑い声も聞こえている。
「リリー様、パーティーとはどういうものなのですか? わたしは何をすれば良いのでしょう?」
「エルシャ様は聖夜の魔法について知っている?」
「月の光を浴びたから動けるようになるということと、パーティーに参加して願いを叶えてもらうということくらいです」
「まぁ、一体誰が貴女を連れ出したのでしょう」
「レイルです」
「レイル様……無責任な方だとは思いませんでした。それともそれがねらいなのかしら」
「あの、リリー様?」
「エルシャ様は、願いを叶えたくてここへいらっしゃったの?」
「はい、コールとずっと一緒にいたいのです」
「コール様は貴女を大事になさってる御方のことかしら」
「はい」
リリー様は指を顎に添えて首を傾げた。
「あのね、エルシャ様。聖夜の魔法に私達ドールの願いを叶えていただくには、聖夜の夜に開かれるこのパーティーで貴女のパートナーを見つけなければなの。パートナーが見つかればお互いの願いは叶えられるのよ」
「パートナー?」
「そう。貴女がこころに深く想う相手を見つけるの」
「……?」
「だからね、私達は毎年開かれるパーティーに毎年参加してるの」
「それは、皆様パートナーが見つからないということですか?」
わたしの問いに、リリー様は曖昧に微笑まれる。それがどういう意味のものかわからないけれど、開かれた瞳に微かな揺らぎを見て続きを聞くのは躊躇われた。
「いつまでそこにいるつもり? 邪魔」
冷たく低い声がわたしたちの間を通り抜ける。藍色の涼やかな両目がわたしたちを見据えていて、緩くまとめられた髪からはらりと茶色の一房がこぼれ落ちた。
「カイン様、ご機嫌麗しゅう」
「リリーアンジェルノか。あんたがこんな場所で立ち話とは珍しい」
「ふふ、相変わらずですこと。カイン様、こちら新しい私達の仲間のエルシャ様ですわ」
「ふーん……エルシャ、ね」
「エルシャ様。この方はカイン様」
「よろしくお願いします」
ちょこんとドレスを摘まんで挨拶したら、ふん、という鼻笑が聞こえてわたしは首を傾げた。
何か間違えてしまったのだろうかとリリー様を見ると、頰に手を添え溜息を吐かれている。
呆れるリリー様を一瞥しただけで、カイン様は去ってしまう。きっちり着込まれた服の黒生地が、明かりを照り返し眩しい。
「ごめんなさいね、エルシャ様。カイン様のはいつものことだから気にしないでくださいね。本当はお優しい方なの」
わたしが頷くとほっとしたようなリリー様を、また誰が呼ぶ。
「リリー、あたしシルク様と踊ったの!」
「良かったですね、フラン様」
白金のふわふわした髪を揺らしピンクのドレスを着たフランという方は、嬉しそうにリリー様に腕を絡ませる。出された肩が白く光り、キラキラとした空気を纏う方だった。
「ちょうどよいところに、フラン様。こちらエルシャ様」
「エルシャです。よろしくお願いします」
「あたしはフランソワール。貴女のドレス素敵ね。瞳の色とお揃いでとても綺麗」
褒めてもらえたことがわたしは嬉しくてフラン様に向き直ると、彼女はわたしを上から下まで見てそのままどこかへ消えてしまった。
「フラン様は悪い方ではないの。ちょっと負けず嫌いではあるけれど」
わたしは促されてリリー様と一緒に大きなシャンデリアの真下、部屋の中央に進む。そこではドレス姿のドールたちが集まっていた。
お構いなしに進むリリー様は、少し張り上げた声で名前を叫ぶ。
「シルク様! 歓迎の御言葉をください!」
リリー様の声にざっと一斉にドールたちが振り返る。少しトゲのある視線がこわくて、わたしはリリー様の背中に隠れる。
やがてドールたちの間に道ができて、長い銀髪を翻しながら誰が現れる。白いシャツに黒いマントという組み合わせも、見事に着こなしている。
「やぁ、リリー。久しぶりだね。私と踊りに来てくれたのかな」
「シルク様。こちら新しい私達の仲間となりました、エルシャです」
リリー様の紹介でわたしに目を向けたシルク様という御方は、柔らかな笑みを浮かべた。
「私はシルク・ド・レイチェル。可愛い女神を歓迎し、お相手を仕ろう」
シルク様の後ろでどよめきが上がったけれど、構わずにわたしの手を取り空いているスペースに移動されてしまう。
「大丈夫。私に身を任せて」
そのままふわふわと踊り、時々シルク様に耳元で囁かれる甘い言葉に躓きそうになりながらもなんとか踊り切ったわたしは、隅に逃げ込んだ。
『ぱっちりとした二重に美しい水色の瞳。いつまでも君を見つめていたい』
『その柔らかで艶やかな唇は啄んでしまいたくなる』
思い出しただけで体が熱くなり、わたしは両手で頬を押さえる。触れた指先もどこか熱く感じ、行き場のない熱を持て余す。
「一度相手にされたからっていい気にならないでね、迷子ちゃん」
クスクスとした笑い声。目の前には白で身を包む紫の瞳のドールがわたしを見て口元だけに笑みをのせていた。横にまとめられた金の髪に煌めくパール、目元にもお化粧が施されていて、胸元の開いたドレスのせいもありとても艶やか。
「シルク様はね、新入りの最初のダンスのお相手なのよ。このパーティー会場はシルク様がお住まいの御宅ですから、ホストであるシルク様がお客人をもてなすのは当然のことでしょう? 貴女だけが特別だとは思わないことね」
真っ赤なルージュを載せた唇が笑みを形作り、彼女はそのまま会場の中央へと去ってしまった。何だったのか理解することもできずしばらく彼女の去った方を眺めていたら、すっと光を遮るように影が落ち、白い手袋をした手が差し出されていることに気づく。
「お嬢さん、宜しければ一曲お相手を」
黒い瞳が私を覗き込む。目を細めキリッとした佇まいの彼はまるであの子が話していた騎士様のよう。顔にかかった髪を自然な動作で払い除けている。
「わたし、踊り方を知らないの」
「先程は踊られていたではありませんか」
「それは……わたしもよく、わからないのです。きっとシルク様のリードがよく」
「はっ、シルク様シルク様と女子は同じことばかり。ええ、貴女もどうせ田舎出の平凡な我らなどより、良い出のお坊ちゃんがお好みなのでしょう。ではお嬢さん、失礼します」
彼の機嫌を損ねてしまったみたいで美しい一本にまとめられた髪が翻る。
少し伸ばしていた手の意味もわからず、わたしは腕を引き寄せ胸元で両手を握りしめる。
思い返せばこうして他のドールと会うことも、話すことも初めてのこと。話のところどころは理解できないけれど、こころが浮き立つのはどこか心地よくて。また誰かと話したい、リリー様はどこへ行ってしまったのだろうと考えを巡らせているとつん、と肩のフリルを引っ張られて振り返った。
灰色の長い髪が影をつくりお顔の表情はわからないけれど、綺麗な澄んだ瞳がわたしを見つめている。
「エルシャ、私の話相手になってくれないだろうか?」
「あなたは?」
「フォン・ライコ。ライと呼んで。あと敬語もいらない」
「わかったわ、ライ。私の名前をどうして知っているの?」
「マチェードとの会話を聞いていた。マチェードが怒るのはいつものこと」
「怒っていたの?」
「彼はいつもフられるから、今度もそうだったのだと思ってる」
ライは羽織っている毛皮のコートを撫でる。よく見れば彼の服装は寒い地方で着込むようなもので、わたしはそっとそのふわふわとした毛皮に触れる。まるで触った感触さえない不思議な感覚にずっと触り続けていたら、じっとライに見つめられる。
「私と対になればこれをずっと触っていられる」
低すぎない声で誘われ、わたしは思わず考えてしまう。
「対になるって、どういうことなの?」
「そのドールとこれから先ずっと一緒にいるということ」
「それだけでいいの?」
「私も、よくわからない。でも対になれたかどうかは月光が教えてくれるらしい」
表情の変わらないライの目にも困惑の色が浮かぶ。頬を包み込む感触に驚く。ライの両手が添えられていた。
「エルシャ、エルシャ。私と対になろう? ずっと君といたい」
「ライ」
「私はこの何年もここへ来てたけど、君を見て君がいいと思った。初めてなんだ」
ライの表情は変わっていないはずなのに、どこか切なる悲鳴にも聞こえる言葉にライが泣きそうに思える。
対になるとはどういうことだろう?
願いを叶えるために必要な条件とはいうけれど、よくわからない。わたしにもライのように対になりたいと思う相手がいるの?
「ライ……その、わたしまだよくわからない」
「うん。でも、私を選んでくれたら嬉しい」
答えられないわたしの指先ににキスを落として、ライはわたしの隣に立つ。とても身長があり、同じドールとしてとても驚いた。
「ライって」
「エルシャ。こんなところにいたの?」
透き通るように美しい声に自然と体が動く。
「レイル! どこいってたの?」
さらさらと髪をなびかせて、レイルの白いローブが翻る。まるであの子が言っていた天使のように純白で憂いを帯びた表情に、こころがきゅっと摘まれた気持ちになる。これはなんだろう?
僅かに眉を寄せてやってくるレイルを見て、隣にいたライがどこかへ行く気配を感じた。でもわたしはそれよりやっと見つけたレイルの姿が嬉しくて、彼の袖口をきゅっと握る。
「レイル、レイル。置いてかないで。貴方がいなくちゃわたし帰り道もわからない。コールのところに帰れない」
「エルシャ」
「ダンスするなんて聞いてないわ」
「ごめん、エルシャ。でも君の為なんだ」
「わたしのため? だからレイルはわたしと離れたの?」
「説明するよりも体験してもらった方がいいかと思って。ごめんね、エルシャ。寂しかった?」
「リリー様に色々教えてもらったから大丈夫よ」
問いつめそうになる言葉を飲み込んで、レイルがどこかへ行ってしまってまた置いてかれないように言葉を選んだけれど、レイルは瞼を下ろして息を吐く。その仕草にこころがざわざわとして落ち着かない。
「ねぇ、エルシャ」
踊ろうか、そう言ってレイルは私の手を取り歩き出す。いつの間にか後ろにもう片方の彼の手が回されていて、ぐっと引き寄せられレイルに寄り添うように向き合う形になる。僅かに上を見上げその青い瞳を覗く。
「エルシャ、君はコールのそばにいたいんだよね? 今のままではなぜいけないの?」
右へ左へ緩やかなステップを踏みながら、そして見つめられながら踊る。レイルもシルク様のようにとてもリードが上手くて、転びそうになる前にそれとなく引っ張り上げてくれたりしてゆったりとできる。体が思うように動かなかったシルク様とのダンスと違って、少し余裕が出てきたのかゆったりとしたこころもちで動ける。
「エルシャ、君は知ってるんじゃないの? それを願わなければいけない理由を」
「ごめんなさい、レイル。あなたの言ってることがわからないみたい」
「そっか……エルシャ。それじゃあ君の願いを叶える方法を教えてあげるよ」
「ほんと? どうすればいいの?」
「簡単さ。ボクと対になればいい。カヤとコールは幼馴染みで家も隣同士。よく二人で遊びに行っては一緒に怒られるくらい仲良しだから。二人が対になることを、ボクは願おう」
「よく、わからないわ。レイルがなぜ二人が対になることを願うの? あなたには他に願いがあったのではないの?」
「エルシャ。ボクの願いはカヤの幸せだ。それがカヤの幸せになるのなら、ボクは願おう」
「……二人が対になって、わたしもコールと一緒にいられる?」
「ああ。ボクたちも離れることがないから対になれる。全部の願いを叶える、とても良い条件じゃないかな」
「ええ、ええ! 素敵ね、レイル! わたし、あなたと対になるわ!」
「エルシャ、ボクのこと好き?」
「優しいレイルは好き」
「ボクもエルシャが好きだよ」
「お願い叶えてくれるかしら」
「外に、出てみようか」
曲の途中だけどわたしたちは手を繋いで会場を出る。玄関をくぐり抜けた瞬間、わっと淡い光が降り注ぐ。レイルの金色の髪が光と同化し、光り輝いて綺麗だった。
『二人の願いを叶えよう』
水が染み込むようにじわりと感じた月明かりの言葉は、聖夜の魔法。魔法の主は誰だろう?
「エルシャ、こころの中で願って」
小さな息遣いと共に耳に注がれた言葉に素直に従う。
――コールとずっと一緒にいられますように。
ふわっと体が宙に浮いた感じがしたけれど、目を開けた時にはもう地面の上で日中のような輝きもなく、ただ夜空がわたしたちを見下ろしていた。
「行こう、エルシャ。クリスマスになると魔法はとけてしまう。動けなくなる前に帰ろう」
「レイル、願いは叶ったの?」
「ボクたちは対になれたよ。だから心配しないで。君がコールから離れることはないよ」
「嬉しい!」
飛び上がるわたしにレイルは微笑んだ。あの憂いの滲むものではなくて、穏やかで柔らかい微笑み。わたしはそっと彼に手を伸ばし、その手をレイルに掴まれ走り出す。
暗い夜道、わたしたちには長い道のりがなぜか光の導のように一直線に輝いて見える。わたしを引っ張る強い手をぎゅっと握り返し、もうずっと離れることがないことにひどくこころが落ち着いた。
**********
聖夜の魔法を受けてから幾年か過ぎ、コールとカヤは対になった。
ボクとエルシャはいつも寄り添うように並び二人で太陽の光を浴びている。
動かない体、話せない口。それでもボクらは願いが叶い、他のドールよりも幸福だろう。
思い返すエルシャと出会った日。
全身泥塗れの彼女は明らかに捨てられたのに、来ていた服を脱がされる時ひどく寂しそうな顔になった。自分を捨てた思いやりのない元の持ち主を未だに思っている彼女を憐れみ、なんて馬鹿なんだろうとも思っていた。
けれど次第にコールにこころを寄せていくと可愛らしくなっていって目が離せなくなった。
ぽってりした唇が艶やかに、大きく開いた目が底まで見える海のような美しい水色を湛え、僅かに染まる頰、丸みを帯びた体が柔らかそうで、甘く匂い立つような空気を纏うようになり。
どうしても、欲しくなった。
聖夜のパーティでわざと彼女を置き去りにし、寂しさを味わわせてから手を差し伸べボクを選ばせるようにした。
ドールにとって我が身可愛さが一番。対になれるドールなんていたとしてもほんの一握り。
ボクだって、前まではそうだった。けれどエルシャが一番になった。彼女に言ったカヤの幸せを願うなんて言葉は嘘だ。ボクの願いはエルシャだから。
聖夜の魔法が願いを叶えてくれる条件は、お互いが対になることを望むことだ。それが合えばいい。
エルシャは捨てられたことがあるからこそ、寂しさを埋める為に置いてかれない条件を呑む。
エルシャ、ボクのエルシャ。ボクと対のエルシャ。
君がどれだけ想おうと君はコールと対にはなれない。ならば君はボクのもの。
永遠に、いつまでもずっと。
※補足
・ドールたちは球体関節人形という設定です
・ドールたちの語彙力等は持ち主の語りかけや環境によって様々という設定です
・カヤは人形のお洋服を作るのが趣味なのでエルシャに合う服をたまたま持っていました
・この地域だけの魔法なので、よその地域で聖夜に月光を浴びてもドールたちは動きません(予備)