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宝箱

作者: 沖川英子

 彼は、美しい箱を持っておりました。まばゆいばかりの金で作られたその箱は、子供ならすっぽり入りこんでしまえるほどの大きさで、どの面も様々な飾りで彩られておりました。

 ふたには優雅に舞う蝶や高らかに歌う小鳥が、側面には野の花々や果実が、みごとな銀細工であしらわれておりました。小鳥の柔らかな羽の一本一本、葉脈の一筋までもが滑らかに光る銀で表されており、まるで本物を張り付けたかのように生き生きと輝いておりました。

 また、小鳥の喜びに満ちた目はサファイア、みずみずしい葉の先から今にも滑り落ちそうな露は水晶、豊かに実る木イチゴはルビーでかれんなクロッカスはアメジストといった具合に、色とりどりの宝石が惜しげもなく散りばめられておりました。

 その夢のような美しさ。一度目にしたものは誰でもため息をつき、うっとりと眺めずにはいられないものでした。

「こんな素晴らしいもの、貴族だって王様だって持っていやしない。この世でただ一つ、おれだけの宝物さ」

彼はこれを「宝箱」と呼んで、大層自慢しておりました。箱自体も美しく宝と呼ぶにふさわしいものでしたが、その中には、それ以上に美しく、貴重で、この上なく素晴らしい宝物が収められていたからです。それが何かは誰も知りません。持ち主である彼が、誰にも教えなかったのですから。けれども、それはきっと大層価値のあるものなのだろうと、皆が噂をしておりました。

 彼はこの宝箱をとても大事にしておりました。誰かが見たいといっても、やすやすと取り出しはしません。盗まれたり壊されたりしないよう、大切にしまって、時々一人で眺めては満足しておりました。


 あるとき、箱の噂を聞きつけて、一人の目利きが彼を訪ねてきました。

「わたしは、これまでにいくつも宝物を見てきました。あなたの箱も大変素晴らしいと聞いています。ぜひ、見せていただけないでしょうか」

彼の心は喜びに跳ね上がりましたが、あまりはしゃいではみっともないと思い、わざとゆっくり、もったいぶって箱を取り出しました。

 目利きは箱につかつかと近寄ると、鋭い目つきでふたを見ました。細工物に触れて眉をしかめたかと思うと、今度はしゃがみこみ、箱の側面をぐるぐると見て回りました。と、目利きは急に立ち上がり、大声で笑い出しました。

「なんだ、なんだ。めったにお目にかかれないものだと聞いて来たが、これはただのガラクタじゃないか。金はメッキだし、細工物は安い合金だ。宝石は全部ガラス玉。とんだ偽物だ」

涙が出るほど大笑いすると、目利きは手のひらで箱をぺたぺたと叩きながら言いました。

「あなた、こんないかさま物、どこで手に入れたのです?」

彼は答えることができませんでした。

「これは宝箱なのですってね。あなた、この中身を見たことがありますか」

彼はまた、答えることができませんでした。

「まあ、どうせろくなものじゃないでしょうな」

目利きはおかしそうにくっくっ、と笑ってどこかへ行ってしまいました。



 彼はあんぐりと口を開けたまま、箱の横に立ち尽くしておりました。

 思い出せなかったのです。いつこの箱を手に入れたのか。

 知らなかったのです。この中に何が入っているのか。

 ただ、この箱はとても価値のあるもので、その中にはきっと素晴らしいものが入っているに違いないと、確かめもせずに思い込んでいただけなのでした。

 そのことに、たった今、彼は気が付いたのです。

「この宝箱が金メッキだって? 偽物のガラクタだって? そんなばかな」

そう思って改めて箱を見ると、確かに、金には深い輝きがありませんでした。銀細工はぺかぺかと安っぽく見えましたし、宝石には冴えた光がないように見えました。少し前までみごとだと思えていたすべてが、ほこりをかぶったようにくすんで見えたのです。

 本当に偽物なのだと分かったとたん、彼は胸がぎゅっと痛くなり、泣きそうになりました。

「まてよ、それでは、中身はどうなのだろう?」

ふと、彼は思いました。今まで見ようとも思わなかったけれど、もしかしたら中には本当に素晴らしい宝物が入っているかもしれません。それならば、箱が偽物でも我慢ができます。

 鍵がないので、彼はかなづちで錠を叩き壊すことにしました。偽物の箱など壊れても構わないので、思い切り乱暴に叩きました。蝶の羽にひびが入り、小鳥のくちばしが欠けました。サファイアの瞳が砕け、アメジストの花びらがはがれ落ちましたが、彼はがんがんといくどもかなづちを振るいました。

 やがて、かちん、と音がして、錠が箱の留め金ごと外れました。彼はかなづちを放り捨て、しゃがみこんで箱のふたを開けました。

 中には何もありませんでした。ただ、黒い底板が冷え冷えと横たわっているだけでした。

「ああ、ない、ない。何もない」

今度こそ、彼は泣き出しました。からっぽの箱をのぞきこみながら、わんわんと声を上げて泣きました。

「そんな、何もないなんて。どんな小さなものでもいい。何か、すみっこにないだろうか」

しゃくりあげながら、彼は手を伸ばして底板に触れようとしました。ところが、いくら手を伸ばしてみても、彼の指は底に触れません。彼は両手を伸ばし、体を乗り出し、ついには箱の中に入りました。それでも、彼の手は底板に触れません。

 いつの間にか、彼の体は箱の中にすっぽりと入りこんでおりました。前も後ろも、横も、上も、下も、すべてが真っ暗で、もうどうやって外に出ていいかも分かりません。けれども、そんなことは彼には関係ありませんでした。宝物がない方が、ずっとずっと大ごとでしたから。

 彼は灯り一つない暗闇の中を、

「ない、ない」

と泣きながら、懸命に手を伸ばして歩いていきました。どこまでも、どこまでも続く深い闇の中に歩いていきました。



 彼とその箱がどうなったかは誰も知りません。

 今でも、彼は宝物を探して泣き泣き歩いているのだという人もいます。

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