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4/売られた男、己の力と出会う

『さようなら、鬼束勇司』


 全身を痺れと衝撃が駆け抜ける。身体が言うことを聞かなくなり、その場で膝を折り崩れ落ちてしまう。

 ――ああ、これはあのときの光景だ。

 痛みはない。きっとあの瞬間を夢の中でリフレインしているんだろう。

 指すらまともに動かせない状況で、俺は妙に落ち着いた思考回路でそう考えていた。夢の中で夢だと自覚できる夢を、確か明晰夢というんだったか。


『他の社員には見られていないな?』

『はい。監視カメラにも記録されないよう手配済みです』


 別の男の声がした。首も動かせないので、声のした方へ振り返ることもできない。それでも、ひどく冷たい響きの声だったのは理解できる。


『しかし、彼にあちら向けの商品を見られてしまったようですね』

『問題はない。どうせあちらに送り届けるのだからな。多少早まったに過ぎん』


 晴彦は倒れた俺の目の前に回り込み、髪を引っ掴んで俺の頭を持ち上げた。夢の中だからか痛みも苦痛も感じない。それだけが幸いだ。


『共和国の方から、フォルミド王国のグラナート公がブランクコードを欲しがっているので一人都合して欲しいと要望が来ている。この男の想定性能値ならば、先方が提示した金額に見合うだけの能力は出せるだろう』


 相変わらず、晴彦の言葉からは人間性の欠片も感じられない。俺の夢だから多少は誇張されている可能性も否めないが、天蓋寺晴彦という男はいつもこうだった。俺みたいなアルバイトどころか社員にまで冷徹で、自分や会社の得になるかどうかばかりを考える。

 そんな奴だからこそ、俺を売り飛ばしたと知ったときも何の疑問も抱かなかったのだ。莫大な損失を出した社員どこぞのマフィアに売ったというデマが流れたときも、社員の誰も笑い飛ばせずに信じてしまったほどに恐れられていた。

 デマの当事者だった社員はただの短期出張だったので笑い話で済んだそうだが、俺が置かれている状況は笑い話でも何でもない。


『この男には我々の悲願の成就のため、大いに役立ってもらおうじゃないか』


 火花を散らすスタンガンが押し付けられる。二度目の衝撃が脊髄を貫いて、俺は今度こそ意識を失った。



    ― ― ―




「……最っ悪の目覚めだ」


 軽く寝癖が付いた髪を掻きむしる。エレメンティアに来て最初に見た夢が天蓋寺晴彦の夢だなんて。それほど印象の強い瞬間だったということなんだろうが、こんなに夢見が悪いのも久しぶりだった。

 夢というもののお約束か、連中が話していた内容はあまり記憶に残っていない。それでも胸くその悪くなる内容だったのは想像に難くない。


「まぁ、ちゃんとベッドで眠れただけでも幸せか」


 寝ぼけ眼で辺りを見渡す。

 薄い布団が掛けられた、簡素な木製のベッドが六つ、狭い部屋にぎっしりと詰め込まれている。ベッドの上もこれまたぎっしりで、一つのベッドに二、三人は寝転がっている。別に変な意味ではなく、安い宿賃で泊まるため鮨詰めにされているだけだろう。

 ガラスのない窓には木の扉が嵌め込まれていたが、壊れているのかきちんと閉じていなくて、隙間から朝陽が盛大に差し込んでいる。

 どこからか鳥のさえずりが聞こえる。異世界でもこの音色は朝の風物詩なんだろう。


「えっと、確か昨日は……」


 信号弾が放たれたのを見た後、俺とリリィは大急ぎで森を抜けた。最初から最後までマラソンのような駆け足で先を急いでいたが、それでも最寄りの町に辿り着いたのは日が暮れる直前だった。

 俺はすっかり疲れ果てて、町の様子を確認する余裕もなく、リリィが手配してくれた宿のベッドに倒れこんで、そのまま眠りに落ちてしまった。


「あんなに走ったのいつ以来かなぁ」


 疲労が大きすぎたのかベッドが悪いのか、足腰の疲れが抜け切っていない。

 とにかく顔でも洗ってこよう。狭い宿屋でもそれくらいの設備はあるはずだ。そう思ってベッドから降りようとした矢先、動かした手足に柔らかい感触が伝わった。


「……ん?」


 この部屋のベッドには何人かが詰め込まれて眠っている。ということは、俺が寝ていたベッドにも他の誰かがいるはずだ。

 薄っぺらい掛け布団を恐る恐るめくる。予想どおりというべきか。俺の隣では無防備な寝顔を晒したリリィが、すやすやと寝息を立てていた。


「~~っ!」


 思わず壁際まで後ずさる。驚きの声を上げなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。

 突然のことに心臓がバクバク鳴っている。エレメンティアではこういうのが普通の風習なのだろうか。それともリリィの警戒心が薄いだけなのか。

 とにかくベッドから降りたいが、リリィの上を越えていかないと降りられそうにない。リリィを起こさないよう慎重に腕を伸ばし、ベッドの縁に手を置いてゆっくり体重を移動させていく。

 片脚も向こう側に伸ばして足先を床につけ、慎重にリリィを跨ぎ越えようとする。

 ちょうどそのとき、リリィがぱちりと目を開けた。


「…………あ」

「……ユー、ジ?」

「……や、やぁ、おはよう?」


 鋭い膝の一撃が腹に直撃した。




     ― ― ―




「はぁ、今朝も災難だった……誤解は解けたからいいようなもんだけど……」


 食堂の片隅にあった椅子に腰を下ろす。あれから正直に事情を話し、どうにかリリィの誤解を解いたものの、結局同室の客達を起こしてしまった挙句、今度は訳ありの連れ合いみたいな勘違いをされてしまった。

 ……訳ありなのは否定できないけれども。


「しっかし、あの膝蹴りは効いたな……」


 まだ痛みが残っている気がして、つい腹をさする。

 蹴られたことには怒りも何も感じていない。あの状況で反射的に身を守るのは当然だ。平手とかではなく膝だったのは予想外だったが。

 それに、リリィには昨日から世話になりっぱなしなのだから、こちらに原因があることで逆ギレなんて恩知らずも甚だしい。


 俺は身に付けている衣装に視線を落とした。


 今朝までずっと着ていた現代日本らしい服ではなく、こちらの世界の風俗に合わせたデザイン。あの格好だとテラ・マーテルから着た人間だとバレやすいということで、リリィが調達してきてくれたものだ。

 中世ヨーロッパ辺りの簡素な服飾に近い作りかと思いきや、以外としっかり作られていて、着心地もいい。宿に風呂はなかったが水浴びをする場所は用意されていたので、汗を流して服も替え、久しぶりにさっぱりした感覚を味わうことができた。

 宿の手配も着替えの用意も全部リリィ任せだ。本当、頭が上がらない。


「おまたせ。ごめん、時間掛かっちゃった」


 水浴びを終えたリリィが戻ってきた。金色の髪がしっとりと濡れ、普段と違う雰囲気を漂わせている。


「あー、冷たかったぁ。冬の川みたいな水だったね。何であんなに冷やしてたんだろ」

「やっぱり冷たすぎたよな? 精霊術とかあるんだから、火の精霊でお湯でも用意してくれりゃいいのに」

「安い宿だと色々と難しいのよ」


 雑談をしながら、リリィは店員を呼んで朝食の注文をした。

 言葉の精霊の自動翻訳も固有名詞まではカバーしきれていないらしく、食事の注文の間にも聞き慣れない単語が幾つも混ざっていた。


「火の精霊は活発で扱いにくいから、街中の宿とか食堂で使うには資格が要るの。下手に扱って火事になったら大変でしょ? でもその資格を取るのが大変みたいで、大きなお店じゃないと精霊式の調理場やお風呂場にはお目にかかれないのよ」

「なるほど……こっちの世界でもそういうルールはあるのか。そりゃそうだよな」

「料理だけならともかく、薪だけでお風呂まで沸かすとなるとお金も掛かるしね」


 そうこうしているうちに注文の料理がやってきた。

 俺の前には、手の平より大きな丸いパンと肉や野菜を煮込んだ汁気の少ないシチュー、それと瑞々しい野菜の盛り合わせ。

 リリィの前には、ポリッジだかオートミールだったか、ヨーロッパで食べられてる麦粥に似た粥と同じく野菜の盛り合わせ。粥の方は牛乳ではなく水で似られているようで、サラダは俺の皿と比べて豆が多く入っているようだった。


「多分、ユージの口にあうメニューだと思うけど。大丈夫かな」

「……野菜も意外と新鮮なんだな。驚いた」

「氷の精霊術って本当に便利でしょ? 海の魚も新鮮なまま食べられるそうだし、現代社会は氷の精霊に支えられてるといっても過言じゃないわね」


 確かに、元の世界でも冷蔵技術がなかったら、あんなに恵まれた食生活は維持できないだろう。世界は違えど必要とされる技術は同じだというのが面白く感じられた。

 料理はやや薄味だがなかなか美味しい。昨日は宿場で貰った揚げ物だけしか食べていないので脳が空腹を訴えているというのもあるかもしれない。しかしそれを差し引いても、美味しい朝食だという感想は揺るがなかった。

 特にシチューに使われている肉。これが俺の好みにバッチリ合っていた。


「……」


 食事を進めているうちに、ふとあることに気が付く。

 リリィの食事には、肉や魚、乳製品の類が入っていなかった。そういえば昨日も揚げ物が身体に合わないと言っていた覚えがある。ひょっとしたら、森羅の民シルヴァという種族はそういう体質なのかもしれない。


「ふぅ、ごちそうさま」


 いつもの癖で軽く手を合わせる。リリィはそんな俺の仕草を興味深そうに眺めていた。


「ユージもそれするんだ。やっぱりテラ・マーテルのお祈り?」

「お祈りっていうか、習慣っていうか……挨拶? 世界全体じゃなくて、俺の国だけの習慣だと思うけど」


 リリィの発言に何となく違和感を覚える。

 勇司『も』とはどういう意味なのだろうか。そういえば、俺の味の好みをある程度想定しているようなことも言っていた。どちらも俺以外の日本人に会ったことがあるとしか思えない言い回しだ。

 そのことについて尋ねようとしたとき、宿の外で金属笛の音が高らかに鳴った。


「なんだ、あれ」


 店内の客や外を歩いていた人達が急にどよめき、そのうちの何割かは暗い表情で同じ方向に駆け出した。


「ガウディウム共和国の警吏ね。捕まえた罪人を見せしめにしたいときに、ああやって人を集めるみたい」


 リリィが忌々しげにそう言った。


「共和国? ここって共和国の中だったのか?」

「いいえ。でも、ここの領主はガウディウムの圧力に屈しかけてるから。領内で共和国の警吏が勝手に動いていいっていう約束を結んじゃってるのよ」

「……だから、あんな暗い顔をしてたのか」


 宿の前を子供達が走り抜けていく。彼らも金属笛の音がした方へ向かっていた。


「太陽の盗賊が捕まったって本当かよ!」

「ほんとだって、父さんが言ってたんだ! 盗賊団みんな一網打尽だってさ!」


 ――太陽の盗賊。

 その単語を聞いた瞬間、俺の脳裏に昨日の出来事が浮かび上がる。リリィが嫌っていた褐色肌に銀髪の女盗賊。確か、太陽のヴェルメリオとかいう名前だったはずだ。盗賊団が一網打尽にされたということは、ヴェルメリオに連れられていた子供も捕まってしまったのだろうか。


「多分、ヴェルメリオのことで間違いないと思うけど。気になる?」

「……正直に言うと、少し」

「別に止めたりしないわ。ただし、目立つ行動はしないで。ユージもあいつらに狙われてる身なんだから」


 リリィの言葉からは、俺の意志を出来る限り尊重しようとしてくれているのが伝わってくる。俺が捕まってしまったら、リリィのこれまでの苦労も、これからの計画も全て台無しになってしまうのだから、もっと強く引き止めたっていいくらいなのに。


「ごめん……やっぱり気になる。見てきてもいいか?」

「それなら、これを持って行って」


 リリィは親指サイズの金属筒――精霊筒を二つ投げ渡してきた。

 精霊筒を手に取って、改めて眺めてみると、これまで気付かなかった幾つかの特徴に気がついた。

 筒の側面には透明な素材で塞がれた細いスリットがあり、その内側から淡い光が放たれている。光の色はそれぞれ透き通る水色と薄い緑色。岩人間と戦ったときや、リリィが大木を操ったときの光とよく似た雰囲気の光だった。

 そしてもう一つ。スリットの反対側に小さな紋章が刻印されている。俺にとっては見慣れた模様であり、今となっては憎らしいデザイン……天蓋寺コーポレーションのシンボルマークだ。


「水と風の精霊筒よ。もし使うことがあるなら首筋に押し当てて。昨日は手で握ってたから、変化も腕だけだったけど、そうすれば全身で精霊の力を扱えるはずだから」

「……ありがと、助かる!」


 店を飛び出して、金属笛の音が聞こえた方へ駆け出す。

 しばらく道なりに進んだ先の広場に、大きな人だかりができていた。ちょうど俺がそこに着いたタイミングで、人だかりの中心からもう一度金属笛の音がする。


「領民達よ、注目せよ!」


 ドスの利いた声が広場に響く。

 どうにか人垣をかき分けて前へ出ると、二十人近い男女が後ろ手に縛られ、地面に直接座らされているのが見えた。褐色の肌に銀色の髪。灼熱の民ピュラリスだ。やはりヴェルメリオの盗賊団で間違いない。

 次に俺は、盗賊団を囲んでいる警吏達に視線を移した。

 金属製の胸当てと籠手を身に付けて、二メートル近い金属製の棒を手にしている。警吏というくらいだから、あの棒は犯人制圧用の道具なのだろう。背丈や顔立ちは俺がいた世界の人間にそっくりで、肌がやや青白い。

 唯一、俺達と明らかに違うところ。それは、警吏達の瞳が真昼の猫のように細長かったことだった。


「この者達は我が国からフォルミド王国へ向かう荷馬車を襲撃し、御者を殺害! 遺体を隠した上で、王国のグラナート公が受け取るはずであった高額の品を奪い去った!」

「だから! 盗んでも殺してもねぇって言ってるだろ!」


 ヴェルメリオが吼える。彼女も縄で縛り上げられ、盗賊団の中でも一番目立つところに座らされていた。


「黙れ匪賊め! 貴様らがニフテリザなる情報屋から、此度の輸送計画の情報を買ったことは証明済みだ!」

「だぁーかぁーらぁー! 空振りで無駄足だったって言ってんだろボケ! ……げふっ」


 乱暴に言い募るヴェリメリオの腹を、警吏のひとりが制圧用の棒で突いた。ヴェルメリオは激しく咳き込みながらも、屈することなく警吏達を睨み上げている。

 群衆の呟きが耳に入ってくる。


「義賊だなんだと言っても、捕まったらあの扱いか……」

「他所から来たくせにでかい顔しやがって。何が共和国だ」

「共和国ばかり相手に盗んでりゃ、いつかはこうなるって分かってたろうに……悲しいもんだ」


 俺の耳に入る囁きは概ねヴェルメリオ達に同情的な声だった。俺は思い切って、近くで不満を漏らしていた男に話し掛けてみることにした。あくまで『偶然通りかかった旅人』を装って。


「すいません。この町に来るのは初めてなんですけど、あの人達、悪い奴らじゃないんですか?」

「ん、ああ、旅人さんかい。お上にとっちゃ悪党だろうけど、俺達にしてみりゃ多少ガラの悪い隣人みたいなもんさ」

「隣人……ですか」

「盗む相手は偉ぶった鉱山種族どもの共和国か、共和国に尻尾を振ってる連中ばかり。稼いだ金はパーッと使うから有難い客だし、頭の姉ちゃんは子供好きでな。うちのガキどもにも良くしてくれてたんだ」


 そういえば、リリィも「この辺りでは知られた盗賊」と言っていただけで、悪名が轟いていたとは言っていない。酒場に入っていったときに聞こえた豪快な笑い声も、酒場の客から歓迎されていた証拠ではないだろうか。

 俺は話を聞いた男に礼を言い、人混みを縫って少し距離を離した。


「にしても、あいつらが盗んだ高額の品って、まさか……」

「そのまさかよ」

「うわっ!?」


 移動した先でリリィと鉢合わせた。リリィは、私がいたら悪い?とでも言いたげな顔をしながら、ヴェルメリオ達の方へ振り向いた。


「太陽の盗賊団の狙いはあなただと思うわ、ユージ。具体的な金額までは知らないけど、フォルミド王国はブランクコードを買うために莫大なお金を出したって話だし」

「てことは、あいつら俺のせいで捕まったようなものなのか……」


 リリィは首を横に振った。


「ユージのせいじゃないわ」

「……それでも、さ……」


 俺もヴェルメリオ達に顔を向ける。

 捕らえられた盗賊団の中には数人の女の子がいて、端の方で縛られたまま肩を寄せあって震えていた。俺よりも明らかに年下の子もいる。その子は目に涙を浮かべ、肩を震わせていて――


「なんていうか……」


 遂に幼い子が泣き出した。涙で顔をぐしゃぐしゃにして、お頭のことを必死に呼んでいる。ヴェルメリオは俯いて唇を噛み締めていた。

 警吏のひとりが動く。手に持った棒を露骨に誇示しながら、泣きじゃくる女の子へ近づいていく。その釣り上がった口の端は、明確なまでの加虐心の発露。


「……気分が悪いんだ」

「奇遇ね、私もよ」


 リリィの方を見やると、その澄んだ瞳と目が合った。憤りをこらえ切れていない瞳。交わした視線は無言のゴーサイン。リリィが精霊筒を手に取ったのを見て、俺は人垣を強引にかき分け広場へ飛び出した。

 群衆がどよめく。警吏達は驚き、即座に長棒を構えて俺を取り囲む。ヴェルメリオと盗賊団は突然のことに目を丸くしていた。

 ――ああ、なんて修羅場だ。

 これでも高校生の頃に何度か殴り合いの喧嘩をした経験はある。だけど、そんなものは子供の遊びだったんだと実感させられる状況だった。


「なぁ、猫目のお巡りさん。あんた達が探してるお宝って、これのことか?」


 リリィから受け取っていた精霊筒のうち、緑のスリットの筒を取り出す。

 これからやることは、練習なしのぶっつけ本番。失敗したら悲惨な結果が待っている。それでも、ここであいつらを見捨てたら一生嫌な気持ちを抱えなければならない。そんな気がしていた。

 それだけは死んでもごめんだ――!


「――っ!」


 精霊筒を逆手に握り、スイッチ部分を首筋に押し当てる。

 薄緑の眩い光が顔のすぐ近くで放たれ、俺は思わず目を瞑った。

 まるで、涼やかな風が血管を通って全身を駆け巡り、体全体が軽くなっていくような感覚を覚える。痛みも苦痛もない。ただ涼しくて、解放感溢れる感覚だ。

 光が収まり、瞼を上げると、周りの人達が揃いも揃って驚きの表情を浮かべているのが見えた。


「き、貴様! な……何者だ……!」


 警吏の言葉には答えず、俺は自分の変化を確認した。

 身体がとても軽い。自分の周りに微風が吹いているように感じる。手に視線を落としてみれば、両手が僅かに透けていて路の模様がうっすら確認できた。

 変化はそれだけではない。精霊筒を使った時に生じた光と同じ色の燐光が、全身を薄く覆っているようだった。


「答えろ、不届き者!」


 警吏が長棒を構える。

 俺はそいつとの間合いを詰めようと、強く一歩を踏み出した。


「わっ――!」


 強く地面をけった瞬間、自分で思っていたよりも遥かに猛烈な加速で飛び出してしまった。反射的に足を路面に突っ張って減速し、警吏との正面衝突は免れた。

 ――が。

 ほんの一瞬全力で走っただけだというのに、凄まじい突風が巻き起こり、近くにいた警吏が吹き飛んでしまった。


「……うわ、すっげぇ」


 思わず他人ごとのような感想が漏れる。

 これが全身で精霊の力を扱うということなのか。


「貴様、何をする!」


 他の警吏が長棒を振りかざして襲い掛かってきた。

 ――ペトラスとかいう岩人間と戦ったときのことを思い出す。あのとき、俺の右手から生えた植物は俺のとっさの行動に従って動いてくれた。それなら、この身体も同じように扱えるはずだ。


「これで、どうだっ……!」


 警吏の長棒の射程圏内に入るより先に、素振りでもするように拳を突き出す。それと同時に、突風を束ねたような衝撃が警吏に直撃し、後ろへふっ飛ばしていく。

 今度は別の警吏が、後ろから長棒を突き立てようとしてくる。

 そちらに対しては見様見真似の回し蹴り。蹴りそのものは掠りもしなかったが、警吏は生じた風圧で飛ばされて、何度か地面を転がって倒れ伏した。


「まさか貴様……ブランクコード!」


 残された警吏が叫ぶ。

 喧嘩の素人がデタラメに戦っているだけなのに、こんなにも強くなるなんて。

 フォルミド王国とやらが大金を積んででもブランクコードを求めた理由が分かる気がした。俺程度でもこれほどなのだから、元から強い奴がブランクコードになったとしたら、それこそ手がつけられないくらいの強さに違いない。


「くそっ、増援! 増援を!」


 警吏が金属笛を高らかに吹き鳴らす。

 その甲高い音を聞きながら、俺はまだ驚きっぱなしのヴェルメリオに顔を向けた。

 こういうときはどう接すればいいのだろう。しばらく考えて、俺は素直に笑顔を向けてみることにした。

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