20/売られた男、森羅の少女と出会う
――ラーディクス島の戦いから十日近くが経った。
俺はヴェルメリオの外輪船に乗って、戦いが終わってから初めてラーディクス島へと向かっていた。
あの戦いの後、俺と鈴蘭を含む負傷者は即座に里へと送り返され、傷が良くなるまでは里から出ないように言い含められた。最初はすぐにでも出かけられるとばかり思っていたのだが、脇腹に穿たれた貫通傷と火傷は意外と治りにくかったらしく、全身に傷を負っていた鈴蘭よりも長引いてしまった。
鈴蘭は『ちゃんと治して欲しいっていうリリィの配慮なんだよ』と言っていたが、本当のところは俺には分からない。
「腹の傷、塞がったみたいだな。しっかし、人間の身体ってああいうふうに抉れるもんなんだなぁ」
船を動かすヴェルメリオが笑いながらそう言った。
脇腹を貫いた傷は綺麗に抉ったような形で、しかも傷の表面が均等に焦げていた。現代風に表現するならレーザーが貫通したとでもいうところだろうか。ヴェルメリオだけでなく医者にも珍しい傷だと言われたくらいだ。
「相手はテラ・マーテルの人間なんだっけか。お前をこっちに連れてきて売り飛ばしたっていう」
「ああ。多分あいつもブランクコードだったんだろうな……」
戦っている間はそれどころではなかったので確かめようがなかったが、晴彦が俺に撃った攻撃は精霊の力を使っていた。あちらの人間が精霊術を覚えられるのでもない限り、晴彦もブランクコードだったと考えるしかない。
まぁ、今となってはどちらでもいい話だ。
「とにかく、よかったな。恨みのある相手に仕返しも出来たし、あっちに帰る手段も手に入ったわけだ。これで心置きなく帰れるじゃないか」
ヴェルメリオは本心から喜んでくれていた。けれど、素直に首を縦に振ることができなかった。
俺の目的は間違いなく果たされている。天蓋寺晴彦に報復すること。元の世界へ帰る手段を見つけること。今回の戦いで両方とも達成することができた。それなら、後はヴェルメリオが言うとおり心置きなく帰るだけだろう。
それなのに、何故か心に引っかかるものがあった。
「……門の調査が終わってないって話だから、帰るのはもう少し先になるかな。それまでは、もうしばらくいるつもりだよ」
「ん、それもそうか。ちゃんと元の場所に帰れるか確かめておかないと、おっかなくて使えたもんじゃないだろうしな」
何が引っかかっているのかは、まだ見当もついていないけれど、それを無視して帰ったら一生後悔する気がしていた。
「よし、そろそろ着くぞ。準備しとけ」
「分かってるよ。そういえば、皆は今どこで何をしてるんだっけ」
戦いが終わってからずっと診療所に押し込められていたので、外の情勢がいまいち頭に入っていない。ラーディクス島では戦いの後処理や島の復興準備が薦められていると聞いていたが、他の皆がどんな形でそれに関わっているのかまでは知らなかった。
「ラールとレイズルは街中の瓦礫除去の手伝い。力仕事はしてないみたいだけどな。もう一人のブランクコードは連中が残していった資料の解読の手伝いだ。ゲノムスの言葉とテンガイジの言葉を両方読めるのはアイツだけだから、ここんとこ大忙しだとさ」
その光景が頭に浮かぶようだ。
ラールはきっと一生懸命働いていて、レイズルは裏方仕事に文句を言いながらもちゃんと仕事をこなしているのだろう。鈴蘭は頼られて張り切っているか、仕事の多さに文句をこぼしているか。どちらもあり得そうだ。
「リリィは?」
「嬢ちゃんは全部の仕事の総指揮って奴だよ。一番大変な仕事だと思うぞ」
俺は間近まで迫ったラーディクス島を見やった。
皆それぞれの役割を果たそうとしている。リリィに至っては誰よりも重い責任を背負っているくらいだ。
それなら――俺はどうするべきなんだろうか。
― ― ―
「ユージさん! 元気になったんですね!」
コンクリートの建物が立ち並ぶ町に立ち寄ったところ、ラールが満面の笑みで出迎えてくれた。両手に抱えているカゴの中身は洗いたての洗濯物か。力仕事ではない手伝いというのはこういう仕事のようだ。
「おかげさまで。まだ穴は塞がってないけど、大人しくしてなくてもいいってお墨付きはもらえたよ。ラールが看病してくれたからかもな」
社交辞令の類ではない。傷の痛みが収まりきるまでの間、ラールは何度も見舞いに来て励ましてくれた。
「ありがとうございますっ。レイズルもあいさつくらいしたらいいのに」
「レイズルはどこにいるのかな」
「たぶん、発掘施設の跡地だと思います。スズランさんのお手伝いをしてるみたいです。あ、レイズルとスズランさんに会いにいくなら、そこに置いてるお弁当箱を持って行ってくれませんか?」
ラールが視線で示した先には、簡素な作業テーブルに置かれた、これまた簡素な四角い箱が二個。それらの箱は縦に積み重ねられて細い紐で一つにまとめられていた。
俺はラールの頼みを二つ返事で承諾し、紐で括られた弁当箱を携えて、採掘施設の跡地へ向かうことにした。
町はまさに後片付けの真っ最中といった様子だ。
あちらこちらに散らばったコンクリートの破片は絶え間なく運び出され、崩れかけの建物や地面に開いた大穴は、周囲をロープで囲まれて人が近付かないようにされている。
ゲノムス達が築いたこの町並みはこれからどうなるのだろう。
島を元通りにするため解体される。建物として利用され続ける。解体はされずそのまま森に飲み込まれる。これらのうち、どれが選ばれるにせよ、長い時間が掛かるのは間違いなさそうだ。
かつてリリィと交わした会話を思い出す。
『……そっか。リリィは、あの島を取り返したいんだな』
『島を取り戻したら、森だって元通りにしてみせるわ』
やはり、この島に元の姿を取り戻させるなら、コンクリートの建物や石畳の道を撤去していくしかないのだろうか。
島を取り戻し、むき出しの土を蘇らせ、草と木々を再び茂らせる。島に住んでいた動物だって戻す必要がある。人が住める環境づくりも必要だ。生活を元通りにするなら、樹館や特別な植物製の道具も復活させなければならない。となると、やはり必要になってくるのは――
「……聖樹。あれも復活させるってことだよな。でもどうやって……」
そんなことを考えているうちに、採掘施設の跡地まで辿り着いていた。
建物は半壊している、というか俺が半壊させたときのままになっているようだが、残った半分には今も人の出入りがあるようだった。
俺は見張り役のシルヴァに鈴蘭とレイズルの居場所を聞き、教えられた部屋までまっすぐ足を運んだ。
「よう、有馬にレイズル。なんだか大変みたいだな」
「見てのとおりだよ、鬼束君」
その部屋は大量の資料や書類で溢れかえっていた。部屋の本棚や収納の容量を遥かに超えているあたり、他の部屋からもかき集められた資料のようだ。
「日本語の文書を読めるのはボクと鬼束君くらいだし、鬼束君はゲノムスの文書は読めないから、自動的にボクが頼られちゃって。ボクも怪我人だっていうのに大変だよ」
大変大変と言う割に、鈴蘭の表情はどこか嬉しそうだった。
自分にしかできない役目で頼られているという事実が、有馬鈴蘭という少女の琴線に触れているのだろう。
「ユージさん。門の解析だけど、仕組みはサッパリだけど使い方は分かってきたみたいだよ」
「本当か?」
レイズルは運んでいた書物の束を鈴蘭の前に置くと、俺に向き直った。
「うん。そろそろ使ってみてもいいころかも、って言ってた」
「これで鬼束君は目標達成。リリィも目的を果たせそうだし、めでたしめでたしだね。ボクは帰らないけど」
「そうだな……」
……そう、それでいいはずだ。
晴彦に一発ぶち込んですっきりして、日本へ帰る手段を得て喜ぶ。ここにきた当初の自分ならそれで満足して、門を使えるようになるときを心待ちにしていたに違いない。
なのに、今はまだ門を潜る気になれなかった。
まだ確かめなければならないことが残っている。そんな気がするのだ。
「っと、これラールから。あまり無理すんなよ」
鈴蘭とレイズルに弁当箱を渡す。
「ところで、リリィはどこにいるんだ?」
「ボクは知らないなぁ。レイズルは知ってる?」
「さっき外に出てくのを見たよ。多分、ここの裏の広場じゃないかな」
― ― ―
発掘施設の裏手には、コンクリートが打ちっ放しになった広場が広がっていた。かつて資材置き場にでも使われていたのだろうか。建物や設備らしきものは何もなく、むき出しのコンクリートだけが広がっている。
リリィはそこから半壊した採掘施設を見上げていた。
「傷、良くなったんだね」
こちらから話しかける前に声をかけられた。俺はリリィの隣まで歩いて行きながら、リリィと同じように施設を見上げた。
「本当は三日くらいで歩き回れるようになってたんだけどさ。医者が絶対安静にしてろってうるさくて。根回しでもしたのか?」
「はは、やっぱりバレてた」
決まりが悪そうに笑うリリィ。その顔色には疲労が垣間見えたが、瞳の輝きは今までと変わっていない。
「ありがとう、ユージ。あなたのおかげで、大切なモノを取り返せた」
「……でも、これからが本番なんだよな」
俺にとってはここがゴールなのかもしれないが、リリィにとってはここからがスタートだ。島を取り返した後には、森を蘇らせる大仕事が待っている。木々を、聖樹を、昔ながらのシルヴァの生活を。
森を元に戻した後も苦労は山積みに違いない。共和国と天蓋寺が門を諦める保証はどこにもないのだから、またいつか狙われる可能性は充分にある。ジョーカルが言っていたように、奪い返されたものはまた奪えばいいという態度で来るなら、再度の戦いは不可避と考えてもいいだろう。
「ところでさ。森はどうやって元に戻すつもりなんだ? あの建物を全部どかすのは大変だろ」
「それが理想なんだけど、量が量だから難しいかもね。建物は残したまま地面の石材だけ除去して、森の中で風化するのをゆっくり待つしかないかな。後は聖樹様だけど……」
リリィは顔を上げたまま目を細めた。
「昔、聖樹様がいたところは、あんな大穴が開けられてるから……。埋め直すか、他にいい場所を探すしかなさそう」
「聖樹様、か。それなんだけどさ……新しい聖樹はどうやって用意するんだ?」
この世界を去る前に、せめてこれだけは尋ねておかなければ。薄々感じていた嫌な予感が、的中していないことを確かめておくために。
リリィは困ったように笑って俺を見た。
「そんなこと聞いてどうするの?」
「頼む。教えてくれ」
真剣な顔でリリィを見返す。
リリィは目を伏せ、しかし俺と向かい合ったまま、声のトーンを落とした。
「多分、ユージが考えてるとおりだよ。言ってみて」
こちらが予想を立てていたことはお見通しのようだ。俺は少し躊躇いながら、勝手でどうしようもない想像を口にする。
「想像だけど……リリィが次の聖樹になるつもりなんじゃないか、って思うんだ」
「どうして、そう思ったの?」
否定の言葉はない。
「理由は三つかな。一つ目は、エベノスの聖樹がリリィのことを『サンダノンの新芽』って呼んでたこと。あのときは不思議な表現だとしか思わなかったけど――」
この世界にいたさほど長くない期間の間、他人のことを新芽と呼ぶ表現を聞いたのは、後にも先にもあのときだけ。独特の言い回しに過ぎないと言われればそれまでだが、他の理由と合わせて考えると、重大な意味があったとしか思えなくなる。
「二つ目は、リリィの親父さんに聖樹も蘇らせるって話をしたときに、親父さんがすごく驚いてたこと。あれを見て思ったんだ。聖樹を蘇らせるのは気軽に言えることじゃないんだな、って」
ゲンマが驚いていたことだけではなく、リリィが気まずそうに顔を逸らしていたことも違和感を覚えた理由のひとつだ。
「その二つを踏まえて、聖樹の姿を思い出したらさ。人間みたいに見えた部分が『聖樹になった人の姿』にしか思えなくなった……それが三つ目」
全部想像だけど、と改めて強調しておく。
これは状況証拠ですらない想像の積み重ねに過ぎない。間違った想像だと言われれば、それ以上は反論も追求もしようがなく、それらしい説明があれば納得して元の世界へ帰るつもりだった。
もしかしたら、俺はこの想像を否定してほしかったのかもしれない。自分を助けてくれた人が、自分がいなくなった後にただの植物と化してしまうなんて、想像するだけで気が変になりそうだ。
けれど、リリィは否定も肯定もしてくれない。
「……もし、本当にそうだとしたら、ユージはどうしたい?」
「…………」
リリィが本当に、聖樹になってしまうのだとしたら。
建前ではない俺の本当の気持ちは――
「……まだ、恩を返し切れた気はしないから、できることなら……そうならなくてもいい方法を探したい。それが無理なら……」
リリィの瞳と視線が合う。
「せめて、リリィのすることを手伝いたい」
「まったく……せっかく帰る手段が見つかったのに、私なんかに付き合ってたら、いつになったら帰れるのか分からなくなるじゃない」
少し困ったような、けれど嬉しそうな笑顔で、リリィは笑った。
その顔を見て迷いは消えた。
もう少し、この世界で彼女と一緒にいよう。心からそう思えた瞬間だった。




