19/売られた男、死線と出会う
「はぁ、はぁ、はぁ……」
痛み続ける脇腹の傷を押さえ、路地裏を走り続ける。
精霊筒一本分の力を使い切って縦穴の底から脱出したはいいが、採掘施設の周辺にはまだ大勢の警備兵がいて、あちらこちらを駆けまわっていた。今すぐにでも鈴蘭と合流し、リリィ達のところへ駆けつけたいのだが、警備兵に見つからないよう遠回りをするしかなかった。
「……痛っ」
激痛のあまり足がもつれそうになる。壁に手を突いてどうにか転倒だけは堪えながら、ひたすら前に進み続ける。
もうすぐ鈴蘭と別れた場所に着く。
そう思って顔を上げたとき、コンクリート造りの建物の一つが『斜めに切れて』崩れ落ちた。
「今の……くそっ、有馬!」
急いで裏路地を出た俺の目に飛び込んできたのは、最初にその道を通ったときとは変わり果てた風景だった。半分になって崩壊した建物の残骸が道路を埋め尽くし、粉塵が辺り一帯に立ち込めている。
そして粉塵の中に横たわる人影――ぼろぼろになった鈴蘭。
「有馬!」
俺はすぐに駆け寄って鈴蘭を抱き起こした。
「……なん、だ。もう……戻って、きたんだ……」
「立てるか? 早く帰ろう。採掘場はもう壊した!」
「ごめん、それは……」
「――それは出来ない相談だ」
粉塵が切り裂かれ、鎧に包まれたテタルトスの姿が露わになる。
兜の破損部からテタルトスと目が合う。しかしそれも一瞬のことで、鎧の破損箇所が瞬く間に塞がって元通りになってしまう。
「アリマ嬢の名誉のために証言しておきましょう。彼女はブランクコードの名に恥じない実力でした。ですがわたくし達を同時に相手取るのは無謀というもの」
テタルトスの後ろでは、ジョーカルが全身に付いた砂埃を淡々とはたき落としている。どちらも致命的な傷を負った様子はなかった。テタルトスの鎧はかなり破損していたようだが、今はもう復元して傷ひとつない。
俺は鈴蘭の耳に口を寄せ、あの二人には聞こえないように囁いた。
「精霊筒の残りは?」
「……火と、鋼が、ひとつずつ」
そう言って、鈴蘭は残りの精霊筒を俺に握らせた。俺の手元にあるのは氷が一つ。鈴蘭から受け取った精霊筒を合わせても残り三つ。
これだけの手持ちであいつらを倒せるのか――いや、倒さなければならない。
俺は残された精霊筒を握り、鈴蘭をゆっくりと寝かせた。
「最後の通告です。投降すれば悪いようには致しません」
液体金属を渦巻かせるジョーカル。
その背後で、突如として地面の石畳が吹き飛んだ。
地面を割って大樹の根が溢れ、あっという間にジョーカルを包み込む。
「ユージ! 今のうちに! 早く!」
「リリィ!?」
路地の角から飛び出してくるサンダノンのシルヴァ達。その先頭にいたのは、あの外套を羽織ったリリィだった。
「総員! あの二人を捕らえなさい!」
リリィの合図でシルヴァ達が精霊筒を解放、その足元から太く強靭な枝や根を発生させて、テタルトスとジョーカルを絡めとらんとする。
「小癪な!」
右腕と一体化した刃の一閃。テタルトスの一撃で無数の枝が切り払われる。
――今しかない! 直観がそう訴える。
俺は頭で考えるよりも早く駆け出し、右腕に火の精霊を部分展開させた。
ジョーカルが足止めされた今なら、一対二ではなくテタルトスとの一対一まで持ち込める。勝機はほんの僅かしかないが、それでも二人同時に戦うよりははるかに勝ち目があるはずだ。
「おおおおおっ!」
炎の右拳でテタルトスの鎧を殴りつける。それと同時に精霊の力を全て解き放ち、炎でテタルトスを包み込んだ。目と鼻の先で起こった爆発の熱で、皮膚がピリピリと焼ける感触がする。
だが、それでもテタルトスが倒れる気配はない。
「この程度の熱で、俺を倒せるとでも思うか!」
予想はできていた。
電撃を操る鈴蘭と戦って、それでも健在なのだから、電気や炎のように物理的な形がない攻撃でも鎧の下にダメージを与えるのは難しいにきまっている。
テタルトスを包む炎が消えるより、そして右腕の刃が振り被られるよりも先に、氷の精霊を部分展開させた左拳を同じ箇所に叩き込む。
「ぬおっ……!」
術者であるテタルトスが鎧の異変に気付く。
高温に加熱された金属が、今度は急激に冷却されたことで、金属の鎧が悲鳴を上げる。あともうひと押しで――
「破断を狙ったか。だが、やらせん!」
そのひと押しを実行する前に、信じがたい速度の刃が生身の俺に振り下ろされる。
切り捨てられることも覚悟したその一瞬、幾本もの植物のツタがテタルトスの腕に絡みつき、刃を寸でのところで停止させた。
リリィの精霊術だ。術者の姿は見えなかったが、俺はそう直感した。
ほんの僅かなチャンスを逃さず、最後の一本、金属の精霊筒を右拳に部分展開。金属に包まれた拳を、脆くなった鎧の胴体に渾身の力で打ち込んだ。
「また、してもッ……貴様ぁ!」
鎧が砕け、金属の拳が生身の胴体にめり込んでいく。
崩れ落ちたテタルトスの身体を、地面から伸びた何本もの根が絡めとり、地面にきつく拘束する。
「……はぁっ! はぁ……はぁ……」
大量のツタに飲み込まれていくテタルトスを前に、俺は膝を突いた。
その向こう、ジョーカルを閉じ込めた植物の巨球の後ろから、リリィが転びそうになりながら走ってくる。
リリィ達の戦いも終わったんだ。そう実感した途端、体の力がどっと抜けてしまう。
生き残れた。成すべきことを成すことができた。
生き残ってくれた。成すべきことを成してくれた。
喜びと安堵が胸にこみ上げてくる。
もう少しでリリィが手の届く距離に――
そのとき、ジョーカルを封じていた巨球が内側からはじけ飛んだ。
「きゃあっ!」
「リリィ!」
衝撃で吹き飛びかけたリリィを抱きかかえる。
弾けた植物の残骸はぶすぶすと熱い蒸気に包まれていた。
「防衛部隊は敗走。門発掘施設は崩壊。シュタール家の四男坊は恥の上塗り。無様なものですね、まったく。わたくしも他人のことは言えませんが」
ジョーカルが蒸気を割って現れる。乱れた髪を冷静にセットし直しながら、まるで階段を降りるように自然な足取りで、ちぎれ落ちた植物の残骸を降りてくる。
俺はリリィの肩を抱いてジョーカルを睨みつけた。
「もう諦めたらどうだ……!」
「戦術的敗北は認めましょう。この島の残存戦力では戦況を覆すことはできない」
ゆらりと、ジョーカルの片腕が空に向かって伸びる。
「ですが戦略的敗北は認めません」
ジョーカルの足元から膨大な体積の液体金属が溢れかえる。しかも、火の精霊の力を上乗せされているのか、液体金属は真っ赤を通り越して白い光を放つほどに熱され、激しく火の粉を散らしていた。
まるで――いや、溶鉱炉でどろどろに熔かされた金属そのものだ。
ジョーカルが高く掲げた指を鳴らすと、それが合図だったかのように、赤熱した液体金属が重力に逆らって空へ舞い上がった。
「あなた方は保有戦力の大半をこの島に投じています。ならば、それさえ一掃してしまえば、今後島を守り続けることはできない」
熔けた金属が空中で巨大な球体を形成する。冷え固まる様子は一切なく、それどころか地上の気温が上昇するほどに熱を高め続けている。
「奪い返されたものは、再び奪えばいいだけのこと! 次なる勝利の布石として、ここで死になさい!」
溶鉄の球の表面が弾ける。飛び散った無数のしずくがコンクリートを砕き、辺りを埋め尽くす植物を焼き、リリィの仲間達を傷つける。表層の小爆発は絶え間なく起き続け、それどころか加速度的に頻度を増していた。
地表に降り注ぐ灼熱の液状金属の雨。あちらこちらで悲鳴が上がり、ゲノムスの街が炎に包まれていく。地獄絵図だ。そうとしか言い表せない。
「戦争とは、最終的に目標を達したものが勝つのです! たとえ一時的に島を取り戻したところで、ここで残らず死に絶えてしまえば――」
ジョーカルの胸に一条の雷光が直撃する。
長身の体が激しく痙攣したかと思うと、猫目の眼球がぐるんと白目になり、石畳の地面に顔面から倒れ込んだ。
「……ちょっとだけ、体に残ってたんだよね……」
「有馬……」
雷撃を放った手を伸ばしたまま、鈴蘭は再び倒れ伏した。
しかし、術者であるジョーカルが倒れたというのに、空中に浮かぶ溶けた金属の塊は活動を止めず、依然として赤熱した金属の雨を降らして地上を破壊し続けている。あれそのものをどうにかしなければならないらしい。
だが、俺も鈴蘭も精霊筒を使い切っており、灼熱の金属の塊をリリィ達の植物の精霊術でどうにかできるとは思えない。
「あれは私達で食い止める。ユージはここから離れて」
「駄目だ! そんなこと……!」
何か手段はないか。必死に思考を回転させる。
何かないか。あの熱されてどろどろに熔けた金属の塊を、どうにか鎮める方法は――
「……そうだ」
――ひとつだけ、あるかもしれない。
「……、……、……」
俺は思いついたばかりの手段をリリィに伝えた。
これでどうにもならなければ、もはや逃げ帰るしかないだろう。
「だから、俺をあのデカブツの上で運んでくれ」
「でも、失敗したらユージは……」
「大丈夫だ。俺を信じてくれ」
リリィは迷った末に、首飾りとして身に付けていた植物の精霊筒を、胸元から引っ張り出した。お守りとして持っているといってくれた、俺が初めて使った精霊筒。
「私が持ってる精霊筒は、これで最後。きっとこれなら上手くいくよね」
「ああ、絶対に」
俺も精霊筒の首飾りを握り締める。
かつてリリィから受け取った水の精霊筒。今こそ、あのときの約束を果たすとき。
「行って、ユージ!」
リリィが精霊筒を地面に突き立てる。一抱えもあるほどの太さのツタが石畳を割って生え、空に向かって物凄い速さで伸びていく。俺はすかさずその先端にしがみつき、伸びる勢いに乗じてターゲットを見下ろす高さに到達した。
周囲のコンクリート建築の屋上よりも更に上。目が眩むほどの高さ。そこから俺はツタを蹴って飛び降りた。
真下には真っ赤に灼けた液状の金属球。生身で飛び込めば細胞の一欠片も残さず焼き尽くされる、灼熱の坩堝。肺が焼けそうになるほどの熱気が吹き上がっているのを感じながら、俺は約束の精霊筒を首筋に突き立てた。
「……っ!」
水の精霊と一体化した身体でそれの表面に着地する。表層に脚を突いた瞬間、めり込む感触と同時に表面が固形化し、猛烈な蒸気と熱気が渦を巻く。
これだけの質量と熱量をまるごと冷やすことはできない。だが、表面さえ冷え固まらせてしまえば、熔けた飛沫をばら撒くことはできなくなるはずだ。
それに、固めさえすれば――!
「止まれえええっ!」
すべての力を一気に絞り出す。
灼熱の液球に水柱が立ち、膨大な蒸気を撒き散らしながら、煮えたぎる表層を冷却していく。
「今だ! リリィ!」
合図を飛ばすや否や、表面だけが金属の塊と化した球体の上から、転がり落ちるように飛び降りる。それと同時に俺をこの高さまで運んできたツタが素早く動き、巨大な金属球に巻き付いた。
「飛んで、いけぇぇぇっ!」
ツタが盛大にしなり、巨大な金属球を湖に向けて放り投げた。その猛烈な余波で暴風が巻き起こり、地表の瓦礫すらも高く巻き上げる。
落下していた俺もその旋風に巻き込まれ、上も下も分からないまま宙を待った。
「――――っ!」
視界の隅に、遠くで高々と水柱が上がったのが見えた。
上手く行った。冷やし切ることも掴むこともできないなら、掴める程度に冷やしてから完全に冷却できる場所まで動かしてやればいい。あの液体金属がどれほど膨大な熱量を秘めていようと、湖の水すべてを使って冷却されればひとたまりもないだろう。
後は、落ちる場所も分からずに落ちている現状を、どう対処するか。
「まぁ……いいか」
俺にはどうしようもないことだ。後はどうなったとしても――
「――ユージ!」
声に惹かれ、地上に目を移す。
落ちていくその先で、リリィ達が草葉と花のクッションを敷き詰めて俺を待っていた。




