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18/20

18/売られた男、宿敵と出会う

 島の岸辺を離れ、ビルに似た建物が立ち並ぶ場所へ踏み込む。

 そこは既に混乱と悲鳴が溢れかえっていた。

 霧がうっすらと立ち込める中、石畳の道路を逃げまわる色白で猫目の住人達。激しく鳴り響いて避難を促す鐘の音。耳を澄まさずとも、断続的な爆発音と建物が崩れる轟音が鼓膜を震わせる。

 俺と鈴蘭は島の東側へ逃げる人々の流れに紛れ込み、街の中心部を目指して走り続けていた。


「これがゲノムスの街なのか……」

「ほら、建物の形とかは似てるけど、ボク達がいた世界とは全然違うでしょ?」


 鈴蘭の言うとおりだ。四角い窓がいくつも設けられた、無機質な直方体の建物という点は俺達がいた世界とよく似ている。しかし、地面はアスファルトやコンクリート舗装ではなく古風な石畳で、車道と歩道の区別もない。当然、ガードレールや信号機、電信柱や電線は存在せず、街路樹も植えられていなければ道路標識も見当たらない。

 建物もよく見れば細部が違う。窓にはガラスは嵌められていないし、看板や広告の類がまったく存在しない。


「今のところ妨害は来ないけど……このまま目的地まで行けるのか?」

「リリィの読み通り住人を東に避難させてるね。避難誘導に紛れていけば当分はごまかせるよ」


 南から奇襲され、それに合わせて西から強襲を受ければ、住人の脱出は島の東側から行うしかない。東から船で逃げれば楽に陸地へ辿り着くことができる上、森を抜ければ街道は目と鼻の先。しかし、北に逃げても広大なマグナカヴス湖が広がっているだけ。ならば住民の避難先は東側になるに決まっている。

 西側に住んでいた住民達も東に向かって逃げているので、俺と鈴蘭は町中を難なく前進し続けることができていた。

 これもリリィが事前に予測していたとおりの展開だ。


「途中でバレたらボクが戦うから。鬼束君は左手のソレを使い続けて」

「分かってる」


 ただひたすら走り続けながら、霧と一体化した左手に視線を落とす。

 俺達の周囲の霧は、左手からさり気なく拡散させた霧の精霊の力で他の場所よりも濃くなっている。あまり濃度を高め過ぎると逆に怪しまれてしまいそうなので、加減しながらの展開だ。

 今の消耗具合なら中心部までは持つだろう。

 そんなことを考えていたときだった。唐突に地面が揺れ動いたかと思うと、南に数区画ほど離れた場所で大樹が鎌首をもたげた。メキメキという音がここまで聞こえてきそうな速度で幹が太さを増し、枝葉が空を覆い隠さんばかりの勢いで広がる。


「凄え……あれも精霊術なのかよ」


 木を操るのは何度か見たことがあったが、まさかあれほどのことができるとは。

 驚いてそれを見上げる俺のすぐ近くで、幼いゲノムスの子が振動に足を取られて転び、わんわんと泣きだした。

 思わずそれに気を取られて走る速さを緩めた瞬間――


「見つけたぞ、オニツカユウジ」


 ――首筋に冷たいものが触れた。

 それが刃物であることに気付いた次の瞬間、刃が首の表面を割いた。


「鬼束君!」

「っ……!」


 俺は横に飛んで襲撃者から距離を離した。

 間一髪、左手に部分展開させていた霧の精霊を、全身の完全展開に切り替えるのが間に合った。刃は体表と溶け合った霧を割るに留まって、辛うじて体へのダメージは回避することができた。

 後ほんの少しでも刃深くが食い込んでいたら、頸動脈を切り裂かれた終わっていたかもしれない。


「お前は……」


 俺は地面に片膝を突いたまま、襲撃者を睨んだ。禍々しい形状の甲冑を身に纏っているので、顔を確認することはできない。しかし、その声には確かに聞き覚えがあった。


「テタルトス・シュタール・オリエンス。いつぞやの屈辱、ここで返させてもらう」


 露出が一切ない甲冑の下から感情を抑えた声が響く。

 襲撃者――テタルトスは右手の甲冑と一体化した刃を俺に振り向けた。

 以前、スース村で戦ったときとは鎧の形も強固さも明らかに段違いこれがテタルトスの本気ということなのか。

 俺を庇うように、鈴蘭がテタルトスと俺の間に割って入る。


「なるほどね、君がテタルトスか。一度ユージに負けたんだってね」


 鈴蘭はすかさず首筋に三つの精霊筒を押し付けた。組み合わせは、俺と戦ったときと同じ火・風・金属。だが、変化を終えた鈴蘭はあのときと違う姿形になっていた。

 鳥を思わせる翼や羽の意匠はなく、両腕だけが金属の精霊と一体化し、金属質の装甲に包まれている。手の部分には鳥の鉤爪のような形の大きな爪が生えていて、爪と爪の間で稲妻が激しく火花を散らしている。


「今度はボクに負けてしまえ!」


 両腕の鉤爪から雷光が迸る。

 鈴蘭とテタルトスの距離は十メートルあるかないか。この距離から水平に放たれた落雷を避けられる生き物など、ここが異世界とはいえ存在するはずがない。

 だが――雷光が放たれる直前、地面を覆う石畳の隙間から銀色の液体が溢れ出し、スクリーン状に広がって雷の射線を遮った。

 雷光は銀色の液体を瞬時に沸騰、蒸発させるも、僅かに貫通した稲光はテタルトスに大したダメージを与えることなく霧散してしまう。


「液体金属! まさか……」

「そのまさかですよ、アリマ嬢」


 路地裏から黒尽くめで長身の男が姿を現す。あいつは鈴蘭と一緒に行動していた男――ジョーカル・メルクリオ・セプテントリオだったか。


「オリエンスにセプテントリオ……夢の豪華共演じゃない。ひょっとして、視察に来たお偉いさんがとんでもない大人物で、ふたりとも護衛に呼ばれたとか?」


 鈴蘭は冗談めかしてそう言い、にやりと笑みを浮かべたが、引きつった口元までは誤魔化しきれていない。

 以前、鈴蘭からゲノムスの筆頭氏族とその精霊術師について聞かされていたことを思い出す。セプテントリオ、オリエンス、オクシデンス、メリディエス。この四つの氏族に属する精霊術師が本気になって立ち塞がったら、鈴蘭でも覚悟が必要になる……と。

 現状はまさにその懸念そのものだった。

 いやむしろ、想定していた状況よりも更に悪い。


「その情報をお伝えする義務はありません。貴女とわたくしの雇用契約は既に切れていますので」


 事務的に語るジョーカルの足元で液体金属が渦を巻く。

 テタルトスは右腕と一体化した幅広の刃を鈴蘭に向けた。


「どけ、女。俺はその男の首を取り、雪辱を晴らさねばならんのだ」

「知己の(よしみ)です。戦線離脱を推奨します」

「その頼みは聞けないかなぁ……!」


 鈴蘭が両手の鉤爪を石畳の地面に突き立てる。閃光を伴う電撃が迸り、ジョーカルとテタルトスの行く手を遮る。俺は鈴蘭の意図を即座に理解して、全身に行き渡っていたきりの精霊の力を一気に解放した。

 爆発的に広がった霧が路地を包み込む。

 すかさず風の精霊筒を解放し、全ての力を両足へ集中させる。そして駆け出すと同時に加速、一気にその場から離脱する。


「……っ!」


 互いに声を掛け合うこともしない。そんなことをしたら、目眩ましと煙幕の二重の足止めをした意味がなくなってしまう。

 街の中心部へ繋がる道路を脇目も振らずに走り抜け、遂に目的の場所へと辿り着く。

 採掘場をぐるりと取り囲む円形の建物には、かなりの数の警備兵が付いていて、混乱の最中でも持ち場を離れず警護を続けていた。

 当然、警備兵達が猛スピードで接近する俺に気付かないわけがないのだが――


「敵襲!」

「槍を前に! 迎え撃て!」

「……邪魔だっ!」


 警備兵が陣形を組んで槍を構える。

 俺はその手前で高く跳び、その陣形の真上で宙を蹴り、風圧で警備兵を蹴散らしながら円形の建物の屋上に着地する。俺の役割は採掘施設を破壊すること。いちいち人を相手にしている暇はない。

 そう自分に言い聞かせる一方で、極力他人を殺さないよう動いていることに気付き、自嘲する。


「――投擲ィ!」


 建物の下で号令が掛り、拳大の何かが高く投げ上げられる。それは円形の建物の高さを超え、俺のいる場所へ弧を描いて落ちてきていた。

 あれは鉄の塊だ。そう気付いた直後、拳大の鉄塊が空中でぐにゃりと形を変えて細長い投槍と化し、急加速して俺目掛けて降り注ぐ。


「くそっ……」


 咄嗟に精霊筒のひとつを解放する。

 鉄の投槍の雨が屋上に次々突き刺さる。生身で浴びれば全身を串刺しにされて殺されていただろう。しかし俺に当たった槍は、体の表面を覆う分厚く硬い岩の鎧に刺さるに留まり、肉を傷つけるには至らない。


「のんびりしちゃいられないか!」


 更にもうひとつの精霊筒を解放。リリィから受け取ったものではなく、鈴蘭から預かっていた火の精霊の精霊筒だ。既に展開していた風と土の精霊と合わせ、三種類の精霊を右腕に収束させる。

 イメージは火山。泡立つ溶岩と火山岩。

 右腕が黒く角ばった岩状に変化し、岩と岩の隙間から溶岩の赤い色が明滅する。それに風の力を上乗せすれば――


「うおおおっ!」


 斜め下方へ右腕を繰り出す。岩の内側から圧縮された風が解き放たれ、岩石と高熱のマグマを帯びた爆風となって建物の一角を吹き飛ばす。

 俺の右腕から放たれた小規模な噴火の破壊力によって、採掘場を取り囲む円形の建物の四分の一が崩壊した。

 右腕に展開した精霊の力は残り半分。

 俺はすぐさま振り返り、反対側にも拳を繰り出した。

 コンクリート製の建造物が音を立てて崩壊する。俺が足場にしていた部分も崩れ始め、円形の建物の半分が瓦礫の山と化していく。


「……っと、落ちちゃ駄目なんだって」


 今までに展開した精霊は全て使い切っている。俺は重力に引かれながら、新しい風の精霊筒を取り出して両足に部分展開させた。

 風の放出で減速しながら緩やかに落下する。

 着地の予定地点は地面ではない。円形の建物――今は半円だが――の建物の内側、島の中央に掘られた深い縦穴、その奥だ。


「深い、な……」


 思わず独りで呟いてしまう。

 底が見えない。縦穴は広く深くではなく、狭く深く穿たれているため、底まで太陽の光が届いていないのだ。

 それでも高度を下げるにつれて底の光が見えてきた。

 きっと採掘作業のための照明の光なのだろう。俺は念のため、いくつかの精霊筒をいつでも使えるように握っておくことにした。


 その直後、一条の光が俺の脇腹を貫いた。


 痛みよりも先に『熱い』という感覚が思考を塗り潰す。それが激痛に変わったとき、俺は空中で姿勢を維持できず、バランスを崩して急落下してしまった。


「あ、ぐ……っ!」


 地面にぶつかる寸前で風の精霊を全解放し、風圧で落下の衝撃を相殺する。

 それでも立ち上がることはできなくて、脇腹を押さえて蹲るのが精一杯だった。流血はない。恐ろしいことに、脇腹を掠めるように指先大の穴が開き、傷口の表面は焼き焦げて流血すらしなくなっていた。

 レーザーという単語が脳裏を過った瞬間、忘れたくても忘れられない声が聞こえ、朦朧としていた意識を引き戻した。


「久しぶりだな、鬼束勇司」

「……ッ!」


 地面に頬を擦り付けるようにして顔を上げる。

 いつの間にか俺はゲノムスの兵士達に取り囲まれていて、一斉に槍の穂先を突きつけていた。


「天蓋寺、晴彦……!」

「お前が逃げ出したおかげで、私の部門は手痛い損失を負ってしまったよ。フォルミド王国への補償は実に大変だった」


 相変わらず人間味の薄い声で淡々と喋りながら、晴彦は倒れ伏した俺のところまで歩いてきた。異世界にありながら高級スーツと革靴を几帳面に着こなしたその姿は、まさしく異質そのものだ。


「共和国の、お偉いさん……って、お前のことかよ……。わざわざ出てきたって、ことは、俺を売った理由……くらい、聞かせてくれるん、だろうな?」


 激痛を堪えて吐き捨てるように言う。脇腹の痛みは想像以上に酷く、強がってちゃんと喋ろうとしても途切れ途切れになってしまう。しかも傷の痛みと、上から俺を押さえつける槍のせいで、顔を上げるのが精一杯だ。

 落下の衝撃で落としてしまったのだろう。手に握っていた精霊筒が地面に落ちていて、手が届かないほど遠くへ転がっていく。


「最初の質問に答えよう。そのとおりだ」


 硬い革靴の底が俺の頭を踏みしめ、ぐりぐりと地面に擦り付ける。


「二番目の質問に答えよう。もちろん利益のためだ」


 大した感慨もなく断言されてしまう。

 晴彦は冷徹な瞳で俺を見下ろしている。これは人間に向ける視線じゃない。製品を品定めして価値を勘定するような目だ。


「古今東西、最も需要がある商品は『人』だ。奴隷貿易のような極論を持ち出すまでもなく、労働者は自分自身の『労働力』を商品として企業に売りつけている。希少技能を持つ者はより高値で売れる。私は私の利益のためにお前を売った。それだけのことだ」

「んな……勝手なこと……!」


 晴彦が足を離し、俺の髪を掴み強引に起き上がらせにかかる。兵士達は晴彦の邪魔にならないようすかさず槍を引いた。

 無理矢理立たされた俺の眼前に、髪を掴む手とは逆の手が広げられる。

 その掌では眩い精霊の光が煌々と輝いていた。


「しかし、逃がした犬に噛み付かれるとはな。(ゲート)の稼働試験中だったというのに、すっかり邪魔をされてしまった」


 晴彦の背後の地面に何かが見えた。周囲の土や岩石とは色も質感も違う石材で組み上げられた、多角形の枠組みのような何か。縦穴の底で掘り出されていたのは、その『何か』であるらしかった。

 枠の中ではまるで泉のように光が波打っている。降りている途中で見えた灯りはこの光だったようだ。


「あ、れは……」

「そうだ。あちらの世界へ通じる(ゲート)だ。サンダノンの連中が行動を起こす前に稼働設定を終える予定だったが、お前がサンダノンの計画に与したせいで大幅に計画が狂ってしまった」


 光を放つ掌が、俺の顔面を鷲掴みにする。


「お前を処分するのは容易いが、ブランクコードは貴重品だ。取引といこう。襲撃者達の情報を洗いざらいと、お前自身の労働力を私に提供しろ。対価として命の安全と世界間移動の権利を提供しよう」

「ふざ……けんな……!」


 歯を食いしばり、顔を掴む腕に手を伸ばす。晴彦の手首を握る力は、自分でも情けなくなるほどに弱々しかった。晴彦もその手に何の脅威も抱いていないのか、振り解こうとすらしなかった。


「あいつら、は……売りもんじゃ、ない……!」

「残念だ。処分するしかないな」


 視界が光に埋め尽くされる。

 それと同時に、晴彦の手首を握る手にも光が流れ込んできた。

 晴彦の手が同様で震える。


 ――前にも起きたことがある現象だ。テタルトスと戦ったときに、奴が使っていた精霊が俺の肉体にでも流れ込んできた異様な出来事――


 眼前で輝いていた光が薄れていく。

 俺は渾身の力を振り絞って晴彦を蹴りつけ、その手から顔を振り解いた。


「……馬鹿な! 精霊への強制干渉だと……!」


 晴彦の腕を掴んでいた手が光りに包まれている。これがどんな精霊だろうと構わない。今はこれに賭けるしか――!


「天蓋寺ィ!」


 輝く精霊を全身に完全展開し、思いっきり地面を蹴って駆け出す。

 次の瞬間、俺の体は自分でも信じられないほどの速さで晴彦に突っ込んでいた。

 晴彦が内蔵を吐き出さんばかりの呻きを漏らす。


「げふぉ……」

「――あああああっ!」


 勢いのまま晴彦を吹き飛ばす。

 俺自信も止まりきれず地面を転がり、(ゲート)の手前でどうにか停止する。

 咄嗟に顔を上げると、晴彦は驚愕の表情を顔に貼り付けたまま、(ゲート)の輝きの中に沈みつつあった。


「…………」


 初めて見た晴彦の人間的な表情が、よもやあんな顔になるなんて。

 俺は晴彦が完全に光に沈んでいくのを見届けてから、ゆっくりと立ち上がった。


「貴様! テンガイジ様になんてことを……!」


 大勢の兵士が一斉に槍を構える。

 呆けている場合ではない。俺にはまだやるべきことがある。こんなところで、あんな奴らに殺されるわけにはいかないのだ。

 俺は足元に転がって来ていた一本の精霊筒を拾い上げた。


「ちゃんと、帰らないと、な……」


 精霊筒を首筋に押し付ける。

 深緑の光が流れ込み、懐かしい森の薫りに包まれた気がした。

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