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17/20

17/売られた男、戦場と出会う

 湖面に立ち込める朝霧が岸辺の森にまで漂って、辺りを包み込んでいる。

 ラーディクス島の対岸から少しばかり離れた森の中には、草木で偽装した野営用の天幕がいくつも並び、百人以上の上陸部隊が一夜を明かす場となっていた。

 短い準備期間は終わった。今日が奪還作戦の決行日。

 俺は適当な樹の根元に腰を下ろして、出陣準備を整える上陸部隊の様子を漫然と眺めていた。

 打ち合わせどおりなら、そろそろヴェルメリオと太陽の盗賊団がラーディクス島の南から陽動を仕掛ける頃だ。陽動開始直前に例の植物製の伝令鳥が飛ばされ、その到着を合図に主力が船を出す手筈になっている。

 ――俺と鈴蘭が出発するのは、それからもう少し後の予定なのだけれど。


「ユージ。いよいよね……」


 ふと気が付くと、傍にリリィが立っていた。この前の集会のときに着用していた外套を羽織っているのだが、やはりサイズが合っていない。本来なら外套を着ているというより外套に着られていると表現した方が適切なサイズ差だ。

 それでも俺は、この格好がリリィに似合っているように思えた。

 この外套の謂れは知らないが、俺の記憶が正しければ、リリィの父親でありサンダノンの族長でもあるゲンマの部屋にあった外套と同じもののはずだ。なので、族長が着るものだとか、指揮官の証とかそういった代物なのだろう、という想像はできる。

 それが似合うということは、リリィにはその肩書に負けない雰囲気が備わっているということだ。


「やっぱり、怖い?」

「……そうだな。怖くないって言ったら、嘘になるかな」


 俺は樹の根元に腰を下ろしたまま、リリィを見上げた。

 今更、怖くないだなんて嘘をつく意味はない。強がってもどうせリリィにはバレてしまうのだし、強がれば怖さや緊張が消えるわけでもないのだから。


「実は私も、結構怖いんだ」


 リリィは困ったように笑った。外套の内側に隠れていた腕で自分の体を抱きしめる。微かな震えを押さえ込むように。


「覚悟はずっと固めてきたつもりなんだけど、その時が近くなると、どうしても……ね。命令一つ間違えるだけで仲間が死ぬかもしれないって思うと、正直震えてくるんだ」


 そう語るリリィは、しかし小さく微笑んでいた。


「だから、ユージの真似してこんなの作っちゃった」


 悪戯っぽく笑いながら、首から下げた植物性の紐を引っ張り、服の中から首飾りを取り出す。紐に繋がれていたのは精霊筒だった。金属製の筒の窪みに紐を結び、俺のお守りと同じような首飾り仕上げられている。

 俺はリリィの胸元に揺れるそれをまじまじと見た。

 ひょっとして自作なのだろうか。精霊筒以外の素材から手作りらしさが滲み出ている。筒のスリットから漏れる光は濃い緑色。植物の精霊の光だ。これから上陸するラーディクス島は、森を根こそぎ切り払われてしまっているので、この精霊はリリィ達にとって命綱同然の精霊だろう。


「ああ……上陸したらソレがないと、どうしようもないもんな」

「違う違う。そうじゃないよ」


 くすくすと笑うリリィ。俺は更に目を細めて、リリィのネックレスを凝視した。

 俺の真似というのは精霊筒を首飾りにしたことを言っているのだろう。それ以外に共通点はないはずだ。使っている精霊筒も、俺の首飾りの精霊筒はリリィから貰った『お守り』で、あちらはごく普通の精霊筒のはずで――


「これ、ユージが最初に使った精霊筒なんだ。精霊は詰め直したけどね」


 ――思考が一瞬止まりそうになる。

 俺が最初に使った?

 この世界に連れて来られた直後、馬車で運ばれているときにリリィに助けられて、そのときにリリィが落とした精霊筒をうっかり握ってしまったとき。

 あれは深緑の精霊筒で……


「……ああ! あのときの!?」

「ユージのお守りが私が渡した精霊筒なら、私のお守りはユージが使った精霊筒。これで平等でしょ」


 頬が熱くなる感覚がした。気恥ずかしさと、やり返されたという気持ちと、よく分からない嬉しさが頭の中でごちゃごちゃになっている。自分がしたときは何ともなかったが、いざされる側になるとどうしようもなくなってしまう。


「ちょっと……そんな顔しないでよ。こっちまで恥ずかしくなるでしょ」

「無茶言うな!」


 俺とリリィの間に何とも言えない空気が流れる。

 どちらも会話を再開させられず、お互いの顔を見ながら黙りこくっていると、湖の方からリリィを呼ぶ声がした。


「伝令鳥、戻りました! リリィ様もご準備を!」

「分かったわ、今行くから」


 凛々しい声で返事をして、改めて俺に向き直る。


「行ってくるね、ユージ。絶対にまた会いましょう」

「ああ、またな」


 仲間達に指示を飛ばしながら、リリィは走り去っていった。

 俺はその後姿を見送った後、胸元から例の首飾りを取り出して、紐に繋がれた精霊筒を手に乗せた。

 リリィは少しだけ勘違いしている。

 これは「俺のためだけのお守り」ではなく「俺のためのお守りでもある」だけだ。

 もしも炎がリリィを傷つけるのなら、俺がその火を消す水になる。その火を押し留める水の壁になる。この精霊筒は、そんな身の程知らずな約束の証。

 俺は首飾りを握り締め、リリィが去っていった方向を見やった。

 朝霧に遮られてもう姿は見えず、ただ声が微かに聞こえてくるだけだった。


「…………」


 しばらくすると、その微かな声すら聞こえなくなる。

 この岸辺からでは直接見えないし音も耳に届かないが、ヴェルメリオ達盗賊団の陽動作戦とリリィ達サンダノン郷の奇襲作戦が今まさに繰り広げられているはずだ。それを思うと、この場所がとても静かなのが何だか不思議に思えてくる。


「やっ」


 朝霧を割って、今度は鈴蘭がひょっこりと現れた。こちらはいつもどおりの格好にいつもどおりの態度だ。こうもマイペースを貫かれると逆に安心してしまう。


「そろそろボク達も準備しないと。レイズルはもうスタンバってるよ」

「そうだな。出遅れるわけにはいかないし」


 鈴蘭と連れ立って、事前の打ち合わせで指定された外輪船の隠し場所まで歩いていく。その途中、鈴蘭が何やら含みのある顔で俺を肘で突いてきた。


「なんだよ……」

「別に? ヒトには縁起でもないこと言うなって言っておきながら、自分はしっかり死亡フラグ立てるんだなぁって思っただけだよ?」

「……見られてたのか」


 思わず頭を抱えたくなってしまう。

 誰かに、それもよりによって鈴蘭に見られていたことを、リリィが知らずに出発したのは不幸中の幸いだ。もしも出発前に気付いていたら、間違いなく動揺して今後の行動に影響が出ていただろう。


「まさかお揃いのネックレスとはねぇ」

「いいから、ほら! 準備するぞ!」


 波打ち際の外輪船を隠す枝は既に取り払われていて、レイズルが動力部のコンディションを確認している。その様子を岸から見守っているのは、戦いには参加しないはずのラールだった。


「どうしたんだ、ラール。こんなところで」

「あ、ユージさん。心配になって、見に来ちゃいました……」

「オレは大丈夫だって言ってるのに。船だって、お頭ほどじゃないけどちゃんと動かせるんだからさ」


 照れ笑いを浮かべるラールに、不満そうに唇を尖らせるレイズル。

 レイズルにしてみれば、船を戦場の近くまで走らせるだけの仕事だという認識なのかもしれないが、陸地で待つことになるラールからすれば、それだけでも不安になってしまうのだろう。

 実際、万が一あちらの防衛戦力に見つかったら、迎撃を受けることになるかもしれない役割なのだから。


「もしものときはボク達が何とかするからさ。大船に乗ったつもりで待ってなよ。これから乗るのは小船だけど」


 最後の余計な洒落はともかく、最初の部分については俺も同じ意見だ。今は島の南側で戦っているヴェルメリオから、レイズルを頼むと託されたのだから、船に乗っている間はレイズルを守り通すつもりでいる。

 上陸した後は流石にどうしようもないが、そこだけならレイズル一人でも上手くやってくれるはずだろう。


「これでよし……っと。いつでもいけるよ」

「ありがとな、レイズル」


 レイズルの頑張りにお礼を言って、外輪船に乗り込む。


「あれ、もう乗っちゃうの?」

「もうすぐ伝令の鳥が来る頃合いだからな。合図が来たらすぐに出発できるようにした方がいいだろ」

「それもそうだね。じゃあボクも」


 俺に続いて鈴蘭も船に乗り、狭い小船の上に三人が乗ったことになる。サンダノンまで来たときは俺とリリィ、ヴェルメリオにラールとレイズルの五人が乗り込んで、途中からは鈴蘭も加わってぎゅうぎゅう詰めになっていた。それと比べれば、俺と鈴蘭とレイズルの三人しか乗っていない現状は、かなり広く感じてしまう。

 窮屈じゃないので気が楽と思える反面、何となく物寂しさも感じてしまう。


「! 鬼束君、あれ!」


 鈴蘭が指さした方向に目をやると、緑色の鳥が朝霧を飛び越えてくる姿が見えた。


「合図、だな」


 船の舳先に止まった鳥の足から手紙を取り、内容を確かめる。文字が読めない俺のために、合図は簡単な記号で書いてもらうことになっている。手紙に書かれていた記号は大きな二重丸。

 ――問題なし。予定通り出発せよの合図。

 俺は手紙の下部に書かれた二つの記号、丸印とバツ印のうち丸印の方をちぎり取り、足に結び直して鳥を空に放つ。これで、こちらが合図を受け取り作戦を実行するという返事になる。


「レイズル、出してくれ」

「了解っ」


 蒸気機関の音が高まり、小さな外輪船が霧の湖に向けて出航する。


「みんな頑張ってー!」


 ラールの声援を背に、俺はリリィから預かった精霊筒の束から水と風の精霊筒を取り出して、二つ同時に首筋に突き立てた。身体の輪郭がぼやける錯覚の後、全身が半ば霧と溶け合ったような姿へと変化する。

 この状態なら、手足を伸ばす感覚で霧を広げられるのは事前に確認済みだ。小船を中心に霧を広げ、不自然にならないよう気をつけながら、湖上の朝霧の濃度を高めていく。


「島を見失わないでよ、レイズル君」

「分かってる!」


 ラーディクス島を右手に、時計回りに回り込みながら島へ近付いていく。ヴェルメリオ達陽動部隊は島の南から、リリィ達奇襲部隊は島の西から、そして俺達は北西から乗り込む手筈になっている。

 弧を描くように近付いていくにつれて、島の輪郭と建築物の影が次第にハッキリ見えてくる。


「影だけだと、本当にビル街そのものだな……」

「近くで見たら意外と別物だけどね。ここから見ると、うっかり帰ってきちゃった気分になるよ」


 上陸地点まであと一歩の距離まで近付いたとき、島の奥から地響きのような轟音が聞こえ、白い霧に混ざって黒煙が立ち上った。


「きっとお頭達だ」


 レイズルがぽつりと呟く。

 俺達がいる場所は戦場の裏側なので静かだが、島の向こうは戦場の只中にある。さっきの爆発はその事実を容赦なく突き付けてきた。


「そうそう、鬼束君」


 いつもの調子で鈴蘭が話しかけてくる。


「この前言ったよね。もしものときはボクが敵を引き付けるから先に行けーっ、て。あれ本気だから」

「そういう冗談は……」

「本気だよ」


 鈴蘭は俺の目を見据えて強く言い切った。口元はにやけたように笑っていたが、目だけは笑っていない。

 どうして、と問い返すより早く、鈴蘭が二の句を次ぐ。


「君は生き残って帰りたいと思っている。ボクは帰りたくないと思ってる。この世界で死んで骨を埋めたいくらいだ。それなら、死ぬかもしれない役目はボクがやったほうがいいじゃないか」

「有馬、お前……」


 言葉に詰まる。

 そんなことを言われて、ありがとうと受け入れられるほど、俺は開き直りが上手な性格ではない。


「……万が一のときは、任せる。けど! 死ぬのは駄目だ。すぐに終わらせて戻ってくるから、死んでもいいなんて思っちゃ駄目だ」


 俺は思わず鈴蘭の肩を掴んでいた。もし、鈴蘭が自分で言ったような形で死んでしまったとしたら。俺はきっと俺自信を許せなくなる。身勝手な理屈なのは重々承知だが、ぬけぬけと元の世界に帰るなんてできなくなるに違いない。

 鈴蘭はきょとんとした顔をした後で、表情を崩して不器用な笑みを浮かべた。

 これまでにしてきたわざとらしい笑顔とは何かが違う。今までの笑い方は演技だったのではと思うほどに。


「参ったなぁ。そんな積極的に迫られたら惚れちゃうよ?」

「す、すまん!」


 何が悪いのかは分からないが、思わず手を離す。

 いつの間にか、鈴蘭の顔は普段どおりの表情と笑い方に戻っていた。


「まっ、肝に銘じておくよ。なるべく死なないように頑張るから、言い出しっぺの鬼束君も命だけは大切にするように。ボクだけ生きて帰ったら、リリィにどう説明すればいいかわかんないしね」

「……自信はないけど、善処する」


 逆に怒られてしまった。

 当然、俺も死にたくないとは思っているが、死なずに済む確証はない。だからこそ緊張もするし恐怖もある。

 それでも、もう退かないと決めたからここにいる。


「上陸地点が見えた! ……ふたりとも、準備はいい?」


 レイズルが舵を切り船を岸に寄せる。

 俺は上陸に備え、全身に溶け込ませていた霧を左手に集めておくことにした。島に乗り込んでからも、この霧は煙幕や目眩ましで重宝するはずだ。無駄遣いせず大事にとっておかなければ。


「大丈夫、もう行ける。俺と有馬が上陸したら、レイズルはすぐに離れろ。ラールと合流したら、後は話し合ったとおり船を置いて森に隠れるんだ」

「分かってる。ラールはオレがちゃんと守るから、安心してぶっ壊しちゃえ」


 レイズルと掌を打ち合わせ、岸へ飛び移る。

 ここから先は紛れもなく戦場だ。結果がどうあれ、戦いが終わるまで引き返すことはできない。

 俺は薄い朝霧に包まれたビル街を睨み上げた。

 目的地はこの更に奥。島の中央付近に気付かれた『何か』の発掘施設――


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