14/売られた男、行商人と出会う
「ほうほう、なるほど。こいつを装身具に加工すればいいんですね」
店主の少年は俺から受け取ったソレをまじまじと眺めてから、手元の箱に大事そうにしまった。
「頼めるかな」
「加工くらいならできますが、ここだと設備が殆どないんで、せいぜい紐か鎖をつけるくらいですかね。どなたかへの贈り物ですか?」
「いや、俺が付けたいんだ。それと代金のことなんだけど……」
アクセサリーを取り扱っている店を首尾よく見つけられ、加工の依頼も請けてもらえそうだ。しかし、問題はやはり代金。あちらの世界から持ち込んでしまった小物を買い取ってもらえないか尋ねてみなければならない。
これまでに現金が必要になったときは、いつもリリィが出してくれていたので、俺個人はエレメンティアの通貨を持っていないのだ。
……そう表現すると、何だかろくでもないヒモ野郎になってしまった気がしてしょうがないのだけれど。
「ああ、それなんですが」
俺が持ってきておいた小物の買い取り交渉を申し出ようとした矢先、店主の少年が台詞を割り込ませてきた。
「お客さん、テラ・マーテルの人でしょ」
「え、どうしてそれを!?」
「商売人は情報が命。この村で一番の噂くらい、真っ先に収集してますって」
店主は満面の営業スマイルを浮かべている。
頭から生えたオレンジ色の髪の房が、触覚か何かのようにぷらぷらと揺れていた。やはり俺達の髪とは機能からして異なるもののようだ。
「モノは相談なんですが。あちらの貨幣を持っていたら、代金の代わりにそれと交換ってことにしてもらえやしませんか」
「貨幣で? でも、こっちだと使えないんだろ」
日本円のコインならいくつか持っている。というか、ズボンのポケットに小銭入れを入れたまま天蓋寺に連れて来られてしまっていた。そういう理由で効果は何枚か手元にあるのだが、そんなものを代金代わりに受け取ってどうするつもりなのだろう。
「都会の金持ちの中には、他国の硬貨を収集する趣味の人がけっこういるんですよ」
「ああ……なるほどね」
いわゆる貨幣収集家というやつだ。もう使われていない古い型の硬貨、外国のコイン、製造時におかしなことになってしまったエラーコイン。そういったものを集める趣味嗜好は元の世界でもかなりメジャーだったはずだ。
異世界のコインとなれば、コレクターが高値で買い取ってくれるかもしれないし、贈り物として渡せば今後の商売を有利に運べるかもしれない。
物々交換の対象としては確かに悪くない。
「どの硬貨がいいかな……」
「いえいえ、どれでも構いやしません」
「それなら……これで」
指に触れたコインを店主に渡す。適当に取り出したそれは五十円硬貨だった。
五十円。日本の貨幣価値でいえば、アクセサリーの加工代金としては安すぎる。
異世界の貨幣ひとつ。こちらの価値基準でいうと、加工代金としてはどうなのだろう。適切な相場かも知れないし、相当なぼったくり価格かもしれない。
この世界の常識も学んでいかないとな――そう思った。
「はい、まいどあり」
店主の少年は五十円硬貨をギュッと握って、人好きのする笑顔を見せた。
「今日中には仕上がると思うんで、お泊りの建物にお届けしましょうか」
「じゃあ、それで……。あ、それと。できればでいいんだけど、それを届けたときに俺がいなかったとしても、他の人には何も言わないでおいてくれないか」
知り合いが近くにいるわけでもないのに、つい声を潜めてしまう。身につけていて恥ずかしいアクセサリーではないはずだが、材料が材料だ。自分から教えるならいいが、先に気付かれてしまうのは何だか気恥ずかしい。
特に鈴蘭。あいつが真っ先に気付いたら相当面倒なことになる予感しかしない。
「構いませんよ。その辺の手間賃は代金に込みで受け取ったってことで」
面倒な頼み事だったはずだが、店主は笑顔で了承してくれた。やはり異世界の硬貨一枚は、アクセサリーの加工賃の相場より相当価値のある品だったようだ。
欲しい物の注文は済んだ。後は帰って待つだけだが、その前にひとつ個人的な質問をしてみることにした。
「ところで、店主はどんな種族の人なのかな」
「なんと」
色の違う髪の房がぴょこりと揺れる。
「沃野の民カンプスといえば、森の外では最も人口の多い種族ですよ。このような髪に見覚えはありませんか」
「ごめん、まだこっちに来たばかりなんだ。でも、そういえば……色や形は違うけど、こういう髪の人を何度か見たことがあるような」
「そうでしょうそうでしょう」
店主の少年はうんうんと頷いた。
今思えば、リリィに初めて連れて行かれた酒場やスース村でも、特徴的な髪の房を持った人をそれなりに見かけた気がする。
「この髪は風を読み、空気の湿り気を測り、天候を予測する第三の目のようなものなのです。平野に暮らす我らカンプスの命綱ですな」
「へぇ……」
アンテナというべきか猫のヒゲというべきか。ただの飾り毛かと思いきや、凄い機能が秘められていたらしい。
「そんなに大事な髪だと、切れたりしたら大変そうだな」
「チョキンといった直後は大変ですとも。けど、普通の髪と同じように生えたり伸びたりするので、一時的なことですがね」
店主は指でハサミの形を作り、髪の房を切るジェスチャーをした。
この世界には興味深いことがたくさんある。けれど、今までは降り掛かってくる状況を理解するだけで精一杯で、自分から積極的に知ろうとはしてこなかった。そんな余裕はあまりなかったのだ。
元の世界に帰るまでの期間とはいえ、しばらくはここで暮らしていくことになるのだ。色々なことを能動的に知ろうとするのは、無意味ではないはずだ。
「それじゃ、そろそろ行こうかな。ここにはいつ頃までいるつもりなんだ?」
「当分はここで店を開いてるつもりですよ。もうじき大量の物資が入用になる気配がしますしね」
商魂たくましいというかなんというか。村の噂を収集しているという言葉に偽りはないようだ。遠からずサンダノン郷が共和国と衝突することも見越して、必要な物資を売り込むつもりらしい。
「今後もブレッザ商店をご贔屓に!」
― ― ―
注文を終え、サンダノンから提供されているいつもの宿に戻ったところ、いきなり穏やかではない空気に遭遇した。ラールがベッドに座って頬を膨らませ、レイズルからツンと顔を背けていた。
訂正。穏やかではないが深刻でもなさそうな空気に遭遇した。
「……何となく理由は分かるんだけど、一応聞いておくな。どうしたんだ?」
現場にいた年長者達、リリィとヴェルメリオ、それと鈴蘭に尋ねてみる。
三人とも呆れていたり苦笑していたり、今朝の一触即発の状況とは打って変わって、どこか気楽そうに状況を見守っていた。
「お察しのとおりよ。ヴェルメリオとレイズルは例の案で納得してくれたんだけど、今度はラールがね……」
「ここはあたしとお嬢さんで説得するからさ。ユージはゆっくりしといてくれ」
「ゆっくりって言われても……なぁ」
拗ねた子のいるところでのんびりするというのも、なかなかに難易度が高い。そう思っていると、鈴蘭がおもむろに立ち上がった。
「ボク、行きたいところがあるんだけど。することないなら一緒に来てくれないかな」
「俺は今さっき帰ってきたばかりなんだが」
「独り歩きが禁止されてるから、出かけるチャンスは見逃せないんだよね。鬼束君の分は奢るからさ」
「は? 奢るって……おい引っ張るなっ」
結局、鈴蘭の勢いに押されて強引に連れだされてしまう。
ラールの説得には、作戦の責任者のリリィと身内のヴェルメリオが適任で俺と鈴蘭は足手まといとはいえ、こういう形で退場させられるのは予想外だった。
「今朝出かけたときも、実はあそこに行こうと思ってたんだよね。途中で口論始まってお流れになっちゃったけど」
「だから、あそこってどこだよ……」
馴れ馴れしく腕を抱かれて引っ張られながら、里で一番人通りの多い場所まで連れて行かれる。鈴蘭は周囲の視線を一切気にすることなく、とある家――というか店らしき建物に足を運んだ。
鼻をくすぐる甘い香り。果物の匂いを濃縮したような香りだ。
「いらっしゃい」
愛嬌のある女性が笑顔で俺達を出迎えた。
鈴蘭は店内に二、三しかないテーブルに腰掛けると、何やら俺にはよく分からない単語で注文を始めた。難解というか、気取ったカフェの独特なメニュー名を聞いているような気分だ。
「……おい、有馬。ここってまさか」
「いわゆるひとつの甘味処? リア充的に言うならスイーツ店」
「泣いていいか?」
正直、かなり恥ずかしい状況だった。
ただでさえ里では注目を集めざるを得ない立場なのに、異性と腕を組んでこの手の店に入っていく姿を見られたかと思うと、顔から火が出そうになってしまう。
実際のところは腕を無理矢理抱き込まれて連れ込まれたのだが、第三者がそれを察するなんて期待できない。それに鈴蘭も性格さえ度外視すれば、いわゆる黒髪ロングの少女という奴だ。誤解されても相手を責めることはできそうにない。
「はい、お待ちどう様」
運ばれてきたのは、予想どおり甘そうなお菓子の類だった。カレンドラがくれたお菓子よりも多少装飾過多だが、匂いはそれと同じくらいに美味しそうだ。こんな状況でもなければ甘味を楽しむ余裕もあったのだが。
鈴蘭は俺の苦悩などどこ吹く風といった様子で、菓子を口に運んでは幸せそうに頬を緩めていた。
「実はボクも、こういうの少し憧れてたんだよね」
「甘いもの食べることにか?」
「そっちじゃないよ。クラスのビ……女子みたいに、男子と一緒にこういう時間を過ごすこと」
「おい今とんでもない表現しようとしなかったか」
誰かこいつを止めてくれ。こいつと話してると異世界にいる気がしなくなる。
目の前の俺が妙なストレスを溜めていることに気付いてもいないのか、鈴蘭は無邪気な笑顔を浮かべた。
「やっぱり、こっちに来て良かったよ」
――まったく、反則だ。そんな顔をされたら怒る気が失せてしまうじゃないか。
俺は頬杖を突いて不機嫌さをアピールしながら、自分に出された皿の菓子を齧った。奢るというのはこれのことだったのかと、今更気が付く。
「これくらいなら、別に今じゃなくてもいいだろ」
「そういうわけにはいかないよ」
鈴蘭は笑顔のまま続けた。
「ボクだって次の戦いで死ぬかもしれない。またいつか機会があるなんて言って先延ばしにして、その前に死んじゃったら死ぬに死ねないじゃないか」
「…………」
今朝の口論の様子が脳裏を過ぎる。
またいつか機会はある――ヴェルメリオがレイズルに言った言葉だ。
口論に居合わせたときは、鈴蘭は適当な考えでレイズルの側について煽っているんじゃないかとも思ってしまったが、その認識は撤回しないといけない。鈴蘭は自分なりの考えを持って、レイズルの意見を支持していたようだ。
「自分が死ぬかもしれないなんて、いつも考えてるのか」
「そりゃあボクは傭兵だからね。しかも今回は、この地域で最強のガウディウム共和国に喧嘩を売るわけだし。筆頭氏族の精霊術師あたりが本気になって立ちふさがってきたら、流石のボクでも色々と覚悟しなくちゃならなくなる」
筆頭氏族。その単語をどこかで聞いたことがあると思ったら、鈴蘭と一緒にいたジョーカルとかいうゲノムスが名乗っていた肩書だ。
「今ひとつ無知で悪いんだが、筆頭氏族ってのはそんなにヤバいのか」
「うん、ヤバいね」
鈴蘭はお菓子の欠片を口に放り込み、それを飲み込んでから続きを喋りだした。
「ゲノムスは出身地の鉱山単位で氏族――要するに、先祖が同じ家系の集まりを名乗っているんだけど、そのうち四つの氏族が共和国の成立の中心になっていたんだ」
広げた左手の指を親指から順に折り曲げながら、鈴蘭はそれぞれの氏族の名前を列挙していく。
「北の氏族セプテントリオ。東の氏族オリエンス。西の氏族オクシデンス。南の氏族メリディエス。この四大氏族に天蓋寺の現地勢力を加えた五大勢力が、ガウディウム共和国の中枢というわけ」
天蓋寺の名を口にしながら、最後の指を折り曲げる。挙げられた氏族名のうち二つには聞き覚えがあった。
ヴェルメリオが率いていた太陽の盗賊を捕らえ、スース村で一戦交えた、テタルトス・シュタール・オリエンス。
鈴蘭を引き連れて俺達の前に現れた、ジョーカル・メルクリオ・セプテントリオ。
奴らが鈴蘭でも危ういほどの強さというのが本当なら、こうして生き残っているのは幸運の賜物かもしれない。特にテタルトスは、手の内の二割も見せていないと言っていた。本気を出せば数倍の強さだとでもいうのだろうか。もしそうなら、もう一度戦うのは全力で御免被りたい。
「……そんな連中が来ないことを祈るしかないな」
無駄な祈りになる気はしている。
テタルトスはラーディクス島からそう離れていないスース村に派遣されていたわけで、ジョーカルに至っては更に近いエベノス郷までやって来ていた。他の精霊術師が現れるかはともかく、この二人がラーディクス島にいる可能性は充分あるだろう。
「考えすぎてもダメだと思うよ。ネガティブな判断材料なら掃いて捨てるほどあるんだから。ボク以外のブランクコードとも敵として出くわすかもしれないんだし」
しれっと不安要素を上乗せしながら、鈴蘭は最後の一欠片を口に放り込んだ。
自分の死を想定し、危険の大きさも把握していながら、鈴蘭はどこまでもマイペースを維持している。それだけ覚悟が固まっているのか、はたまた現実味のあることとして認識していないのか。どちらにせよ俺には真似できそうにない。
「ああ、美味しかった。これでまた一つ思い残すことが減っちゃったな」
「縁起でもないこと言うなよ」
まるで、いつ死んでも構わないと言わんばかりの台詞だった。
人がせっかく気にかけたというのに、鈴蘭はいつものようにニヤリと笑い、身を乗り出して俺の顔を覗き込んできた。
「ひょっとして、ボクのこと心配してくれた? してくれてる?」
「ええい、店の中では静かに!」
他人のことは言えない声量で鈴蘭のちょっかいをかき消す。この距離感の薄ささえどうにかなればと思わなくもないが、性格は数日やそこらでは変わらないのだから、急な改善を期待するよりも接し方を覚えたほうが手っ取り早そうだ。
鈴蘭はしばらくの間わざとらしく不貞腐れていたが、不意に何かを思い出したような表情になり、また身を乗り出してきた。
「そうそう。これはにも提案したことなんだけどね」
「提案?」
「うん。開戦までもう少しだけ時間があるから、その間にブランクコード同士で訓練でもするのはどうかな。もちろん、精霊筒の備蓄には限りがあるから、残りの本数と相談しながらになるけど」
「訓練か……」
思い返せば、今までの俺はぶっつけ本番続きだった。ブランクコードとしての能力の使い方を事前に練習したことは一度もなかった。
もちろん、好きで練習しなかったわけではない。
リリィに助けられてからというもの、あちらへ移動こちらへ移動を繰り返すばかりで、一箇所に一日以上腰を落ち着けた経験がないのが現状だ。そんな状況で悠長に訓練をしていられるはずもなく、否応なしにぶっつけ本番を強いられてきたわけだ。
「確かに、それはいい考えかも」
「でしょ! 鬼束君も良いって言ってたって、リリィに伝えちゃうね」
鈴蘭はこの店を訪れたときと同じくらいにいい笑顔をしていた。有馬鈴蘭という少女の中では、逢引モドキも訓練も同じような認識なのだろうか。
そんなことを漠然と思いながら、俺は菓子の残りをゆっくり噛み締めた。




