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12/20

12/売られた男、秘密と出会う

 ゲンマに正面から見据えられ、俺は思わず息を呑んだ。

 聖なる森を奪還するまで伝えるつもりではなかったという、サンダノン郷の秘密。今それを教えられると聞かされて、緊張するなというのは無理な相談というものだ。


「君はエベノス郷で聖樹様にお会いしているそうだな」

「はい、一応……」

「しかし、聖樹とは何か、どのような役割を担っているのかは、リリィから聞かされていない。そうだね」


 その通りだったので素直に頷く。リリィは俺と聖樹を引き合わせてはくれたが、聖樹という存在については全くといっていいほど説明してくれなかった。もちろん、俺が知りたがらなかったのでわざわざ教えなかった、というだけかもしれないが。

 ゲンマはリリィに隣の部屋から何かを持ってくるよう言った。


「聖樹とはシルヴァの里に一つずつ存在する神聖な樹だ。一つの集落に二つの聖樹が存在することはなく、聖樹なくして里は生じない。我らにとっては精神的支柱であり、同時に生活を支える物理的支柱でもある」

「えっと、精神的支柱っていうのは想像できるんですけど、物理的というと?」


 精神的支柱。宗教上の神聖な存在。あるいは住人の心の支えになる象徴。

 それならよく分かる。聖樹が放っていた雰囲気は、余所者の俺にとっても『特別』だと感じられたくらいだ。けれど、あの樹が物理的に生活を支えるというのは想像できない。一体どういう意味なのだろうか。

 首を傾げていたところで、リリィが何かを重そうに抱えて戻ってきた。

 種だ。ひと目で種だと分かる形状で、ヤシの実よりも一回りか二回りは大きい。


「お父様、樹館の種をお持ちしました」

「彼に見せて差し上げなさい」

「はい。ユージ……大丈夫だとは思うけど、絶っ対に割ったりしないでね」


 本気の顔で念を押されてしまった。

 それにしても、リリィは今なんと言った? 樹館の種?

 俺はテーブルの上に置かれた巨大な種を撫で、まじまじと見つめた。


「樹館とは自然に生えた樹を使った住居ではない。種を植え、特別な栄養を与えて育てるものだ。そしてこの種は聖樹様のみが生み出すことができる」

「そうか、だから物理的な……聖樹あっての里なんですね」


 ゲンマは大きく頷いた。


「この種だけではなく、生活に必要な道具の材料となる植物の種や、里を守る緑の防壁を構成する植物の種も、それらを短期間で生育させる特別な栄養も、全て聖樹様が与えて下さるものだ。我らシルヴァの伝統的な生活は聖樹様なくして成り立たない」


 貫禄がある口調で語るゲンマの隣で、リリィの表情がだんだん暗くなっていく。

 話を聞き、リリィの姿を見ているうちに、俺まで陰鬱な気持ちになってしまいそうだった。俺だってそこまで鈍感ではない。これだけ判断材料があれば、事情を察することくらいできてしまう。

 独特の住居、防壁、道具を与える聖樹。人々の心身を支える支柱。

 本来の住居、防壁、道具を持たない里。奪われた島と失われた森。

 これらが意味することは――


「……理解していただけたようだね」


 暗に、何を察したのか言ってるよう促される。

 俺は躊躇いながらも、頭に浮かんだ推測を口にした。


「ラーディクス島にあった聖なる森にはサンダノン郷の聖樹もあったんですね。けれど、その聖樹は島が共和国に制圧された後、森と一緒に失われた……」


 二人は何も言わず、俺の推測を聞いている。


「リリィ、いや、えっとリリィさんはこう言っていました。島を取り戻したら森も元に戻してみせると。それは聖樹も元通りにするという意味だったんですね」


 そのとき、二人が予想外の反応を見せた。ゲンマが驚いた表情でリリィを見上げたかと思うと、リリィがその視線から逃れるように顔を背けたのだ。


「……あの、どうかしましたか」

「いや、なんでもない」


 すぐにゲンマは態度を取り繕い、俺にそれ以上の疑問を差し挟む余裕も与えずに、話の路線を元に戻した。


「君の推測通りだ。サンダノン郷は元々ラーディクス島に存在する集落だったが、共和国の襲撃で聖樹までも失い、ここまで落ち延びてきたというわけだ」


 そう言いながら、ゲンマはテーブルの上の大きな種を愛おしそうに撫でた。

 樹館が見当たらず、普通の家しかなかったのも納得だ。聖樹を失ってしまった以上、もはや樹館の種もそれを育てる栄養も手に入らないのだから。

 辛うじて持ち出した種があったとしても、それを植えて利用するわけにはいかなかったに違いない。何故なら、樹館を短期間で育てるための栄養を聖樹から供給されていたということは、裏を返せば聖樹からの供給がなければ育つまでに時間が掛かるということを意味するからだ。

 いつまた共和国が攻めてきて、この土地まで失う事態に陥るか分からないのに、補充の効かない貴重な種をのんびり育てられるわけがない。


「どうして、そのことを伏せようと……?」

「聖樹の喪失はシルヴァにとって致命傷も同然だ。そこまで追い詰められているという事実を知られてしまったら、味方について貰えない恐れがあると判断したのさ」


 ゲンマは安楽椅子の背もたれに体重を預け、決して高くない天井を仰ぐ。


「不誠実だと思ってくれていい。不利な情報を伏せるとは姑息な奴め、と蔑まれても仕方のないことだ」

「考え過ぎですよ。余所者にはどれだけ深刻な話なのかも分かりませんから」


 伏せられていた事情を聞いても、決意を翻そうという思いは浮かんでこない。それどころか疑問が解消されて喜ばしいくらいだ。

 しかし、どうしてだろうか。胸の奥にもやもやしたものが残っている。

 理屈の上では、ゲンマの説明で充分納得できる。そんな情報ならあえて伏せる必要などなかったのではないか、とは思っているが、それは聖樹に対する価値観のズレだ。大した問題じゃない。

 別に論理的な疑問点や矛盾点があるわけではない。ただ、これまでのやりとりを思い返してみると、直観的に『もう一歩踏み込まないと、後で悔やむことになるかもしれない』という気がするだけのことだ。


「気遣い感謝する。まだ語り足りないことはあるが、もう夜も遅い。続きはまた明日に、ということで如何かな」

「え? あっ、はい」

「では、リリィ。彼を寝所までお送りしなさい」

「迷うことはないと思いますけど……分かりました」


 椅子に座ったときと同じように、リリィに促されて席を立つ。

 去り際、改めてゲンマに向き直って挨拶をしておく。


「貴重な時間、ありがとうございました」

「こちらこそ感謝の言葉もない。心強い味方ができて嬉しいよ」


 建物の外は相変わらずの暗闇だった。夜の冷たい空気がすうっと気管を通り抜け、胸の内側を涼やかにしてくれる。


「……リリィさん、って何よ。しかもわざわざ言い直してまで」

「いやぁ、相手が相手だし呼び捨てはまずいかなって」


 リリィと連れ立って寝所まで歩いていく。

 流石に他のみんなはとっくに眠っている頃だろう。湯浴み用のお湯も冷えきっていそうだが、眠る前に軽く汗を洗い流しておくことにしよう。

 そんなことを考えながら、横を歩くリリィの様子をさり気なく伺う。リリィはやや俯き加減で口を結んでいた。


「なぁ、リリィ」

「……どうかした?」


 満天の星空を見上げる。リリィの顔が見えないように。俺の顔が見られないように。


「まだ隠してること、あるよな。聖樹のこと……森を取り戻すことで、さ」


 リリィが唐突に立ち止まる。俺は勢い余って何歩か先に進んでから足を止め、そのまま振り返らずにリリィの返事を待った。


「どうして、そんなこと……」

「俺、実は人の考えてることが分かるんだ」

「嘘ね」

「まぁな」


 一呼吸置いてから、違和感を抱いた理由を口にする。


「さっき、島を取り戻したら森を取り戻すと言っていた、って話をしたら、親父さん凄く驚いてたろ? それを見てさ、こいつ親父さんにも何か内緒にしてることがあるんだなって直感したんだ」

「…………」

「それに。森を取り戻すだなんて、別に突飛な発想じゃないはずだろ。なのに親父さんはあんな顔をしていた。それはつまり、聖なる森を……聖樹を蘇らせるというのが普通の発想じゃないのか、軽々しく言えることではなかったのか……と思ったわけさ」


 俺はリリィに背中を向けたまま、淡々と推測を語り続けた。

 これこそが、先ほど胸に渦巻いていたもやもやした感情の正体。ゲンマに直接聞きそびれた最後の疑問点。

 最初にその台詞をリリィから聞いたときは、違和感など一切抱くことはなかった。当時は聖樹の存在もその役割も知らなかったし、森を大事に思っている奴が森の復活を望むのは当然だと思ったから。


「……隠したかった……わけじゃないの」


 リリィの声は、いつもと比べ物にならないくらいに細く、弱々しかった。

 しまった、と内心で歯噛みする。気安く踏み込んではいけなかった領域だったのかもしれない。それも、気になることがある、なんていう程度のささやかな好奇心で。


「だけど……」

「言いたくないことなら、無理に言わなくてもいいさ」


 振り向いたりせずに、リリィの言葉に割って入る。格好をつけているわけじゃない。申し訳なくて顔を見ることができなかっただけだ。

 隠し事には多かれ少なかれ理由がある。悪意のある隠し事や、それを隠すことで他人が不幸になるような隠し事なら、本当のところを問い質されても仕方がないだろう。けれどリリィがそんなことを考えているとは思えないし、思いたくもなかった。

 それなら、隠し事の内容と理由を無理に暴き立てる意味はない。個人的な好奇心を満たしたいという以外には。


「なんていうかさ。まだ何かあるんじゃないかって思ったままだと、気持ちがすっきりしなかったんだ。だから、まだ俺に言えない事情があるって分かっただけでも、もう充分。ごめんな、変なこと聞いちまって」


 ようやく振り返ろうとした瞬間、背中に何かがドンッとぶつかってきた。

 それがリリィの体だったということを、俺はしばらく理解することができなかった。


「……リリィ?」

「ごめんなさい、ユージ。私、あなたを裏切ることになるかもしれない」


 そう呟いたきり、リリィは何かを喋ることも、そこから動こうとすることもしなくなってしまった。俺は何も言えず立ち尽くすしかなかった。リリィから離れることも、振り向いて抱きしめるなんて気障なこともできない。

 夜空には満天の星。

 リリィが満足するまでは、あの空を見上げていようと思った。




     ― ― ―




 鳥のさえずりが、あちらこちらから聞こえる。

 眩しい朝の日差しを浴びながら、俺は『今の』サンダノンの里を歩き回っていた。

 リリィはあれからしばらくしてどこかへ走り去ってしまい、俺は一人で寝所まで戻ったのだが、結局あまり寝ることができず、朝も早く目が覚めてしまった。朝の散歩なんて似合わないことをしているのも、そのためだ。


「にしても、のどかなところだよなぁ……」


 予想していたとおり樹館は一軒も見当たらず、森の中の開けた土地に建ち並ぶ建物は、どれも簡素な木造家屋ばかりだ。

 住居も聖樹から与えられていたので、この手の建物は造り慣れていなかったのだろう。目に映る家々は大抵どこかが歪んでいて、どこか不格好だった。

 それでも、ここに住む人達には活気が満ちていた。


「戦争が近いのに……いや、近いから、かな」


 彼らの立場で考えれば、もうじき訪れる戦争は、攻められ奪われる戦いではなく、攻めて奪い返す戦いということになる。そのことを思えば、人々に活気とやる気が溢れているのも当然かもしれない。

 周囲を見渡しながら歩いていると、ふとあることに気が付いた。

 こちらが周りを見ているのと同じように、周囲からもこちらに視線が向けられているようだった。最初、余所者だから仕方がないと思ったが、否定的や排他的な視線ではなく、むしろ好意的な目を向けられているらしかった。


「……?」


 そうしているうちに、道の向こうから何人かの子供達が駆け寄り、俺の前に集まった。どの子もさらさらの金髪で、ちょこんと耳を尖らせている。リリィを十歳くらい幼くしたらこんな感じだろうなと思わせる可愛らしさだ。


「ねぇねぇ。おにいちゃん、イセカイからきた人なんだよね」

「え、えーっと……ぶら、なんだっけ」

「ぶらんくこーど。ちゃんとおぼえたんだから」

「そうそうぶらんくこーど!」


 きゃいきゃいと騒ぐ子供達。

 俺は突然のことに、急造の作り笑いを浮かべるしかなかった。子供は嫌いではないのだが、見ず知らずの子に囲まれて笑顔を向けられたら、誰だって戸惑ってこんなリアクションをするに決まっている。

 一番背の高い女の子が代表だとばかりに一歩進み出る。


「おかあさんからいってました。おにいちゃんがダイジな島をとりかえしてくれるんだって。おねがいしますっ」


 満面の笑みでぺこりと頭を下げる女の子。他の子供達も一斉にそれに倣う。


「……そっか」


 そういうことか。自分のことだからか、今の今まで想像が及んでいなかった。

 リリィはブランクコードを求めて里を旅立った。郷長であり父親でもあるゲンマもそれを認識していたのだから、リリィの行動は個人の独断ではなく里の意志。それなら、里の人達がブランクコードを待ち望んでいたとしても不思議はない。

 周りの人達から向けられる好意的な視線の正体も、きっとそれだ。

 俺は自分の目的のために戦い、リリィの目的の達成を助けるつもりでいた。けれどそれは、間接的にサンダノン郷の人々の目的を手伝うことでもあったのだ。


 それを自覚した瞬間、俺は複雑な感情に押し潰されそうになった。


 重圧。大事な役割を担わされたプレッシャー。

 不安。期待を裏切ることになるのではないかというネガティブな想像。

 羞恥心。にわかに注目を集めてしまった気恥ずかしさ。

 義務感。期待されたからには是非とも応えなければ、という発奮。

 どれも同じくらいの強さで俺の心にのしかかり、この感情に身を委ねてしまえと誘いかける。実際、どれか一つの感情に集中すれば、いくらか気は楽になったかもしれない。

 だけど俺は、そんなことができるほど器用ではなかったようだ。

 軽く呼吸を整えてから、子供達と同じ目線までしゃがみ込む。


「その通り。俺は異世界から来たブランクコードで、郷長さんの娘に助けられて、この里のために戦うことになったんだ。だけど俺だけじゃなくて、仲間と一緒に戦って取り戻すんだ」

「さとおささんのむすめ……リリィおねえちゃんだよね!」

「リリィのこと知ってるんだな」

「うん、やさしい人だよ!」


 にこっと笑う少女。

 こんな小さな子にも懐かれるなんて、リリィの意外な一面を見た気がした。


「さてと……」


 立ち上がり、子供達と別れようとする。

 そのとき、年老いた男が申し訳無さそうに話しかけてきた。


「ちとすまんが、リリィお嬢様が連れて来られたお方かな」

「え、ええ」

「向こうの方でお連れの方々が言い争っていて大変なんだ。止めてはくれないか」

「……はい?」


 お連れの方が言い争い。予想外の一言だった。

 該当するのはヴェルメリオ、ラール、レイズル、そして鈴蘭。ラールとレイズルなら言い争って『大変』なんてことにはならないだろうから、きっとヴェルメリオと鈴蘭が衝突しているのだろう。

 灼熱の民にブランクコード。簡単には止められないのもよく分かる。


「それで、誰と誰が喧嘩なんてしてるんですか」


 念のため確認しておこう。

 そう思って口にした問いだったが、返答は予想外のものだった。


「四人とも全員だよ。お嬢さんが二人と子供が二人。子供とはいえピュラリス相手じゃ、うちの連中は気後れしちまって止められないんだ」

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