11/売られた男、郷長と出会う
寝所として案内された建物を出て、暗い夜道をゆっくり歩き続ける。
付近の光源は遠くに見える目的地の建物の照明だけ。足元は真っ暗で何があるか分かったものではない。躓いて転んだりしないように気をつけながら、明かりに向かって近付いていく。
街頭に群がる虫の気持ちが何となく理解できる気がした。
やがて何事もなく目的の建物まで辿り着く。そこは俺達が泊まっている建物と同様に、木材を組み上げて作られた普通の家だった。
「ここも普通だな……」
リリィから聞いた話が正しければ、建て方の違いこそあれサンダノン郷もエベノス郷と同じく樹館を利用しているはずだ。ここもまた二軒目の例外とでも言うのだろうか。
「この光、少なくとも火じゃないと思うんだけど……何だろうな」
建物全体の雰囲気を確かめ、次は光源の正体を確かめる。
その正体は意外とあっさり判明した。一抱えもある木箱に光蟲が入れられて、玄関先に吊るされている。箱の四面は蓋のように開閉する仕組みになっていて、照明が必要ないときは蓋を閉じて光が漏れないようにもできるようだ。もちろん、箱の内側には網が張られていて、蓋を開けている間も光蟲が逃げたりしないよう工夫されている。
「へぇ……よく出来てるなぁ」
箱のなかで光蟲が顎を開閉させ、やや白光を強くした。もしかして俺に向かって威嚇しているのだろうか。しばらく光蟲をからかって遊んでいたところ、どこかから人の話し声が聞こえてくることに気付いた。
抜き足差し足、そちらに行ってみる。どうやら、窓の木戸が半開きになっていて中の会話が漏れ聞こえているようだ。流石に盗み聞きはまずいと思い立ち去ろうとしたが、馴染んだ声が耳に入ったので、つい足を止めた。
「……なので、後は二人目をどうするかを考えないといけません」
「共和国に雇われていた傭兵か……悩みどころだな。戦力としてはぜひとも加えたいが、内偵の恐れも皆無ではない。お前はどう思う」
「二人目のブランクコードという戦力は、捨てるには惜しいと思います」
「そうか……一人目に関しては先に話した問題もある。確かに予備戦力は欲しい」
改まった話し方をしているのはリリィの声で、会話の相手は大人の男のようだ。
主に二人目のブランクコード――有馬鈴蘭について話しているようだが、どうやら俺のことにも言及しているようだ。
もっとよく話を聞こうと、不用意に窓に近付き過ぎてしまった。肩が窓の木戸に触れてしまい、夜の静寂に蝶番の軋む音が響いた。
「誰だ!」
鋭く低い声が突き付けられる。
気付かれてしまった。
この期に及んで誤魔化すのは逆にろくでもないことになりそうだ。俺は隠れ続けるのを諦めることにした。
「すいません、立ち聞きするつもりはなかったんです」
そう弁明した途端。窓の向こうがバタバタと騒がしくなり、木戸が勢いよく開け放たれて、窓枠越しにリリィの驚いた顔と出くわした。
「ユージ! どうしてここに!?」
「少し外の空気を吸おうと思ったら、明かりの点いた建物があったんで、つい」
「……もう。びっくりしたじゃない」
咎めるように目を細めたリリィの後ろから、さっきの男の声が投げかけられる。
「ちょうどいい、彼にも話を聞いてもらうとしよう。すまないがそこの君。鍵は開けてあるから、入ってきてくれないか」
「お父様!?」
「リリィの親父さん?」
まだリリィは何か言おうとしていたが、その前に玄関へ向かう。リリィ達が鈴蘭をどう扱うつもりなのか聞いておきたいし、俺についてどんな話をしていたのかも気になるところだった。
「お邪魔します」
建物の内装は思っていた以上に簡素だった。まるで、大急ぎで家を建てて内装や家具を後回しにしたまま暮らしているかのようだ。
さっきの部屋までやって来た俺を迎えたのは、リリィと同じ髪の色をした壮年の男だった。威厳ある顔立ちに優しげな笑みを浮かべ、椅子に座ったまま俺のことをまっすぐに見据えている。
リリィがお父様と呼んだのはこの人物で間違いなさそうだ。そういう全体で見れば、耳の尖り具合も似ている気がする。
「ユージ君だね、我が郷へよく来てくれた。まずは座ったまま出迎える失礼をお詫びさせて欲しい。実は脚を酷く痛めていてね」
「いえ、そんな……。無理に押しかけてしまったようなものですし」
男が座っている椅子はいわゆる安楽椅子と呼ばれるものに似ていて、背もたれに凝った作りの袖付きの外套が掛けられていた。
俺もリリィに促され、小さなテーブルを挟んで男と反対側の椅子に腰掛ける。
「まずは自己紹介といこうか。私はゲンマという者だ。サンダノン郷の郷長を務めさせてもらっている」
「鬼束勇司です」
ほとんど条件反射で会釈も添える。
異世界にいても日本人は日本人ということらしい。
「……って、リリィの親父さ、じゃなくてお父さんが郷長ってことは、リリィは……」
「郷長の娘ってことになるわね」
道理でエベノスのカレンドラがリリィに敬語を使っていたはずだ。カレンドラから見れば違う郷のリーダーの娘なのだから、一定の敬意を払うのも自然なことだ。
「既にリリィから大まかな話は聞いているよ。テンガイジ一派の手でテラ・マーテルからエレメンティアに連れ去られたことも、テラ・マーテルへ帰る手段を得るために共和国と戦う覚悟があるということも。間違いはないかな?」
「はい……大筋では」
リリィは澄ました顔で父親の隣に立っている。どうやら、今はあちらの立場に立っているという意思表示らしい。
改めて強調されなくても、そこはもう納得済みだ。リリィは故郷の土地を取り戻すために、俺は故郷へ帰るために協力し合う――そんな関係なのだから。仮に、俺をどうやって利用するかゲンマと話し合っていたとしても、俺は恨みも怒りもしないつもりだ。
「ブランクコードが我々の味方についてくれるのなら、これ以上に頼もしいことはない。だがその前に、今一度の状況説明と意思確認が必要になってしまった」
「意思確認、ですか」
「そうだ。リリィが旅立った後で状況が少しばかり変化した。それについて説明をした上で、改めて協力の意思を確認させてもらいたい」
ゲンマがそう言ったタイミングで、リリィが小さなテーブルの天板からはみ出しそうなサイズの地図を広げた。
「まずは前提知識として周囲の土地について説明しよう」
地図に描かれていたのは、日本ではなかなかお目にかかれない地形だった。
まず目を引くのは巨大な森。地図上の面積の大半を占めている。
森の次に目立つのは湖。地図の上端は殆どが湖ではないかと思わせるほどで、かなり歪な形をしている。
湖から平原に流れる川の隣には、何やら読めない文字で名前らしきものが書いてある。きっとこれがバラエナ河だ。
「まずはその地図を見て欲しい。君とリリィが関わった土地に印を付けさせている」
「順に説明していくわね。河川がバラエナ河で湖がマグナカヴス湖、森は特に名前はなくて、平原の住人からはシルヴァの大森林って呼ばれることが多いかな。それで地図の印の意味は――」
リリィは地図上に付けられた点をひとつひとつ指差し、その意味を説明していく。
湖の南東にある島が、リリィが取り返したいと願うサンダノンの聖地。
そこから南、街道沿いの小さな点が、リリィに連れられて訪れた宿。
宿から街道を南西へ下ったところにある印は、共和国の警吏やテタルトスと戦った町。今になって初めて名前を聞かされたのだが、スース村というそうだ。
スース村から西北西の何もないところにぽつんとある印、ここがヴェルメリオ達太陽の盗賊の隠れ家。
河を北上して最初の印がエベノス郷で、次の印がサンダノン郷。
――こうやって地図上で確認すると、俺が歩き回った範囲は意外と狭い。街道とマグナカヴス湖とバラエナ河に囲まれた、ごく限られた範囲でしかなかったようだ。
「森の中で模様分けされてる部分は、左上が私達の勢力範囲で、右がエベノスの勢力ね。エベノスの領域を通ってる街道を北東に行けば、ユージが売られるはずだったフォルミド王国にご到着よ」
久しぶりに嫌な名前を聞いた。フォルミド王国がどんな国なのかは知らないが、きっとろくでもない国に違いない。
「サンダノンの大事な島って、領地の隅っこなんだな。意外……」
「仕方がないさ」
ゲンマが苦笑交じりに口を開く。
「その島は我々の祖先が生まれた島。そこから北西に勢力を伸ばし続けた結果が今の勢力範囲であり、それゆえにこの島は我らの聖地。我らがラーディクスと呼ぶ島さ」
「ラーディクス……ああ、くそっ!」
俺は思わず頭を掻きむしった。そして、何事かと訝しがるゲンマにとても下らないことをリクエストする。
「すいません、何か書き留めるものを貰えませんか。一度聞いただけだと覚えられそうになくて」
「ははは! そういうことか。すまん、こちらの配慮が足りなかったようだ。私の机から紙とペンを持ってきてくれ」
「はぁ……分かりましたわ、お父様」
リリィが持ってきてくれた筆記用具を使って、聞き取った地名を漢字とカタカナでメモしていく。地名をメモするついでに、書き留めておかないと覚えられそうにないことのメモも忘れずに。
急いでペンを走らせていると、リリィが俺の肩越しにメモを覗き込んできた。
「んーっと……二種類? ううん、三種類くらい文字が混ざってない?」
「え? ……ああ、うちの国の言葉はそういう言語なんだよ」
三種類の文字とは平仮名、片仮名、漢字のことだろう。厳密には算用数字も書き込んでいるので、それを別の文字にカウントすれば四種類になるのだが。
「何だか覚えるの大変そうね」
「一度覚えたら結構便利だぞ? ……これでよし、っと。お待たせしました。話の続き、お願いします」
ゲンマは深く頷いて、改めて口を開いた。
「当初、共和国が我らの聖地を奪ったのは『みせしめ』だと思われていた。この処遇を以て他のシルヴァの集落を威圧し屈服させるための」
「それが、本当は違ったんですか?」
「仮説の段階ではあるが、な。リリィがブランクコードを求めて旅立った後、聖なる森に送り込んだ密偵から報告があった。ゲノムス達は聖地の地下に巨大な穴を掘り続けている――と」
そこでゲンマは一旦言葉を切って、わずかに身を乗り出した。
「我らに地下を掘り返す文化はないが、テラ・マーテルにはあると聞く。このゲノムスの行動、君ならどう解釈する?」
ゲンマは分からなくて訊いているのではないようだ。ある程度の検討をつけた上で、俺がどう考えるのか確かめようとしている。そんな雰囲気を感じた。ここは真面目に考えたほうが良さそうだ。
「地下を掘るというと、地下資源の採掘か……他に地下に埋まっているもの……遺跡か何かを発掘しているか、でしょうか」
「我々も同じ予想に至っている。ゲノムスは鉱床の民だ。望む物を地下に求めることは理解できるが、どうもその『何か』の採掘を急いでいるらしい」
「つまり、みせしめで占領したわけじゃなくて、最初からその『何か』を狙っていたかもしれないってことですか?」
リリィに案内されて目の当たりにした、例の島の風景を思い出す。
かつて島に生い茂っていたという森は既になく、ビルディング建築を真似た建物が建ち並ぶ光景。そのときは、シルヴァ達が暮らせる環境を根こそぎ奪い取って、自分達だけが暮らしやすいように改造したのでは、と思っていた。
だが、ゲンマの話を聞いて今更ながら印象が変わった。
森を伐採し尽くしたのは、採掘の邪魔になる木々の処理と、色々な作業で必要になる木材の確保のため。大量に建てられた建物は採掘に従事する作業員を住まわせるため。そう考えても納得できる。
「聖なる森の略奪がただのみせしめならば、時間を掛けて奪還することも選択肢のひとつだった。しかし、奴らが地下から何かを得ようとしているならば、話は別だ。地下から得たもので共和国が更に力を増してしまうかもしれん。悠長に構えている暇はない」
ゲンマはテーブルに広げられた地図を叩き、堂々と宣言した。
「それも含め、様々な報告と情報を基に会合を重ねた結果、聖なる森を速やかに奪還すべしとの結論に至った。これは私個人の意志のみを反映したものではない。里の者達と話し合って導き出した方針だ」
一方、リリィは気まずそうに唇を引き結んでいる。俺と目が合った瞬間、リリィは俯き気味に視線を逸し、ごめんなさいと呟いた。一体、何を謝っているのだろうか。到着早々に戦いが近いことを告げることになったことか? そうだとしたら、リリィには何の落ち度もないはずだ。
「我らは計画を大幅に前倒しし、近日中に聖なる森の奪還に動く。そこでだ、ユージ君。君の意志を尋ねたい。すぐにでも戦いに身を投じる覚悟はできているか? ないのならば無理は言わない。無理に引き込むことはしないと誓おう」
現実味がないというのが正直な感想だ。普通にバイトをしていたはずなのに異世界へ送り込まれ、危うく人身売買されるところを助けられて、常識外れの戦いを繰り広げた上、今度は戦争が近いという。ただ一方的に巻き込まれ続けるだけなら、精神的に耐えられなかっただろう。
だが、異世界送りと人身売買はともかく、それ以降の出来事に関して言えば、俺は一方的に巻き込まれていたわけではない。
帰りたいという意志がある。天蓋寺に仕返しをしたいという意志がある。それを実現するために自分から行動してきたつもりだ。選択肢に恵まれていたとはいえないが、自分の意志で選んできたつもりなのだ。
「……俺、は」
それなのに、即答することができなかった。戦争という現実が俺の心にずしりとのしかかってくる。
思わずリリィへと顔を向けてしまう。リリィは俯いたまま何も言わなかった。
「……」
息を深く吸い、ゆっくりと吐く。
俺は一体何を悩んでいるんだ。
帰りたい、報復したい、そんなものは理由の半分でしかない。
命懸けで戦うことになっても構わないと覚悟した理由は、他にあったはずじゃないか。
「俺は」
何度も助けられた。色々なことを教えてもらった。今を逃したら、いつその恩を返すというんだ。
「大丈夫です。いつでもやれます」
「おお、そうか!」
「けれど、俺以外の人達、ヴェルメリオや鈴蘭はどう考えるのかは分かりません」
「それは勿論だとも。彼女達には明日にでも意思確認をさせていただくつもりだ」
ゲンマの威厳ある顔に喜色が満ちる。
リリィは驚いた表情で顔を上げた。俺はそんなリリィを見上げ、強がって笑ってみせることにした。
「早かれ遅かれ喧嘩を売る予定だったんだ。それが早まっただけだろ?」
「ユージ……」
リリィの表情はやはり晴れない。その場凌ぎの強がりは簡単にバレてしまうらしい。
確かに不安だ。喧嘩だって素人同然なのに、いくら特別な力を得たからって戦争に身を投じるなんて。不安を覚えない方がおかしいだろう。だけど、不安だ不安だ、怖い怖いと叫んでいても何にもならない。そうしなければ先には進めないのだから。
「今のうちに確認しておきたいことがあれば、何でも尋ねてくれ。私に答えられることなら答えよう」
ゲンマは威厳さが台無しになるくらいに上機嫌だ。
今なら少しくらい失礼なことを聞いても大丈夫かもしれない。そんな邪な考えが脳裏を過った。
「それじゃあ、ええと……エベノスの里に訪れた時は、大きな生垣や樹で出来た家、見たこともない植物を使った道具がありました。けれど、ここの里ではまだそういうものを目にしていなくて……」
一度、言葉を切って反応を伺う。
ゲンマは笑顔を収めていたが、不機嫌というよりはこちらの発言をしっかり聞き取ろうとしている顔だ。リリィは――
「……あの、それは、ね。ユージ」
――微かに動揺しているようだった。
「この村は本当にサンダノンの里なんですか?」
リリィが露骨に表情を強ばらせる。
ゲンマはテーブルに肘を突き、顔の前で指を組んで、鋭い眼光で俺の目を見据えた。
「やはり君は聡明な青年のようだ。いいだろう。奪還が成った後に伝えるつもりだったが、まだ伏せていたことを語らせていただこう――」




