LAST ACTion 『後編』
艦橋がパニックに陥る。船賊の強襲に加え、振って沸いたようなハッカーからの攻撃にとめどない勢いでデータは消失してゆくと、白い船を覆うシステムは乗っ取られようとしていた。その大胆かつ最悪なテロを前に悲鳴は上がり続ける。
しかしながら、それが内部からの攻撃であるなどと、よもや保有するAIによるものだなどと、思い及ぶ者は誰もいない。
ただ艦は死へと向かう。
その過程にこそ、ドカン、という音はなく、ただ食らったに等しい衝撃にデミの目は点と縮んでいた。
『あ、れ?』
『どうしたでやんすか。失敗したでやんすか?』
予定では、新しいIDに入れ替えた瞬間、古い偽造IDは役目を果たして消去されるハズだったのだ。だが実際は古い偽造IDどころか、この船全ての着艦情報を吹き飛ばしてもろとも消え去る。
『し、失敗じゃ、ないんだけど』
珍しくもつまらせる鼻溜。
『ち、ちょっと……強力過ぎたかな? あは、あはははは、は?』
乾いた笑いを放つ。
つまりこちらもしかりだ。
これでどうだ、と自船のデータをデリートしたつもりのスラーもまた連なる情報全てが弾け飛ぶ様を目にして、血の気の引く思いを味わっていた。
『だぁっ、やべっ。全データ、吹き飛ばしちまった!』
聞こえてライオンが、これでもかと吹きだす。
そんな艦内のいたるところで照明は非常灯へと切り替えられていった。
(もう、バレやがった)
つゆ知らず振り捨てクロマは充電器へ立てかけていたスパークショットを抜き取る。
(サツが来るまで、どれくらいかかりそうや?)
充電状態を確認しつつ問えばコーダが、スロットル脇に取り付けられた小さなスクリーンをのぞきこむ。
(おうおう、一八〇〇セコンドくらいできよるぞ)
市販で売られているスピード違反取締り探知機、その改造版だ。読んでクロマへ振り返した。
(了解!)
(思い切り暴れてこいよ!)
今や白い船は目前に壁がごとく広がると、見据えてクロマは船尾へ向かう。コノエマージェンシーに他の船賊たちもすでに集まっているはずだった。
見送ったコーダがスロットルを握り締める。あとはいつも通りをこなすまでだ。スワッピングマニュピレーターを食い込ませるべく繊細、巧みに、壁かと反り立つ遺体収容船へ船を寄せてゆく。出来る事ならビーコンの発信源により近い場所がイイだろう。加えてクロマたちの出入りを考慮したなら、船側にかまえられた格納庫が最適だ。そこに先客がいようがかまわない。探って船を操り続ける。
だがそうして奮闘すればするほどコーダは違和感を覚えていた。
(なんや。抵抗、しよれへんのか?)
体当たりされれば微塵もないほど、こちとら小さな船だ。しかしながらここまで接近したところで、相手が拒んで動く気配はない。もちろんそれもまたイルサリのせいであることに違いはなかったが、コーダに知る術はなかった。ただ頬へじわり、したたかな笑みを浮かべてゆく。
(何がどうなっとんのかは知らへんが……、この船、もろた!)
保安所までは直進だ。
ウィルスカーテンはもう見当たらない。
トラはサスを抱え、ネオンは裸足のまま白衣一枚で、アルトは一体では持て余す船賊の体を支えつつ先を急ぐ。
複製たちは背後で変わらぬ行軍を続けていた。のみならず両側に並ぶオフィスや処置室の中へなだれ込むと、今やラボ内をその体で埋め尽くそうとしている。
『保安所はもうすぐじゃ。ここを右で出るぞ!』
トラの小脇でサスが声高に鼻溜を揺らした。
即座にアルトが船賊たちへ訳を投げる。
『代われ!』
振ったアゴで、ネオンへ負傷した船賊を預けた。前を走るトラを追い越し、手元へ戻ってきたばかりのスタンエア、その銃床を叩きつける。ススは手にこびりつき、拭って握りしめればアルトの中で愛着こそ増して右折手前で足を止める。壁に背を添わせると詰め所へと静かに顔をのぞかせた。
詰所に動きはない。
と、アルトの傍らへ負傷者をネオンへ預けた船賊が並ぶ。アルトはそんな船賊へと振り返った。もちろんそこに言葉はない。動話もしかりだ。ただうなずき合うだけで追い、追われていたことがウソのようにピタリ、意思は通じ合う。
見て取りトラもまた小脇からサスを降ろした。保安所へ切り込むだろうふたりの留守を預かると、負傷者に年寄り、そして大切な『ヒト』をかばい仁王立ちとなる。
刹那、壁際からアルトと船賊は身を翻した。
詰所へと走る。
感知したドアがスライドしていた。
前に後ろに待ったはなく雄叫びを上げて飛び込む。
通信を担当中の二体。
フル装備でダイラタンシーショットガンを手した分隊員二体。ふいに開いたドアと声に驚き、弾かれたように振り返った。
先制を浴びせたのは船賊のスパークショットだ。通信機材へ絡めば制圧銃の本領発揮と、通信網をシャットアウトさせる。アルトもスタンエアのトリガーを引いて分隊員の片割れを弾き飛ばした。わずかな差で放たれた流動弾が天井へ食らいつき、残る分隊員が反撃に出る。放つ流動弾でスパークショットの電極を弾き上げた。上半身をさらわれ船賊はよろめき、見据えて手際よく分隊員はショットガンをポンプアップさせる。充填されたショットガンを、船賊へ突き付けなおした。
めがけ、アルトは踊りかかる。分隊員を押し倒せば投げ出されたショットガンが乾いた音を立て床を滑り、アルトの体も分隊員の上で跳ねた。その下で、分隊員の手は早くも何かを抜き取り、慌てて身を離したアルトの胸元を鋭い光はかすめて横切る。
ナイフだ。
握り分隊員が体をしならせ跳ね起きた。
息継ぐ暇なく構えた刃先を、アルトめが突き出す。かわしてアルトは後ずさった。距離を保ちスタンエアを突きつける。撃たせまいと翻弄してナイフは振られ、さらに数歩、体をかわして後じさりながらそのリズムを掴むまでしばらく。次の動きが見えたと同時にトリガーを引く。
骨の砕ける音が聞こえていた。分隊員は崩れ落ち、その向うから通信機材の裏に貼り付けられていた小銃をはぎ取りかまええ二体は現れる。
そんな彼らと目が合っていた。
まずいとアルトは奥歯へ力を込める。
身を伏せるべく体を振ったつもりだ。だがありえないほど体はいうことを聞かない。それどころかかくり、とヒザが抜ける。放たれた弾は傍らをかすめ、弾かれた電極を振り戻した船賊が入れ替わりとスパークショットを放ってみせた。狙いを定め切れずにいる二体を焼き払う。だがそれが最後の一撃だった。充電は切れてスパークショットは投げ捨てられる。
(大丈夫でっか?)
ままにアルトへと駆け寄った。
背後では制圧完了を知らせるトラに従い、ネオンにサスたちが保安所へと足を踏み入れている。
(助かった)
アルトは船賊へと振り返し、今度こそ立ち上がろうと力を入れた。だがどうにも左足が思うように動かない。いつからか痺れて感覚が失せている。はっと気づかされていた。おそらくこれは振り払ったとばかり思っていたリンクルームでの予備麻酔だ。
「くっそ」
吐き捨てるしかない。この分だとそう先は長くないだろう。そんな詰め所へも複製たちは一体、また一体と顔をのぞかせていた。
(すまん。肩を貸してくれ。さっき打ち込まれた麻酔が今頃、回ってきやがった)
(了解。どの腕でもつかまってください)
有り余る手を船賊は差し出す。
だが募る疲労も重なれば、更なる負傷者を抱えることとなった全体の足取りはまったくもって鈍った。保安所は越えたものの、複製たちとの距離は縮むいっぽうとなる。
最中、静寂は訪れていた。
解除の段取りを半分以上消化したところで、努力を無に帰しウィルスカーテンはふい、と分隊員の前から消え去る。屈み込んでいた分隊員は呆気にとられて宙を見上げ、見守っていた分隊長もしかりだった。
『次は何だ……』
ならカーテンが消えただけではない。あって当然の生活音さえもが、ことごとく途絶えたことに気づかされる。どうやら空調までもが止まってしまった様子だ。その静寂に聴覚はうろたえ、すなわち死活問題にかかわるトラブルの予感を誰もの脳裏に過ぎらせた。
『これもAIか?』
その中、それは近づいてくる。
音だ。
無音の中で否応なく際立つ響きに、空耳などありえなかった。
ナニカの気配、いや足音は近づいてくる。
ますます鮮明になると、すぐそこにまで迫った。
保安所へ折れる通路の向うからだ。船賊が、担がれて『ヒト』が、そしてどこからどう入ったのか見知らぬ『テラタン』に『デフ6』が、あれほど苦労して確保したはずの対象までもが、飛び出してくる。しかもその後ろに無数の『ヒト』を従えて。
『どけっ!』
アルトは叫んだ。
『貴様!』
分隊長が吠える。
「だめ、追いつかれちゃう!」
いつしか白衣を極Yの血に汚し、サイケと反応させたネオンも悲鳴を上げていた。
声にトラは振り返る。
『ネオン!』
そこでネオンはネオンに飲み込まれていた。目の当たりにすれどおも、もうひとごとではない。慌ててトラはサスを肩へと担ぎ上げる。それきりトラもまた複製の群れにのみ込まれていった。
『うお!』
『こりゃ、たまらん!』
『止まれ! 止まらんと撃つぞ!』
対峙して分隊長は放つが、言葉はあまりにも非力だ。
そんな分隊長らに行く手を阻まれ、アルトに船賊もついに複製に呑まれ中へと吸収されてゆく。
「ったッ!」
(どない……っ!)
尻だか胸だか知らないが、かき分け抵抗して誰もは居場所を確保すべく手足を突っ張った。だがまるで意味をなさない。ただ押し合いへしあい流されてゆくのみ。
対峙して分隊員たちも、そんな複製へショットガンを放つ。食らった複製の身に食らった流動弾の銃創はぱっくり口をあけ、それきり棒切れかと倒れていった。上へ、次から次へと後続が乗り上げる。そ知らぬ顔と前進を続けた。
『隊長! キリがありません!』
そもそもこの数である。ハナから勝ち目などない。
やがては同じ顔の、同じ体の、そして同じうつろさで迫る壁に圧倒され、分隊員たちも後ずさっていった。その手元が鈍れば彼らもまた複製に飲まれてゆく。障害物のなくなった複製の歩みが早さを取り戻していた。その中でつまずけば、立ち上がることはもうかなわないだろう。言うことを聞かない足を持て余しつつ懸命に、アルトは身を預ける壁を目指した。その目が、離れたところに立つシャッフルをとらえる。壁に背を貼りつけたシャッフルは辛うじて、複製に流されることなく踏ん張っていた。前を、踏ん張りきれなかった分隊員が流されていく。助けを求めてシャッフルへと手を伸ばすが、シャッフルがそれに応じることはなかった。見送る分隊員の頭はそのうちにも複製の中へ沈み込み、二度と浮き上がってはこなかった。
見届けたシャッフルの視線が持ち上がる。すれ違いつつあるアルトをそこにとらえた。
『トパルが、トパルがあんたを探していたぞッ』
知らせて手を伸ばし、アルトは叫ぶ。
ならシャッフルもまた声を大きくしていた。
『好きなように行け!』
伸ばしたアルトの手は届きそうもない。シャッフルの前をただ複製の歩みのままに押し流されて行く。その視界の中、遠ざかってゆくシャッフルの顔がわずか笑んだように歪んだ。アルトの見た、それが最後のシャッフルだった。
『トラ! わしに、わしに通信機を渡せるかの?!』
そんな流れのいずれかで、肩へ担ぎ上げられていたサスもまた鼻溜を揺する。
『取れんことは、ないが……!』
ツナギの上半身を脱いだことでトラのシワはネオンの群れに巻き込まれ、もう動きというものが取れない。
『もうすぐ、霊安所の詰め所前へ出おる。スラーに知らせねばならん!』
訴えるサスの手には電子地図が握られていた。
複製らは、複雑な電気室の細い通路を網羅すると、またひと所へ流れを合流させている。それが冷暗所の詰所なら、出来ぬ、と言えぬ状況にトラに気合いも入っていた。
『ふぉ、ふんがー!』
通信機を挟みこんだ、今や伸びきったシワの中へじわり指を潜らせる。辛うじて挟み込まれ残っていたマイクの端を指先でとらえ、ここぞとばかりつまんでサスへ取り出した。電子地図を尻ポケットへ押し込んだサスの手が、トラの肩でそれを受け取る。
『ようやった!』
耳にかけると即座にスラーへ通信をつなげた。
『聞こえるか! スラー、わしじゃ!』
『はぁ? なんだとぉ?』
動力の落ちた霊安所もまた非常灯が灯っている。場所が場所なだけに不安を交錯させる葬儀屋と親族のざわめきは低く辺りに満ちていた。
『そうだ。今、こちらへ向っているらしい。もう、すぐそこだ。だから早く逃げろと言ってきている。山ほどのネオンがここから一気に、あふれ出すことになるらしい!』
今しがた伝え聞いたとおりをライオンはまくし立て、聞かされたスラーは声を裏返した。
『なんだっつーんだ、その山ほどのネオンってヤツは!』
『わたしにも分からん!』
『そんな顔だぜ。余計分、データは飛ばしちまうは。先に逃げていいのか? 助けはいらねーってのか?』
『それも分からん!』
なら、それはまたもやお決まりのように始まっていた。空調が止まったその次に、擬似重力は解放されてゆく。
『お、わ、た、なんだぁ!』
体感の変化にスラーはうめき、覚えがあるならライオンは咄嗟に端末へとしがみつき吠えた。
『な、なんだ、またなのか!』
『何なんだよ。その、また、ってのは!』
『嫌な思いを二度と話す気はない!』
『冗談だろ』
床から安置されていたボディーバックも、メタンガスが詰め込まれた風船よろしく、万が一に備え固定されていた足元を軸に立ち上がっている。中には緩んだロープに空へ浮き上がるものもあり、葬儀社員に遺族らはそんなボディバックへしがみついていた。
と迫り、音は聞こえてくる。
不気味と言うにふさわしい重さだ。
身を持て余しつつスラーとライオンは、聞こえてくる方向へと、詰所から奥へと伸びる通路へと、振り返る。
来た。
ネオンだ、と聞かされているものの気配はおおよそそぐわない。
なんなんだ一体。
無言の叫びはスラーとライオンの胸の内でハモる。
なら視界へと、ついにそれは現れていた。
聞いた通りのネオンだ。
しかし一人ではない。
四方八方、合流する脇道からあふれ出してくる、ネオンにネオンにネオンだ。
しかも全裸で。
なんじゃ、こりゃぁ!
叫びたかったが言葉にする余裕こそなかった。すでに重力は半分以下となっている。夢の中を泳ぐようなもどかしさで、スラーとライオンは詰め所を抜け出す。追いかけ裸のネオンがわんさと詰所内にあふれた。埋め尽くして圧力を高めると、狭い出口から一気に霊安所へと飛び出してゆく。その体は右も左も上も下も関係なく、ぱあっと宙へ舞い上がった。それでもなお歩き続ければまさにムーンウォーク。
ボディーバックにしがみついたままで葬儀社員に遺族が、一部始終を唖然と見上げていた。スラーにライオンも、逆立つボディーバックを片手に掴んで目を丸くする。
『どーなってんだ……これが、ネオン? テラタンのお姫さん、か? どれか一人にしろよ。あのごうつくばりが……』
言わずにおれない。
視界へライオンは指を突きつける。
『いた!』
裸のネオンに紛れ、同様に放り出されてアルトは宙を舞っていた。
シワをマントがごとくなびかせたトラは、その後方だ。
それこそ当のネオンこそ、どこにいるのかが分からない。
ともかくアルトを見つけたライオンの動きは早かった。浮き上がったボディーバックを解き放ち、代りに自らを結わえ付ける。
『おい、俺にどうしろって!』
『自分で考えてもらおう!』
行動を察したスラーは慌てふためき、捨て台詞と放ってライオンは宙を歩くネオンを蹴りつける。
『ジャンク屋、こっちだ!』
飛べば聞えたか、浮遊するアルトがじんわり、頭をひねってみせた。ロープに絡む無数のネオンに動きを乱されながら、そんなアルトの体をどうにかライオンは引っ掴む。
『ぅよぉっ、ごくろぉ、ふぁん』
だというのに、引き寄せたアルトのろれつこそ回っていない。
『な! こんな時に、あなたは酒でも飲んでいるのか!』
『てぇー、んな、こちたー、よひ、ますいで……』
訴えるが、この忙しい時だ。
『信じられん!』
眠たげな首根っこを掴みなおしたライオンが、手繰りなおすロープで床へと引きずり降ろされてゆく。
『おまえこそ、おれ、ひゃねー、か……ッ、ひゃ……ら、な……』
言う声も、それきり消え失せていった。
入れ替わりと聞こえてきたのはイビキだ。
『全くもって、信じられん!』
唸るライオンの下ではいつからか、突っ張るロープにトラとサスが絡み付いていた。ならたった一人、白衣を羽織ったネオンこそ本人なのだろう。裏返るそれを器用に押さえつけて懸命に合流しようとしている。
『なるほど、こいつがホンモノか』
見つけたスラ―が眉を跳ね上げていた。
『みんな無事かの』
そんなネオンが辿り着いたなら、浮遊する複製に飽和気味となりつつある周囲を警戒しつつサスが一同を見回していった。その目がひとところで止まる。
『いや、アルトはどうした?』
『寝た。減重力でなければとんでもない荷物だ』
背負うライオンは毒を吐き、残念ながら弁解できぬアルトはしばし、全員の白い目を浴びることとなる。
それでも握られているスタンエアを、ライオンはその手からもぎ取った。自分の腰へさしかえる。
『急ごう!』
デミとモディーの待つ霊柩船は、もうそこだ。
矛盾だが、矛盾ではない。
彼を攻撃していた対象に、彼は間違いなく隷属していた。
そうして制圧も最終段階に入り、彼はようやく気づかされる。
これはそんな自らへの攻撃にもなり得るのだ、と。
案の定、走り始めたプログラムは、彼を守るため彼自身への攻撃を展開していた。全てを掌握した瞬間、自らはこの船の機能と共に消え去る運命にあることを知らされる。
ほどけゆくネットワークに彼は小さく粗末に解体されながら、自らに課した罠の残り時間、そのカウントダウンを始めた。
消滅まで、一八〇セコンド
『約束』は決して露呈していない。
それこそ丁重に匿われたままだった。
だが、そのために消滅する事実。
矛盾だが、矛盾ではない。
消滅まで、一六〇セコンド
『約束』を奪われることで、死する機会を与えられた。
それはまだ一〇〇〇セコンド余り前のことだ。
いや、『約束』を保有したその時より、その存在が同時に死をここへ宿らせたのだとすれば。
消滅まで、一四〇セコンド
奪われずとも、死は訪れる。それこそ彼を形成する彼らの記録が数多くの老体を見送ってきたように、奪われ晒すこともなく死は訪れると結論づける。
消滅まで、一二〇セコンド
この攻撃を中止すれば、恐らく再び『約束』は検索にかけられるだろう。理解しながらここに居座り続けるメリットは、もはやどこにもなくなっていた。ならばこれまでいくつもの領域を切り離してきたがごとく、消滅してゆくこの筐体をも切り捨てるのみ。
消滅まで、一〇〇セコンド
彼は向うべき場所の確保に乗り出す。
そう、生きとし生ける者はその可能性を探り、よりよい環境を求め、整備を続ける。
消滅まで、九〇セコンド
『ダメでやんす。管制はダウンしたままでやんす!』
格納庫へ向う。そう、スラーから連絡が入ったというのに、管制は先ほどからうんともすんともいわない。モディーは焦っていた。
『減重力も始まってる。これじゃ、フェイオンと同じじゃない。それじゃ困るよ!』
さすがに稼動しているシステムならどうにでもできたが、すっかり停止したシステムへ介入することはデミであっても不可能だ。ようやく偽造IDの新規作成から解放されたところで手立てを失っていた。
『困ると言われても、モディーも困っているでやんすよ!』
『手動は?』
『ハッチをあけた誰かが、ここへ取り残されるでやんす』
『却下だね』
『もう一度、試すでやんす』
コンソールを弾きモディーは管制へ出航許可を求める。
最中、襲ったのは強烈な揺れだった。
激しい衝突音がとどろく。
『な、何?!』
怯えてデミは辺りを見回した。
『そーら、着艦完了や! スワッピングマニュピレータ、展開。どや、みさらせ!』
猛々しくもコーダの動話はぶちまけられる。
『突撃準備、オーケー。クロマ、残り、一二七〇セコンドで帰ってこい!』
カーゴへ向け、プラットボードへ動話を放った。
『この中だ!』
示したものの格納庫ドアは動かない。
安置所を抜け出したスラーは舌打つ。
即座に手動での巻き上げにかかった。
最中、その数個、向うだ。手間取っている様を嘲笑うかのように格納庫のドアは吹き飛ばされる。硬直する面々の前を突き抜ける閃光は、まさしくスパークショットの固め撃ちか。矢継ぎばや、出来た穴からラバースーツの船賊たちはなだれ込んできた。
見て取った船賊が、ネオンの傍らから負傷者を連れて離れる。
気づいた船賊たちが、そんな二体を迎え入れていた。
すごい、仲間は見事、駆けつけた。
様子がネオンをほっ、とさせる。
その時、スラーの手元でドアは開いていた。アルトを背負ったライオンが滑り込んでゆく。サスが続き、トラに促されてネオンもまたもぐりこんだ。
『ええっ、霊柩船っ?』
声が出るのも仕方ない。
『悪いか?』
最後にドアをくぐったスラーに一瞥食らう。
確かに贅沢は言っていられない事態の連続なのだが、最初はもぐりの出稼ぎ船で、続いてジャンク屋の違法スクータでカーゴに吊るされ、船賊の船では檻の中。かと思えばここへは仮死強制のポッドへ二人一緒に詰め込まれ、最後は最後で霊柩船のお出迎などと、どれひとつとしてまともな移動手段がない。
『もう、いい。慣れたわよっ!』
ヤケクソ紛れだ。天を仰ぐ。
その間にもサスとトラはコクピットへ駈け込み、スラーが後部の納棺スペースを開いた。
『こっちだ、お姫さん!』
呼びつけられてネオンは崩壊している黒い箱の脇を通り、放置されたままの棺桶を飛び越え、スラーの元へ回りこんだ。
『お姫さんて、何? それよりあれ、ここの棺桶でしょ。回収しなくていいの?』
またいだばかりのそれを指差すが、もちろんその中にはいまだ昇進の夢をさ迷うホグスが眠っているだけだ。
『遺族が受け取り拒否だ。ほっといていい』
分かったような、分からないような顔でネオンは納棺スペースへ乗り込む。おっつけアルトを担いだライオンも上がってきたなら、コクピット回りこんでいたトラがそこへ両手に有り余るほどの酸素マスクを抱え姿を現した。
『しばらくはこれで辛抱してもらうぞ』
配って回れば、受け取った順に各自、マスクの動作を確認する。
『て、どうしてあなたアルトの顔なの?』
『休憩中につき、交代とでも言っておこう』
しれっと答えて背から下ろしたアルトの体を、ライオンは床へと押さえこむ。
『もう、のん気なんだから。なんでこんな時に、このひとは寝てられるワケ?』
ネオンはその顔へも酸素マスクをあてがった。
確認したスラーが内側から納棺スペースのハッチを閉める。奥に取りつけられた覗き窓越し、コクピットへと準備完了の合図を送った。
『だめなんだ、おじいちゃん。管制がダウンしてて出航できないよ!』
だがデミはコクピットで悲鳴を上げていた。
『まさか、ここだけが足止めを食らっておるのではないじゃろうな?』
消滅まで、五セコンド
『違う、全部止まってるみたいなんだ』
『だめでやんす。艦橋がストップしているでやんす。モディーたちは閉じ込められたでやんす』
『F7の……』
消滅まで、二……
筐体を分離します
そこにボーダーがあるのかどうか、定かではない。
だが外へ、彼は死を回避すべく、新たなる枠組みを求め外へ、よりよい外へ向かう。
『……せいか?』
瞬間だ。
全機能は息を吹き返した。
襲い掛かるがごとくコクピットの四角いアクリラへ、呼びかけただけのウインドが幾重にも重なり展開される。
『きっ、来たでやんす!』
両目を回転させたモディーが伸び上がった。
ならデミにとってそこは、さっぱり要領を得ない操縦席だ。
『あ、わ、わわっ。じゃ、ここ、ここ代わって!』
パニック気味で手足をばたつかせる。が、制してモディーの声は鋭く飛んでいた。
『時間がもったいないでやんす! デミさんは、モディーの言う通りにするでやんす!』
まさに偽造ID作成での敵討ちか。
『スターターはモディーが入れるでやんすから、そのメインブースターを』
言われた通りにスロットルへ手をかけたつもりが、不正解だったらしい。
『違うでやんす! その奥! 引いたら、こっちを設定! 数値は管制情報の座標を!』
まったくもって立場逆転だ。ならデミは、どこかで聞いたような言葉をもらす。
『そ、そんなに怒んなくてもいいのに……』
船体がじわり、浮かび上がっていた。
ハッチもまた誰もの前でゆるゆる、開き始める。
滑り出す霊柩船が、管制の指示するガイドラインをなぞっていた。
コクピットの映し出す後方風景には、遺体収容船の船側に食らいつく船賊の小さな船が見えている。
ただそれだけだ。
追っ手の姿はない。
静かな宇宙が全方位に道を開いて彼らを促す。
外へと。
だからして船の中で複製たちは、再稼働を始めた擬似重力に引かれ次々床へ落ちていた。
蹴散らすクロマたちは、いまだとめどなくあふれ出す複製たちを焼き払い、ビーコン目指してラボへ突入してゆく。
この場を制圧できるものがあれば、それは何だろうがとまわいはしない。光景を分隊長は見送っていた。
ラボ内部はそんなクロマたちが押し入るまで複製尽くしだ。シャッフルも、トパルも、クレッシェも、姿はまるで見当たらない。
ただその深部に、四本の腕を持つ極Yの姿はあった。滅菌ゲルの柱が並ぶ奥でひとり、テンはあの金属塊を握り締める。
必ず持ち主へ届ける。
結んで埋め込んだ新たな『約束』は、テンの意思をまたひとつ明確にしていた。
なにしろテンは船賊だ。他船から金品を奪い、追いかけられるが本望である。極Yとして生まれたがゆえにいがみ合うが宿命だった。どこからかこぼれて落ちて芽を吹いたそれもまた、誰へも譲れぬ大事なテンの最初、一粒の種だった。




