ACTion 71 『確かに或るもの』
きびすを返す。間髪入れず片耳から下がるマイクへ口を開いた。
『イルサリが自閉を解いた。これからわたしはリンクルームでチェックを行う。チェック後、可能ならば即アルトの再矯正を開始。至急、中断していたアルト複製塩基との照合解析を再開、準備にかかれ』
防磁ドアを据え置いたイルサリのリンクルームはクレッシェの部屋を回り込んだ向こう、Y字となった通路右の突き当りだ。
『もう一点。極Y塩基付加の進行具合はどうなっている?』
足を進めながらトパルはプロダクトルームへ確かめた。
『今のところ順調です。代謝スピードも安定。体温の上昇は現在も続いていますが、これは代謝安定とのタイムラグで頭打ちになることが予想されます』
返されうなずく。
『落ち着いたところで手の空いた者を順次、アルトの矯正へ移行させろ』
『了解しました』
軽く引いてマイクを巻き上げ、現れたY字の右を選んだ。直線の通路はすぐにも突き当りが見通せ、左の壁から防磁気ドアが通路側へ浮き上がってくるのを目にする。潜り抜けて出て来たのは、まさに彼だった。疑うまでもない。彼がイルサリの自閉を解いたのだ。直感はトパルの中で囁き、そんな彼と自然、目は合う。早くも与えたはずの白衣がなくなっていることに唖然とした。感度は低かったが、あれはあれで最低限のウィルス濃度と菌種を感知できるシロモノだったのだ。それは自らの汚染度合いを把握するためであり、有機体の生成過程において清潔を保つべく職員として、手放すなど考えられないものでもあった。
いともたやすく脱ぎ去った彼はいまだ反抗しているつもりなのか。気に留めぬ様子も汚染に対し注意を払い、神経を使い続けてきたトパルたちへのあてつけのようで気に障る。すぐさま正したい衝動がトパルを襲った。どちらが間違っているのか。いや、自らの正当性を保つためにも、今すぐ正してやりたい思いが巡る。そうして騒ぎ立てれば騒ぎ立てるほど明確となりゆくものもまたあった。隠すことなどできはしない。嫉妬だ。タブーを打ち破ってなお平然としている彼に、だからして彼なら質問できただろうと想像できたことに、トパルは強く嫉妬していることを意識する。
『お疲れ様というべきでしょうか?』
防磁気ドア前ですれ違うかというそのとき、トパルは投げていた。後ろ手にドアを支えてトパルを中へ促す彼はいくらか困惑したような表情を浮かべている。
『クレッシェが言うように理解するなら、俺は俺の仕事をしたまでだ。いたわってもらえるような事は何ひとつしちゃぁいないよ』
答えずトパルは防磁気ドアへ手をかけた。潜らず、ひと思いと押し込みドアを閉め。入るのではなかったのか。様子を彼が不可思議そうな顔で見ていた。
『中に影響が出ます』
教えて返す。
『あの騒動のせいでイルサリの取り扱いもややこしくなったもんだ』
失礼。いわんばかりに小首をかしげた彼は、それきりトパルの傍らをすり抜けていた。
『あなたはあの時、わたしの名を呼びました』
背を呼び止める。
振り返ったその顔は、何の話なのか飲み込めいと言わんばかりだ。しばし眉を寄せ、うがるとトパルの顔を見つめ返した。
『トパルと……、三四クルーと見間違えただけだ。気に障ったなら、謝る』
やがて吐き出された言葉は、何をや気遣いに淀んでいる。
『それは一世代前のわたしでした』
『シャッフルじゃあるまいし、そうやすやすと言うなよ』
これでは気に障っているのがどちらなのか分からない。
『覚えていますか?』
だからこそ舌打つ彼にトパルは声を張っていた。
『何が違う、と尋ねられた軍医の言葉を』
『ここであんたも俺を殴る気だって?』
挑発的と茶化して彼は笑い流すが、その誘いに乗るはずもない。
『何が違う……と、あなたは考えます?』
ただ返す。
『何も変らないさ』
『軍医は先ほどこのプロジェクトから、ラボからはずされました。その際、発砲騒ぎが起こった様子です』
『シャッフルが?』
とたん彼の様子は変わる。
『で、どうなった?』
言葉にトパルは奥歯を噛み締めていた。それこそ出来なかった質問なのだ。慕っていたはずの軍医の顛末。それをいとも容易く確かめる彼に、なおさら嫉妬心は湧き起こっていた。
『違いなどない』
気づけば口走った後となっている。
いや、根本から違うのさ。
聞こえたような気がしてトパルは口調を強めていた。
『わたしたちは有事の際、殲滅を防ぐため多少の揺らぎをもって生成されたとしても、原型をラボが管理する同じ塩基から派生した有機体だ。時間さえあればそんな質問などわたしにもできた』
食らった彼は、ただきょとんとしている。
やがて成り行きを察すると、その目をトパルへ細めていった。
『クレッシェにシャッフルのことを聞かされてすぐ、ここへ来るよう指示されたのか?』
図星だからこそ目は逸れる。
『わたしにとって軍医は最も信頼した上官だった。気にならないはずがない。だからこそ確かめなければならなかったのに。事態を前にわたしには出来なかった。だが時間さえあれば……、時間さえあればわたしにもできたはずなのだ。あなたに出来て、わたしに出来ないハズがない』
『違いがあるとするなら……』
それは見かねたような彼の声だった。トパルは勢いよく顔を跳ね上げる。彼を見る目が傷にでも触れられた時のように縮んで吊り上がっているのが自分にもよく分かった。だが彼こそ怯むことはない。話して聞かせる口調はそれまでと、なんら変わりのないものだった。
『……あんたはかつての俺がそうだったように、まだ自分の言葉を持ってないだけさ。ただ今の俺には俺だけの感覚っ、てやつが確かにあるんだ。土くれからでもなんでもいい。生まれてここへ切り離された、これが俺だと言う、そんな感覚がな』
『自分の言葉? 生まれてきた感覚? それは単なるあなたの曖昧な主観だ。それが違いだと?』
『思うだろ? だが否定できないほどちゃんとあるんだ。その得体の知れない混沌としたものが、ここにな』
彼は指先で、自らの胸を突いてみせる。
『だから誰にもさらわれない、俺のだけルールで動ける』
小さく笑んだ。
『曖昧だと切り捨てるあんたにゃ、俺のマネはできないよ』
それこそが、わたしにはない。
過れば跳ねのけたい衝動が、またもやトパルを突き動かしていた。
『理解できないものに価値などない』
『そいつは、クレッシェに毒され過ぎだぜ』
『なら、あの事件に加担したわたしも、三四クルーのわたしもそうだったのか?』
確かめれば、それまで続いていた会話にしばらくの間は空く。
『ラボでアルトの……』
言いかけて彼は一度、言葉を切った。思い出した何かを辿るようにゆっくりと、改めトパルの前へ連ねてゆく。
『俺が一番そばにいただけで、ラボでアルトの矯正過程に加わった有機体は少なくともその片鱗を埋め込まれていたのかもしれないな』
いつしか繰り返す呼吸に肩が揺れ動いていた。そんなはずはない。トパルは落ち着け、と己へ言い聞かせる。
『外に出る』
呟きは、今こそ必要なものだ。
『外?』
このプロジェクトを完成させ、潤滑に動く等しき世界の外へ出る。リスクを負う支配者の世界に住まう者となる。『カウンスラー』でシャッフルと交わした言葉は鮮烈な驚きと共に、トパルの中に強く残っていた。そして今、彼への嫉妬心を抑える術があるとすればそれしかない。
『そこへ出たなら違いなどと、すぐにも勘違いであることは明らかとなる』
吐きつける。
防磁気ドアへと手を伸ばした。引き開け中へ足を踏み入れたなら、監視中の白衣たちが振り返る。




