ACTion 70 『彼なら間違いなく』
『さぁて、どうみてもわしらが主要二十三種に見えんことだけは確かじゃ』
用のなくなった電子地図をツナギの尻ポケットへ押し込む。
『ともかく遺体を引き取りに来て迷い込んだとトボけるぞ。なに、もうろくじじいの芝居ならまかせておけ』
見通せる限り通路に行き交う姿はない。息巻きサスは歩き始めた。
『ならわしは、さしづめモディー路線でゆくか?』
むしろ通路は都合に合わせて仕切られた空間と空間の隙間そのものと、不規則なまでに分岐を左へ右へと伸ばしている。急遽用立てられた安置所の舞台裏よろしく簡易な造りはチープを極め、挙句どうにも的はずれな注意を促してホログラムメモもまた張り付けられたままとなっていた。光景はサスのみならずトラさえ眉をひそめるほどで、開かせてそのとき声はあらぬ方向から聞こえてくる。トラとサスは現れた次の角へ、慌てて飛び込んでいた。
ややもすれば『ホグス』と同じ軍服を着た『バナール』三体が、二人のやってきた方へと通り過ぎてゆく。息を潜めて小さくなったふたりに気づくことなく、霊安所とは別の通路へと折れていった。
『聞こえとったか?』
見送って、サスが通路へ頭をのぞかせる。覆いかぶさり後ろから、トラもまた大きな体を傾けた。
『またF7で発砲騒ぎがあったらしいとか聞こえたぞ』
『うむ。アルト、かの……』
サスの鼻溜が渋く潰れる。
『縁起でもない。そのジャンク屋はネオンの頭を吹き飛ばすとか言っておったのだろう』
『次を右じゃ』
もういいだろうと、再び戻った通路でサスが行く先を指した。なら角を曲がったとたん景色は変わる。一面に脱臭効果のある壁紙が張り巡らされた広い通路は一本、現れていた。そこにはめ込まれたホロスクリーンも明るく、なによりスクロールする情報こそ几帳面と整理されている。
『監視カメラでもあるのではないかの?』
管理の管轄が変わった。感じずにはおれぬサスの足もそこで止まる。
『あったところで広い船内、誰が全てを見張るというんだ。駆けつけるまで時間もかかるぞ』
一蹴するトラは豪快だ。
『それもそうじゃな、ということにしておくかの』
現状、のみこむしかない。
『保安所というのはまだ先なのか?』
トラが確認したのは、この先しばらく身を隠す分岐が見当たらないせいだ。
『かなりの。じゃが、いちかばちかの手もあるぞ』
鼻溜を振ったサスが頭上を指し示す。
『いちかばちか?』
なるほど天井には空調や配管、配電の設備が通っているらしく、それぞれタグを貼られたハッチがある。
『もぐりこむのか?』
察したトラが口をすぼめた。
『わしならば問題ないと思うんじゃが……』
などとサスが見回すのはトラの巨体だ。
『ええい、その目はなんだ、その目はっ。たとえ火の中、水の中。ネオンの元へ一刻でも早くたどり着けるというのなら尻込みなどせん』
吐きつけられたところでサスはしばし、うーん、と唸る。
『なら、わしが最初に中の様子を見るとするか。よし、トラ、わしを持ち上げてくれ』
任せろ。いわんばかりに、軽々トラはサスを肩へと担ぎ上げた。さらにトラの肩の上で立ち上がると、中でも空調スペースのハッチをサスは揺さぶる。ごくシンプルな旧式の物理ロックはただのフックか。ハッチは片側を固定して落ちるように開き、肩で交わしたサスは中をのぞきこむ。
が、見極めるヒマもない。
『サス……、誰か来た……!』
足音だ。トラが押し殺した声で知らせた。
『なにぃ?』
うめいてサスは決断する。
『そら、上へ隠れるぞ』
トラの頭を蹴りつけた。自らが真っ先に空調スペースへ潜り込む。おっつけトラも開いた扉を見上げると、ジャンプでぶら下がるハッチをのフチを掴んでみせた。が、メキメキとトラの体重に鈍い音は鳴る。聞きながらサスは伸ばした手でトラの腕を掴んだ。力の限りに引っ張る。
『って、わしではっ、無理じゃぁ……っ』
呻いたところでトラの頭がのぞいた。サスは尻餅をつき、放り出された手でトラは天井の縁を掴む。胴回りにちょうどのスペースへと一気にその身を持ち上げた。引き込んだ足の下からやがて靴音は近づいてくる。息を殺してサスと通路を覗き込んだ。視界に一体の『エブランチル』は姿を現し、携えた端末をしきりにスクロールさせていた。うつむいたままの『エブランチル』が開いたきりのハッチに気づくことはない。ただ行き過ぎてゆく。
『踏み切って正解じゃったの』
だがもぐりこんだその場所は、立ち上がるにもサスですら少し狭いほどだ。つまりトラには始終、四つんばいを要求する広さしかない。
『まったく』
トラは開いたままのハッチへ手を伸ばす。閉めようとしてピクリとも動かないそれに眉をしかめた。
『ん。おお? んん?』
どうやら飛びついた時、トラの重さに歪んでしまったらしい。そこを力任せと引き寄せたなら、止め具は壊れてしっかり握っていなかったトラの手から滑って落ちた。
甲高い金属音が鳴り響く。
『マズい』
『こうしちゃ、おれんわい』
まさにあたふた、逃げてふたりは先を急ぐ。
破壊されたクレッシェの部屋、そのドアを開くため、すでに五〇〇〇セコンドを費やしていた。リーダーを粉砕したダイラタンシーベレットは流動弾独特の粘度でもってしてこびりつき手間取らせている。
あいだもクレッシェは仮想デスクへ張り付いたきりだ。確かにシャッフルがああなった以上、プロダクトロームの指揮権は全てクレッシェにゆだねられる事となっている。多忙であろうことは分隊長にも理解できた。だが負傷者へ見向きもしない態度はどうにも目に余る。仮にもクレッシェの盾となり一体は命を落としていた。シャッフルの乱心も、今となっては分かるような気がしてならない。
ドアがにじり、開いてゆく。
隙間から白衣が、我先にともぐりこんできた。負傷者救助に駆けつけたのか。思うがこれまた一直線とクレッシェの仮想デスクへ向かってゆく。
『失礼いたします』
だからして白衣ことトパルは開口一番、クレッシェへと言っていた。
『取り急ぎ、進行状況の報告を』
もちろんここへ足を運んだ以上それは通信で済むような内容になく、なおさら順序を間違えまい、とトパルは焦る。
『極Yの塩基付加は予定通り処置が終了。現在処置室にて経過を観察中。遅くとも七八〇〇〇セコンドまでには結果が現れる予定です。また……』
と、そこで仮想デスクからクレッシェは顔を上げていた。
『あなたは確かトパル・ジック、35クルーでしたね』
トパルは話を遮られて息をむ。焦る気持ちを持て余した。
『は、はい。そうです』
『結構。あなたの動揺はよく分かりました。結論から申し上げます』
それが『エブランチル』なのだ、ということは分かっている。だが必ず最後までこちらの話を聞き入れるシャッフルとは、あまりに対応が異なっていた。
『あなたが探しに来たシャッフル中尉は五七〇〇セコンド前をもってしてF7ラボ専属軍医の任務を解かれました』
唐突な事実がトパルをただ戸惑わせる。
『近く本国へ帰還、新たな赴任先へ向かうことが決定しています。ラボへはもう戻りません』
にもかかわらずクレッシェは、驚くトパルの方がどうかしているといわんばかりだ。淡々と続けて問うた。
『他に質問は?』
だが受け付ける気こそハナからないらしい。すぐにも中断していた作業を再開する。仮想デスクの上で静止していた二重螺旋もまた、再びゆっくり回転を始めていた。
背では負傷者を介抱しながら、まるきり動かなくなった一体を担ぎ上げると、分隊員たちが外へ動き出している。たがトパルには自身が何をすべきか、いや問うべきか、まるで浮かんでこなかった。着込んだ白衣同様、頭が真っ白と塗りつぶされてゆく感覚だけを味わい続ける。
クレッシェがちらり、そんなトパルを盗み見た。
『なければ……いえ、質問できないようであるなら、ただちに仕事へ戻りなさい。まだ中尉の後任は決まっておりませんが、それまでわたしがラボの指揮をとります。報告は以後、通信で結構。わたしの手をわずらわせないよう配慮願いましょう』
『……申し訳、ありませんでした』
言葉はそれ以外、浮かばない。裏腹と脳裏にちらつくのは『カウンスラー』の音窟内で目の当たりとした旧『F7』ラボ従事者の姿だった。囲う極Yを肩で振り払い、唐突にトパルを呼びとめ、シャッフルへ反抗的な目を向けたあの姿は蘇る。彼なら今、クレッシェに質問することができたろうか。考えていた。根拠もなく、彼ならやってのけそうだと感じ取る。
シャッフルが吐きつけた通りなのだ。何か、どこかが違っていた。だがその違いが何であるのか、トパルには分からない。分からないことがもどかしかった。そのもどかしさは何か大事なものが己には欠けている。そうトパルへ吹き込んでいるようでもあった。
なら一体何が、と探ったところで、すぐにも見つかる気配はない。
質問などとうてい諦めるしかなくなっていた。
一礼し、トパルは仮想デスクへ背を向ける。撤収してゆく分隊員たちに混じると分隊長の張り上げる声を聞きながら、稼動を始めたドアをくぐり抜けた。
『待ちなさい!』
その背をクレッシェがの声が呼び止める。
何事かとトパルは振り返っていた。仮想デスクの前からクレッシェは、ちょうど立ち上がっているところだった。
『たった今、イルサリの自閉が解けたと報告が入りました。あなたはただちにリンクルームへ。アルトの矯正が可能かどうか最終チェックを。可能ならば即座に作業へ取り掛かります。準備をなさい』
質問できないのだから、指示には従うしかない。トパルは再びその頭を、クレッシェの前に深く下げていった。




