ACTion 67 『全ては思うとおり』
保冷庫から持ち去った代謝促進剤が自然解凍する間にディスポーサブル注射器とバイオゲージ、投与中の激しい酵素分解に相当量のエネルギーが必要になることを見越して糖と電解質の輸液セットを二パック。さらに抜き取り携えて、痛む足をなだめすかすとシャッフルはラボ区域の外を目指した。
分隊員はまだ相当数この船に乗り合わせているハズだったが、いまだ動き始めた気配はない。警報はおろか出入りを遮断すべくウィルスカーテンさえ照射レベルが上げられてはいなかった。そこにクレッシェのあからさまな狙いを読み取る。ここは閉鎖空間だ。どうせ逃げ切れはしない、とたかをくくっているに違いないと想像した。しかも待ちに待ったアルトが連れ戻されたところでもある。下手に騒ぎを起こすことで、遅れた計画へまた水を差すことだけは避けたいと考えているのだろうとよんだ。それら優先順位のつけ方はいかにもクレッシェらしい。シャッフルは苦笑いをもらす。
外部から『F7』を隔離する隔壁前に立てば、もうすれ違う者はいない。普段ならリーダーへ階級章をあてがい隔壁を開放させるところだがさすがにできず、時間稼ぎくらいにはなるだろうと手動でパスワードを入力、隔壁のロック解除にかかった。
跳ね上がる閂の音が聞こえる。やがて空気は抜け出して、隔壁はゆっくりスライドしていった。独特の猥雑さを含んだ外気は胸焼けするほどにシャッフルへと吹きつけ、開き切るのを待たずしてシャッフルは出来たわずかな隙間からラボの外へと抜け出してゆく。
正面に、下ろされた格納庫のまた新たな隔壁が立ち塞がった。つい先ほどまで乗っていた巡航艇はこの向こうに停泊している。つまり『F7』専用の格納庫なら関係者以外、ここも立ち入る事は出来ず、袋小路と誰も何も見当たらない。
それでも確かめシャッフルは、格納庫へと擦り寄っていった。その脇、隔壁に小さく取り付けられた扉に触れる。掛かる鍵が古めかしい物理鍵である、ということはかなり以前から知っている事実で、いまいちど確かめ腰から抜き取ったスタンエアのグリップで二発、叩き落とし、つっかえていたせいで回せなかった圧力弁を開放すると開いて中へ身を潜り込ませていった。
停泊中の巡航艇に変わったところはない。回り込むようにいくらか奥へ進んだところ、床に埋め込まれたハッチを踏み跳ね上げる。中に納められていたメンテナンス機材はすぐにもシャッフルの前へとリフトアップし、目もくれずシャッフルはそんなリフトと床の隙間へ身を屈めた。顔を擦りつけのぞき込めば、機材が収納されていた床下には空間が、暗く広がっているのが見える。隣り合う格納庫とをつながるそこには、数珠つなぎと同じような電源や燃料の補填装置が呼び出されるのを待っていた。
降りるとして、リフトと床の隙間は体が通るかどうかの幅しかない。いちかばちかでシャッフルは、そろりそろりと体を滑り込ませていった。突っかかりそうになったなら息を吐き、しぼませた胸でどうにか頭までを下ろしてゆく。最後、手だけをその縁にかけてぶら下がり、伸ばした爪先で床下を這う太いダクトの上へ降りた。
当然ながら周囲に明かりはない。メンテナンスのためリフトアップされているのだろう。開いたハッチの隙間から差し込む光が遠くに細く差し込むのみとなっている。メンテナンスにいそしむそれらこそ、今も続けられている民間の遺体引き取り船に違いない。
そちらへ抜け出すことが出来たなら、安置所は目と鼻の先だった。そこには無数の動かぬ有機体が並ぶと、保管すべく資材もまた数多くストックされている。紛れ込めば傷の回復につとめるにはもってこいの環境で、シャッフルはひとたびそちらへ悪い足場を慎重に進んでいった。この辺りで十分かと、リフトアップされ、あいた隙間から光を投げる機材の下で歩みを止める。見上げて耳をすませば聞こえてくるのは充電中の鈍い駆動音と、液化混合ガスの注ぎ込まれる圧縮音だけだ。仕事はメンテナンスの番でないなら、フルオートのそれらを置いて船の持ち主は今、船内か、格納庫を出て行った後らしい。動くものの気配へ耳を澄ませ、誰もいないことを確認する。
被弾していない方の足でシャッフルは、どうにかメンテナンス機材が顔を出す床の縁へ飛び上がった。隙間へ頭をねじ込み上体を持ち上げてゆく。嫌でも被弾した足に力が入ったなら、痛み具合から仕損じての再トライこそ難しいことを悟った。だからこそ意地でも持ち上げた上背を床へ貼り付ける。這うようにして邪魔としか思えない下半身を、唸り声と共に引き上げていった。床下から全身が抜けだた頃には精根尽き果て、ごろりと寝返ったきり機材のぶら下がる天井を見上げて荒い呼吸を繰り返す。
近寄り、囲む足音は依然として現れない。
少しばかり落ち付いてきたところで辺りを見回せば、案の定、典型的な装飾をプリントした霊柩船の舳先は見えた。
体をしならせ立ち上がる。格納庫を抜け出す前に霊柩船後部の管制端末へ回り込んだのは、艦の情報を見ておきたかったからだ。管制端末の待機画面を指で弾いてスクロールさせ、シャッフルは直近のものから入艦船リストへ目を通してゆく。数から遺体搬送もいくらかピークを過ぎたらしいことを読み取ったその直後、紛れて流れてゆく字面に目を瞬かせた。
スラー葬儀社。
確かにそう見えた気がしたのだ。
そしてその名には何か引っかかるものがあった。
思い出すべく見直そうと画面を呼び戻すが、呼び戻された文字はあろうことかそこでフェルマータ葬儀社へ変わった。接触不良でも起こしているかのように、またスラー葬儀社の名をちらつかせもする。
瞬間、シャッフルは両目を見開いていた。
そう、引っかかるはずだと思い出す。
なぜならスラー葬儀社は、いもしない『ラウア』語カウンターのネイティブ店員を探しに現れた葬儀社の名だ。つまるところそれは、セフポドと何らかつながりがある葬儀社だった。
とたん腹の中で滑稽は暴れ出す。堪えることなどできはしない。疲れと痛みと、身の上の混乱さえもが追い討ちをかけ、自分でも理解できないほどシャッフルは大声で笑っていた。何しろ即席なまでにIDを偽造し現れたスラー葬儀社の目的など、セフポド救出以外、ほかに考えられない。無謀を越えた行動は、ここがどこなのかを知らぬ無知ぶりを明らかとしていた。
『何者かは知らんが、この程度の小細工で乗り込んでくるなど、クレッシェの前に立つことも無理だというしかないな』
吐いて笑いおさめ、管制端末を切る。
外へと靴先を向けた。
が、足を止める。
痛むからではない。
シャッフルの体は自然、管制端末へとよじれていった。
『……全てはクレッシェの思う通り、か』
呟く。
その瞳から瞬きは消えて、やがてゆっくり不敵な笑みはシャッフルの口元を歪めていった。




