ACTion 62 『野心の行方』
あてがった階級章が読み取られ、入室の許可が下りる。
付着しだだろう雑菌を考慮し、道すがらウィルスカーテンをもう三種も潜りなおしてきていた。シャッフルは、おかげですこぶる時間を食ったような錯覚に見舞われる。あいだにも自身の立場がなお悪化したのではないかと気をもんだ。だがしかして相手は『エブランチル』のクレッシェである。心の準備こそ最も無駄な行為でしかない。
思い起こせば当時、ラボ従事者へ『F7』発足の真の目的を吹聴したことは、自身の身の丈に合わぬ野心が想像力の限りに膨らんだせいだといえた。軽くあおげば燃え広がる火種がごとく、目の前で揺らめきチャンスだ、とシャッフルをそそのかしたのだ。
そもそもシャッフルにとってこのプロジェクトは集大成ともいえる大仕事である。属する連邦にとってもかつてない巨大な戦略だった。だが戦略であればこそプロジェクトが世へ公表されることはなく、携わった己が名を残すことも、世間から評価を得ることもありはしない。
重々承知した上でのことだった。
だが明かせない真相に、全ての栄誉がドクターイルサリを名乗るAIなどにさらわれようとして初めて、感情はどこまでもシャッフル個人の所有物であることを思い知らされたのである。押し込めればそれは澱のようにたまると、やがてはシャッフルの中で消化できない異物へとすり替わっていった。すり替わって気づけば無視できぬ声で主張を始め、騒ぎを利用してアルトを独占しろと、交換にドクター・イルサリの名を我がものとすることを上層部へ突きつけろと、シャッフルを促した。果てに得るのは揺るぎない地位と名誉、そしてもみ消されることのない未来だろう。だが現実はこの体たらくだ。
いや、まだ終わったわけではない。シャッフルは青白い頬へ、瞳へ、こめかみへ、好戦的な色を浮かび上がらせてゆく。開いたドアの向こうにクレッシェの姿を探した。
立て込んでいた様子をうかがわせクレッシェは、新しい白衣へ袖を通している。苛立たしげな表情を、すぐにもシャッフルへと向けていた。
『もう少し丁重に扱っていただきたいものですね。中尉』
白衣の前合わせをシールしなおしてゆく。
『あれには代わりがないのです。せめてコピーが終了するまでは、無傷で保存しておきたい』
殴りつけたのはつい先ほどだ。クレッシェの言う『あれ』がアルトのことであると気づくに、そう時間はかかっていない。
『何か、不都合でも?』
あえて問い返し、シャッフルはクレッシェの傍らへと歩み寄っていった。見向きもしないクレッシェは立ち上げた仮想デスクの隅を手で遮り、スリープ状態へ切り替えている。
『滅菌ゲルシリンダーのバイタルレポートより異常値が検出されました。単なる血圧の低下によるものでしたが、即座に回収。処置済みとなっています。復元とオリジナル、両塩基の最終チェックへ入ろうとした矢先のことでした』
デスクは音もなく消え去ると、ふたりをがらんとした空間の中に取り残した。
『心配しているような外傷が原因ではありません』
相変わらずの読みだ。最後、付け足しクレッシェは先を越す。思わずシャッフルは奥歯を噛みしめていた。
『ただあの場に拘束するのであれば、配慮をいただきたかったところです。今のアルトには著しい自我が備わっている様子ですから』
弁解の余地はない。見切ったようにクレッシェも、それまであった義理の笑みすら浮かべようとしなかった。ただ視線を部屋の壁へと飛ばす。意味が理解できずシャッフルも、つられたように見やっていた。瞬間、壁から剥がれて風景は揺れ動く。床をする足音は聞こえ、剥がれた風景は魚眼を通したかのごとくたわんで周囲から浮かび上がった。
ミラー効果だ。
気づいたときにはもう遅い。
クレッシェの両脇へ、効果を切った分隊員たちは次々と姿を現してゆく。かまえられたダイラタンシーベレットのショットガンは間違いなくシャッフルをとらえていた。
話したいことがあるハズだと呼びつけておいて、その話にはまだ一言も触れていない。相変わらずの一足飛びだが、やり口が汚すぎる。シャッフルは舌打った。
『結論から申し上げましょう』
『それがあなたのやり方だ』
『当ラボにおけるあなたの役目は今この地点をもって終了いたしました。本日、この瞬間よりシャッフル中尉、あなたはこのラボから離れていただきます』
何のマネだととぼける隙すら、ありそうにない。
『近日中に本国へ帰還。あなたには新たな赴任先、クラウナートの採掘現場へ保健部員として向かっていただく予定です』
分隊員を両脇に従えクレッシェは、最後に残しておいたような袖口を片方づつシールしながら至って丁寧に突きつけていた。
『クラウナート?』
思わずシャッフルはその名を繰り返す。当然だ。その地に覚えのない者はいない。だからこそその場から、後ずさっていた。
『わたしの記憶に間違いがなければ、そしてあなたの言い違いでなければ、あの汚染惑星のクラウナートへ、ですか? そこへ行けと? そこで強制労働に従事する服役囚たちの面倒を見ろと?』
吐き出せばどうして笑いがこみ上げてくるのか自分でも分からず、分からぬ己に不気味さを感じてシャッフルはその顔をいつも通り、ひとなでする。
狼狽。
そうしてようやく己の感情に気付き、声を低くした。
『あなたはそこでわたしに死ね、とおっしゃるわけだ』
脳裏を、『カウンスラー』の遺跡前で目にした物乞いの変形した体が過る。
『それは聞こえの悪い解釈と言うものですよ、中尉。残念ながらこれは降格です』
クレッシェの物言いは事務的を極めている。その冷徹さで、これは変更の効かぬ決定事項なのだとも言わしめていた。口調にシャッフルの神経はなお逆立ち、隠し通せるはずなどないなら敵意をあらわとすることにする。
『確かに直接出向いたことで命令違反を犯した。ですが、アルト確保についての評価をいただいてもいいはずではないのですか』
『いいえ。あれは、わたしの管理不行き届きから起きた事件でした』
きっかけにクレッシェの声は鋭さを増していた。
『ですからわたしは今日まであなたにその罪を償うべくポジションを与えてきたのです。評価を知りたいというのならば、あなたは自らの招いた惨事の収拾に努めた。十分でしょう。ですからクラウナートへ保健員として向かうのです。罪人としてではない』
『……なるほど』
睨み合う。
やがてひとつ、シャッフルは鼻から笑いをもらしていた。
『あのクーデターを煽ったのはわたしだと、ずいぶん前からお見通しだったというわけですか』
答えるべく言葉を溜め込んだクレッシェの目が極限にまで細められてゆく。
『あなたはすぐ顔に出る。いつも伝えていたハズです』
そんなクレッシェから拘束の指示は、次の瞬間にも出されようとしていた。
『別体は……、セフポドは安心ならない存在だと思いますがね』
遮るべく、シャッフルは矢継ぎばやと言葉を並べる。
『イルサリを起こすまでの間、奴の志向性にすら矯正をかけることはできない。一体、誰が奴を監視するつもりで? 同じ合成塩基の研究員に? それともこの物騒な分隊員たちに? ご冗談でしょう。また以前のような騒動が起こりかねない。それでもわたしをここから外してよろしいのですか』
苦し紛れだということは己が最もよく理解している。見透かしてクレッシェも有り余る余裕を見せ付け、細めていた目から力を抜いていった。
『ご忠告、ありがたく頂戴しておきますよ。ですが中尉、あなたにその役割は荷が重過ぎるようです。ご存じないようなら申し上げておきましょう。セフはスタンエアを所持していました』
それはあまりにも唐突な報告だ。
『なんですと?』
聞かされ、シャッフルは目を見開く。
『極Yが見過ごしたとは思えません』
『まさか、奴ら……』
『気づけなかったあなたに今後も任せられるような案件ではない』
バサリ、切り捨てられていた。
『ご心配なく。セフの様子はわたしが先ほど確認しています。そうですね、あれはあれでいいようにアルトの子守をしてくれるでしょう。それが彼をこの事態に縛り付ける、そして世界を縛り付ける、同胞と同郷の呪縛というもののようです。もちろん事態が落ち着いたあかつきには研究対象としてセフポドは凍結、生成を禁止。今後このような失態は二度と起こさせません。今回のことはわたしにとっても大変興味深いものとなりました』
穏やかに笑った。そこに無邪気さを見たのは錯覚か。シャッフルはたまらず口を開く。
『……なるほど、全てはあなたの思うがまま、というわけですな。それはさぞかし気分のいいことだ』
食らったところでクレッシェの顔色が変わることはない。
『勝手な想像は好ましくありません。わたしの意志は、この世界の理想の姿を目指し動いているのです。個人的な嗜好と混同されては不愉快といわざるを得ませんね。あなたが求めたがる個の利益は、わたしに存在しないのです』
それこそ傲慢な物言いというものだろう。だがしかしクレッシェに疑う様子はなかった。
『あなたとは違うのです』
『……違い? ですか』
シャッフルは繰り返す。
前でクレッシェは、これ以上関われば新しい白衣へまたウィルスのシミが広がるといわんばかり顔をそむける。全ての話が終了したことを告げ、シャッフルへと背を向けた。同時に手は持ち上げられ、払いのけるように振り下ろされる。合図に分隊員たちが動き出していた。だがいくら指示とはいえ、粗暴な態度に出ることをばかっている様子だ。静々とシャッフルの周りを取り囲んでいった。
『中尉、お静かに。このまま我々と同行願いたい』
分隊長だ。低い声で促す。響きはむしろ遠慮がちですらあり、シャッフルは曲がらぬ口元でそんな分隊長へどうにか笑い返してみせていた。
『奴がスタンエアを持っていただと?』
『らしい。回収したものはわたしが預かっている』
あいだにも、シャッフルの右に左に分隊員らは近づいてくる。拘束しようと、小脇に構えた銃口より前へ、その手を伸ばした。
『ならば大事に……』
それは右側の分隊員の手が、シャッフルの腕をとらえようとした瞬間だ。
『持っておいてもらおう!』
言い放つや否や、伸びてきた分隊員の腕をかわし、シャッフルは力の限り脇へ挟み込んだ。屈みこみつつ体ごとひねれば、関節の外れるゴクリ、とした手ごたえは伝わって、分隊員から悲鳴は上がる。そんな分隊員からシャッフルは、すかさずショットガンを奪い取っていた。




