ACTion 58 『アルトとアルト』
目の前からネオンの体が吊り上げられて行く。おかげで開けたアルトの視界へも、グローブをはめた無骨な分隊員の手はもぐりこんできた。ネオン同様、力づくで仮死ポッドから引きずり出してゆく。
巡航船の後部ハッチはすでに開かれ、なだらかなスロープが格納庫とをつないでいた。差し込む光は逆光と辺りを照らし出し、『アーツェ』ならばどこへ行っても常備されている防砂設備がなかったせいだ、薄っすら積もる砂塵を白く浮き上がらせていた。くりぬいて無数に散らばっているのは先に船を降りて行った極Yたちのものだろう。証拠に、あの景気よくも騒々しい動話の気配はもう感じ取れない。
と、アルトの後ろ手を分隊員が押し出す。ぞんざいな扱いに腹立ち紛れ、アルトが身をよじって抵抗したその時だった。
『長い視察だったようですね、中尉』
声は耳へと飛び込んでくる。
『しばらく見ぬうちに、なんと小汚い』
懐かしくも知ったそれは、アルトへも投げかけられていた。
声へアルトは顔を上げてゆく。
突き刺すような足取りで、影はスロープを上がって来ていた。それだけで白衣へ沁み込んだ独特の薬品の臭いさえ蘇ってくるのだから記憶というやつはおぞましい。着込み、神経質に吊り上がった目も変わらない。クレッシェは姿を現していた。
見てとるなりシャッフルが前へ飛び出してゆく。
『これは! このような場所にまでご足労頂き恐縮です。つきましては詳細の報告と共に後ほど彼らの面通しをかねてこちらから参るつもりでおったのですが』
口ぶりにはアルトにも聞いて取れるほどの言い訳がましさがあった。おかげでまくし立てればまくし立てるほど、これがシャッフルのスタンドプレーであることをアルトにさえ露呈してゆく。事実を、エブランチルであるクレッシェこそ気づかぬわけがなかった。むしろそれ以上を読み取って、労をねぎらう真似こそ省く。
『結構。あなたをアーツェヘ行かせたのはわたくしです。あなたが自らの後ろめたさを気に病むことはありません』
一足飛びに結論だけを言い放った。
突きつけられてシャッフルはたちまち黙する。
従えクレッシェは突き刺すようだった歩みを止めた。目はアルトをとらえ、剥いで並ぶネオンへと向けなおす。
『わたしが造ったモノなどとは認めたくもない』
言い放った。
だとして覚えている限り初めて会うことになるクレッシェを何者かとうがるネオンには、なんら気づいた素振りはない。
間へと、挽回の余地を狙いシャッフルが再び身をもぐりこませる。
『滅菌作業はこれからで……』
『ウィルスカーテンで事足りるような汚れなら、あえて口外しません』
すぐさま見当はずれを指摘されて口を閉じた。
確かにクレッシェのまとうコーティングの利いた白衣は、ウィルスの付着を感知して浮き上がらせるはずのシミをひとつたりとも残していない。そうも潔癖に気を配ることはラボに勤める者にとって必須の資質であり、比べて明らかに荒んだアルトたちの様子に先回りしたシャッフルの行動は、まったくもって裏目に出たと言ってもよかった。
『これはとんだ取り違えを』
まさに手足をもがれ、シャッフルは引き下がりかける。
『これよりプロジェクトを再開します』
引き止め、それこそ早い、とクレッシェの激は飛んでいた。
『平行して極Yの塩基付加を行いますが、現体制に問題があれば、中尉、現地点で報告を願います』
『も、問題はハブAIの自閉のみです』
慌てて返しシャッフルは、その顔をひとなでする。知ったことかとクレッシェの口調はなおさら早められていた。
『分かりました。中尉、あなたが思い通りにできるのはここまでです。あなたはアルトを滅菌ゲルへ。その後、わたしの研究室へ来てください。いえ、あなたはわたしに話があるハズです。そこでゆっくり聞かせていただきたいと考えています』
それはネオンにも十分、聞き取れる造語会話だ。だからしてアルトへ振り返ってみせた。言ったとおりが始まるのか。それともさらに予測不能の事態へ陥るのか。乞うてすがる瞳で、これまでにないほどの不安を訴える。だとしてアルトに答えられることなど何もない。
向かいでは手厳しいクレッシェの言いように、皮肉な笑みを浮かべたシャッフルが身を翻していた。
睨みつけ、アルトは唇を噛む。
ここまでくれば遅かれ早かれそれは知れることだった。
案の定、歩み寄ったシャッフルもまた、クレッシェの指示通り滅菌ゲルへ連れ出すべくその体へ腕を伸ばす。迷うことなくネオンを掴んだ。
「え?」
船の外へと歩き出せば、よもや自分だと思ってもいなかったネオンの声は素っ頓狂と裏返る。
「ち、ちょっと。違うってば。何、どーなってんのっ。アルトはあっちっ。ねえっ、あなたもあたしはネオンだって言ってやってよっ」
声は見送るアルトの耳を刺した。
「ねぇってば」
「決めたんだろうがッ」
たまらずアルトも叫び返す。
「忘れた時とはさよならするって。ボルシチ食いながら俺は聞いたぞッ。だったらお前はこれからもネオンだッ。それ以外、信じるなッ」
「言ってる意味が、わかんな……」
ネオンの声が途切れる。シャッフルに押し込まれるがまま、くぐった壁際のウィルスカーテン奥へ姿を消した。とたん力尽きたような沈黙が後味の悪さを引きつれカーゴ内で膨れ上がる。かき乱して互いの距離を詰めたのはクレッシェだ。縮まる距離に比例して、見えない雑菌を感知した白衣の胸元に七色のマーブル模様とシミは広がっていった。無表情すぎた白衣はうるさいほどの自己主張を始め、同時にまとうクレッシェの風貌もまた一変させる。毒々しい色合いに縁取られたその顔はアルトの中で、身もすくむほどの怪物と重なり合った。ならあくまでも穏やかな瞳でその怪物は、静かにアルトへこう語りかける。
『あなたがアルトだなどと、どこでどう入れ替わればそんなことに?』
この感情が伝わらぬハズもない。ならばとアルトもまた言ってやることにする。
『イルサリが、とうとうしくじったのかもしれない。記憶をマークしても、それだけは覚えていたらしくてね。気付けばそれが俺の、名前になった』
白衣のシミは、もう肩や袖口までをもを覆っている。極彩色を巧みに絡ませ、うごめき、目にも鮮やかなサイケを競い合っていた。
『取り繕うことのない回答は大歓迎です』
揺らしてクレッシェは目の前で立ち止まる。口調をひと思いと厳しいものへすり替えた。
『ですが、イルサリはこれまで一度もしくじったことなどはありません。それはあなたが一番よく知っているハズです。それほどまでに気がかりならば、背のモノはお捨てなさい』
やはりお見通しだったらしい。
『使い損ねたまでさ』
めいっぱい茶化してアルトは肩をすくめる。背で分隊員が自らの失態に気づくと、慌てふためきアルトの腰周りをまさぐり始めた。あっけなくも発見されたスタンエアはそんな分隊員の手によって装填済みエアを開放される。白衣のポケットからガーゼを取り出したクレッシェヘと手渡されていった。
受け取り一瞥するクレッシェはじつにつまらなさそうだ。
やがてアルトへその顔を向けなおす。
『なるほど。ならばここでもう一度、あなたと共に確認しておかなければならないことがあるようですね』
スタンエアを持ち上げた。
『よいですか? 二度と忘れぬよう、その頭へ叩き込んでおきなさい』
アルトの額へ銃口を押し付ける。
『あなたはラボ従事者としてヒト胚から抽出された連邦所有合成塩基の有機体。当ラボにてわたしが合成した塩基ナンバー11 セフポド・キシム・プロキセチルです。我々のれっきとした所有物であることを、少しは自覚なさい。大事なデータを連れ出すどころか盾にとって脅そうなどと、身の程知らずにもほどがある。確かに、あたなたのその行動力と自発性は、同様に合成、生成され続けた有機体の中でも特に高く評価するに値します。ですがそれが今後も裏目に出続けるというのなら、空砲ではなく今度こそ実弾を打ち込まなければならなくなる』
同時に引かれるトリガー。
覇気のない音がアルトの、いや、セフポドと呼ばれたその額から漏れ出した。
心臓は跳ね上がり、アルトは否応なく息をのむ。
見とどけてクレッシェはスタンエアを下ろしていった。
『そうならぬことを願っていますよ、セフ』
やたらに甘い声だ。久方ぶりの名と共に、それはアルトの耳に絡んで障る。
『あなたはそうするに口惜しいほどの出来栄えでなのす。二度、同じように仕上がるか、わたしにも自信はない』
『それは光栄なことで』
精一杯の抵抗はクレッシェにも十分、伝わっているはずだった。
『詳細は問い詰めません』
だからこそ聞き流してクレッシェは、うごめくサイケな白衣を翻す。
『あなたにこれ以上無駄な時間を与えるつもりはありません。すぐにも自身がラボへ与えた損失の埋め合わせにかかってもらいます』
つまりはシャッフルへ告げたように、プロジェクトの再開へ着手しろということらしい。
『ハブAIの自閉は解かない』
アルトは言っていた。それはクレッシェの一足飛びな話しぶりを真似たつもりでもあった。だがクレッシェは目を丸くする。笑い出しそうに天を仰いだ。顔をアルトへ向けなおす。心底冷え切った視線がアルトを射抜いていた。
『あなたは自分の言っていることを分かっているのですか? この、愚か者!』
罵倒に、分隊員こそアルトの背で小さく跳ね上がる。
『あなたが拒むと言うのなら、もとよりアルトは量産体勢に入る予定のモノでした。リスクは背負うもののマスターを潰して解析を進めるまでです。どうです? まだ先を言わねばなりませんか?』
そんな分隊員へ持て余していたスタンエアを突き返す。慌てて分隊員が受け取ったなら、乱暴に白衣のポケットへその手を突っ込んだ。
『いいですか、あなたが踊らされているものを今ここではっきりさせておきましょう』
などと放たれる正論は、今さら聞くまでもないものだ。だからこそクレッシェはあえて見せつけ、はっきりさせようとしている。
『それは同郷と同胞、その野蛮で泥臭い幻想と誤解に他なりません。もちろんあなたにそれはない。あなたはそのようなこだわりが生み出す軋轢、それを解消するために生成されたラボ従事者であり、ラボそのものが今後の世界のあり方のモデルグループなのです。少しは頭を冷やしなさい。あなたがあてられて何になるというのですか。今この状況こそ、わたくしの最も不愉快とする現象だ』
耐えられない。言わんばかりに顔をそむけた。それでもどうにか噛み潰し、クレッシェは横目にアルトをとらえなおす。
『いいえ、だからこそあなたはハブAIの自閉を解かなければならないハズです。丸見えなのですよ。たとえ機会があったとしても、あなたがアルトへスタンエアを使うようなことはしません。違いますか、セフ?』
試すようにその名を再度、呼んでみせた。
『そこにはあなたがこだわってやまないものがある』




