ACTion 32 『ぼくたちのいきかた』
つま先立ちで背伸びする。ミノムシドアに行き先を記録させたメモを貼り付け、デミはエアソールシューズのかかとを地に着けた。荒いドットを瞬かせメモは、そんなデミの前で短いメッセージをスクロールさせている。
『仕方ないよね。間に合えばいいけど』
つまりサスはまだ店に戻っていない。そして何も聞かされていないデミは、取引のためサスは店を離れているのだと信じていた。
『大丈夫、間に合わないなら、また、ここ、演奏する。それより学校も、遅れた』
残念そうな顔へ、首からストラップだけをかけたネオンが造語を並べる。
『学校なら大丈夫だよ。フェイオンでのデータは頭の中だし。戻ったらすぐ提出できるようジャンク屋の船の中でまとめておいたから』
などと笑うデミの様子は、あながちウソとも取れない自信に満ちていた。
『たまげた逸材だな』
あきれたようにライオンが肩をすくめる。
『あんたが仮死ポッドに入っている間、おかげでこっちはどれだけ振り回されたか知れないぜ』
アルトもすかさず口を尖らせた。
暮れかけた『アーツェ』の空は真っ赤だったその色を今、溶けるようなクリーム色へ変化しさせつつある。そんな夜空の片隅には、くぐり抜け、向こう側へ抜け出せそうな衛星の蒼い影が二つ、ぼんやり穴をあけていた。休むことなく循環して降り積もる砂塵のせいだ。けぶる大気のせいでそれ以外は判然とせず、まるで分厚い絵の具に塗り固められたような閉塞感が砂漠の星の片隅のこの小さな町を、覆い尽くそうとしている。
『しかしその店の予約、いつもの倍以上だと聞いたが』
苦笑いに黒光りする鼻先をひくつかせ、ライオンが話題を変えた。
『だって伝説では聞いていても、誰もホンモノの音なんて聞いたことないんだよ。当然だね』
デミが鼻溜を揺らして教える。さもありなんとライオンが腕を組んでみせたのは、メンテナンスをこなしながら練習するネオンの音を聞いたためでもあった。
『確かにあれは不思議な音だった。いや、聞いたと言うよりも触れたような体験だった。言葉がないので意味は分からないが、それでも確かに伝わるものはある。なるほど、言語と種族を超越して一世を風靡したのもうなずけるというものだ』
『フェイオン』の下層で同じ事を感じたのだろう。満足げに鼻溜を膨らませたデミもまたうなずき返している。
『じゃ、そんなショーの待ってるお店までは、ぼくが案内するよ。ついて来て!』
誰もの先頭を切ると、きびすを返した。路肩に停められていたビオモービルのハンドルを握る。後部座席へネオンを乗せたなら、砂塵を巻き上げ公道を耕すように走り出した。その後をアルトとライオンが乗る三輪ジープは追いかける。
連なり走る道すがら、デミはネオンへこれからの段取りを確認していた。それは今夜のステージが二部構成だということであり、前半はネオンのソロが、後半はデミのお膳立てした地元『リピトール楽団』とのセッションが用意されている、ことについてである。
『楽団はもうお店に入ってると思うよ。打ち合わせは着いたらすぐ始めるね。もちろん通訳はぼくがするからおねえちゃんは安心して』
そもそも他者と演奏することもまた、ネオンにとってはこれが初めてだ。
『わかった』
『お金は、お店の営業が終わった後、売り上げの十三パーセントがもらえるってことになってるよ。物価の違いがあるからすこし少なく感じるかもしれないけれど、お店はこれ以上はムリだって。ケチだよね。こんなすごいショーなのに』
不服そうにデミは鼻溜を膨らませ、その目でちらり、サイドミラーをのぞきこんだ。後方から追いかけてくるアルトの三輪ジープを確認する。
『だからってわけじゃないけど』
戻した視線でそっと鼻溜を振ってみせた。
『お店のひとは、よければ明日もって……』
肩越し、ネオンへ振り返る。
ネオンはそんなデミへかぶりを振って返していた。
分かっていただけに、デミの鼻溜はきゅっと縮まる。
『そうだよね。だっておねえちゃん本当は、おいちゃんが来る前に、ここを離れたいんだよね』
まっすぐとはいえ時折、対向車も現れる目抜き通りだ。デミは視線を前へ戻す。落胆ぶりは手に取るようで、ネオンの心に刺さっていた。
『色々、アリガト。ごめんね』
『そんなの、いいよ。だっておねえちゃんに見つけてもらえなかったら、ぼくの方こそどうなっていたか分からないもん。ぼくこそありがとう。わがまま言ってゴメンね、だね。そうだ、さよならする前にジャンク屋にもちゃんとお礼を言っておかなきゃ。でもね、おいちゃんは悪いひとじゃないよ。だってぼくにとっても優しくしてくれるんだもん』
調子はネオンへの抗議のようで、間違いでない証拠にデミは意を決すると鼻溜をこう振っていた。
『おいちゃんのこと、キライ?』
気づけばクリーム色だった空は白く腫れ上がり、すっかり一面を覆って夜へ変えている。降り注ぐ砂塵はそんな空に反射して、夜道は粉雪が舞うがごとく白くけぶっていた。
『だから急いでここを出て行きたいの?』
などとストレートな質問は、包まれたビオモービルの中、ネオンからやがてクスリ、笑いを引き出す。
『好きか嫌い、か……』
考えたこともないようなそれは二者択一だった。吟味すればネオンの目は大げさなほどに宙をぐるり、見回す。だとして答えなどでそうもないなら、後部座席へ深く埋もれていった。その目が、ルームミラーに映ったデミの心配げな目と合う。
『一緒に仕事をしていた。けどデミが女の子になる、決めたように、サスの店を継ぐ、決めたように、わたしにも考えがある。けれどトラはそれを認めてくれない。だからケンカするの』
造語へは細心の注意を払ったつもりだ。
『苦手だけど、好きや嫌いじゃない。これからどうするのか。わたしの考え、なの。だからトラがいいひと、でも、思いなおせない』
ルームミラー越し、デミは絶えずネオンを見つめていた。かと思えば静かにこう鼻溜を揺らして話し出す。
『あのね、ぼくが、女の子になっていいのかどうか迷った時、おじいちゃんに相談したことがあったんだ』
話が突飛であったことはいうまでもなかった。意味が掴みきれないからこそネオンは数度、目を瞬かせ、よく聞き取ろうと座席から背もまた浮かせる。
『だって、ぼくはおじいちゃんの店を継ぎたかったし、おじいちゃんは男の子を選んだんだもん。それでいいのかなって思ったんだ。そしたらね、おじいちゃんは、ぼくにこう言ってくれたんだ。それはぼくが決めることだって。だってそれは、ぼくの生き方だから。えっと、ヒトなら「人生」って言うんだっけ? おじいちゃんは少し寂しそうだったけど、ぼくの決めた通りにやってみなさいって言ってくれたんだ。きっとおいちゃんとおねぇちゃんも、そういうことなんだよね。良いとか悪いとかじゃなくて、好きとか嫌いとかじゃなくて、そうありたい、ってことなんだよね』
生き方、という言葉は考えてもみず、突きつけられてネオンはしばし言葉を失う。いや、ただその言葉に妙な力強さを覚えて内にたくわえた。確かめるように『ヒト』語で、なぞりなおしてみる。
「……生き方、か」
思い起こせば仮死ポッドが見つけ出されたことも、蘇生されたことも、過去を覚えていないことも、負わされた借金も、何一つネオンが主導権を握ることなく押し付けられたものばかりだった。そうして過ごした時間は長く、自らが選ぶなどとすっかり忘れたまま毎日は続いている。果てにこれが初めて自ら選んだ道だというのなら、その新鮮な感触をネオンはそっと手繰り寄せていった。
『生きてる』
つづる造語。
『なら、仕方ないよね』
あっけらかんと飲み込んだデミに未練は感じられない。
『今日は、そのための演奏』
おそらく生きるためではない。
今日、初めて、生きている今を奏でる。
感じてネオンもただ返した。
『楽しみだな』
知ってか知らずかデミが短く答えている。
それきりふたりは押し黙った。
ほどなくその視界へ『アズウェル』のホロ看板は、温かい色味で浮かび上がってくる。デミはビオモービルのキャタピラを減速させ、路肩へ寄せた車体のエンジンを切った。おさまった震動にネオンの頬へ忘れていた緊張感は張りついてゆく。
今日は特別だ。
強く意識していた。
店先に止まった駆動音を聞きつけ、ボーイが店内から姿を現していた。面持ちは歓迎の笑みに満ちている。向かってデミがビオモービルから飛び降りた。意を決したようにネオンも抜け出す。白く遮のかかった『アズウェル』のホロ看板を見上げた。その両眼に込めた力は、並大抵のものではない。
『盛大に、始めるわよ』
言葉は不敵と、唇からこぼれ落ちていた。
その頃、『貨物船 エイサー号』は町外れの砂漠港で着陸態勢に入ろうとしていた。一方、町を挟んだ反対側、砂塵に埋もれた連邦軍跡地の滑走路に、絶縁スーツに身を包んだ分隊たちの足跡は伸びてゆく。トラの乗る『バンプ』は『アーツェ』を前に光速を抜け出し、まだその道中にあるスラーとモディーは船内で相変わらずのどつき漫才を繰り広げていた。
只中で町は静まり返ると、聞いたことのない音色に胸、踊らせた影を数多『アズウェル』へ向かわせている。
幕開けまであとわずか。
『アーツェ』の夜の白さは今まさに、その極みにまで達しようとしていた。




